高野通信」カテゴリーアーカイブ

穏やかな休日

今日から12月。
今年も今月限りとなりました。

速いなぁ・・・、アッという間だったなぁ・・・、この一年。

でも今日一日は本当に穏やかに晴れて、初冬のひんやりとした空気を心地よく感じながら、時間を忘れて雪囲いの続きをやっていました。
手足や体を動かして、そう急かれているわけでもない用事に精出していれば、時間の経過はあまり気になりません。

今日の作業で、手間のかかるところは全部終わりました。

畑の大根も少し抜いて来ました。
蒔き遅れの白菜も、このところの暖かさで少しずつでも成長している様子。
きっちり巻かなくても、自家用なら問題ありません。
おまけにご近所からも沢山いただきました。


この冬も、ジャガイモとカボチャとサツマイモとそして大根と白菜は買わずに過ごせそうです。


 


一仕事終えたらもう日が傾いていました。
道路に伸びた自分の影が面白かったので、しばし自分の影と戯れました。



たちどころに童心に帰る私



これはどういう格好?

会津学とナショナルジオグラフィック


購読9年目の「ナショ・ジオ」と昨日初めて手にした「会津学vol.1」

昨日は、地元山都町の方の企画で「会津学」の講座を聴くことが出来ました。
私は初めてこの「会津学」という名称を聞いた時、この地域色の濃い郷土愛に満ち満ちた風土ゆえ、会津の歴史と登場した人物のことなどを熱く語り、地域ナショナリズムを鼓舞する内容なのだろうと、浅薄な想像をしてしまったことを恥ずかしく記憶しています。

実際は全然違っていて、暮らしの中の何もかもが人の手から離れて行くこのハイテクの時代にあって、急速に失われて行くそうした暮らしの中の人の手の記憶、それにまつわる人が語り伝えて来た様々な伝承を、今のうちに記録しておこうというものでした。
それも、学者研究者の視点ではなく、自らが地域の生活者でもある立場で、細々とした人々の記憶を網羅することを旨としています。
それが何の役に立つのか・・・。

「会津学」を主宰している菅家博昭さんは、100年先に人々に貴重な情報となって残るように、ということをイメージされていると伺いました。

昨日のお話しは、我が山都町に関わるデータを準備してくださっての、大変興味深い内容でした。<参照>
その中には、私が借用しているこの家の家主さんのご先祖の話も出て来たりして、一つの地域の中でいろいろな物事が時を越えてつながっていることや、人の暮らしと文化の厚みや重さに触れる想いがしました。

そして実はその二日前、購読している「ナショナルジオグラフィック12月号」が届いていました。
その中で一際私が興味をそそられたのは、「タンザニアのハッザ族」という記事でした。
タンザニアの奥地で今なお、完全狩猟採集生活を営んでいる部族の取材記録です。

そこに書かれてあったことで、私の脳を直撃した一言は、「現世人類は、この世界に出現以来その歴史の99%を、狩猟採集民として暮らして来た。残りの僅か1%の時間の間に、農耕が始まり地球環境は大きく改変された・・・(後略)」というものでした。

このブログの中でも取り上げたことがありますが、野生の獣たちとの付き合い方、いい意味での緊張感を持って敵対と友好を使い分け、本来無防備で弱い「人」が生き残るためのノウハウは、実は長い長い狩猟採集民の暮らしの中で獲得されたものに違いないと思い当りました。<参照>

脅威とまた一方で恵みに満ち満ちたこの大自然の中で、農耕が始まり、その他ありとあらゆることが今実現しているのは、その厚い厚い礎があったからこそです。

どんなに文明が発達しても、人が生命であることの事実は動かせないし、それは自然との関わりによってのみ健全に維持されることは間違いありません。

だとしたら、この世界から狩猟採集民の記憶が消えることは、人類の終焉を意味するというのは、大げさでしょうか。
タンザニア政府は、この人たちを救済しなくてはならない未開発な人々だと認定しているのです。

加えて広く文明社会に暮らす私たちが、狩猟採集どころか農耕からさえ遠ざかって、草木の一本も生えないコンクリートの地面で固めた都市で、警戒を怠り何の感覚を働かせることもなく、油断しきって生活していることは、一体何を意味するでしょうか。
もはや人は、狩猟採集民でも農耕民でもない、何か別なものになりつつあると言えるのではないか。
それで本当に生き残っていけるのか。
そんなことを想ってしまう私です。

