ずっと前、人に聞いた話しですが・・・。
人には二つあり
風の人と土の人
二つの人調和して
風土を織りなす と
曰く、風の人とは、吹いて来る風の如く何処からともなく渡来し、一時その地に住み暮すことはあっても、やがてまた何処へともなく去って行く人。
いずれ何処かに果て骨を埋めるとしても、田畑家屋敷を残さず受け継がず、子々孫々もまたそれぞれの場へと散って行く。
他方、土の人とは、その土地に根を下ろし、代々、田畑家屋敷を受け継ぎ、家系を絶やさず、墓を守り先祖を祭り、土の如く不動の暮らしをしている人。
風の人は、土の人の如く足の地に着いた暮らしを恋焦がれるもののそれが叶わず、土の人は、風の人の如く自由に広い世界を見たいと願いつつそれが叶わないのです。
そして、一つの土地に土の人ばかりでは、気がよどみ人々は倦み疲れ、古い因習が支配するのみの死んだ場所となってしまいます。
また風の人ばかりでは、ものごとはいつも移ろうばかりで育まれ残されるものも無く、ただ風が吹きぬけるだけの不毛の荒れ野となってしまいます。
私たちは、廃村の憂き目に遭いそうな地方の限界集落に前者を、空洞化する都会の中心地に後者を見ることが出来るのではないでしょうか。
ところで、私はどちらかと問われれば、過去を振り返る限り、風の人です。
私が系譜を辿れるのは、父方も母方も祖父母までですが、私が生まれた時すでにこの世の人ではなかった父方の祖父は、瀬戸内の貧しい漁師の家の生まれで、幼い頃から諸国を放浪し辛酸の限りをなめつくした人であったそうです。
父は、会社勤めで無難に一生を終えた人でしたが、私はその反動か?いつも心のどこかで土の人の暮らしを羨ましく思いつつも、結局腰の据わらぬ風の人で過ごしてしまいそうです。
さて話しを戻して、今世の中では、一方にますます過密になって行く大都市があり、他方に空洞化して行く地方都市と崩壊していく限界集落があります。
いつの頃からか、風の人と土の人は相交わることなく、バラバラに生きるようになったのでしょうか。
そんなことと関係あるかどうか知りませんが、最近、何でもかんでも至るところで、ものごとも人間関係も分断されているような気がします。
何もかもがその場限り、私たちの人生もまた細切れな時間に切り刻まれて、このままではその日その日を自分の腹を満たすだけの家畜のように生きるしかなくなってしまうのじゃないか?それも多くの人々がそれと気づかぬうちに、そんな危機感を持っています。
最後にちょっと話しが飛躍してしまったかも知れませんが、また別な機会に続けてみたいと思っています。
derumakuからたどりつきました。k村ではすれ違いだったようですね。これからも愉しみに見させて頂きます。
kerokotanさん、コメントありがとうございました。
こうしてご挨拶するのは初めてですが、以前どこかからのリンクをたどって、そちらのブログを拝見した覚えがあります。
どうぞ今後ともよろしくおつきあいください。
いつもお世話になっております。
この度僕も個人的なブログを始めました。
http://tuchinohito.jugem.jp/
名前が「つちのひと」。本人は風の人かもしれませんが。
この記事についても、紹介させてもらいましたのでお知らせいたします。どうぞよろしくです。
yasuさん、早速拝見しました。
機会を見つけて、紹介記事とリンクをアップします。
よろしく。