暮して遊ぶ

子どもの時からずっと思い出せる限り私の人生をふり返る時、「何でも自分でやってみる」、これが生き方の根本姿勢だったような気がします。
本当にいろいろなことに手を出しています。
そして我が連れ合いも、その点では私とピッタリ同調する人だったので、我が家は6人の子ども達も含めて家族中、生活全体のスタンスがずっと自給自足的方向でした。
私は、仕事上でも生活上でも出来ることは何でも自分でやっていましたし、連れ合いは子ども達の着るものは、上着からパンツに至るまで縫っていました。
子ども達は、買い与えたオモチャに飽き足らず、ナイフや鋏、ノコギリなど何でも持ち出して、自分たちで作ったオモチャで遊びました。
そんな私たちのことを、友人の一人は「暮して遊んでいる。」と言ったものです。
曰く、「遊んで暮す」のは極道のやることだけど、「暮して遊ぶ」のは、自給自足の極意だと。
しかしそうは言っても、限られた人の一生の中にすべてを抱え込むことは出来ませんね。
一方では、人を信頼し自分に出来ないことを任せる、というスタンスも大切なことです。
そこに人と人の交流も生まれます。
そこで実は、私が何でも自分でやって来たことの根底に、人を信頼出来ないという気持ちがあったことは否定しません。
しかし、そうやって何十年を過ごして来て、到底自分には出来ないこと、人の力を借りなくてはどうにもならないことは、いくらでもあるということも思い知りました。
そして人の力を借りようという時、信頼し納得して対価を支払うことに、惜しむ気持ちはなくなりました。
さてそれで今はどうでしょう・・・。
やっぱりいろいろ抱え込んでいますね。
一つには、貧乏暮らしがすっかり身についてしまって、お金を払って人にものを頼めないというのがその理由、そして自分でやるのが楽しいというのがもう一つの理由・・・。
どうやら私は、一生暮して遊ぶ人で終わりそうです。