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私たちが失ったもの・・・2

8月8日の記事「私たちが失ったもの・・・」<参照>の中で私は、「もうこの先ずっと一生の間、何に対しても心の底から喜ぶことは出来ないかも知れないとの思いがあります。」と申し上げました。
それはどういうことなのか、もう少し詳しくお話ししたいと思います。


この春のことですが、いつもなら山菜きのこなどが楽しみなこの季節、私も家族の者も、また伝え聞く限りの友人知人も、一切手を出しませんでした。
裏の杉林の中に伏せてあるほだ木には、シイタケがいつもにないほど沢山出ましたが、皆そのまま腐らせてしまいました。
こんな時の気持ち、お分かりになる方は沢山いらっしゃると思います。


花が咲いても、新緑がまぶしくても、その下に行って思いっきり深呼吸出来ないもどかしさ。
山の沢水を手ですくって口にすることも、もはやあり得ないことになってしまいました。


青空の下で、大きな笑顔のように咲いているヒマワリを見る時も、放射能のことが先ず頭の中に浮かぶ哀しさ。
今年は本当に、そこらじゅうでヒマワリが咲いています。


日常のこうした風景の一つ一つを、心の底から享受出来ない哀しさは、他の何を失うことよりも大きな哀しみだと私は思います。


俳句を詠むと言うある方は、「季語という季語がすべて汚染された・・・」と。


否、私の世代の者はまだいいのです。
子どもの頃からずっと味わって来た、そうした小さな喜びの記憶が沢山あるから・・・。
でも、これからの子どもたちはどうなるでしょう。


自然との交流、その喜び、日常にそうした情景を味わうことなく成長しなくてはならない子どもたちの心は、いったいどこに行ってしまうのでしょうか。


実は、先日焚き火宴会をやった時にも、私は線量計を持参していました。
そこらで集めた小枝を燃やして、小雨模様の寒さの中でちょうど心地良い熱を放ってくれる焚き火、その近くでは微妙に線量が上がっていました。


年配の私なんかが気にするほどの事ではありませんが、小さな子どもがいたら、やはり近寄らせなかったと思います。


私たちが失ったもの、その範囲の広さ奥の深さは、筆舌に尽くしがたいものがあると思う私です。

真夏のカレーパーティー 2011・レビュー

すでにご報告申し上げました通り、今年の真夏のカレーパーティーは、大盛況のうちに無事終了いたしました。
大勢の方がお出でになられて、当然のことながらその中には、ご自分のブログサイトなどにレビューを書いてくださった方が何人かいらっしゃいます。
検索で見つけた範囲ですが、皆さまにもご覧いただきたく、ご紹介しておきます。


mayの徒然なるままに 「真夏のカレーパーティー in山都 2011.8.21」


喜多方に来た方 「山都カリー・パーチーのお手伝い」

奥会津だより 「カレーパーティー盛況でした」


綴り 「Summer curry」


ワンダーストーリー cita cita 「暑い夏会津」


ろくさいblog 「CURRY」


楽しい事でいっぱい 「山都が インド・・アフリカ」 


hokkori *wacocoro*** 「真夏のカレーパーティー」


皆さまそれぞれに、お楽しみいただけましたようで何よりです。

アンケートにもほとんどの方にご協力いただき、率直なご感想・ご意見など沢山寄せていただきました。
後日、集約してこの場にもご紹介したいと思っています。


また先日、主催者内々で反省会をしたのですが、その場で来年に向けての打ち合わせという状況になりました。
来年の開催、詳細はともかく決定間違いありません。




明日は、いつものパン焼きの日です。
皆さまのご来店をお待ちしております。

カレーパーティー・ご来場御礼


予定より多い人数で、少し窮屈ではなかったでしょうか。



本日のメインメニューです。
それぞれ個性的な4種類のカリーソース
3種類のライスとナン、この他サイドメニューも


本日は、真夏のカレーパーティーに大勢の方がお出でくださいました。
この場を借りまして、関係者一同厚く御礼申し上げます。


皆さまには、楽しんでいただけましたでしょうか。
カレー三昧、ご堪能いただけましたでしょうか。


こう言っては何ですが、一番楽しんだのは私たちスタッフ一同ではなかったか・・・、そんな気分で後片付けも楽しく終わらせ、その後は別会場で焚き火を囲んで夜まで打ち上げ宴会が続きました。


