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高野茶屋・雑貨コーナーより

 食工房には、雑貨販売コーナーがあるのをご存じの方は多いと思います。
常々、ここに出品されている作家さんたちの秀逸な作品を、逐次ご紹介したいと思いながらフォロウし切れないでいます。
今日は連れ合いの奮闘で、多くの女性のお客さまにすでにご好評いただいている、Blue Lace 黒田まりさんの洋服を、イラスト入りでご紹介します。
興味の湧いた方、実物をご覧になりに、どうぞご来店ください。




 



雑貨コーナーには、この他に木の枝スプーンなどもあります。
また、連れ合いのイラストをアレンジしたポストカードも、大充実しました。
 

やっぱり来た!

この夏の暑さの最中、やがて秋の頃いきなり寒くなったりするのだろうな・・・と、思っていました。
今日は、昨日にも増して気温が下がり、人に会う度に「寒いですね。」と言葉を交わしていました。
もう上着なしでは外にいられない状況です。やっぱり来たか・・・、そんな感じです。


その寒さの中、今日は会津若松市内へ月に一度の戸別配達の日でした。
数軒のお得意様を回って、出かけたついでに包装資材などを買って、あとは寄り道もせずに帰って来ました。


道々やっぱり気になって、田んぼを眺めながら走っていると、何やら様子が違う田んぼが見えて来ました。
ちょうど稲刈りが始まったところでしたが、その田んぼの稲は一株も倒れておらず、シャンと立った葉茎に穂が垂れ下がっていました。
周りは皆、絨毯のようにベターッと地面に張り付いたように倒れています。


何が違ったんでしょうね。
きっと周りの農家は注目していることでしょう。


あまりにもそれが印象的だったので、帰り道知り合いの方の田んぼの側を通りながら注意して見ると、オオーッ!ここも一部分を除けばほとんど倒れていないじゃないですか。
いや、良かった、良かった。


それにしてもいきなり寒くて、ストーブが恋しい夜を迎えています。

容易ならざる雨

今日は秋分の日、一気に涼しくと言うより寒さを感じる一日でした。
夕方眺めた西の空は、雪空を思わせました。


さて夏の間、欲しい時に一滴の雨も降らず、今頃になって今度は、晴れて欲しい時に断続的な豪雨続き。
気温は下がって過ごしやすくなったとは言え、田んぼの稲は最悪の事態になっています。
夏の暑さで育ち過ぎたためか、雨に打たれた稲は穂を付けたまま倒れ、ベッタリと絨毯のような風景が広がっています。
晴れ間が続かないため、ぬかるんだ田んぼにはコンバインが入れず、刈取りのチャンスを逃してしまいます。
そうこうしているうちに、度重なる雨で田んぼは水浸しになり、稲穂が水没している所さえ珍しくありません。
長い間水に浸かっていると、穂に付いたまま籾は発芽して来るのです。
そうなったら米としての商品価値は無くなってしまいます。


今日配達に回る先々でこんな風景を目の当たりにして、全く気の毒と言う他はありませんでした。


しかしそれにしても、他に方法はないのか・・・。
そもそも何がいけないのか。
お天気のせいにしてもどうにもなりませんからね。


折しもこれから麦蒔きの時期なのです。
この雨続きでは、畑作業は出来ませんからね。
万一蒔き時を逃すようなことになったら、来年の収穫は無くなってしまいますから大変です。


自分の仕事は家の中でも、毎日外のお天気に気を揉んでいる私です。

所詮、体は一つ

今日は、知人のブログにあった「所詮体は一つ」と言う言葉に、妙に納得してしまいました。
続けて言わせてもらうなら、「所詮一日は24時間、1/3は寝る時間」ですね。


若い時は、やりたいこといっぱい、欲しいものいっぱいで、走り回り動き回り、時間もそしてお金も、足りると思ったことなど一度もありませんでした。


しかしこの歳になってやっとと言うか、足るを知るの言葉の意味が分かるような気がする私です。
足るを知る・・・その境地は、欲しいものが皆手に入った時ではなく、自分の欲求を整理し尽して欲から離れられた時に初めて辿り着くことが出来るのですね。


