高野通信」カテゴリーアーカイブ

店主の日々雑感など諸々

また雨です

今日はまた雨、外には出られませんでした。
天気が良ければ、麦の種まき、白菜の植え付けの準備、その他いろいろ、いくらでもやることはいっぱいです。

まあそう言っても仕方がありませんから、家の中で出来ることを・・・。
朝は、体操を念入りに小一時間かけてやりました。
おかげさまで、誕生日の朝のコーヒーはうまかったです!

あとは、通信IIDEの編集などデスクワークでしたが、最近、カラーレーザープリンターの調子が良くなくて困っています。
調子が良くないというより、そろそろ寿命かも知れません。
何しろ使い方が激しいですから。
一番安価なものを探しに探して購入しているのですが、安いだけのことはあるということでしょうか。
近々、買い替えも止むを得ないということになりそうです。

さて食工房は、明日のパン焼きに備えて仕込みの一日でした。
酵母の培養、粉の軽量、下ごしらえなど、パン焼き本番より手数が多いくらいです。

しかしそれも、大方娘たちがこなしてくれますので、私はコーヒー焙煎です。
そんなわけで、まず何たって忙しい・・・!

もう少ししたら、酵母の最終工程をセットして、寝床に入ります。
ではでは。

木犀の香りただよう

今日は、概ね晴れの一日、気温も高く暑いと感じる一日でした。

定休日の今日は、出来るだけ外で体を動かしていました。
日中は、畑で作業をして汗をかき、下着を取り替えるほどでした。

夕方になって、涼しい風が吹き始めた頃、風に乗って木犀の香りがただよいました。
今年初めてかいだ木犀の香り、それと分かるのに一瞬時間がかかりましたが、その一瞬の後、とてもうれしい気持ちになりました。

明日は、私の誕生日なのです。
母がよく言ったとおりに、木犀の香りがただよいました。

今日の夕食は、連れ合いと娘たちの計らいで、誕生日前夜祭にしてくれました。
先日収穫したさつまいもで、うまそうないも天を揚げている最中、最初に上がった一個を特別にいただきました。
あぁ、何という幸せ!
ありがとう、みなさん。

熊に学び、熊を学ぶ

宮崎学

この一冊にしても、熊に対し日頃どんな実感で生活しているかによって、見え方は全然違ってしまうかも知れない・・・。

ここ会津の山間にて、獣の害に悩まされる日々、熊の脅威に緊張する日々を過ごしていると、これまで言われて来たような私たちの自然観は間違っていないだろうか?動物愛護の考え方は、本当にそれでいいのだろうかと感じます。
そんな折、長野県に在住の写真家を知りました。
宮崎学さんです。 <宮崎学(写真家)-Wikipedia>
<宮崎学(gaku)写真館 森の365日>

宮崎さんのホームページやブログ記事を拝見するうちに、どうしても写真集を手に取りたくなりました。

どれもこれも見てみたいのですが、そういうわけにも行きませんから、まずは一冊「となりのツキノワグマ」を購入しました。
身近に熊の気配があり、実際に畑に被害を被り、捕獲現場も目にした私にとって、この一冊が自分の実感とどの程度一致するか?とても興味がありました。

結論から言えば、熊だけでなく猿や猪などなど、野生動物全般と私たちはどう付き合って行けば良いのか、日頃私が思っていたことがすべて腑に落ちました。
貴重な示唆を受け取ったと思っています。

ご覧になりたい方、ドコノモリ文庫に置いておきますので、手に取って見てください。

この秋は、雨がよく降ります。

一昨日、昨日は、台風の影響で雨、今日は曇りで時折弱い雨、明日はまたまとまった雨になりそうです。
ここしばらく、こうした傾向が続いています。
何だか雨ばっかり!という気分です。

