先日、私の友人であるtakさんのブログに、「のほほんとシュガーレス」<参照>というタイトルで、私のブログを引き合いに出してくださり、大いに盛り上げていただきました。
そこで、私もお菓子造りを仕事にしているものとして、甘味に対する考察を展開してみることにしました。
先ず、人(実は人だけじゃないかも知れませんが。)の舌は、甘さに対して特別寛容に出来ているということを申し上げたいのです。
甘さを表現する言葉として、「砂糖の〇倍の甘さ」という尺度が通用していますが、この場合の砂糖は白砂糖あるいはグラニュー糖のことを指しています。
このグラニュー糖を固めたのが角砂糖ですが、例えば角砂糖一個ポンと口に入れても、別にどうということはありませんね。
そのままコリコリと噛み砕いて飲み込んでしまいます。
キャンデーなんかは、言ってみれば砂糖の固まりそのものと言っても全く差支えないほどですが、一個でも二個でもいくらでも口に入ってしまします。
これが塩の固まりだったらどうでしょう?
とてもこうは行きませんね。
たちまち吐き出してしまうに違いありません。
どうして私たちの舌が、甘さに対してこれほどまでも寛容なのか。
それは、私たちが生まれて初めて覚える味(母乳の味)が甘味であり、甘味は食物の味の基本だからです。
甘味は、その食べ物が安全でおいしいものだという、シグナル(信号)としての役割を果たしているとも言えそうです。
それだけに、私たちは元々甘味に対して無抵抗です。
そして、強い甘味に慣れるほどに、いくらでも甘味に対する欲求が強くなります。
甘味中毒は、私たちにとって誰かれ問わず、実際に起こり得るリスクです。
甘味中毒がどのように恐ろしいのか、それはもう先人たちが散々警鐘を鳴らして来たことですから、ここでは詳しく申し上げませんが、私が一番怖いと考えるのは、食生活全体の嗜好が不健康な方向にシフトするということです。
ところで、母乳だけで育った子どもが離乳して行く時、母乳より極端に甘いものは先ず拒否します。
何度か試すうちに直になじんでしまいますが、実はこのデリケートな味覚を絶対に壊して欲しくないと、私は真剣に思います。
少なくとも4歳を過ぎる頃まで、甘みの強いお菓子は口に入れない方が良いと思います。
takさんが言っているように、甘くなくてもおいしいとか、甘いとおいしいは違うという感覚は、これはもうご両親に、特に母上に感謝するしかない、大変な財産です。
私なんかは、元々甘党に育ちましたから、こういう理屈は本で読んだり人の話を聞いて、頭で考えて納得しているわけですが、それでも十分な抑制力になっているのは、単に怖がりだからかも知れませんね・・・!?
ここでちょっと話がそれますが、人間以外の動物でも甘味中毒になるみたいですね。
特に人間のそばにいる犬などは、一旦甘いものの味を覚えると、簡単に中毒になってしまうみたいです。
実験用のマウスでも、動物園の猿でも、その例に漏れないそうです。
そこで思うわけです。
食工房のお得意さま方の多くが、シュトレンのように甘いお菓子と、パタポンのようなノーシュガーのお菓子の両方をお気に入りなのは、考えてみるととても健全な味覚をお持ちだと言えるのですね。
で、たった今「シュトレンのような甘いお菓子」と申し上げましたが、実は甘味の満足度というのは、必ずしも砂糖の量に比例するものではありません。
食工房のお菓子の大半には、砂糖の量を減らしつつ甘味の満足度を高めるために、実は仕掛けがしてあります。
それがいつだったかにも申し上げた、スパイスワークというわけですが、そのお話しはまた機会を改めて、より詳しく触れたいと思っています。
今日はここまで。
戦中派の人は、甘味に飢えていたそうです。
前にも私のブログで書いたことですが、以前の上司が戦争中に小学生で、教師に 「君たち、この戦争に勝ったら、砂糖の土俵で相撲を取らしたる」 と言われて、「これは、何としても戦争に勝たねば」 と思ったそうです。
私は思わず 「うわぁ、体、ベトベトになりますね」 と言ったら、彼は 「そうか、戦後生まれはそんな感覚か」 と嘆いていました。
takさん、コメントありがとうございます。
そうですね。
私が子どもの頃でも、親たちは贈答品に砂糖をいただいて喜んでいましたからね。
羊羹などは、宝物のように少しずついただいてました。
今、これほど好き放題に甘いものを口に出来るようになって、それで必ずしも幸せとは言えない自分たちが、何だか悲しく思えます。