今でも、その境地には遠いかも知れませんが、気持ちはずい分楽になったような気がします。
その心は、何はともあれ60年に近い年月を無事に生きて来られたことへの感謝の思いです。
そしてまだこの先に、少しは時間的余裕がありそうに思えることです。


その時間を、自分以外の人(家族でも、店のお客さまでも、はたまた見知らぬ方でも)のために、何の代償も求めずに使えるなら、きっと人生に満足して死ねるだろうと思います。


ああ、そんな境地に辿り着くことが出来るでしょうか・・・?


所詮体は一つ、でも一つあれば十分。
そんな気持ちで生きていたいです。

涼しくなりましたね

この一週間ほどの間に、グンと気温が下がりましたね。
食工房の作業場も、もう灼熱地獄の様ではなくなりました。
本当に楽です。

ところで、異常続きのこの夏の暑さでしたが、涼しくなった今頃になって、体がガタガタしている人もいらっしゃるのですね。
暑さの後遺症と言ったら良いのでしょうか。
確かにこの夏の暑さは普通じゃありませんでした。
暑さには強いと自信のある私でも、よほど参りましたから・・・。
でもいつも申し上げることですが、夏の終わりから秋にかけての体調が、その後一年間の健康に大きく影響するそうですから、今体調を崩している方、くれぐれも早い回復を図ってくださいね。

私も、暑さが続いたおかげで水分補給のためにいつもになく水を飲んでいたら、やっぱり胃腸を弱らせてしまいました。
まあそれでも、早めに気がついたのと暑さが収束してくれたことも重なって、今はずい分調子が良くなりました。

暑い最中、走るのはいかにも苦しくて、ちょくちょく休んでしまいましたが、涼しくなってみると案外楽に走れるので、思ったほど体力は落ちていなかったようです。

ちなみに、夏の間もほぼ完全にパン食でした。
やはりどんな時でも、繊維質の多いプンパニッケルや堅焼き黒パンが、体のためには一番だという実感です。
調子が悪い時ほど、こういうパンをしっかり噛みほぐして食べることですね。

黒パンにはずい分助けられました。

過ぎて見れば、「ああ、終わっちゃったんだねェ・・・」と、何か呆気ないような気持ちで秋を迎えている私、おかげさまでとりあえず健康で元気です。

覚悟しておこう・・・

格差という言葉が頻繁に使われるようになって、もう何年になるでしょうか。
最近ではその格差が、このまま階級となって定着するのではないかという気がしています。
富の偏在・・・、その度合いは、世界規模で見れば全く想像を絶するほど酷いものです。
「もし、世界が100人の村だったら」の喩は有名ですが<参照>、もっとローカルにこの日本の中にだって、大きな格差が横たわっています。


ちょうど一年前の今頃、総理大臣だった方の裕福さの程度にはずい分驚かされたものですが、同じこの国の中に路上生活者がいるという現実を、一体どう理解したら良いのでしょう。
何から何まで平等ならいいというものではないにしても、こんな格差はすぐにも何とかしなくてはならないと思います。


北欧フィンランドでは、伝え聞いた話ではありますが、真面目に一年間働けば小さな家が一軒買えるし、三年間働けば庭付きの家が買えるそうです。
富の分配が上手く行っているからだと言われています。

そのフィンランドでは、小学校から大学、大学院に至るまで、留学生も含めて、学費は全て国が負担しています。
ですからこの国には、貧困が理由で教育を受けられない子どもは存在しません。


一方で、国会議員でも議員職だけでは生活が苦しいので、地方議員職を兼務している議員もいるという話しです。(複数の議員職を掛け持ち出来るというのも驚きですが。)