話は戻りますが昨日は、私にとって「会津学」の意義は、そんなところにまでつながっていると、確認することになったのでした。

待降節


毎年、定位置に飾られるクリスマスキルトと天使の楽隊。
今年もこの写真を撮ることが出来ました。ありがたいことです。


キリスト者の間では、今日から「待降節」と言って、キリストの降誕を待つ望む期間に入ります。
商業イベント化したクリスマスは、もうすでに騒がしく始まっていますが、キリスト者にとって待降節は、むしろ静かに敬虔な気持ちで過ごす期間です。
私が覚えている習慣と言えば、肉を食べない、その他贅沢をしない、何か一つでも自分自身に犠牲を課す、そんなようなことだったと思います。


世間の騒ぎとは全く違い、クリスマスイヴは中でも一番信仰心を厚くする時で、大人たちは教会の深夜ミサに出かけます。
子どもたちは、サンタクロースのプレゼントを楽しみに、寝床の中。
そして本当のお祝いは、25日になってからです。
その代わり、その日から何日間かお祝いが続きます。


待降節の間、主日(日曜日)ごとにささやかにお祝いをして、シュトレンを切って食べる。
ドイツの習慣だとか。


日本はキリスト教の国ではないので、今言ったようなことはキリスト教信者でさえ、習慣になっていないことが多いのじゃないかと思います。


かく言う私は、信仰心も疑わしい信者とは言えない程度のクリスチャンですが、そのような敬虔な気持ちで過ごす期間というのは、誰にとってもあっていい時間なのじゃないかと思っています。
私にとっては、仕事が忙しくて我を忘れそうになるこの時期、ちょうどいい精神修養のような意味があるのですね。
厳密ではありませんが、自分流の待降節を静かに過ごしています。


さて昨日も申し上げましたように、今年もクリスマスの飾りつけをしました。
去年も同じことを申し上げたと思いますが、同じ風景をまた今年もお見せして、この一年間が無事だったことを喜びたいと思います。
よろしかったら、去年、一昨年の記事を併せてご覧ください。
<こちら>からどうぞ。


 



上の娘が作った天使の楽隊 もうかれこれ8、9年目



20数年前、愛知県の小原村の陶芸作家さんからいただいたもの
フェルト製のキツネちゃんは、南会津町のお友だちの作品です。
<こちら>をご覧ください。 



昨年、通販で買ったドイツ製の切り紙細工



神奈川のKさんからいただいた、ステンドグラスのミニチュア(アクリルシート製)
フランス・シャルトルの大聖堂、南向き・バラ窓(13世紀)  



連れ合いのお友だちからいただいたステンドグラス
上の娘が作った、折り紙細工



こちらも、上の娘が作った切り紙細工



くつしたのオーナメントもいつものように・・・。



九州のKさんからいただいた、手づくりのオーナメント
うさぎの切り紙細工は上の娘の作
 



オリジナルクリスマスカードもあります。 



おなじみのトントたちも勢揃いしてお出迎えいたします。



皆さまのご来店をお待ちいたしております。

クリスマスを待つ季節

私は、自分の生家がクリスチャンだったせいか、クリスマスには特別な感慨と親しみを持っています。
思い出すのは、製材所に勤めていた父が、大きなモミの木を運んで来て、家の中にきれいなツリーをこしらえてくれたことです。
今みたいに電気仕掛けでピカピカ光るものは一つもありませんでしたが、記憶の中のガラス玉や父がチョコレートの銀紙を集めて作ってくれたお星さまは、不思議に光を放っているのです。
ツリーのまわりに掛け渡した色とりどりのモールもとてもきれいでした。
そして雪に見立てた綿を枝々に配置して、ローソクの火を灯して、待降節の静かな夜を楽しんだものです。
田舎のこととて、おいしいケーキの味もシュトレンも知りませんでしたが、記憶の中のクリスマスを待つ風景は、今になってなおさら愛おしく思い出されます。


そして今は、おいしいシュトレンを沢山沢山造って、大勢の人に喜んでいただけて、私にとって一段と感慨深いクリスマスを待つ季節になりました。



お店にも、連れ合いがクリスマスの飾りつけをしてくれました。
どれもこれも、手づくりのものがほとんどです。
連れ合いと娘たちが作ったもの、他所の方からいただいたもの、買ったものも合わせて、年々にぎやかになっています。