もう間違いなく来年の開催が決定的です。
その時は、ぜひまたお出でください。
皆さまとの再開を楽しみにしています。


いい流れが出来て来たと、皆がそう感じたようです。


改めて、皆さま本当にありがとうございました。

仕込中です。

先ほどまで、カレーパーティーの仕込みをしていました。

今日はパン焼きのついでに、ナンを100枚焼きました。
明日会場で、サッと焼き直して出します。
カリーソースも出来上がって、一晩寝かせています。
担当のターメリックライスは、明日に。
他にサイドメニューも一品請け負っていますので、明日は朝から忙しくなりそうです。


他の3人の料理人たちも、それぞれに仕込中です。

ではでは、明日会場にて・・・。

百姓市・変更のお知らせ

明後日「真夏のカレーパーティー」当日、百姓市の場所が変更になります。

当初、いつもの場所とカレーパーティー会場の両方で出店する予定でしたが、カレーパーティーの規模が大きくなり手が足りませんので、会場前の一ヶ所のみ出店いたします。


いつもの場所にお出でになる方のために、案内板を設置しておきますので、ぜひ会場の相川会館の方までお出でください。


今回、カレーパーティーにご参加いただけない方には大変申し訳ありませんでしたが、おかげさまでスタッフ関係者込みで100名を超えました。


それで当日、会場にお出でになる際、お車の駐車場所等で多少の混乱が予想されています。
案内板を見落とされません様、また係りの者の案内に従って、駐車場にお入りください。



会場案内図





  どうしても解せないことがある

3月11日の大地震の後、間もなく原発の様子が怪しくなり、数日後に大量の放射能の漏出が決定的となって以来、どう考えても解せないことがあります。


それは、東電も国も、除染に対して全く消極的と言うか、関心を払わないことです。


おかしいじゃありませんか?


元は原子炉の中に封じ込められていたものなんですよ。
絶対に漏れることはないと言われていたんですよ。


原子炉が壊れることなど絶対にない、格納容器が破られることなどあり得ないと豪語していたのですよ。
絶対にということは、想定内、想定外は関係ないですからね。
何があってもということですから。
心配するだけ馬鹿らしいことだと、我々を安心させて来たわけです。


それがあれほどあっさりと、それも四つまとめて壊れてしまいました。


原因が想定外だったとか、関係ないですね。
絶対だったんですから。
関係者にとっては、あれほどあっさりと破壊が進んだことが、まさに想定外だったに違いありません。


それはそれとして、漏らしちゃいけないものを漏らしちゃったんだから、回収しようとするのが普通でしょう。


出来るか出来ないかはともかく、何とかして回収する方法を研究しなくては、そういうことに意欲を見せなきゃウソですよね。


それを「大したことはないですから。すぐに害になるわけじゃないですから。しばらくの間(数十年ほど)がまんしててください。」みたいな態度なわけです。


あまりにも何も手を下さないので、市民が危険を冒して側溝などから掬い上げた汚泥などを、どうするのかと思ったら、東電さんは知らんぷり、市も県も国も、東電に引き取らせようという発想が全くありません。
どこかに運んで、「その場所は公開出来ません。」だそうです。


各家庭で切り落とした庭木の枝葉、雨どいの下の砂利や土、「ゴミには出さないで各家庭で保管してください。」


ひまわりを沢山植えて除染に役立つと思ったら、そのひまわりを持って行く先がありません。


このままではすべてが元に戻って、来年またもう一回りするだけです。


どう考えても解せない、このまま納得することなど出来ません。

カレーパーティー・予約締切りです。

今日一日のお申込みで、定員を大幅に超えてしまいました。


超えた分だけ増員することにしましたが、これ以上はどうにもなりませんので、受け付けを締め切らせていただきます。


これからお申し込みをと考えていた方には、申し訳ありませんがお受け出来ませんのでご了承ください。


あとは、また来年です。

カレーパーティー・間もなく定員に・・・

今週末21日の日曜日に開催される「真夏のカレーパーティー」、次々とご予約をいただき、間もなく予定していた定員に達しそうです。
参加ご希望の方、お急ぎください。


なお、土壇場でキャンセルという方が出ることもあり得ますので、若干の定員オーバーは見込んでいます。
当日になってからでも、あきらめずにお問い合わせください。


当日の「百姓市」は、いつも通り国道脇のいつもの場所にて開催しています。
加えて、カレーパーティー会場にも出店しますので、どちらでもお買い求めいただけます。


皆さまのご来場お待ちしています。

全員集合


 この写真を見て、懐かしんでくださる方が少なからずいると思います。
果たして誰が誰だか、分かるでしょうか・・・?


