意外に原始的?


中央上の大きいファンが、CPUクーラー。
数ミリ角のCPUを冷やすのに、こんな大きな冷却装置が必要と
いうことは、いかに大量の熱を放出しているかということですね。
PCは、機器全体が一大発熱体です。



グラフィックアダプター、またはビデオカードとも言います。
ちっぽけなパーツのくせして、すごい熱を出します。
先日メンテナンスしたばかりなのに、もう埃がついています。
レーシングカーのエンジンパーツのように見えませんか?


ご覧の画像は、うちのPCの内部です。
現在はメインPCの役目を終え、補助的な役目になっています。
このPCはマニアの自作機ですが、メーカー製のものでも中はそれほど違いはありません。


これを見た我が連れ合いは、もっと未来的と言うか斬新な構造かと思ったのに、沢山のパーツの集合体でしかも配線がのたうち回っていて、風車のようなものもいくつもあって、意外に原始的って言うか、何か裏切られたような気がしたらしい・・・。


でもこれは仕方がないと言うか、当然なんですね。
世界初のコンピューターは、何と真空管で動いていたそうですから。
その数、1万本とか・・・。
もし現在のPCを真空管で構成しようと思ったら、東京都の面積くらいのシャーシが必要になるかも知れません。
発熱量は、都会の排熱どころではないでしょう。


半導体の時代になって、さらに集積回路の時代になって、またさらに高密度、超高密度、超々高密度の集積回路になって、数ミリ角の面積に数億の素子で構成されるCPUでも、原理そのものは真空管の昔と変わるところはありません。


そこでやはり原始的だなと思えるのは、これだけハイテクの機器でも、熱の呪縛からは全く解放されていないことです。
人間の脳もすごい量の熱を出しているそうですが、CPUの出す熱も相当なものです。
だから、専用の冷却ファンが回っているわけですね。
その騒音が、結構気になったりします。


時代の最先端を行くPCも、この冷却ファンに埃が詰まったりすると放熱が悪くなり、そのせいであっけなく壊れてしまうのです。
それどころか、回転機器であるファンは意外に寿命が短く、回転軸の軸受けの給油メンテナンスをすることで長持ちさせることが可能だったり、手入れのしがいがある機械物だという気がします。
このPC、もう今までに何度も、ファンの給油メンテナンスをしたり、ファンそのものを取り換えたりして、寿命を延ばしています。
それでもそのうちに、適合する交換用パーツが無くなって、使えなくなるのでしょうね。
いやそれより、処理能力が時代に見合わなくなる方が先かも知れません。
すでにその状態だから、新しいPCにメインの座を譲ったのですから。


ちなみに新しいPCも、内部はこれと全く同じに見えます。

意外に原始的?」への2件のフィードバック

  1. yasu

    ”意外に原始的”
    こういう部分は、PCだけでなく私たちの身の回りにいろいろありそうですね。
    ”熱の呪縛からは全く解放されていない”
    技術が進歩しやすい分野と、そうでない分野がある。自然の根本的な法則と関連している問題は、なかなか技術で解決できませんよね。
    そのあたり、忘れてはいけないことだと思いました。
    食工房のブログのトピックはいつも意味が深いなあ。

  2. Mikio

    やっさん、コメントありがとうございます。
    >自然の根本的な法則と関連している問題は、なかなか技術で解決できませんよね。
    だから結局自然に回帰するしかないということでしょうか。
    得るものあれば、失うものありというわけで、この便利な世の中で我々は何を失ったか、そちらの方も考えてみないといけませんね。

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