冬支度、とりあえず一安心

今日は、穏やかな晴天とは行きませんでしたが、雨が降らないだけ恵まれたと思い、心勇んで先日の雪囲いの続きをやりました。
私は、自分で出来ることは何でも自分でやりたい人なので、こうした生活上の所用が片付いていないと、生業にも影響が出てしまうのです。
今日はいいところまではかどってとりあえず一安心。
一昨日とはずい分違う心持ちです。


ところでその雪囲いにも、いろいろと工夫を凝らす自分に、ちよっと感心しつつ呆れつつ、今日の仕事にとりあえず満足する私です。
春になれば壊して片づけてしまうのに、きれいに出来てないと妙に落ち着かないのは、職人気質という名の病気かも知れません。


今日は、あともう一日あれば完成というところまでやりましたので、辺りが暗くなり始めたところで終わりにしました。



土木、建設の現場で働いたことのある方なら、きっと見覚えがおありでしょう。
インパクトドライバー、ハッカー、結束線、コーススレッド、メジャー、電工リール、
その他、うちにはほぼ何でも揃っています。
山暮らしをしていた時に、家一軒建てた人ですから。



ここは二つの屋根の合わせ目の真下になりますので、軒に届くほど雪が溜まります。
そこを建物沿いに通路を確保して、出入りが出来るようにします。
この部分がどのように完成するか、後日またお見せします。


 


さて、そうしている間にも、お手紙やファックスでご注文をいただきました。

ありがとうございます。

これから年末まで、しばらくは息が抜けません。
この時期がなかったら、正直申し上げて一年回らないのです。
がんばって、いい仕事をさせていただきます。

気ばかり焦る冬支度

今年は、雪囲いの設置が今日まで全く手が付けられませんでした。
先週も先々週も、定休日の火曜日に限って雨模様で、合羽を着てまでやる気にならず、焦る気持ちを抱えながら先延ばしにしていました。

今日は珍しく穏やかな晴天になり、午後から時間が出来ましたので、逸る気持ちを抑え抑え外に飛び出しました。
家の裏側北面には毎年大量の雪が溜まりますので、頑丈な造りの囲いを設置しています。
雪が降り出してからでは作業そのものが困難になりますから、今日は先ずそこを作業しました。

と言っても実は、昨年の雪囲いを全部撤去し切れていなくて、途中からまた再設置の状況。
かえって楽だったとは言うものの、一年経つのが何と速いことか、そしてまた何と忙しい一年だったろうか、夏の間も囲いを眺めながら過ごしたのかと思うといささかガッカリ。
そして今は、少し楽に囲いが出来て良かったと複雑な気分です。

明日一日置いて明後日、またお天気がいいようなので、今度は南側の出入り口の、ちよっと凝った造りの囲いに時間を費やさなくてはなりません。
あと一日で終わらせることはとても無理で、まだあと何日か時間を見つけなくてはなりません。
それまでは、ドカ雪は困ります。


でもこれまた変なことを言うようですが、本業外の雑用に時間を費やすのは楽しい。
私には、リクレーション的な一面があるのです。


こんなに追いかけられる前に、もっとバランス良く片付けられればいいのですが・・・。



壁との間に空間を取るために、
ちょっと工夫をしています。
この囲いを超えるほど雪が溜まります。

戦争のリアリティーが失われる時

しばらくニュースから遠ざかっていて知りませんでしたが、アフガニスタン・パキスタン国境地帯に、アメリカ軍の無人攻撃機が実戦配備されているのですね。
すでに何度も出動し、戦果を上げているとか・・・。

つい先日このことを知って、私は心の底から薄気味の悪い恐怖を感じました。

今は未だ技術的に未熟だというものの、その攻撃によって実際に人が死んでいるわけです。
このことは、そう遠くない将来、戦闘用ロボットを使って戦争をするようになることの前触れだということです。


無人戦闘攻撃機に限っても、事前のプログラムに沿って自律行動可能な無人機を、一人で3機程度まで操作出来るようにするというのです。
それがどんなに恐ろしい攻撃であれ、遠く何千kmも離れた安全な場所にいて、モニター画面を見ながら指示を出すだけ。
画面の向こうで、沢山の生きた人間が吹き飛び、血を流し苦しみながら死んでいても、おそらく戦争映画ほどのリアリティーも感じないでしょう。


そして元々は、生身の人間同士の喧嘩の延長に過ぎない戦争が、ここまで来るともう、何か次元の違う無味乾燥な殺人行為としか思えません。
リアリティーがないということは、誰が誰を殺すにしても、撃たれたから撃ち返すというほどの理由もきっかけも必要なく、心の痛みにも易々と目を閉じて、命令に従って淡々と作戦を実行出来るのです。