また税金の高いことでは有名ですが、それだけに国民の政治に対する監査意識も高いのですね。
世界一汚職の少ない国だと言われています。


消費税率も22%だと言いますが、日本のように一律課税ではないのですね。
医療費や食費などは、低い税率に抑えられています。


振り返って、この日本の国の現実は、もう全く情けないですね。


一言で言うなら、「何も考えてない!」、そんな感じがします。


彼の小泉さんの時代に、競争に委ねることで全てが良くなると信じた私たちの社会がその後どうなったかを思い出せば、よく分かることですね。


一旦生じた格差は、よほど埋まることはありません。


そして何より、今の日本を支配している空気は、「無気力」です。


そして人口減少と高齢化。


国力の衰退は目に見えています。

さらにその後は・・・

芋を洗いながら考えた

今日は、すっかり草茫々になってしまった畑の草を刈り、それでもその下で逞しく生き残っていたさつま芋を試し掘りしてみました。

ろくな手入れもしていなかった割には、小さいながらもちゃんとさつま芋の格好をしたものが出て来るではありませんか!
いも天大好きの私は、早速3、4株掘って家に持って帰りました。

連れ合いに見せて自慢した後、家の裏で芋洗いをしました。
井戸水を出しながら、やぶ蚊を追い払いながら、たわしでゴシゴシ芋を洗っていると、何だかしみじみ幸せだなと思う自分に気が付きました。

そうそう、これでいいんだよ、って感じです。

本当に近頃の毎日の忙しさは、一体何のため?と振り返らずにはいられません。

今年は、畑は全くの落第点。

来年は、ちよっと人生に臨む態度を改めなくては・・・。

小さくそして質の高い暮らしを。

しっかりと命を育てて、そしてモノをつくる仕事を続けましょう。

確かな未来を約束してくれるものは、それ以外にあり得ませんから。

自分のつくったさつま芋で、カミさんにいも天揚げてもらって、それがおいしくて幸せな単純な私です。

降れば土砂降り

今日は夜明け前、激しく降る雨音と雷鳴で目を覚まされました。
つい先日までのカンカン照りの猛暑に焼かれて熱くなった大地を冷ますために、雨雲が水をかけ続けているかのようでした。
多分もうこれで、あの暑さともお別れということになるでしょう。
暑かった分、温められた大地や海水のエネルギーが大きいので、降る雨も激しく大量になるのでしょうね。
自然の営みは、必ずどこかで辻褄が合っているということでしょうか。
この分で行くと、今度の冬は寒くて大雪ということになるかも知れません。


さてその大雨と雷で、日曜市はどうなるだろうと少し気をもみましたが、夜が明けて見れば雨も小降りになり上がってくる様子、元々雨でも出店と腹は決まっていましたから、仕度をして出かけました。
日曜市のお約束、それは、雨でも必ず店開きすることです。


仮に雨の日は休みと決めても、微妙な空模様の時はいくらでもあり得ますから、そんな時はお客さまに気をもませてしまいます。
どんな時でも出店しているとなれば、あとはお客さまが自由に判断出来ますからね。
これは、商売の基本だと思っているわけです。


今週もまた、そんな思いが通じたのか、朝一番から遠来のお客さまが二組三組いらっしゃいました。
郡山から、新潟から。
ちょっと考えられないほどありがたいことに違いありません。


皮肉なことに、売り上げも晴天だった先週より多くなりました。


  


 


ほんの一瞬ですが、雰囲気だけお伝えしたい。


そして今日ー日の最後は夕方から、合宿中のシンギアカディご一行に差し入れを届けに行って来ました。
激しいアフリカのリズムに合わせて、ダンスのワークショップの最中でした。
イベントの直接参加者だけでなく、見学に来ている人や周辺でサポートしている人たちも、皆さん気持ちが熱くなっているのが、ビンビン伝わって来ました。
あのエネルギーに触れれば、誰でも若返ること請け合いです。
明日は最終日、もう一度お別れのご挨拶に出かけて来るつもりです。

SINGIAKADI/シンギアカディ ご一行様


 シンギアカディ ご一行+1名(うちのカミさん)