12日の夜に、まず千葉から二男一家、翌日には四男一家、さらに翌朝三男が次々と訪れて、全員集合となりました。
私たち夫婦二人、息子娘が6人、息子の嫁が2人、孫が5人、合計15名です。


皆、よく来てくれました。
ありがとう。


でも、楽しい時間はあっという間に終わってしまいます。
今日は早や一組帰り、夜また一人帰って行きました。


明日からはまた、いつもの日々です。


来年は、もう少しでも安心して帰って来られる場所になってるといいネ。




  郡山へ


全村避難で役場の機能を郡山市に移している、件の川内村です。
昨日14日は、我が家の一番下の娘の成人式で、生まれ育った川内村から招待状が届いていましたので、私と二人で出かけて来ました。


今年のこの状況の下で、成人式を開催出来るかどうか、遠藤村長はギリギリまで悩んだそうですが、何と言っても子どもたちにとっては一生に一度のことですから、郡山に会場を用意して開催の決断をされたのでした。


在村時にはいろいろとお世話になり、親しくお付き合いもさせていただいた遠藤村長、私たちは専ら「ユウコウ・雄幸」さんと呼んでいましたが、久しぶりにお目にかかったそのお顔は、以前にも増して明るいオーラを漂わせていました。


その他、村の沢山の方々にもお目にかかり、旧交を温めることが出来ました。


そんな中、何人かの方に「青木さん、会津に行ってて良かったナ・・・。」と、今まさに困難に遭われている方々からこんなことを言われて、思わず泣けました。


何としても、この方々には故郷を取り戻して欲しい、そう思い祈らずにはいられない私です。


 



娘の成人を、我が事のように喜んでくれた、村長さん。ありがとう!






  今日は、終戦の日でした。

「敗戦」とは言わず「終戦」ですべてが終わり・・・とは、私の父が残した文章の中の一節ですが、今の日本は、もう一回戦争に負けたみたいなもの、おまけにまだ内戦が続いているのと同じじゃないか、そんな風に思えて仕方がありません。
大げさですか・・・?
まあいいでしょう。
私だけの実感だったら、それはそれで結構なことです。
早く平穏な日々が訪れますように・・・。
今夜は、いつもにまして気持ちを込めて祈ります。

本日、宴会につき

子孫含めて14名の大集合、大宴会にて、本日休稿いたします。


明日はさらに一名増えて15名の大宴会にて、明日も多分休稿です。


どちらさまも、良い休日を。

川内村へ


外観はずい分傷みましたが、中は本当にきれいでした。
8間×4間・一部二階建て・建坪40坪
正真正銘のハンドメイドハウスです。


8年前まで私たちが山暮らしをしていた川内村へ、今日久しぶりに出かけて来ました。
厳しい原子力災害をもろに被り、全村避難の渦中にある川内村です。


私にとっては、8年前に決断して後にして来た場所ですが、そこにはまだ自分で建てた家がそのまま残っているのです。


今日は、その家のことでけじめを付けに行って来ました。


現在その山の中は、地主さんのご夫婦が二人だけで生活しているのですが、途中の林道は震災の影響でしょうかずい分傷んでいて、毎日の出入りはさぞかし大変だろうと思えました。


しばらく見ないうちに、山々の木々がすっかり大きくなって、景色も変わってしまったかのようです。


でも、その自分で建てた家だけは、林の中に埋もれそうになりつつも、そこだけが時間が止まっている様に見えました。
中に入ると、8年前暮らしていた頃と同じ匂いがして、驚くと同時に胸が詰まりました。


そしてうれしかったのは、あの震災の震度6の揺れにも、ガラス戸一枚割れることなく、ドアの開閉も何の引っ掛かりもなくスムーズだったことです。
同行した息子や娘たちが言いました。
「この家は、原発より丈夫に出来ているんだ!」と。


しかし放射能だけが、例外もなくこの家を浸していました。
私も、家族の誰かも、もうここで暮らすことはないでしょう。


しばらくの間、立ち去り難い思いにただ黙している他ありませんでした。


でも、今日行って来て良かった。


これからはよい思い出だけを携えて、しっかりと前を向いて歩いて行こうと思います。


ありがとう、皆さん!



在りし日の家の中の一コマ