そのせいかも知れません、草が良く伸びます。
夏を過ぎているのに、まだ草刈りに追われる始末です。
今日は庭の草刈り、これで5巡目になる作業をやりました。

獣の害を警戒していますので、周りを草藪にすることは絶対に避けなくてはなりません。
今のところ、熊もサルも遠退いているようです。

熊も怖いですが、もしサルの群れが定着するようになったら、この場所でこの住まいで、パン屋を続けることは出来なくなると思っていなくてはなりません。
死活問題なのです。
今のうちに、もっともっと多種多様に手を打って行かなくてはと、思案しています。

万年筆

万年筆

PILOT製万年筆
かれこれ30年くらい前に購入したもの。

この頃すっかり眼鏡なしでは読み書きが出来なくなってしまいましたが、それでも鉛筆やペンで文字を書くのは、何だかうれしいのです。
今時、パソコンの大きなディスプレイに見やすい大きさで表示させ、キーボードで入力する方がずっと合理的ですが、そう単純に割り切れるものでもありません。

今日は、以前愛用の万年筆のありかを思い出して再発見しました。
早速、固まってしまったインクをクリーニングして、新しいインクを充填しました。
これまでにも何度もインクを入れ直して使えるようにしたけれど、いつもほとんど一文字も書かないうちに固まらせてしまっています。

ゆっくりとノートに文字を書く時間が欲しい・・・。
タイピングと違って、筆を持って文字を書くことは、半分は描いているということなのですよ!
パソコンの時代になって、改めてこんなことも分かるというわけです。

果たして、万年筆を持って文字を書くロボットが現るかどうか知りませんが、筆跡鑑定は必要ないでしょう。
ロボットにそんなものを求める必要もないでしょうし。
そうして考えると、人間の脳は、まだまだ奥深く広いのですね。

かぼちゃあんぱん再開!

かぼちゃあんぱん

クリイミィなかぼちゃのあん(フィリング)は、シナモンとカルダモンを効かせてあります。


かぼちゃあんぱん

かぼちゃあんぱん 1個220円

お待たせいたしました。
かぼちゃあんぱん2016、再開です。
自前の畑で穫れたかぼちゃだけを使って、パイのフィリングと同じアレンジで、クリィミーながほちゃあんをつくります。
それをたっぷり詰め込みました。
パン生地は、ミルクとバターで練り上げます。
焼き立て二日目以降は、電子レンジで5秒温めると、柔らかさが戻ります。
お試しください。

月を眺める感覚

先日は中秋の名月で、月明かりを愛でた方もいらしたことでしょう。
会津では曇り空で、お月見も今一つでした。

ところで私個人のことですが、夜空の月や星の明かりを眺め愛でる感覚はもちろん今もありますが、近頃はそれに加えてもう一つ別な感覚で月明かりを眺めることが多くなりました。

先日の満月の数日前のこと、夕方の空に大きくなって来た月がかかっていました。
私は裏の杉林の中で、例によって落ち葉を焚いていました。

その時反射的に頭に浮かんだのは、獣たちの動きが活発になるな・・・ということでした。
実際数日後満月の夜中の事、裏の林で獣の鳴き声が聞こえました。
キツネだったでしょうか?タヌキのようにも思えましたし、アナグマだったかも知れません。
あるいは、複数だったかも・・・。

満月の夜の明るさなら、猿だって動き回れるでしょう。
熊も猪ももちろん・・・。
フクロウやミミズクに限らず、鳥が飛び回ることもあります。
人間たちは寝静まって、外に出て来ることはありませんから、獣たちは夜は自分たちの天下だと分かっているのです。
こんな時は、外の危険を逃れて、ネズミたちが家の天井裏に逃げ込んで来ていつもになく騒がしいことも、珍しくありません。

昔、電灯などない時代には、月明かりを利用して夜になっても農作業が続くことは、稀ではありませんでした。
狩りに出ることもありました。

私たちが、以前山暮らしをしていた頃、月明かりの夜道を歩いて家に帰ったことがありましたが、懐中電灯の明かりは必要ありませんでしたし、明かりを消すとそこは昼間とは全く違う異次元の世界だったことは、今でも鮮明に覚えています。

