会津の象徴、会津磐梯山
先日のこと、生まれも育ちも会津の地元の方と話している時、こんな話題が出たのでした。
曰く、会津の人間は、なかなか前に出られなくて、いつも他所から来た人に活躍の場をさらわれてしまってばかりだと・・・。
本当にそうなのかなァ?
自分もよそ者だけど、ちっとも活躍なんかしていないけど・・・と思いながら聞いていて、一方で思い当たる節がありました。
それはちょっと想像していただくと、すぐにお分かりになることですが、その土地に縁もゆかりもない者が、そこで生活しなくてはならないということになった時、先ずどんな心境で何をするだろうかということです。
どんな事情でやって来るか、人それぞれに違うとは思いますが、見知らぬ土地で頼れる伝も限られていますから、とにかく何をやるにも必死になります。
生活を落ち着かせるために、仕事であれ暮らしのあれこれであれ、チャンスには貪欲にならざるを得ないのです。
そこへいくと地元の方は、代々暮して来た生活の基盤があり、それら有形無形の沢山の資産に裏付けられた、不動の安心感みたいなものがありますから、そんなに貪欲になることもないのだと思います。
それよりもよく見ていると、そういう基盤に裏打ちされて、家業や要職で素晴らしい活躍をされている人が、地元の方の中にもいくらでもいることが分かります。
そういう中で、何も無いところから叩き上げたよそ者の頑張りは、少しばかり目立つだけなんじゃないか、それも必要に迫られて必死になっているだけの姿かも知れないぞ、と今度は自分のことを思っていました。
それにしても、会津は豊かな土地だと、今日も急きょ配達に出かけた「駅カフェ」までの道々、磐梯山の見える田園を前にしながら、しみじみ感慨に浸る私でした。
私も 「よそ者」 として茨城の県南部に住んでいます。
この辺りの住宅地は、いわばよそ者ばっかりで、それほどの際立った地域性はないのですが、下妻とか水戸より北とかに行くと、やはり何となく感じるものがあります。
水戸藩も会津藩も 「水戸っぽ」 「会津っぽ」 と 「っぽ」 が付くあたり、似たところがあるような気がします。
一本気の頑固さのせいで、明治維新のときにはかなり損な役回りをしたこともあって、水戸っぽは会津っぽに親近感を抱いているようです。
東北人の私からみても、水戸っぽは、頑固すぎて世渡り下手のように見えたりします。
日立とパナソニックの違いをみても、なんとなくそんな気がしたりして。
私も移住者です。
他所から来た人は人で、必死なんだけど、土着の人から見れば、ちょっと、あつかまし過ぎるのでは、遠慮せいよということなんでしょうか。このあたりの呼吸が難しい。地元の人は、なかなか本心を語らない人が多いので、今はまだ黙っているだけなんだと思っている位で、丁度いいのかも。
takさん、コメントありがとうございました。
正直に言うと、私が東北の地に暮らすことを躊躇しなかったのは、お二人とも東北出身の貴方方ご夫妻を知っていたからですよ。
今でもありがたいと思っていますから・・・。
だから、よそ者だと思いつつ、一方ではすごく親近感があるのですよ。
骨を埋めてもいいかと思うくらい。
nonnoさん、コメントありがとうございました。
人と人の距離感って難しいですね。
田舎の人が本心を語らないというのは、言わないのが礼儀だと思っている部分と、言いたくても言えないでいる部分と、在住の人同士なら言わなくても分かり合える部分があって、それらがない交ぜになっているんです。
だから、他所からやって来た人に、どのくらいの距離感でお付き合いしたら良いのか、向うも戸惑っていると考えるのが当たりじゃないかと、私は思います。