いい仕事の条件


昨日、今日の二日間の仕事。


私、コーヒーを商売にしている手前、日ごろからコーヒーに関する情報を仕入れるためには努力を惜しみません。
で、つい先日、ネット上で「コーヒーは、体にいい飲み物。」という記事がいくつか目に留まりました。
その内容は、すでに少し前から言われていたことですが、カフェインやクロロゲン酸などの化学名を引き合いに出して、それらの効能を謳っているのですね。
集中力アップとかリラックス効果とか、体脂肪燃焼を助ける、発がん抑制効果、その他いろいろ。
いいことずくめのコーヒーという論調です。


その一方世の中には、コーヒーは体に悪いという説があって、私もよく知っているのは、コーヒー豆の焦げた成分の中に胃がんを引き起こす物質があるというものです。


だからと言ってどうなんでしょう。
諸説に動かされて、コーヒーの飲み方が変わるということがどの程度あるのかないのか分かりませんが、体にいいからと言って、いくらでも沢山飲めば飲むほど効果が上がるわけはないことぐらい、誰だって分かります。

逆に、コーヒー程度に発がん性のある食品は、探し出せばもうキリなく出て来るでしょう。
そんな理由でコーヒーだけを敬遠することは、全く意味がないと思えます。
そのせいかどうか、コーヒー業界誌はこうした話題を本気で取り上げることはありません。


今、コーヒー業界が血道を上げているのは、コーヒー豆の品質の差別化と新しい販売形態の構築です。
焙煎技術の革新も重要な課題と位置付けられています。
業界の話題の核心は、つまるところ売り上げです。
全体としてはコーヒーの需要が伸びている状況の中、焙煎業者はどんどん増えていて、もうすでに凌ぎを削る状況が生まれています。


さて、そんな状況のコーヒー業界に対してアウトサイダー的スタンスの私は、一杯のコーヒーがくれるもの、その満足感は、むしろ精神的なものの方にウェイトが大きいと思っています。
お客さまに満足していただくためにコーヒー屋がしなくてはならないこと、それは甚だ抽象的且つ月並な言い方になりますが、「心を込める。」ということに尽きると思うのです。
また仕事に対する意欲も、幾らになるから・・・と、本当はそんなところから出て来るものじゃないとも思います。
売り上げは単なる結果だと思うのですね。


目には見えない込めたものが、炒り上がったコーヒー豆という目に見え形あるものに凝縮され、お客さまの下で一杯のコーヒーとなって口に入れられた時、再び目に見えない何かに還元されて召し上がった方の心を満たす、そういう成り立ちだと思っています。

ですからそのためにコーヒー屋は、心が込められる自分自身のコンディションに対して、いつも心がけを持っていなくてはならないのじゃないか、それは人生の過ごし方にまで関わって来るはずだと。
いい仕事というのは、つまりそういうことなんじゃないか、そんなことを考えるようになったのも、そろそろ還暦が近づいて来た歳のせいかなと思う、今日の私です。



いつものコーヒーの風景です。これさえあれば・・・


先ほど、コーヒー焙煎が終わりました。
合計約16kg。
コーヒー専業なら、全然大したことのない量だと思いますが、食工房では滅多にない量です。
おいしいコーヒー、お届けいたします。