時間が経つのが速過ぎる

まだ少し暑くて、夏の余韻が残っているのですが、もうすぐお彼岸です。
あとは年末まで3か月少々。

毎日毎日忙しくて、一日はとっても長いのですが、一年はとても短く感じます。
きっと、一生はもっと短く感じながら、死を迎えることでしょう。

今日は、パン焼きの他にコーヒー焙煎の追加もこなして、いささか疲れました。
休まないと・・・。
ではでは。

大麦ビスケット、レビュー

先日来、大麦ビスケットへのご感想やご意見をいただいています。
多くの方から、積極的なご感想やご意見を賜り、感謝申し上げます。
皆さまからいただいたレビューより、抜き書きでご紹介いたします。

★このままで美味しい
★大きさ、形もこのままでよい
★バニラがかなりふわっと香って、ぜいたくな香りだな~と感じます。
★一口かじったときの触感もよく、甘さもちょうどいいくらいかなと思います。
★味は、もう少し香辛料のパンチが強く出た方が私は好きです。
★大麦100%でと思うと、感慨深いものがありました。
★自然な甘さで、文句なくおいしい!
★食感も、胚芽クッキーのよう。
★新しい食感。
★甘さがちょうどいい。
★優しい甘さ、子どもに食べさせたい。
★後味が粘っとする。これが大麦?!
★大麦100%でここまで生地が固まるのがすごい。
★ホロホロ食感を売りにしたらいいのでは?
★おやつや 珈琲のお供にとても食べたい一品です。
★大麦ビスケットのアイテムとして、黒胡椒きかせたもの、ほとんど味無しでチーズをのせたり、ディップしたりできる食事ビスケットあったらいいな、なんて思います。

想定している価格1袋12枚入450円については・・・

★手のひらに乗るくらいのボリュームで500円弱だと、いくら娘にせがまれても「見かけたら必ず買う」というわけにはいかないかなと正直感じます。
(それだけの原価がかかっている、価値のあるものであることは承知していても)
★量を減らして、300円前後のパッケージにしたほうがいいのでは。
★この量で450円はやや高い。
★お菓子屋さんで買うクッキーを考えれば、そんなもんかな・・・。
★ラベルデザインなどがあるといいかも知れません。

この後も、まだまだたくさんのレビューをいただきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。

<経営指導員氏の一言>

「所得税が出ないようでは、『事業』とは言わない・・・。」
これが経済の認識だと。

納税が事業者の基本なのですね。
税金を払わなくて済んだと喜んでいるようでは、まだまだ。
うーむ・・・。

食工房の週末

食工房、営業の一週間が終わりました。
明日と明後日は、定休日です。

と言うわけで、私にとっては今日が週末の実感です。
明日は、一応お休みです。

一応・・・と申し上げるのは、明日の午後、商工会の指導員さんに経理の指導をお願いしているからです。
まあ、これは勉強と言うか、仕事ですね。

自営業は、こんな風に休みの間も、いろいろと仕事がらみでやることが沢山あります。
ですから、これを嫌っていたのでは話になりません。
むしろ、自ら望んで取り組む意欲が肝要です。

PCのこともそうですね。
今や業務に欠かせないのがPCです。
経理も通販も、PCのお世話になりっ放し・・・。

トラブル対応のためにも、また時にはいろいろなコンテンツを楽しむためにも、スキルアップは必須と考えています。
と言うか、これは楽しい趣味のようなものでもあります。
おかげさまで、Windows10環境下で快適に仕事が出来ています。

