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チャルジョウ 納涼の宴


画像上をポイントしてクリックすると、拡大表示します。


今日もイベントのご案内です。

「藤島晃一ライヴ @ 風街亭」の前日、7月19日(日)に、ここ山都町の地元でちょっと風変わりな音楽祭が催されます。
  ※イベントの詳細は、チラシの画像をクリック拡大表示してご覧ください。


このイベントを企画したのは、我が山都町にある超ユニーク農園、「チャルジョウ農場」こと小川光さんの農園で今年研修中の生徒さんたちです。

私は常々、何ごとも人の縁がもたらすものと思っていますが、今回のプランもその例に漏れません。


当日のゲスト出演者、ヴォイスパフォーマーの「arinco」さんは、前衛的演劇集団「パパタラフマラ」に在籍する、劇団最年少の逸材と謳われる女性です。 <参照>


こういうアーティストが出演する企画が、山間のそれも思いっきり辺境の場所で実現するのは、人の縁以外の力ではなし得ないことですね。


ちなみに研修生の方々には、度々食工房にもご来店いただいています。
当日は私も、差し入れを持って訪ねようと思っています。
お近くの方、ご都合のつく方、ぜひご来場を!


今度の週末は、二日続きのイベントで熱くなりそうです。

ご紹介します


ご住所、電話番号は、伏せさせていただいています。


すでにご存じの方もいらっしゃると思います。
刺し子や一閑張り、また前衛書道家としても有名な、萩原久子さんです。
ご主人の萩原卓さんは、絵を描かれます。
お二人の合作になる「絵手紙カレンダー」は、毎年食工房でも販売していますので、手に取られた方もいらっしゃるでしょう。


<こちら>の記事をご覧ください。


以前、NHKの「おしゃれ工房」という番組に出演されたこともある方です。


今回、久しぶりにまた取材を受けられ、雑誌「NHKおしゃれ工房8月号」に、最近の暮らしの様子が写真入りで掲載されるそうです。

発売は、7月21日の予定。

多くの方にご覧いただければと思い、ご紹介申し上げます。

なお、萩原ご夫妻からこの30年近くのお付き合いの間にいただいた、素敵な直筆の絵葉書をご覧いただけます。
食工房のカフェ・雑貨販売コーナーへどうぞ。


 


 ちなみに、今日は七夕でしたね。
あいにく空は曇っています。
どこかで、「織り姫とひこ星を見つけよう。」なんてイベントを開催するらしいです。
星空観察は、中学生の頃からかなり熱中してやりましたので、星座はすぐに分かります。

山暮らしをしていた時は、真っ暗な空に本当にミルクを流したように銀河がはっきりと見え、その両岸に青白く瞬くヴェガ(織女星)と真っ白く輝くアルタイル(牽牛星・ひこ星)がありました。
星の位置が変わるわけはありませんが、星空を眺めてそんな物語を想った昔の人と同じ感慨が、あの時の私たちにも確かにありました。

作物が育てば、草なおよく育つ

このところ度々雨が降り、気温も上がり日差しも高くなっていよいよ夏の到来です。
畑の作物たちは、つい一週間前とはもう見違えるように大きく育っています。
と言うことは当然のことながら、草はいっそう勢いづいて作物たちを今にも飲み込みそうな様子です。
一週間に一度、定休日の畑仕事だけではもう間に合いません。
少しでも空いた時間があれば、すぐに作業着に着替えて畑に行くようにしています。


何と言ったって、畑は肥料を効かせてあるのですから、放っておけばどんなことになるか目に見えています。
人間が手を貸す勘所を誤らないよう、今こそ草取りに注力すべきと、地に這いつくばって草を引いています。
この、一年で一番の成長期に手をかけておかないと、これまでの苦労も水の泡、この後にもいいことはありません。



途中まで草取りしてある様子がお分かりになるでしょう。
引いた草は、作物の根元に根を浮かせるようにして置いています。


 



トウモロコシが、ザワザワと心地よい葉ずれの音を聴かせてくれるほどになりました。


 



大根はもう食べられます。でも気を付けていないと、草に埋もれそう。
まだまだ育つので、これから土寄せをします。


 



あっという間にジャングルの様相です。
秋にはカボチャがゴロゴロ・・・。採らぬカボチャの・・・。


 



