食糧危機は、現実の問題

飯豊の空の下から・・・

昨日届いた「ナショナルジオグラフィック」2009年6月号の表紙です。
「特別リポート・止まらない、世界の食糧危機」という見出しに目を奪われました。
皆さんの食生活に直結するパン屋という仕事をしている以上、どうしたって重大な関心を払わないわけには行きません。
そう思って記事を読み進めるうちに、これはやがてやって来る問題などではなく、もうすでに現実となっている問題であることに理解が及びました。
皆さんも、機会があればこの「ナショナルジオグラフィック」2009年6月号を、ご覧いただきたいと思います。
世界の人口と食糧に関する問題は、実はもうずっと以前から指摘されていたことで、何を今さらと仰る方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、今回のこのリポートは、それがこの時代の私たちの現実になってしまったことを教えています。

それらを読んで私は、地球温暖化など環境的要因、食料の取り引きにおける独占や格差など経済的要因、戦争など政治的要因が複雑に関わりあって、食糧が公平に行き渡らないことが、一番大きな問題なのではないかと思いました。

リポートに拠ると、この10年間、世界の食糧消費はほとんどの年で生産量を上回っており、備蓄を取り崩して間に合わせて来たという経緯だそうです。
つまり、すでに量的に足りていない事態なのですね。
とは言え、この日本の私たちの現状を見る限り、食べるものが間に合っていないという実感はありません。

一方世界には、一日を100円以下で生活しなくてはならない最貧層と呼ばれる人々が十億人いて、この人たちは収入の50~70%を食費に充てなければならず、到底満足に食べられるという現状ではありません。
すでに絶対量が不足しているのに、腹いっぱい食べる人たちがいれば、一方には必ず飢える人が出るのは間違いないことですね。

そうやって考えると、この日本ではまだまだ食料品は安いと言えます。
しかしいつまでもそれが保証されるかどうか、それはこの国の食糧政策にかかっていると言えます。
当然、自給自足の方向に向かわなくてはなりませんが、果たしてどうでしょうか・・・?
農業政策は、本当にこの日本の国土事情にあったプランになっているでしょうか。
また国産小麦の記事<参照>の中でも申し上げましたが、逆ザヤ取り引きや政府補てんの在り方は適正でしょうか。
早い話、大根一本幾らだったら、農家は自営して行けるでしょうか。
そしてまた食糧には、とりあえず空きっ腹を満たすという量的保証以上に、私たちの健康的生存に寄与する安全性と滋養という「質」も保証されなくてはならないのです。

リポートの中では、遺伝子技術に代表される最先端の農業技術が、「緑の革命」の名の下に世界各地で成果を上げたことと、一方で農薬による汚染や地力の急激な消耗によって土壌が崩壊するなど、負の遺産を残していることも指摘されています。

結局、私たち人間は「そこから得られる資源の枠の中で暮らさなければならないことは、ふつうに考えればわかる。」(一部引用)はずですが、どこか大きな勘違いをしているのではないかと思います。
「メリットは必ず等価のデメリットと引き換えになっている。」という普遍的法則を、忘れないようにしたいものです。

麦

沼ノ平の小麦畑 2008年7月


食工房

飯豊山食パン 沼ノ平産小麦全粒粉10%入り

最後に一つだけ宣伝させていただきますが、食工房では、近所の農家にお願いして自前の小麦を確保し、パンを焼くという取り組みをしています。
今年は、ライ麦も作付けしていただきましたので、8月頃から一部のメニューが完全自給原料で製造されることになります。
皆さまの並々ならぬご関心をいただければありがたいと思っています。