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温泉へ

ただ今、自宅母屋の排水が悪くなっていて、雪の下になってしまった排水溝の点検が出来ないため、当面風呂が使えなくなってしまいました。
今日は、店が終わってから皆で近くの温泉に行きました。


一ノ木地区にある、「いいでのゆ」という温泉です。
夕方5時を過ぎると500円の料金が300円に割引されるので、4人で1200円払ってゆっくりと温まって来ました。


ちょうどいい具合に深々と雪が降って来て、露天風呂では外の立木に積もった雪が化粧をほどこしたように美しく、最高の贅沢を堪能しました。


そんなわけで、排水が復旧するまで、あと何回か温泉に行くことになりそうです。


雪の中でお湯に浸かっているのは、何とも言えずもう最高ですよ。
今日も言わずにはおれない、「冬こそ会津へ!」です。






さて明日明後日は、チョコレートとココアで国際協力すべく、製品造りに追われます。
ありがたいことに、どろんこクッキー101袋、エルフの焼き菓子22本を焼き上げなくてはなりません。
手が10本くらい欲しい気持ちになっています。



どんな形にしようかなァ・・・。思案の結果です。


それから今日の玉ねぎパン、おいしく焼けましたよ。
焼き立てもおいしかったのですが、冷めてからもうまい!
若干の改良点をマークしていますので、来週はそれを踏まえてまた試作。
おいしい玉ねぎパンが生まれつつあります。


試食品、召し上がっていただけます。



久しぶりのクリングラ、間が開いても腕は確か!


もう一つ忘れるところでした!
クリングラも焼けています。
こちらは、以前の通りの変わらぬ食感と味わいです。
自分たちも久しぶりに食べて、何だかうれしかったです。



 



名物、うさパンも焼けております。


雪の中、ご来店お待ちいたしております。
雪の日ポイント2倍サービスしています。

いい雪、降ってます。

今朝あたりは、風のない空からまっすぐに、音も立てずに、雪のかけらが落ちて来て、地表の白の中に消えて行くのでした。
それはもう数限りなく、いつまでも果てしないような錯覚に捕われて、不思議な感覚でした。
スコップですくうと、粉砂糖のようにサラサラと。
長靴で踏みしめると、キュッキュッと音がして、少年の頃雪が珍しくてうれしくて仕方がなかった時のことを、思い出していました。


このところ、気温はほとんど毎日氷点下。
日中でもプラスにならない日の方が多くなっています。
冬らしいとても厳しい寒さなのに、でも心はとても晴れやか。


それは日ざしが確実に高くそして明るくなっているからです。


年を追う毎に、ますます冬が好きになる私です。


そして今一度申し上げます。「冬こそ、会津へ!」

ネタに詰まった時は・・・

一応毎日更新を心がけているこのブログです。
時々ネタに詰まります。

新聞記者じゃあるまいし、書くのが本業ではありませんから、そんな時は気を楽にして休めばいいのですが、それを許せない自分がいるのですね。


そんな時は、自分の書いた過去記事を読み返しています。


ずい分いろいろな話題に触れているものだと、我ながら感心するやらあきれるやら。


で、最近ちよっと遠のいている話題は、音楽のことですね。


相変わらず食工房では、毎日好きな音楽をバックに仕事をしています。
7年前と比べて、よく聞く音楽の傾向は全然変わりません。


ただ、それぞれの楽曲や演奏者のことは、いろいろ情報を得てすっかり詳しくなりました。


インターネットの動画サイトのおかげで、それまで見る機会もなかった沢山のアーティストたちの演奏やパフォーマンスを、居ながらにして見放題。
昔を知っている私には、何とも不思議な感じさえします。


ささやかで、そしてとても贅沢な楽しみです。


今日は皆さんにも一つご紹介しましょう。
昨年のクリスマスに、娘たちからプレゼントされた一枚のCDの中に収められていた曲です。




 


余談ですが、以前ご紹介したことのある、スウェーデンのTV.FOLKNETは、残念なことに現在閉鎖中です。
一方で、You Tube に同じものが登場していることもありますし、またずっと範囲も広がって、探し出す楽しみは尽きることがありません。

冬らしい日々

寒に入ってからと言うもの、その名の通り寒くそして雪の日々が続いています。
今朝までにまた15cm程度の積雪があり、朝のうち一時は激しい降りでさらに10cmほど。
昨日のうちに雪下ろしを終わらせておいて、本当に良かったと思えました。


