私は、自分の生家がクリスチャンだったせいか、クリスマスには特別な感慨と親しみを持っています。
思い出すのは、製材所に勤めていた父が、大きなモミの木を運んで来て、家の中にきれいなツリーをこしらえてくれたことです。
今みたいに電気仕掛けでピカピカ光るものは一つもありませんでしたが、記憶の中のガラス玉や父がチョコレートの銀紙を集めて作ってくれたお星さまは、不思議に光を放っているのです。
ツリーのまわりに掛け渡した色とりどりのモールもとてもきれいでした。
そして雪に見立てた綿を枝々に配置して、ローソクの火を灯して、待降節の静かな夜を楽しんだものです。
田舎のこととて、おいしいケーキの味もシュトレンも知りませんでしたが、記憶の中のクリスマスを待つ風景は、今になってなおさら愛おしく思い出されます。
そして今は、おいしいシュトレンを沢山沢山造って、大勢の人に喜んでいただけて、私にとって一段と感慨深いクリスマスを待つ季節になりました。
お店にも、連れ合いがクリスマスの飾りつけをしてくれました。
どれもこれも、手づくりのものがほとんどです。
連れ合いと娘たちが作ったもの、他所の方からいただいたもの、買ったものも合わせて、年々にぎやかになっています。