さらにそこには、厳然と格差が存在しています。
高度なハイテク装備で武装出来るのは、世界の中でも限られた国でしかありません。
先行している分、益々優位が高まるだけです。


戦争が理不尽なことは分かり切っていますが、無人機による攻撃や戦闘ロボットの手で殺されることは、さらにもうどうしようもなく理不尽で、とてもやり切れないでしょう。


そんなことが実現するくらいなら、いっそのこと人類なんか滅びてしまった方がいいと思う私です。

萩原夫妻の絵手紙カレンダー


2010年用 絵手紙カレンダー 今年で23作目



このデザイン、中身と大変よく合っています。経本折りと言うそうです。


刺し子作家で前衛書道家でもある萩原久子さん、夫の卓さんは銀行にお勤めだった頃から、ずっと絵を描いて来られました。
私たちが初めてご夫妻に出会ったのは、もう27年余りも前のことです。
以来、何かにつけ私たちのことを気にかけてくださって、お手紙やご注文などを度々ちょうだいしています。



これは、食工房にいただいたものの一枚。



山暮らしをしている時にも、一度私たちの山小屋まで訪ねて来てくださったこともあります。
いただくお便りはいつも、ご主人の絵と久子さんの文筆による素敵な絵手紙仕立てでした。
そうやってあちらこちらに差し上げたお便りの中から、これはと思うものをピックアップしてカレンダーに作ることを始められ、今年はもう23作目になりました。
私たちも毎年のように何部か仕入れて、販売したり喜んでいただけそうな方に差し上げたりしています。
色彩に満ちた卓さんの絵と久子さんの描き文字の、楽しい合作に仕上がっています。



例えばこんな感じ。絵も文字も楽しく踊っているようです。



同じ図柄で B4、1枚刷りもあります。


経本折り 一冊 800円
B3版 一枚刷り 一枚 400円 3枚1000円 
いずれも送料別。
食工房の店頭にてお求めいただけます。見本展示中
ご本人から直接お求めになることも出来ます。
ご連絡先等は、一度食工房までお問い合わせください。


 


習刊 コーヒー通信 「コーヒープレス」



別名フレンチプレスとも呼ばれるプランジャー式のコーヒー器具があることは、業界紙の記事からすでに知っていましたが、今一つ関心が湧きませんでした。
それが最近になって、この方式で入れたコーヒーはコーヒーの成分が全て抽出されるので、カップテスト用に手軽に使えると分かって、俄然興味をそそられた私です。


早速、一個取り寄せてみました。
購入サイトは<こちら>



ハリオ・カフェプレッソ 1・2人用


この手の器具は、紅茶用としてすでに使っていて、コーヒー用も同じものでいいはずなのですが、何故か別カテゴリーで販売されているので、どんなものかなと思ったわけです。
現物を見て、どちらにも分け隔てなく使えることが分かってちょっと拍子抜けしましたが、それでもちゃんとしたメーカー品は、ホームセンターで数百円で買ったものとは違って、細かいところが良く出来ているなと思った次第。


今日は、とりあえずおいしいブレンドで試してみました。



最初にコーヒー粉を入れて、湯を注いで少し蒸らし、
それから人数分の湯を満たしてプランジャーをセット。
時間が来たら、下まで押し下げて完了。至って簡単。



少し濁りのある、粗削りな味わいです。
エスプレッソとドリップを混ぜたような感じ。
あるいは、パーコレーターに似ているかも知れません。


結果を一言で言えば、飲みやすさならドリップ、コーヒーを味わい尽くしたいならプレスで、ということになります。
そして、豆の挽きの粗さや抽出時間により、味に大きな違いが生じますので、自分の好みの設定を探す楽しみもあります。


私は、これから各銘柄のカップテストを、この器具を使ってもう一度やり直して見ようと思っています。
なかなか面白そうな器具です。

古知屋さんの版画カレンダー


 