あたりには、雪国の冬らしい風景が広がっています。
道路傍は、どこもかしこも除雪車が押し上げた雪の山。
中には3mの高さに達するところもあります。


雪との付き合いは確かに大変ですが、でも、雪に覆われて何もかもが丸っこい形になっているのは、とても可愛らしく見えます。
その中に、家の窓から明かりが漏れているのが見えたりすると、何だか暖かい気持ちになるのです。



降りしきる雪、雪、雪。
燃える火と同じく、いつまで見ていても飽きません。



モノクロにすると、いっそうそれらしく見えます。
今朝の風景ではありませんが・・・。


それで雪で一つ笑える話題を。


今日実は、NTTの方が見えて、近々開通する予定の光ファイバーの引き込み工事をしてもらいました。


昨日の雪下ろしで落とした雪の山で、電話線の引き込み口は雪の下に埋まってしまっています。
一旦はあきらめて中止かと思われましたが、いっそのことずっと高い所を這わせようと言うことになり、二階の軒下に線を張ることに。


高い雪の山のおかげで梯子をかけることもなく、小さな脚立一つで届いたのには笑えました。


あとどのくらいでしょうか?雪と寒さとの付き合い。


日は確実に延びて来ていて、気持ちは明るい今日この頃です。


「冬こそ、会津へ!」

雪下ろしの一日


バカと煙は、高い所に上る!
うしろの電柱にご注目。


今日は朝から晴天となり、しかも定休日の今日を逃しては、もう後にチャンスは無いということで、屋根上の雪下ろしをやりました。
これまでにも何度かやった経験から、半日あれば終わるだろうという見積もりで上に上って見たら、ざっと二倍くらいの量の雪の山。



除雪前の状態・2枚の写真を接ぎ合わせてパノラマ画像にしています。



ただ今除雪中・溜まった雪の厚みは大人の背丈に近いほどでした。



除雪完了・この状態ではロープを掴まないと、立っていることも出来ません。



反対側では、娘が奮闘中。
私も合流して、もう二時間ほどかかって終了しました。



末娘と二人で、日暮れまでかかってやっと終わりました。
今日は一日、雪下ろし以外のことは何もしませんでした。
昼食の時に一度下りましたが、それ以外はずっと屋根の上にいて、コーヒーも屋根の上で飲みました。
まあでも、屋根の上でコーヒーを飲むなんてことは、雪下ろしでもなかったらあり得ない光景です。
眺めはいいし、ポカポカ体は温まるし、ずっと上機嫌で作業していました。



屋根の上のコーヒータイム

「バイオリン持って来て弾くか!?」と私。
「出来ないことはないよネ。」と娘。


それでもやはり歳なんですね。
最後の方は、腕や背中や腰が痛くなって来て、もう少しでギブアップというところでした。


下に下りて見ると、落ちた雪の山で玄関から入れなくなっていたらしく、上の娘が雪の山を掘って階段を作ってくれていました。


でも何とか全部下ろして、もう上から落ちて来るものが無いと思うと、疲れもどこかへ行ってしまいました。


今夜は、安心して眠れます。


冬将軍さん、またドンと降らせてもらっていいですよ!

歳の神(サイノカミ)・2011

本日は荒天の中、当藤沢集落の歳の神が行われました。
朝の内、オヤッと思わせる雲の切れ間がのぞいて、さあ雪下ろしだ!と飛び出したものの、じきに激しく雪が降り出して中止。
食工房の仕事に戻って、その後歳の神の行われる場所に行ってみました。



枝が付いたままの木を縛ったものを芯にして、豆ガラを中に周りを稲藁で巻くように縛ります、



 雪の下の地面にしっかり食いを打ち込みます。



御神体を引き起こして、杭に縛って固定します。 



藤沢の歳の神は、二本のご神体を立て、間にしめ縄を張ります。
ちょっと縄が長すぎたかも・・・・。この後、真ん中にも藁の山を積んで、
正月飾りや古いお札などを置きます。
 


私などが手を出すまでもなく、すでにどんどん作業が進んでいて、出来上がって行く様子を写真や動画に撮らせてもらいました。


 



 


 


こんな行事が出来ることが、即ち地域の力だと思います。
昨年の暮れに新しく住民になった若者も、作業に加わっています。


午後は、部落の役員が集まって会議。
隣組の組長役の私も出席して来ました。


今、行政が町村合併によってより広域で動くようになったおかげで、小さな周辺集落の細々とした要望が届きにくくなり、仮に聞き届けてもらえたとしても、今度は地元の様子に詳しくない人が判断したり決定したりすることも少なくないので、要望に合わない施策が実現してしまったりすることもあるのですね。
地方の一角の一集落にも、課題は山積みなのです。


