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消息

会津に移住して来る直前まで、親しくしていた方がいました。

あの福島第一原子力発電所がある大熊町の、それも原発からせいぜい3kmくらいの所に住んでいた方です。
風の便りに、避難して無事と聞いたような記憶がありましたが、こちらもこの半年間慌ただしく過ごしていたのでそのまま確認もしないまま、今でも音信はありません。


最近になって、ひょっとしてネットで消息が辿れるのではないかと思い付き、ミュージシャンでもあるその方の芸名と言うか、ニックネームを入れて検索していたところ、全くビックリするような動画が出て来ました。


多分息子さんが撮ったものだと思いますが、震災当日の瞬間から数分間の出来事が克明に記録されています。


その中にチラッとですが、車を運転して行かれるその方と奥様が写っていたのです。


いやー、驚いたの何の!


さらにそれから、3か月経った頃にどこかのライブハウスで独演している彼の歌と演奏の動画も見つけました。


やっぱり無事だったんですね。良かった良かった!


当初、会津で落ち着いたら、きっと彼のライブをやりたいと思っていたので、皆さまにもご紹介しておきます。


 



3.11の凄まじさと緊張感が伝わって来ます。
思わず、早く逃げろ!と叫んでいました。
 



みーVO.さん、いつかきっとボクらの前でも聴かせてください。

日々の暮らしに追われてます。

世の中のこと、何より先ず原子力災害のこと、政治のこと、経済のこと、その他いろいろ、言いたいことはいっぱいありますが、ちゃんと自分の言葉にするだけの時間がありません。


先日、福島市の若い友人一家が、沖縄に避難移住して行きました。


転出届を出しに行った折、職員に「あの~やっぱり放射線が心配で沖縄に行かれるんですか?」と聞かれて、思わずキレて怒鳴ったとか・・・。
それを知って、思わずこぶしを叩きつけ、涙がにじんだ私です。


私も、もうすぐ六十にもなるからおとなしくしてますけど、本当は怒鳴りたいこといっぱいあります。
はっきり言って、我慢してます。


でもまた一方では、日々の暮らしに追われて、そんな思いもかき散らされて、釈然としない気分だけが淀んで行きます。


このままでは済みません。

はたらく百二姓ネット

今日は、昨日もお話ししたばかりの百二姓ネットの仲間で、小屋の解体作業をやりました。
と言うのは、地元の元製材所構内にあった小屋を譲っていただけることになり、自分たちで解体撤去作業をしたのです。
もちろん、材料は全て回収して再組立てします。
実はこの小屋を、百姓市の売り場スペースにする考えなのです。
こんな風に、時間に融通の利く人が何人かいて、何かの時には力を合わせられるというのは、昔の田舎にはどこにでもあった風景ですが、今日はそれが再現していると感じました。
面々それぞれに得意分野をを活かして一つの大きな仕事が成し遂げられ、それが全員の達成感として共有される、これこそがコミュニティー発生の原点だと思います。



 二棟のうちの一棟をいただくことに。
先ずは屋根のトタン剥がしから
朝8時作業開始、屋根上左側が私



 山男のAさん、高い所はお得意のようです。



 フォークリフトを使えたのですごく助かりました。
重い梁も楽々と下せるし、足場にもなります。



全ての部材を外して保管場所に運び、最後に掃除をしてお昼過ぎに作業完了。
本日の参加者8名でした。写ってない方は。撮影者。

ちなみに、この後私は疲れてヘロヘロ、
2時間ほど昼寝をして、やっと回復しました。



これからまたさらに、再組立てという大仕事が待っています。
一冬かけて一部の材料を刻み直し、来春には棟上げです。
とても楽しみです。
だから私も、老体に鞭打って頑張ります。





  福島・未来塾すばるのホームページ


友人の大内さん(福島市で果樹園をやっている方です。)のホームページが開設されました。<こちら>
すでにブログも書かれていて、ご紹介申し上げました。<こちら>
多くの方にご覧いただきたいと思っています。

百姓市・ご来店ありがとうございました。


毎度、ありがとうございます!


