「もうひとつの9.11」

昨日は、ネット上である記事を見つけ、読み始めたら目が離せなくなって、自分のブログどころではありませんでした。

その記事は、今から35年前に南米のチリで勃発した軍事クーデターに関わりのある日記でした。
その内容は、後でゆっくりと訪問して読んでいただきたいと思いますが、何でまたそんな記事に行き当たったかと言えば、ヴィクトル・ハラというフォークシンガーのことを知りたかったことが発端でした。
ヴィクトル・ハラは、当時チリでは国民的人気を得ていた社会派のフォークシンガーであり、世界的にも知られていました。
そしてヴィクトル・ハラは、その軍事クーデターの時に、捕らえられ虐殺されたことでも有名です。

さて、私が昨日一日気持ちを捕らえられていたその日記は、そんな政情不安な当時のチリに、リュック一つで旅行に行った当時の青年の実話です。
何でそんな場所に出かけていったのか、日記の文面を借りると、 『ぼくがチリの国をめざした動機は、結構不純です。なにしろもっているお金が、ブラック・マーケットで両替すれば10倍以上の価値をもって使える。女の子は、抜群に、きれいで心が優しい。メイク・ラブが簡単に出来る。にわか成金で、優雅な生活、青春を満悦できるとの噂を入手していました。
しかし、政情不安で、軍事クーデターの危険がつきまとっていました。日本を出国してすでに2年以上過ぎ、足を踏み入れた国も50か国は超えていました。時には、けっこう危険な目にも遭いました。危険は、出来るだけ避ける。これが元祖バックパッカーとしての鉄則です。が、この国だけは、甘い蜜が盛んに呼んでいる、通過できない国でした。』、とのこと。

にわか成金になって遊興三昧を決め込んで入国したものの、最後にクーデターに巻き込まれてしまい、とんでもない目に合って命からがら脱出するまでのことが書かれています。

これを読んでいて私が思ったことは、先ず一つ、貧しい国にはお金持ちの外国人の旅行者の散財によって生活が成り立っている人が沢山いて、またそのブラックマーケットの仕組みは、ある意味でその国の富裕層から貧困層にお金が還流することに貢献しているという皮肉です。
杓子定規に考えれば、それは違法行為であり犯罪であるわけです。
しかしそれを言うなら、富の偏在こそが犯罪じゃないかと、私などは思います。

そして二つ目は、主義や思想や宗教ではお腹を満たすことは出来ないこと。
ましてや軍隊は、銃で脅して略奪することくらいしか出来ないということです。
いつだって、畑で作物を育て、鶏や豚や牛の世話をする農夫、海に魚を採りに行く漁師、パンを焼く職人、料理をする家人がいてこそ、毎日の食べ物にありつけるのです。
爆弾が炸裂し銃弾が飛び交う場所で、食糧を生産することなど出来ません。
あるのは破壊のみ。

それにしても、どんな時でも人は飲み喰らい、歌い踊り、そして恋をする。
これだけは止めることは出来ないということに、何とも切ない気持ちにさせられました。

その後チリがどんな国になったのだろうかと、いろいろ調べてみたら、今はとても安定したいい国になっているみたいで、胸が熱くなって来る私でした。


チリで軍事クーデターが起こり、時のアジェンデ大統領が亡くなったのが35年前の9月11日、チリの人々はもちろん、世界でも、「もう一つの9.11」として歴史に残る出来事です。

近々、ヴィクトル・ハラのCDが届きます。
楽しみです。

「チリ旅日記」
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/7374/

チリに関する資料 : ウィキペディアのページは<こちら>



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