 古知屋さんの版画カレンダー
2011年2月まで使えます。裏表紙にも作品が・・・。
「まるで絵本みたい!」、娘の感想。


もう十年も前になりましたけど、当時山暮らしをしていた私たちの所へ訪ねて来てくださって、以来ずっと親しくお付き合いしている、版画アーティストの古知屋恵子さんです。
彼女の制作になる、版画の作品をアレンジしたカレンダーを、今年もおあずかりして販売中です。
その一部をお目にかけています。
世代によって感じ方が違うかも知れませんけど、私は、何かしら郷愁のようなものを感じます。
クスッと笑って、ニコッと微笑んで、ホッと和む、そんな物語の中へ誘ってくれるカレンダー。
一冊いかがですか?
一冊 1000円で販売中です。
食工房店頭に展示中。
通販の方にもお届け可能です。(カレンダーのみの場合は、メール便を使います。送料80円)



すてきな版画作品のスタンプはいかが。



とりあえず手元にこの二点のみあります。


同じく、版画作品をスタンプにしたものもあります。
捺印サンプルをお目にかけています。
一点600円です。


ドコノモリへのお誘い



我が連れ合いの、詩とアートの世界へお訪ねください。

新作アップしました。<こちら>からどうぞ。


 


休日の楽しみ・やきいも編



自分で育てたさつまいもです。
なおさらおいしいのは、言うまでもなし。



今シーズンは、さつまいももそこそこ採れて、てんぷらにしたり蒸かし芋にして楽しんでいます。
今日は急な思いつきで、オーブンでやきいもにしてみました。
そのために、休んでいたオーブンを急遽予熱して、石やきいもならぬオーブンやきいもです。
さすが焼くための道具だけあって、申し分のない焼き上がりです。
ああ、やきいももレパートリーにしようかな・・・。
ダメダメ!
こういうのは、たまのご愛敬にしておいて、皆さまにお振舞いするのがいいですね。
この冬はひょっとすると、やきいも食べていただけるかも知れません。

今日やったこと

今日は国民の祝日「文化の日」。
多くの方は仕事がお休みで、定休日を知らない方がいらっしゃることもあるのですが、食工房はスケジュール通り休ませていただきました。
それで、ゆつくりと休日を過ごしたいと思っていたわけですが、果たしてどうだったでしょうか。
今日一日やったことを振り返ってみました。


朝は、7時過ぎに起床。
コーヒーを淹れて、連れ合いと一緒にコーヒータイム。
次に、体のメンテナンスのための体操を20分間ほど。
PCを立ち上げて、メールとブログアクセスのチェック。
インターネットニュースを見て、それから朝食。
しばし部屋の片づけをやって、その後やっと外へ。


今朝は雪混じりの雨が降ってとても寒かったのですが、時折青空が覗いて日が差して来たり、また冷たい雨が降って来たり、一日中変わりやすいお天気でした。


畑に行って様子を見て来ました。
大根も白菜も完全に蒔き遅れで、物になるかどうか・・・。
太りかけの大根を3本とネギを一株抜いて、外の洗い場できれいにして家の中に運んで置きました。


それからビール仕込みのことを考えて、空き瓶を洗って軒下で乾かしてからこれも家の中へ。


そこへ、午後から知り合いが訪ねて来たいと連絡がありましたので、その前にやれるだけと思って、家の裏の草刈りを少し。
すっかり藪になってしまって、覚えていた大きな石の在り場所の見当を外して、刃をしたたかぶつけてしまいました。


それから、茂り過ぎてジャングルのようになっていたサクランボの木の剪定を思い立ち、鋸と梯子を出して来て、しばらく木の上で作業していました。
風通しと日当たりが良くなって、下に植わっているバラも、これでずい分具合が良くなることでしょう。


知り合いが訪ねて来て、昼食兼お茶の時間を楽しみ、帰って行った後、家の裏で落ち葉焚きをしました。
この頃は、焚き火は原則禁止で、うっかり煙を立てていると火事と間違えられるかもしれないと思い、あまり思い切って燃やすことが出来ませんでした。
山暮らしの時は、何をする時でもすぐに火を焚いたものですが、今それが出来なくて残念と言うか、ストレスがたまっています。
焚き火は、人間の生存の証、「火のあるところ必ず人あり」。
焚き火の仕方を忘れたら、人間おしまいです。


その後、病気にやられて散々な風体の桜の木の手入れを暗くなるまでやって、家の中に入りました。


夕食までの一時、カセットテープ音源のデジタル変換を一本取りかかって、途中で夕食。
そして食事の後、続きをやって一区切りつけたところで、ブログの更新・・・、とそこまでです。


やっぱりじっとしていられないということが、よくよく分かりますね。
まいりました・・・。


  追加更新

「食工房のパンだより 48・晩秋号」 公開しました。
<こちら>からご覧いただけます。