昨日の夜は、近所の知人で二小プロジェクトのメンバーでもあったGENさんの呼びかけで、焚き火を囲んで宴会をやっていました。
近頃は、焚き火は全面的に禁止になっていて、自分たちとしては何の戸惑いもなく燃やせる火でも、消防署に届けを出した方が良さそうだということで、事前に届けを出しておきました。
そうしたら消防署の人が「いいな、オレもまざっちいな!(まざりたい・仲間に入りたい、の意)」と言っていたとか・・・。
場所が国道沿いの空き地ということもあり、通りかかる車は皆速度を落としながら何事か?という風情。
目立つことこの上ありませんでした。
幸い雨で!延焼の心配もなく、心置きなく火を大きくすることが出来ました。
雨の中で焚き付けに少し時間がかかったものの、一旦燃え上がった火は大きな火柱となり、夜空に火の粉を吹き上げながら天に届く勢いでした。
たっぷりとオキがたまったところで、にわか作りの炉にオキを運んで、肉を焼きました。
飲んで食って、食って飲んで、おそくまで騒ぎました。
ところでその昔、焚き火には重要な役割がいくつもありました。
煮炊きをしたり暖を取ったりすることはもちろん、例えば茅葺き屋根の家だったら、家の中の湿気を追い出したり、煙が回ることによって材木の防腐効果があったりしたのですね。
また、外で焚き火をすることは、家のまわりに猛獣や害獣を近寄せない効果絶大でした。
野生の動物たちは、そもそも煙のにおいには一様に警戒しますからね。
肉が焼けるいいにおいも、動物たちにとっては山火事で逃げ遅れた仲間が焼け焦げるにおいなのですから。
そしてもう一つ、人間が焚き火をして煙が漂うと森の木々が喜ぶ、という言い伝えをご存知でしょうか?
これを科学的に解釈するなら、煙の殺菌作用や防虫効果によって、森の木々が健全に成長出来るのかも知れないということです。
宗教においても、煙は浄化の意味をもって使われていますね。
科学的実際的意味においても、符合しているはずだと思います。
まあ理屈はどうでも、火を焚くことはとても気持ちが高揚しますし、また厳粛な気持ちになったりもします。
火を眺めながら飲む酒は、また格別でした。
普段飲まない私でさえ、結構いただきましたし、他の皆さんはもうどんどん進んでいましたね。
いい加減飲み食いしたところで、私が持って行ったディジュリドウ(オセアニアのアボリジニ族の民族楽器)を吹き鳴らして、あたりにいるに違いない獣たちにメッセージを送りました。
炎と煙、肉の焼けるにおい、そして長く低く唸る音。
その心は、ズバリ脅しです。
カモシカも熊も通るけもの道がすぐ側、民家もすぐそこなのですから。
あまり近寄るなよ!と伝えたのです。
「いいねぇ。来年もやるしかないね。」
「雪が降った頃にやりっちいなぁ!(やりたいね。)」
「来月、またやんべぇ。」
そんなやりとりで、多分近いうちにまたやります。
よかったら、まざらんしょ。(仲間に入ってください。)