続2、農業志願

日本の農業が、今や壊滅の危機に瀕しているということを、一体どのくらいの人が認識しているだろうかと思います。
私の住んでいる山都町は、いわゆる中山間地域と呼ばれる、典型的な農村です。
そして今この日本の抱える、農業だけではない様々な社会問題が凝縮している地域でもあると、私は考えています。
さて、我が山都町には、農業を全く未経験の若者たちが数多く、新規就農を志してやって来ます。
※そのあたりの経緯については、以前に触れていますのでそちらをご参照ください。 <参照1> <参照2>

それで、これまでに農業志願して来た人たちが、その後実際に農業に就いたか、また農業で生計を立てるに至ったかどうか、その評価はいろいろに分かれるところだと思います。
私としても、簡単に一言では申し上げられませんが、現状は限りなく厳しいという印象を打ち消すことは出来ません。
一方、今の日本の農政の方向は、農業の大規模化に向かっています。
これまでの家族単位の営農から集落単位へ、さらにそれを会社組織にする。
そして、これまで農業とは無縁だった企業や資本の参入を歓迎し、機械化、省力化する。
農民も他のサラリーマンと同じように、給料をもらって労働に従事するという構造を目指しているわけです。
それでは、都会からわざわざ農業を志して来る人たちが、そう言った方向性を歓迎するだろうかと言えば、むしろ逆じゃないでしょうか。
そしてまた、既存の農家の間でも、危険を冒して大きなビジネスに手を出したい人は、決して多くないと思います。
どちらかと言うと、そうせざるを得ないように、農政が道をつけているのです。
元々、作物を育てるという仕事は、工場でモノを造るような単純なものではありません。
自然を相手に、数限りない不確定、不可測な要素と付き合いながらする仕事です。
水耕栽培のように完璧を誇る施設園芸でさえ、予期しないトラブルと格闘している姿を、私は知っています。
とにかく、作物=植物=生命なのですから、材料を加工して造るモノとは、決定的に次元が違うのです。
発想を取り違えたやり方は、いずれ近い将来必ず破綻するに違いありません。

農業を、単に産業の一つとしか捉えられない政界や財界の方々には、決して見ることの出来ない世界が、農業と言う仕事の中にはあると、私は思っています。
そこを見落として道をつけても、多分それは、誰も通れない道です。
これは私の個人的見解ですが、このままでは日本の農業は死んでしまうと思っています。
その先がどうなるか、話が大きく広がってしまいますので置きますが、農業が生き残れる道は、結局、家族経営しかないと思います。
元来そうであったように、「百姓」に戻るということです。
それが一番無理のない、自然の計らいに沿った道であると思います。
そこでは、省資源、省エネルギー、環境浄化、人々の健康等々、産業中心の社会では矛盾だらけでちっとも解決出来ない問題が、あっさり片付いてしまうに違いありません。
果たして、今後農業に従事する人々に、その道が残されるか、許されるか、そこが大いに問題です。

続2、農業志願」への2件のフィードバック

  1. kozu

    採りたての野菜は瑞々しく軟らかく食生活を考えると農家の存在は大きい。農業、事業で生活をしようとは考えたことがない。健康で生きがいや目的を持ち経済的に安定した生活を望んでいるからです。誰でもが望む理想の人生では・・・?これから新たに起業するにしても資金・労力・学が必要でしょう。私の父親は起業し生活を営み、苦しい父の姿も見ていましたが本人は小さな満足を満喫していたようです。そんな親の姿が誇りでしたね。社会問題は山積みですし毎日の報道に心が痛みますね。

  2. Mikio

    kozuさん、コメントありがとうございました。
    誰もが望む理想の人生・・・、難しいテーマですね。
    私は、自分の幸福と他人の幸福が矛盾しない道を歩きたいと、それだけを想って毎日を過ごしています。
    では、何が出来るかと言って今の私には、自分の要求を下げることくらいしか思い浮かびません。
    あとは、私の焼いたパンを喜んでくださる人がいれば、それが私にとって一番のご褒美だと思っています。

コメントは停止中です。