ばあちゃん農法


きぬさやエンドウ豆の発芽です。
毎年眺める度に、可愛らしいと思います。



こちらはインゲンです。
動物でも植物でも、幼生は皆同じ
オーラを放っているのを感じます。


近頃は、「○○農法」と呼び名を付けてこだわりを誇示するのが流行りのようです。
天然農法、自然農法というのは、ずい分前に提唱した偉い先生がいらして、沢山の志願者が扉を叩いてその門をくぐった実績もあります。
私はその昔、本を読んだことがある程度ですが、確かに天然自然の営み計らいを最大限生かして、農薬や化学肥料、ビニールなどの資材、さらには耕運機、トラクターなどの農業機械も使うことなく、耕さず草も取らず、それで作物を収穫出来るなら、それはすごいことです。
そう考えていて、採取と農耕の違いは何かという問いが浮かびました。
今日、庭の草取りをしながら娘と交わした会話の中で、「要らないものを取り除く知恵を持っているのが人間なんだね。」と私。
「動物は、欲しいものだけを取るからね。」と娘。
だから、羊を放牧する時は常に移動して行かないと、その場所には食べられない毒草ばかりが増えることになるのですね。
農耕は、直ぐに欲しいものに手を出さず、不要なものを取り除いて食べられるものだけが増えやすいように計らうこと、だと言えるのではないでしょうか。
ここでもやはり、大切なのはバランスでしょうね。
自分に出来る範囲で理想を求めると、私の場合は「ばあちゃん農法」ということになりました。
そうです。
ここいらのご近所のおばあちゃんたちのやり方を真似て、分からないことはその場で手ほどきしてもらう。
人によって少しずつやり方が違っている時は、自分の考えや判断も加味して結論を出す。
こうやって、採りはぐりがないことを最優先に安全性も考慮しつつ、その場その場に臨機応変して行くことにしています。



ごぼうを蒔きました。畝は高くすると教わりました。



真っ直ぐに植えなくてはならないという決りはりませんが、
ガイドロープを張ってまでも真っ直ぐ植えたいのは、美学です。
と言いつつ、ロープからズレてしまっているのが悲しい・・・。


今日は、合間に庭の草刈りもしました。
何故、草を刈らなくてはならないか?
家の周りを草茫々にしておくと、第一に湿気がこもって家が傷みます。
蚊など、虫がわいて大変です。
そして、清々して気持ちがいいからです。


 



残して置きたいものは残すのは、人間のエゴでしょうか。