事の次第はまず、9月1日のエントリー<こちら>をご覧ください。

昨夜遅い時間に喜多方入りした彼らは、私の手回しで近くの温泉宿(現在は廃業)に一泊したのでした。
今回のことでは、本当にいろいろな人の縁が功を奏していることが分かり、自分もまた、いつどこで誰に助けられることになるか分からないのだからと、もうすっかり本気になっていました。
そしてまた一つ、素敵なご縁をいただきました。


自分の息子が関わっているから・・・?それはもちろんありますが、それだけではありません。
何と言ったら良いのでしょう・・・。
今年は、とにかく身辺の動きが活発で、次々といろいろなことが起こって、その度に新たな人の縁が結ばれて行きます。


大切にしたいと思います。


さて今夜、これから彼らのライヴを見に出かけます。
アフリカのリズムとダンス。
興奮に満ちた時間を過ごして来ます。


このブログをご覧になって、まだ間に合うという方、ぜひぜひ会場へ。無料です!


そしてそして、「相川の日曜市」、明日も開店しています。
新鮮なお野菜とパン。
皆さまのご来店をお待ちしています。


ご案内は<こちら>

焚き火を囲んで

昨日の夜は、近所の知人で二小プロジェクトのメンバーでもあったGENさんの呼びかけで、焚き火を囲んで宴会をやっていました。


近頃は、焚き火は全面的に禁止になっていて、自分たちとしては何の戸惑いもなく燃やせる火でも、消防署に届けを出した方が良さそうだということで、事前に届けを出しておきました。
そうしたら消防署の人が「いいな、オレもまざっちいな!(まざりたい・仲間に入りたい、の意)」と言っていたとか・・・。
場所が国道沿いの空き地ということもあり、通りかかる車は皆速度を落としながら何事か?という風情。
目立つことこの上ありませんでした。


幸い雨で!延焼の心配もなく、心置きなく火を大きくすることが出来ました。
雨の中で焚き付けに少し時間がかかったものの、
一旦燃え上がった火は大きな火柱となり、夜空に火の粉を吹き上げながら天に届く勢いでした。
たっぷりとオキがたまったところで、にわか作りの炉にオキを運んで、肉を焼きました。
飲んで食って、食って飲んで、おそくまで騒ぎました。


ところでその昔、焚き火には重要な役割がいくつもありました。
煮炊きをしたり暖を取ったりすることはもちろん、例えば茅葺き屋根の家だったら、家の中の湿気を追い出したり、煙が回ることによって材木の防腐効果があったりしたのですね。
また、外で焚き火をすることは、家のまわりに猛獣や害獣を近寄せない効果絶大でした。
野生の動物たちは、そもそも煙のにおいには一様に警戒しますからね。
肉が焼けるいいにおいも、動物たちにとっては山火事で逃げ遅れた仲間が焼け焦げるにおいなのですから。


そしてもう一つ、人間が焚き火をして煙が漂うと森の木々が喜ぶ、という言い伝えをご存知でしょうか?
これを科学的に解釈するなら、煙の殺菌作用や防虫効果によって、森の木々が健全に成長出来るのかも知れないということです。
宗教においても、煙は浄化の意味をもって使われていますね。
科学的実際的意味においても、符合しているはずだと思います。


まあ理屈はどうでも、火を焚くことはとても気持ちが高揚しますし、また厳粛な気持ちになったりもします。


火を眺めながら飲む酒は、また格別でした。
普段飲まない私でさえ、結構いただきましたし、他の皆さんはもうどんどん進んでいましたね。


いい加減飲み食いしたところで、私が持って行ったディジュリドウ(オセアニアのアボリジニ族の民族楽器)を吹き鳴らして、あたりにいるに違いない獣たちにメッセージを送りました。
炎と煙、肉の焼けるにおい、そして長く低く唸る音。
その心は、ズバリ脅しです。


カモシカも熊も通るけもの道がすぐ側、民家もすぐそこなのですから。
あまり近寄るなよ!と伝えたのです。


「いいねぇ。来年もやるしかないね。」
「雪が降った頃にやりっちいなぁ!(やりたいね。)」
「来月、またやんべぇ。」
そんなやりとりで、多分近いうちにまたやります。


よかったら、まざらんしょ。(仲間に入ってください。)