父の日によせて

今日は、父の日。
私も6人の子の父ですが、それは置いて、今は亡き私の父の話を聞いてください。

私の父は、もう14年余り前に亡くなり、すでにこの世の人ではありません。
その父が、亡くなる2年ほど前に、当時山暮らしをしていた私たちの所に、一度きり訪ねて来たことがありました。
「馬鹿な選択をする・・・。」と呆れられながら始めた山暮らし、本当によくやっていたものだと思える、まるで絵に描いたような貧乏暮らしでした。


たった一晩泊まりで直ぐに帰らなければならない父でしたが、いる間中ずっと6人の孫たちと遊んでいました。
4人の男の子たちと、下の川にも行きました。
渓流釣りの達者だった父は、孫たちが同じように達者に沢を飛び歩く様子を、目を細めて眺めていたに違いありません。
この時は一匹だけ、手ごろな大きさのヤマメが釣れて帰って来ました。


それをさっさと捌いて、夕食のごちそうに塩焼きにしてもらって、父はとても満足そうでした。
ランプの灯りの下で、私たち夫婦と6人の孫たちに囲まれて食事をしたのも、思えばこの時が最初でそして最後でした。


皿に乗ったヤマメの片側半分をきれいに平らげた後、孫たちがじっと見ているのに気がついた父は、そうか!この子たちにも食べさせてやらなくてはならなかったと、魚をクルリと裏返して「おっ、もう一匹おった!」と言って皆を笑わせました。
それから遠慮していた子どもたちも箸を延ばして、皆で一口ずつ味わったヤマメの味は、忘れることが出来ません。
いつもユーモアを忘れぬ父でした。


そんな父は、孫たちに惨めな思いをさせている(・・・)不届きな息子に、小言の一つも言いたかったはずですが、その時はそれまでの2年間、私たち家族全員が一度も医者にかからず、健康優良家庭として村から二度も表彰されたことを褒め、それ以外は何も言いませんでした。
実を言えば、国保税も満足に払えず、保険証の交付を留保されていたので、医者にかかりようもなかったのですが・・・。
多分それも、父は分かっていたと思います。


私と二人だけで話している時、ただ一言、「貧乏するのはかまわんが、貧乏がしみたらいかん。」と言い残しました。
その言葉の意味をすぐには理解出来なかった私ですが、後になって、「人は、貧しい暮らしを続けるうちにいつの間にか、初めから他人の厚意を当てにするような、浅ましい根性が身に付くことがあるものだ。そうなったら人間もおしまいだぞ。」、そう言いたかったのだと理解しました。


その父とも、あの時以来二度と会うこともないまま、二年後には天国に行ってしまいました。
親不孝の埋め合わせは結局出来ませんでしたけど、多分許してくれているだろうと、今はそう思えます。
許すしかない、親心の哀しさそしてありがたさ・・・。
否、案外喜びかも知れないと思う私です。


ちなみに晩年の父は、詩と短歌を学んでいました。
日々の思いを自分史風にまとめて、一冊の本を残してくれました。
世に出せば良かったのにと思う私ですが、巻末には非売品と銘記されています。
いかにも父らしいスタンスだと、代わって私が皆さまにご披露する次第です。


 


   山里にあこがれて住む子ら想う富みきし国の翳りなるやも


   便りなきは健やかなりと諾はん山ふかく住む子らのすぎゆき


   帰りこぬ五月の車みちのくに離れて育つ孫らの遠し


 



 


山暮らしの風景 1993 



 ヤマメを釣った川



このプレハブ小屋で暮らしていました。 



 真黒にすすけた小屋を、連れ合いが精いっぱい可愛らしく演出していました。