これは今、私の頭の中で渦巻いている構想と言うか妄想かも知れませんが、例えば集落単位である程度の自治権を認めて、予算も下ろして地域のことは地域でやる範囲を持たせることは、これから先、地域の活況を失わないためには、是非とも検討すべき課題だと思います。


 



付いた雪がとけて、ものすごい湯気を出しながら燃えていました。
雪が降りしきって、写真も動画も上手く撮れませんでした。
何とか見られるのが、この1枚だけ。


さて暗くなって、いよいよ歳の神の点火です。
点火は、年男の役と決まっていて、今年は私と他にもう三人の男性が、手に松明をかざして火をつけました。

先立って、皆さんの前でそれぞれ挨拶を求められ、私は、還暦のこの歳にここに巡り合せたことに感謝を申し上げ、ここに生まれ直したつもりでお付き合いしたいので、どうぞよろしくお願いしますと結びました。


今日は日中ずっと雪が降っていましたので、立てた御神体には雪がビッシリついてしまい、燃え付きが悪くてかなり苦労しました。
燃え方も、昨年のように景気よく弾けるようには行かず、ちょっと気勢をそがれましたが、降りしきる雪の中での歳の神、いかにも雪国の風情で、これはこれでなかなかいいものでした。


昨年の歳の神の様子は、<こちら>


例によって、お餅とスルメを焼いて食べました。
そしてこれも例によって、パンを沢山持って行ってまわりの人たちにも差し上げて、一緒に焼いて食べました。


帰り道、この集落の中で一番お世話になっている方のお宅に、新年のご挨拶をかねて立ち寄りました。
いろいろ心尽くしのご馳走をいただきながら歓談し、また今年一年間のお付き合いをお願いしました。


新しい年が始まって半月、小正月行事のこの歳の神を終えた今日、私には本当に新しい一年と新しい人生が始まったような気がしました。

還暦を迎へたら

還暦を迎へたら、明日食う米に不自由しても仕事から解放されて、好きなことをやろうと心に決めていた。


とは、今は亡き私の父が、自費出版した詩歌集「玉蜀黍」のあとがきに語った言葉です。


その願いの通りに過ごした父は、後にこう続けます。


停年になって一年余り毎日図書館へ行って、随筆、エッセー等、貪るように読んで老いの生き方を模索した。
昭和56年から短歌の手ほどきを「創幻」の野島先生に受け、59年からは墨線書道会へ入会した。
健康と生活を律する目的で高知新聞の夕刊配達と、200坪足らずの休講畑を借りて園芸を始めて今日に至っている。
幸い健康にも恵まれて57年から、6年ほど民生委員として福祉のお手伝いもさせてもらった。
今年10年余りに及んだ夕刊配達を辞めたのを機に、短歌と詩をまとめて、自分詩風な構成で、詩歌集「玉蜀黍」の一冊とした次第である。


平成5年 12月1日


この詩歌集、この一冊が、私の大切な心の拠り所になっているということは、もうすでに申し上げました。


父が亡くなって早や16年目の今年、今度は私が還暦を迎えます。


私の場合は、父の様には行きません。
この後もずっと現役です。

父とは逆に、若い頃に好き放題に過ごして、辛抱というものから一切逃げ回っていたのですから、父の思いにおよそ察しが付いた今頃になって、ツケが回ったと言うか、観念してこれから死ぬまで辛抱でもいいかという心境なのです。


その代り、ちょっとあり得ないほど視野を拡げてもらったこれまでの半生だったと思っていますから、細やかなりともそれをいかにして世のため人のために役に立てられるか、あと何年残っているか分かりませんがこれから先一生のテーマです。

新年おめでとうございます。


新しい年のお喜びを申し上げます。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。


 


大晦日の昨晩は冬の大嵐となり、それもまた真夏の時のような激しい雷鳴がとどろきわたりました。
降って来るのは、雪かと思えばみぞれまじりの雨でした。
こんな年末、全く生まれて初めてでした。



2011年1月1日朝 曇り時々晴れ 



 1月8日(土)より営業再開いたします。

皆さまのご来店お待ちいたしております。


明けて本日元旦。
いつもと変わらぬ昨日と今日と言ってしまえばそれまでですが、この時間の区切りに大いに意義を感じ、決意を新たにするのがまた人間の所業というわけですね。


