命を喰らう

先日、近くの知り合いから合鴨を一羽いただきました。
もちろん生きているのを。
それを自分でシメて、解体調理して、鴨汁をつくって食べました。
久々に貴重な体験をさせてもらいました。
鶏は、今までにも何度かやったことがありましたが、合鴨は初めてです。
何しろきれいな目をした、可愛い顔をしているので、手をかける覚悟を決めるまでに、少し時間がかかりました。
でも、肉を食べるということは、何にせよ相手の命を絶つことに他ならないのですから、その覚悟が出来ないなら肉を食うべきではないですね。
そう思って、家の裏にある屋敷稲荷に詣で、祈りを捧げて覚悟をいただいて来ました。
首を落として、死んで行く命に触れながら目を閉じ、「お前の痛みも、苦しみも、ひょっとして恨みも、すべて引き受けるから乗り移っておいで。」と呼びかけると、目の前が突然明るくなり、白く光る玉がいくつも自分に向かって飛んで来るのが見えました。
その日の夕食に鴨汁をいただきながら、肉はこうして年に何回か、覚悟に見合った分だけ食うべきものなのかも知れないと、思うことしきりでした。
まさに命の重みを食す、静かな喜びを味わいました。

さて、肉は食べてしまいましたが、ガラがまだ残っていて、これからおいしいスープをつくろうかと思っているところです。
脂身からとった油も残してあって、野菜炒めなどに少し使うと、ダシが出てとてもうまいです。