会津学とナショナルジオグラフィック


購読9年目の「ナショ・ジオ」と昨日初めて手にした「会津学vol.1」

昨日は、地元山都町の方の企画で「会津学」の講座を聴くことが出来ました。
私は初めてこの「会津学」という名称を聞いた時、この地域色の濃い郷土愛に満ち満ちた風土ゆえ、会津の歴史と登場した人物のことなどを熱く語り、地域ナショナリズムを鼓舞する内容なのだろうと、浅薄な想像をしてしまったことを恥ずかしく記憶しています。

実際は全然違っていて、暮らしの中の何もかもが人の手から離れて行くこのハイテクの時代にあって、急速に失われて行くそうした暮らしの中の人の手の記憶、それにまつわる人が語り伝えて来た様々な伝承を、今のうちに記録しておこうというものでした。
それも、学者研究者の視点ではなく、自らが地域の生活者でもある立場で、細々とした人々の記憶を網羅することを旨としています。
それが何の役に立つのか・・・。

「会津学」を主宰している菅家博昭さんは、100年先に人々に貴重な情報となって残るように、ということをイメージされていると伺いました。

昨日のお話しは、我が山都町に関わるデータを準備してくださっての、大変興味深い内容でした。<参照>
その中には、私が借用しているこの家の家主さんのご先祖の話も出て来たりして、一つの地域の中でいろいろな物事が時を越えてつながっていることや、人の暮らしと文化の厚みや重さに触れる想いがしました。

そして実はその二日前、購読している「ナショナルジオグラフィック12月号」が届いていました。
その中で一際私が興味をそそられたのは、「タンザニアのハッザ族」という記事でした。
タンザニアの奥地で今なお、完全狩猟採集生活を営んでいる部族の取材記録です。

そこに書かれてあったことで、私の脳を直撃した一言は、「現世人類は、この世界に出現以来その歴史の99%を、狩猟採集民として暮らして来た。残りの僅か1%の時間の間に、農耕が始まり地球環境は大きく改変された・・・(後略)」というものでした。

このブログの中でも取り上げたことがありますが、野生の獣たちとの付き合い方、いい意味での緊張感を持って敵対と友好を使い分け、本来無防備で弱い「人」が生き残るためのノウハウは、実は長い長い狩猟採集民の暮らしの中で獲得されたものに違いないと思い当りました。<参照>

脅威とまた一方で恵みに満ち満ちたこの大自然の中で、農耕が始まり、その他ありとあらゆることが今実現しているのは、その厚い厚い礎があったからこそです。

どんなに文明が発達しても、人が生命であることの事実は動かせないし、それは自然との関わりによってのみ健全に維持されることは間違いありません。

だとしたら、この世界から狩猟採集民の記憶が消えることは、人類の終焉を意味するというのは、大げさでしょうか。
タンザニア政府は、この人たちを救済しなくてはならない未開発な人々だと認定しているのです。

加えて広く文明社会に暮らす私たちが、狩猟採集どころか農耕からさえ遠ざかって、草木の一本も生えないコンクリートの地面で固めた都市で、警戒を怠り何の感覚を働かせることもなく、油断しきって生活していることは、一体何を意味するでしょうか。
もはや人は、狩猟採集民でも農耕民でもない、何か別なものになりつつあると言えるのではないか。
それで本当に生き残っていけるのか。
そんなことを想ってしまう私です。

話は戻りますが昨日は、私にとって「会津学」の意義は、そんなところにまでつながっていると、確認することになったのでした。

会津学とナショナルジオグラフィック」への2件のフィードバック

  1. arz2bee

     私は特に詳しくはないのですが会津は意外に古く奈良時代からの古い歴史を持ち 日本の北の要衝として独特の文化を育んで来た土地柄のようですね。そうした伝統が今も生きているのでしょうね。
     土佐と会津、なんだか化学反応が起きそうですね。

  2. Mikio

    arz2beeさん、コメントありがとうございました。
    会津がなかなか興味の尽きない土地柄なことは確かですが、およそ全国どこに行っても、その土地と歴史には、掘り起こせばキリのない奥の深さがあるのだと思います。
    土佐と会津、私には、表面的には対照的な両者も、実は内面的には大変似たところがあると実感しています。
    いつかそんな話にも触れてみたいと思っています。

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