私は、今年は還暦です。
本年を以て、生まれ変わるのだと思っています。
新たな出身地は、ここ会津の地、山都町相川です。


これからまた、もう一度育って行きます。
どの方面からも、ご支援ご指導ご鞭撻賜りますよう、よろしくお願いいたします。


 



こちらは、一昨日生まれたばかりの4人目の孫です。

餅つきとそば打ち

昨日は、餅を搗きました。
そして明後日大晦日には、そば打ちをします。
この二つは、我が家のと言うよりは私のこだわりで、毎年の恒例行事になっています。

昨日は、もち米15kg昔風に言えば一斗もちを搗きました。
出来たのは、一升一枚ののしもちを8枚と小ぶりのお供え餅を4組と小豆あん入りの大福餅を20個でした。
今朝はのしもちを切り餅にして包装し、都会にいる息子たちや私と連れ合いの実家、その他友人知人などに発送したり直接届けたりしました。


思い出してみるともうかれこれ十数年間、年末の餅つきが恒例になっています。
こうして年末に餅をついて、あちこちに差し上げるのが私の一年の締めくくりであり、とても大きな喜びになっているのだなと、今日も改めて思いました。


そしてそば打ちは、やはり一年の最後に年越しそばくらいは自分で打ちたいと、ある時期本気になってそば打ちを練習していた頃からの恒例になっています。
滅多にやらないので一向に上達しませんが、少しくらい太っとくてもそば粉100%の風味と出汁の旨さで勘弁してもらっています。
この二つは、せっかくの休暇に何も忙しくすることはないだろうと言われても、どうしても止める気にはなりません。


結局、自由な時間があったらあったで、ただ暇にしていることが出来ず何かしている私です。
そして今年は、こうして一年一年を過ごして来たのだなと、何だかいつもにまして感慨が深いようです。
来年が還暦だからでしょうか。


明けて2011年は、新年早々にまた孫が一人増える予定です。
爺も、うかうかしていられません。

後日談で知った、会津豪雪

先日の大雪は、史上に残るほどの豪雪であったと、今頃になって知った私です。

何しろテレビは見ませんし、ラジオも聴きませんし、インターネットのニュースはチェックしていますが、今回の大雪に関しては、
自分も当事者なので目の前の雪を見りゃ分かるよ!と思って、特に注意を払っていませんでした。


確かに凄かったけど、我が家の生活には特に支障は無かったし、仕事も通常通り出来たし、翌日は朝から晴れましたので、家のまわりの除雪に汗を流していい運動になったと喜んでいたくらいでした。

その日(26日)の午後から、駅カフェさんに作品展の引き上げに出かけたのですが、そこで初めて事の重大さに気が付いた次第。


道路の除雪が全く間に合っていない状況の中でまともに走れない上に、雪に備えの不十分な車、運転未熟の車などがあちらこちらで渋滞の原因を作っていて、普段小一時間あればたどり着ける距離を二時間半かかりました。


それでもまだ、49号線の300台立ち往生騒ぎのことは聞き及んでいませんでしたが、こんな状況の中で、物流を預かる仕事をしている人はどれほど大変なことだろうと、察するに十分でした。


それからまた一日過ぎて昨日になってやっと、知人のブログなどで会津豪雪が全国ニュースになっていたことを知りました。
それにしては、郷里からもその他の友人知人からも、電話一本かかって来なかったのは、ちょっと意外・・・と言うか、いつも雪を喜んでいるようなことをブログに書いたり、便りにしたためたりしているからでしょうか。


別に自慢したいわけではありませんが、山暮らしをしていた時、三日続きの豪雪でその後5日間孤立したことがあるのです。
丸4日間1000mの山道を雪掘りして車を外に出せるまで、4人の息子と一緒に朝から晩まで雪と格闘しました。
そんな時でも、恐怖心や焦る気持ちは全くありませんでした。
家に帰れば、薪ストーブが燃えて暖かいし、飲み水にも食うものにも困ることはないし、沢の水で風呂を沸かして一日の疲れを癒せるし、この時も5日目に開通して郵便を取りに最寄りの知人の家まで出かけながらホッとしたのも確かですが、何かが終わったような寂しさを感じたのでした。


それはそれとして、今回の豪雪で何かとても大切なことを思い出させてもらったと思っている私です。
もちろん、今の暮らしに不満はありませんが・・・。



「雪が降れば雪だるまを作ればいいだけのことさ。」

子ども達に教わった教訓です!?