さて明日は、お天気が良ければ半日は外で・・・と思っていましたが、午前中のお天気が悪いようです。
止む無く、屋内で片づけなどやることになりそうです。

天気図

明日9月12日の予想天気図
南海上の台風14号、すごいですね。
台湾が被害に遭いそうで、気になります。

過去記事再録二題

ブログの欠点と言うか宿命として、時間と共に過去に書いた記事が埋もれてしまうことは避けられません。
今朝、昔の記事を読み直していました。
まるで他人が書いたものを読むような、不思議な感覚がありました。
そして自分の記事に相槌を打つという、これまた変な感覚。
それはどんな記事だったか・・・。
お付き合いください。
2008年9月の記事二題です。

見せかけの自由選択と自己責任

「見せかけの自由選択と自己責任」。
今、そしてこれからの時代を、象徴的に言い表そうとするならこういうことになると、私は思っています。
本来なら、自由選択と自己責任、それは個人の生き方として、社会のあり方として、一つの理想かも知れません。
しかし今の社会で、否世界で、本当に自由な選択が可能なのか、あるいは許されているのか、それが確実に保証されなければ、あとに続く自己責任を問うことは出来ませんね。

今この国では、規制緩和の名の元に何もかもを競争に委ねようとしています。
「自由競争」と言う言葉が、如何にも説得力のある響きを持って語られますが、その自由とはどういう意味なのでしょう。
全ての人に平等なチャンスの下に競う、と言うのが本来の意味でしょうか。
それならそれでいいかも知れませんが、本当にチャンスは平等なのでしょうか。
そうじゃないことは、もうバレバレですね。
かなり嫌味な言い方ですけれど、自由競争の「自由」とは、勝つためにはどんな手段を使おうと「自由」、勝者がさらに勝ち続けるために、どのようにルールを変えるのも「自由」、そんな風にしか思えません。

今ますます、「金」の力で全てが動く社会になりつつある中、政治はもはや経済に対して干渉する力を失っているように見えます。
そんな時代に私たちは、何の保護も規制もないところに投げ出されて、自由とは名ばかりの選択を次々と迫られ、自己責任だけが問われることになりそうな気がしています。
そんな時代の到来を感じる今、自分にとって「幸福」とは何か、実は一人一人の幸福論が、この世界の命運を分けているのだと気づいた私です。

自分の命は自分で守る

今の私たちにとって、最大の関心事の一つは「心身の健康」、そしてこれから先をどうやって健全に生きのびて行くかということじゃないかと思います。

一昨日、「見せかけの自由選択と自己責任」という記事を書きましたが、それに関連して今そしてこれから先の時代に、最も重みのある響きを持つキーワードは、「自分の命は自分で守る」ということになると思います。

この格差の時代にあって、個々人の命の守り方もいろいろ違ってくると思います。
例えば、病気という脅威に対して、ある人は望める限りの高度な医療に委ねようとするでしょう。
一方、その機会に恵まれない人もいて、その場合は命の覚悟を迫られることもあるかも知れません。

この国で、それもこれから老齢期を迎える私の世代の者は、必ずしも福祉に頼るわけに行かず、自分の命を自分で守るしかないところに投げ出されることになるだろうと思っています。
その時、十分な資産を蓄えている人には、いくつかの選択肢があるでしょう。
でも、私のように毎日を食いつなぐのが精一杯の人間には、多分選択の余地はありません。

私にとって、残される一つにして最高の希望の道は、この母なる大地の懐に身を委ね、寄り添い、己の命に覚悟を決めて生きることです。
だから、食と健康のこと、生活習慣と健康のこと、自然の営みと成り立ちについて、諸々勉強することに対して貪欲なことでは、誰にも負けないと思っています。

そうやって勉強したことが、ひょっとして多くの方のお役に立つことがあるかも知れない、発表しようかと思うこともあるのですが、そんなことをして明日にもぽっくり死んでしまったら説得力も何も無く、ただの恥さらしですから、やっぱりもう少し勉強が足りるまで、今はまだ黙っていようと思います。

そうですね、もし私がいい死に方をしたら誰かに拾い上げてもらえるよう、書き残しておこうかなと思っています。
その前に、先ずはその逆にならないよう、心がけなくてはなりませんね。