本日は、毎週日曜日の恒例となりました「百姓市」に出店していました。
夏の盛りは過ぎましたが、野菜の方は品揃えもにぎやかになっています。

東北の夏は短く、秋はさらに足早に過ぎて行きます。
百姓市も、来月後半くらいまでになると思います。


ところで今朝は、いつもご愛顧いただいているご常連から、「今日はやっていますか?」とお問い合わせのお電話をいただきました。
そうでした!毎週後半には、「今週も百姓市を開催します。よろしく。」とブログでお知らせしていたのに、ここ二週ばかりそれを怠っていたのですね。
遠方から来てくださる方にしてみれば、万一にも空振りになったら悔しいに違いありませんから、これからはサボらずに毎回告知申し上げます。


さて今日の百姓市には、初参加の方が一名。
喜多方市内の木工家に弟子入り中の若い女性が、作品を持って来てくれました。


いいですね!


食べ物だけでなく、工芸品も並ぶようになるのが、まさに百姓市の目指すところです。
来週は都合で来られないのですが、それ以後最終回まで毎週参加してくださるとのこと。
楽しみです。




  震災半年・9.11

21世紀初頭、2001年9月11日の同時多発テロ。
あれから10年経って、今年2011年3月11日の東日本大震災。
どちらも、それ以後世界が変わったと言われます。

これから先、日本がそして世界がどこに向かおうとしているのか、この後また何が起ころうとしているのか、じっと耳を澄まして母なる地球の導きを聴こうと思います。
「福島から、あるいは日本から逃げられとたしても、この地球から逃げることは出来ませんから。」

一家族また一家族

この3月の大震災による原発事故以来、放射能の被害から避難するために、移住を決断する方が増え続けています。
私の周辺でも、県外に避難移住を決めた方が、何家族かいます。
どなたも、小さいお子さんを育てている最中の方々ですので、寂しくなるけど仕方がありません。
むしろ行った先での、ご活躍とご多幸を祈るばかりです。


こうして若い世代が減って行き、十年あるいは二十年が過ぎれば地域はすっかり衰退して、いくら気持ちはあっても、もうそこでは暮らせないということになるのかも知れません。


実は今日も、小さい子どもさんをお持ちの若いご家族から、移住を決意されたとご報告が伝わって来ました。


福島県の県知事さんや各行政区の長の方々は、こうして止むなく移住して行く若い方々の気持ちを、一体どの程度理解出来ているのでしょうか。


放射能のリスクは、原発からどれだけ離れているかには関係なく、その場所場所によって異なるものであることは、もうどなたもご存じのことですし、また年齢や性別、各人が過ごした状況によっても大きく異なります。


行政の対応は、それぞれの不安に個別に応えるものでなくては、あまり意味がありません。


それなのにやっと今頃になって、学童園児たちにバッジ式線量計を配布するとか、地域ごとに除染に対する金銭的補助を出すとか、遅きに失した感を否めない事業にお金を使って、ますます私たちをガッカリさせてくれます。


対外的に、対応の不味さからことごとく信用を無くしつつある福島県産の農産品のことでは、もう為す術がないとさえ思います。


そのことを認識出来ていない人が、結構少なくないということが、これまたどうにもこうにももどかしい・・・。


このままでは、一家族また一家族と、移住を決意する方々が増えるだけです。


ああ、ここで私一人が力んでみてもどうにもならないのが、これまた哀しい・・・。

ただ、パニくってるだけなんじゃ・・・?

ふと思ったんですね。
今回の原発事故が、あまりにも途方もないので、福島県民も否日本中の全員が、ある意味パニックに陥っているのじゃないかと。
国の無策も、東電の無責任も、学者たちの言いたい放題も、そして市民の右往左往も、もちろんこの私も含めて皆、ただ為す術が無いだけなんじゃないか・・・。


それにしても、思考停止はいけません。

ナナオ・サカキは、何と言うだろう・・・

震災以来間もなく半年、この歴史的惨状を目の当たりにすることなく先立って行った、幾人かの友人知人のことを思い出しています。


その中の一人に、詩人のナナオ・サカキがいます。


足 に 土


手 に 斧


目 に 花


耳 に 鳥


鼻 に 茸


口にほほえみ


胸 に 歌


肌 に 汗


心 に 風


これで十分



と歌ったナナオ


言うに及ばず、原発無用。


今生きていたら、何と言うだろう・・・。


せめて天国から、否、地球Bから?メッセージを送ってください!


