社会は畑のようなもの

消費税の10%への増税が、ほぼ決まったも同然です。
法案可決の顛末の異常さについては、すでに多くの人が語っています。
その事には、今敢えて触れずに進めたいと思います。

消費税が上がると、どうなるでしょうか。
先ず、実質消費が減ります。

消費税が上がると同時に所得が増える人は先ずいませんから、財布の中が同じなら、消費税を多くとられる分だけ消費は目減りせざるを得ません。
ますます物が売れなくなるということです。

そうすると、産業は振るわなくなりますから、給料も上がりません。
法人税も所得税もジリ貧ということになります。
そうして社会はますます活力を失うことになります。

税収が増えるためには、本来、所得が増えてその分納税額が増えるという道筋のはずなのですが、今政府がやっていることは、逆方向に悪循環を作っているようなものです。

そして、一部の高額所得者に有利な税制を敷いて、富裕層に所得が集まるようにして来ていますから、国民はいよいよ窮乏するしかありません。
金持ちがいくら贅沢をしたところで、消費の程度は高が知れています。
国民は、ますます倹約するしかないのですから、消費税を増税した分ほど税収は増えないでしょう。

さて前置きが長くなりましたが、社会と畑は似ているという話しです。

つまり、社会を畑に例えるなら、税収は農作物です。
国民の生産や消費の力は、地力に例えられるでしょう。

農業者なら誰でも知っていますが、地力が無ければ何も取れません。
地力を上げるためには、ただ肥料を与えるだけではダメで、それこそ生態系レベルでの層の厚い土壌作りが肝要です。

即効性の化学肥料を多用して、一時的に良い結果が出たように見えても、結局は地力を消耗しています。
病虫害の発生が頻繁となり、遂には土壌崩壊の事態に至ります。
(いつだかの地域振興券とか、各種補助金制度を連想してしまいますね。)

良い圃場というのは、ただ単純に効率良く作物を収穫しようという発想では実現しません。
一見無駄な雑草や周りの環境までもが、皆何らかの役に立っています。

社会もこれと似たようなものではないでしょうか。

今大きな利権を手にしている人たちが、自分たちの利権を失わないだけのためにこの社会から収奪し続けるなら、この社会は最後には土壌崩壊に至った畑と同じことになると思います。
そこまで行かないと止まらないでしょうか・・・。
この愚かしい選択は。

第二次世界大戦敗戦以降、徹底して工業立国を目指して来た日本、今や農業など一次産業従事者は極限まで減ってしまっています。
本当は足りないのは、金でもなければ電力でもない、食糧なんだということが直に分かる時がやって来ます。

否、薄々それが分かっているから、今頃は農業振興がやかましく言われています。
新規就農者に対する支援は、なかなかのものです。

しかし私は思います。
経済的支援は、案外功を奏しないだろうと。

年収〇〇万円以上の農業を目指す!などという発想では、結局待ち受けているのは土壌崩壊だと・・・。
米や野菜を作る意欲も本当の地力も、本来金では買えないものだと申し上げておきます。

同じく、本当はこの社会も経済だけで成り立っているわけではありません。
哀しいことですが、金で動くところしか見えないように、見せないようになってしまっているのです。

こうして自然の懐に居て、畑に大きなかぼちゃが育って行くのを見ながら、全くその通りなんだと拳を握りしめる私です。






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