八重の桜

地デジ難民の我が家では、テレビ放送は受信出来ません。
テレビは見ないで過ごしています。

でも、今年話題の大河ドラマ「八重の桜」がどうしても気になって、NHKオンデマンドを契約して見始めたところです。
会津がどのように捉えられ語られているか、全国の多くの方々の目にどのように映るのか、それが少なからず気になりますから。

で、冒頭から出て来ましたね。
「ならぬことはならぬ。」と。

この言葉に、会津の人々は、少なからず誇りを持っているような気がします。
会津若松駅前や街角のあちこちに、この言葉を記した塔や看板が立っていますから。
まあしかし、ドラマを見ていても分かることですが、そんなことで黙って引き下がらないのもまた会津人なのかなと、思う土佐生まれの私です。

会津で一番の美徳とされるのは、多分「忍耐」だろうと思います。
前にも申し上げたかも知れませんが、雪に閉じ込められる冬の季節の厳しさが、この価値観を生んだのだと思います。
どんなに厳しくても、春になれば必ず融けて消える雪。
耐えて待っていれば、春はやって来ると、その約束が果たされなかったことは無いのですから。

余談になりますが、土佐の高知ではどうか・・・。
当事者の私なのですが、今一つピンと来るものがありません。
他所の方がご覧になれば、かえってよく見えることなのかも知れません。
まあ敢て言うなら、「臨機応変」というところでしょうか。
会津とは、全く対照的です。
そしてこれもまた、土佐の気候風土が生んだ気質だと思います。

さて、「八重の桜」を見ていて今一つ気になったのは、戦争を美化する空気が流れてはいないかということです。
もちろん、まだまだこの先のドラマの展開を待たなくては結論出来ないことではありますが・・・。
筋書き上「八重」をヒロインとして扱う以上、戦争の悲惨さや武器の非情さにスポットが当たることは、ほとんど少ないだろうと思います。

ドラマの中でも出て来ましたが、軍艦や大砲や銃などの圧倒的な力に、あこがれや興奮を感じ、好奇心を抑えられないのは、子どもや若者の特質と言うより人間本来の特質かも知れません。
一方、その趣くままに突き進んで来た結果が、原発の爆発だと思うのは私だけでしょうか。

それからもう一つ余談になりますが、アメリカはすでにこの時代から、海外に向かって覇権の手を伸ばしていたのですね。
ペリーのやったことは、どう見たって脅しですから。
それが外交というものだよ!と言われるかも知れませんが、ちょっと違うのじゃないでしょうか。
今や、世界に向かって欲望を膨らませるだけ膨らませたアメリカは、世界中を食いつぶして、自ら諸共この世界を滅ぼしてしまうのではないかと思えますから。

話しが逸れましたが、この一年間「八重の桜」は、会津の絶大なる広告塔の役割を果たすのでしょうね。
そのこと自体は、会津にとってはありがたいことですが、もしかしてその代償が戦争美化のダシというのではたまりません。
再び自民党の政権になって、国防軍や徴兵制の話も具体性を帯びて来そうな気配ですから。
もし、「八重の桜」がそのための伏線の役割を果たすことになるしたら、とてもとても嫌なことです。

尤も、私などが戊辰戦争の真実を知る由もないのですが、会津には地域の歴史を丹念に堀り起している方が少なからずいらっしゃいます。
最後に、ある方のブログをご紹介して、終わりたいと思います。

菅家博昭さんの「記憶の森を歩く・2013」より、<野尻組の会津戊辰戦争>