・・・と、聴こえて来たのは<この歌> 音源の出所は秘密です。


今日はもう、何も言う気がしません。


温度差

毎日いくつかのブログを見ていて、この頃思うことです。

福島県内の友人知人その他の人たちは、だいたい毎回のように放射能のことを取り上げています。
それとは対照的に、県外の人々の記事には、放射能の話題を見かけることが少なくなっています。
当然と言えば当然のことかも知れません。


合わせて気が付いた傾向として、農業をしている人は県内外を問わず、放射能の話題を必ずと言って良いくらい頻繁に取り上げます。
また私のような食品製造者は、商売に対する基本姿勢によって様々です。


そして同じく放射能の話題に及ぶ時も、生産者と消費者、子や孫がいる人とそうでない人、その立場によって微妙にスタンスが違います。


こういうのを、いわゆる温度差と言うのでしょうか。


その温度差が、やがて目に見えない壁にならないようにと、案じている私です。




  移住8周年


今日9月1日は、私たちが阿武隈の山奥から会津に引っ越して来た日です。
あの懐かしい住まいも、山々の風景も、私たちの暮らしも、もはや記憶の中にのみ存在するものとなりました。



パン焼きもしていたんですよ。






  パンだより編集中です。


もうしばらくお待ちください。

虹に願いを・・・


東の空いっぱいにかかる虹の約半分


今日夕方、見たことのないほど鮮やかで大きな虹がかかりました。
否実は、そんなことには全く気付かずに家の中にいたのですが、訪ねて来た方が「すごい虹が出てますよ!」と知らせてくださったのでした。


何だか急に胸騒ぎがして、表に飛び出しました。
あまりの見事さに、「カメラ!カメラ!」と叫びながらまた家の中に飛び込んでいました。


それから一時の間、ただ見とれているばかりでした。


こんな見事な虹だもの、何か願いを叶えてくれるだろうかと思いながら、「どうぞ何か善いことの前触れでありますように・・・。」と祈った私です。


本当にこの福島の前途は、この先何を覚悟すれば良いのか、それさえ定まらない感じがあります。


でも、たとえどのようなことになろうとも、命ある者として、この地球のお母さんの他に頼るものはないと、それだけがか細いけれど一筋の光明のように見えます。


こんなきれいな虹を見せてくださって、ありがとうございます。
それだけで幸せだと思った今日の私です。

大内果樹園より、うれしい報告


とびきりおいしい福島の梨はいかがですか。



昨日、大内さんからファックスで送られて来た、検査報告書のコピー


3月以来、ずっと私の気にかかっていた農園があります。
5月に線量計を貸してくださった、福島市の大内さんの果樹園です。
もう、かれこれ20年来のお付き合いをしています。


3月15日、大量の放射性降下物が降り注いだ福島市、その一角にある大内さんの果樹園が無事というわけには行かないだろうと、線量計を返しに訪ねた時にも、かける言葉を見つけられない私でした。


しかし大内さんは、農場を見捨てることはしませんでした。
出来ることは何でもやって見ようと、ありとあらゆる情報を集めていました。
その中で、以前から使用していたEM菌の力に注目した大内さんは、その効果を確かめるための実験圃場としての取り組みに着手したのでした。


どんな取り組みだったか、詳細は大内さんの報告を早く聞きたいところですが、結果として収穫した梨を同位体研究所にて核種検査にかけたところ、放射性ヨウ素・セシウムともにND(不検出)でした。


土壌から作物への放射性物質の移行は、複雑なメカニズムが関わっていますから、何が良かったのか、私が説明出来ることではありませんが、何はともあれこの結果は我が事以上にうれしく思っています。


そのようなわけで、今回は大内果樹園の梨のプロモーションのお手伝いです。


国や県などの対応のまずさによる混乱で、ことごとく信頼を損なってしまった福島の農産品ですが、ちゃんと努力して良い結果を出している生産者もいるということを、知っていただきたいのです。

これからは、個人対個人のお付き合いの中でしか物は売れないだろうと思っています。
食工房のパンも、近所の友人たちの野菜も、そして大内さんの梨も、皆縁ある人から人へと手渡されて行くのが一番いいのです。


がんばる福島の仲間たちを、どうぞよろしくお願いいたします。


明日の百姓市、先着20名様に大内さんの梨を1個ずつ差し上げます。
どうぞお楽しみに。


大内さんの奥様のブログ 「福島・未来塾 すばる」 ご覧ください。