何故、方言は廃れないのか・・・

私が今暮しているのは、東北は会津の地。
生まれは、四国、土佐の高知です。

20代前半に郷里を離れ、東京に出てて来た私は、その後35年間に何度か住まいを移しましたが、話す言葉はだいたい標準語と言われる口調でした。
会津に暮している今、部分的には地元の会津弁に馴染みつつありますが、仕事上や日常の用を足す時は無難な標準語です。

ところが近年、家庭内で郷里の土佐弁を使うことが、少しずつですが増えつつあります。
おかしなものだなぁと思いながらも、自分にとってのお国言葉は、妙に気持ちいいのです。
というよりも、自分の心というか感情を表現したい時、一番ピタッと来る言葉がすぐに見つかります。
これって何故なんだろうと思った時、一冊の本のことを思い出しました。

「日本人の脳・脳の働きと東西の文化」角田忠信著

1978年に出たこの本を、私は数年後に人から借りて、読みふけった覚えがあります。

理論書で、興味の湧かない方にはさっぱりだと思いますので詳しい内容には触れませんが、人の脳と言語環境には密接且つのっぴきならない関係があり、それは10歳頃までの言語環境によって決まるというものでした。
ただし、本の中で取り上げられていたのは、日本語と外国語(英語に代表される西洋言語)の対比でしたし、着眼の要点は、右脳と左脳の役割分担の相異ですから、同じ日本語の中の方言についての考察には、直接の関わりはありません。
しかし私は、妙にこの本のことが気にかかっています。
やはり、子どもの頃に置かれた言語環境は、人にとって何か決定的な影響があるのではないかと。

それでちなみに、私の子ども達のことをふりかえって見ると、うちでは、連れ合いが横浜の生まれで、標準語に近い話し方を終始変えませんでしたし、私もそれに合わせていましたから、家の中ではだいたいいつも標準語でした。
そして、度々住まいを移しましたから、結局この子達にとって郷里と呼べるものは定まらず、お国言葉というものはないのですね。
私がこの歳になって、30年以上も普段用のない土佐弁の方が、妙に気持ちが良くなって来たことで、ちょっと複雑な心境です。

方言が廃れないのは、その土地で、人の暮らしと言葉が世代から世代へと、受け継がれているからだと思います。
我が家のように、出身地が遠く異なる夫婦の場合、間に生まれ育った子ども達の話す言葉は、どちらか、あるいはどちらでもないか分りませんが、いずれにしても、方言の伝承に対しては攪乱要素になることは間違いないでしょうね。
本当は方言も、少しずつでも微妙に変化しながら伝承されて行っているのではないか、そんなことを思いつつ、時々土佐弁が口を突く私です。

何故、方言は廃れないのか・・・」への2件のフィードバック

  1. tak

    私なんか、家庭内でしょっちゅう庄内弁を使ってます。
    おかげで、家族は庄内弁のヒアリングだけはかなり上達しました。
    でも、しゃべるのは全然無理みたいですね。
    真似しようとしてもできないみたいです。
    これは確かに、脳の問題なんでしょうね。

  2. Mikio

    takさん、コメントありがとうございました。
    庄内弁、改めて聴いてみたいですね。
    少しは分るかも知れません。
     >これは確かに、脳の問題・・・。
    確かに仰るとおり、脳の働き方の問題です。
    それも、10才頃までの言語環境が効いて来ます。
    だから、青い目をした金髪のお方に、達者に庄内弁を喋らせることも出来るはずなのですよ。

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