差別化の果て

物が豊富になると、売れなくなります。
それが経済社会の原則ですね。
そこで商売人たちは、いろいろと手を考えるわけです。

一つは、同じものなら一円でも安く売って数で稼ぐ。
あと一つは、同じものでも質的な違いを主張して、(つまり差別化ですね。)一円でも高く売る。
この二つのどちらかになります。
それが段々エスカレートすると、物の値段は高い安いの両極端に偏って行きます。

コーヒーのような嗜好品の世界では、差別化のネタをいくらでも見つけることが出来ますから、差別化による付加価値は、全く途方もない所まで登りつめます。
昨年このブログでも取り上げた、100g7350円のコーヒーの話題<参照>は、いまだに記憶に新しいところですが、今年産販売の企画の新聞広告を少し前に私も見ました。
そうかと思えば、スーパーの安売りコーナーでは、200g3缶で1000円のコーヒー豆(挽豆)が山積みされています。
そしてさらにランク落ちしたものは、産業廃棄物並みに扱われて、一般消費者の知らないところで加工品になって行きます。

多分、大方の生産地では、消費地でそこまで価格差が生じていることなど知る由もないでしょう。
本当に良いものが高く売れて、その分が生産者にストレートに還元されるなら、それはそれで結構なことだと思います。
しかし現実、価格の決定権は、流通業者と焙煎業者など間に立つ者たちの手中にあります。

かく言う私も、その立場にある一人には違いありません。
自分のコーヒーを認めてもらうために、差別化は避けて通れない一つの手法として、この私も使っています。
ただし、そこには必ず明確かつ消費者の方に納得していただける理由があること、これだけは守りたいと思っています。
確たる根拠も無くでっち上げた差別化は、仮に一時的な利益を生むことがあるとしても、いずれ必ず業界全体の信用を大きく損なう元になりますから。

そしてやはり、一番に考えたいのは生産地のことです。
我々が取っている差別化という手法が、生産地にも良い刺激となって、質の高い生豆の生産に意欲が増す方向を見つけなくてはならないと思っています。


そんな意味合いも込めて、いつか皆さま方に、生豆の選別体験をしていただくイベントをやってみたいと思っています。