英語に毒されていやしないか?

日本は60余年前、戦争で米英連合軍に敗れたので、あの時、今後公用語は英語にすべし、という話しもあり得たと思うのです。
実際には、そんなことにはなりませんでしたが、敵性語としてあれほど憎んでいた英語を、我々日本人は、むしろ好んで使うようになったのでした。
この変わり身の速さ、素晴らしい適応力と言えば良いのか、節操の無さと言えば良いのか分かりませんが、近年益々、英語は私たちの日常に、いかにも巾を利かせて来ています。

ところで私は、ルーツ音楽に興味を持ったおかげで、英語圏ではない国々の言葉を知る機会に恵まれました。
先ずは北欧の国々ですが、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマークなどなど。
しかし、この名称と発音からしてすでに英語です。
それぞれの国の言葉では、フィンランド(Finland)→スオミ(Suomi)、スウェーデン(Sweden)→スヴァーリエ(Sverige)、ノルウェー(Norway)→ノルイェ(Norge)、デンマーク(Denmark)→ダンマルク(Danmark)となります。
こんなことは、私にとってはつい最近知ったことですが、それまで何の疑いもなく英語での呼び方以外、想像もしてみなかったということは、それだけ英語の力に支配されていたということかも知れません。
ノルウェーのお話しで「小さな牛追い」というのがありますが、登場人物の一人ラルス(Lars)は、本当はラーシュと呼んであげなくてはなりません。
作家の、マリー・ハムズンも、マリエ・ハムスン(Marie Hamsun)です。
英語名でジェニー(Jenny)は、フィンランドではイェンニ(Jenny)となります。
北欧では、JはYで発音するのですね。
それから、ジョン(John)・英語圏→ヨハン(Johan)・北欧→ホアン(Johan)・スペイン、
なんてのもあります。
そんな風に、一口に西洋と言っても、それはものすごく広い範囲のことを大雑把に捉えているに過ぎないはずですが、英語がそれらをすべて代表して語っているように錯覚して来た私たちと、その背景にある、英語が国際共通語として確実に地位を固めて来た歴史、その意味するところはとても深い・・・、と私は思います。
「覇権は、言語から。」一つ頭に入れて置こうと思います。
日本の私たちだって、同じ東洋だからと言って、自分の名前を公然と中国語の発音で呼ばれたりしたら、きっといい気持ちはしないでしょう。
私たちは、少しばかり英語に毒されていやしないか?そんなことを考えてしまいました。

英語に毒されていやしないか?」への2件のフィードバック

  1. オリオリ

    記事を興味深く読ませていただきました。
    クラシック界では、その逆行で、母国の発音表記が多くなりました。
    私の大好きなピアノの王子様も、若き日はクリスチャン・ツイメルマンと呼ばれていましたが、昨今のCDレーベルの表記はクリスティアン・ツィマーマンとなっています。
    長くピアノに携わっている演奏家の演奏を聴き比べてみますと、若き日に試みた冒険や、ややもすると大げさな表現というものが、全てそぎ落とされて
    歳をとって無難な演奏にも聞えますが、シンプルで味わい深いものをかんじます
    自分の暮らしもそんな風に変えてゆきたいと思っています。

  2. Mikio

    オリオリさん、コメントありがとうございました。
    この方、ポーランドの出身でしたね。
    それはそうと、モーツァルトやバッハは、以前から母国語のドイツ語の読みですね。
    辺境の小さい国の言葉は尊重されない、ということなのでしょうか・・・?
    いずれにしても、固有名詞は、出来るだけ現地の言葉で呼んで上げたいと思いますね。

コメントは停止中です。