ジャングルの下は、こんなふうです。
初めのうちは、雄花ばっかりです。相手がなくてかわいそう。


 


本業でもないのに、こんなにエネルギーを注いで、どこかから「おいおい!」と声がかかりそうですが、こればかりは止められません。
前にも申し上げたと思いますが、畑仕事は私にとって、心身両面の健康法なのです。
本業を疎かにするつもりは毛頭ありませんので、どうぞ誤解のありませんようお願いいたします。


 


さて今日は、早朝5時からこの集落の人足で、河川の草刈りとゴミ拾いなどをやり、朝食後もう一度集合して、例のアジサイロード沿いに造った花壇の花植えをやりました。
各所帯から一人ずつ約50人ほどで、3000本の花苗を2時間余りかかって植え終わりました。



国道459号線 喜多方市 山都町 相川 字白子地内 


これから秋まで、次々といろいろな花が咲いて、道行く人の目を楽しませてくれることでしょう。
一段高いところには、この春しだれ桜と花桃の植樹もしています。
何十年先の楽しみになるか分かりませんが、その頃になってもこの集落がちゃんと維持されていて、誰かに眺めを楽しんでもらえるようにと、そのイメージがあるからこそやっているのですね。
地域の活性化のエネルギーは、案外こんなところから生まれるものじゃないかと、私は思います。
この集落は、きっと大丈夫ですよ。


かくして今日は、朝から夜までみっちりと働きました。
もちろん日中は、食工房の仕事もこなしています。

風邪を引いていたようです。

ここ何日間か疲労感があり、何か良くないなと思っていました。
日頃の運動不足やPC作業が長くて首筋や肩のこりもあり、その範囲の調子の悪さだと思っていたのですが、昨日はパン焼きが終わって配達から戻って来たら、もうグッタリしてとても起きていられませんでした。
夕食もそこそこに寝てしまいました。
思い出してみると、一昨日すでに前兆があったのでした。
でも、先に申し上げた自分の思いこみがあったので、休むよりも積極的に体を動かした方が良いという対応をしてしまいました。
ただ風邪にもいろいろあって、今回はいわゆる感染症の風邪ではなかったようです。
風邪様の症状を呈する疾患は沢山あるので、万病の元と言われますね。
中には、重大な病気の前触れだったりすることもあるわけです。
自分の手に負えるかどうか、その一点にはことさら敏感でありたいと思っている私です。


今日は結局一日休ませてもらいましたが、明日はまたパン焼きです。
自分を動かすエネルギーが十分かどうか、今日一日、ずっと自分の体に相談していました。
多分、大丈夫です。


 


暑中お見舞い申し上げます。 2009.07



慶徳峠より、袋原さらに高郷方面を望む


 



 おしらせ

Blue Lace の服が入荷しています。
麻100%のワイドパンツや半そでワンピース。
興味のある方は、どうぞお早めにご来店ください

不思議な光景


20年余り前、これから山暮らしに入る私たちに、
それまで山暮らしをしていた友人から手渡されたもの。


今日は念願叶って、6年ぶりに8分芯のランプにホヤ(ガラス製の燃焼筒)をセットしました。

ランプの芯は、巾が幾とおりかあって、5分(1.5cm)、7分(2cm)、そして8分(2.5cm)のものがあります。
8分芯は、巾が広い分明るさも一番です。
8分芯のランプなら、夜、本を読んだり手紙を書くのにも不自由はありません。
このランプに、14年間お世話になりました。


電灯を消してランプだけにすると、昔、夜、明かりがあれば、そこは特別な場所になったことが、容易に想像出来ます。
夜という時間の持つ、昼とは違う本当の意味の気配を、はっきりと味わうことが出来ます。


さて、ご覧に入れた写真です。
ランプのうしろでPCのディスプレーモニターが光っています。
デスクトップに使っているのは、比較的暗い目の画像です。
ランプの炎とディスプレーやLEDの光、そして周りにうすぼんやりと見える掛け時計やカレンダー。
光景としては面白いですが、この環境でPC作業は出来ません。
コントラストが強すぎて、画面を見続けていられないし、スロットにメモリーカードを挿入しようとしたら、今度はスロットの位置が見えなくて手さぐりになってしまいます。


夜をランプで過ごすことと、コンピューターシステムに付き合うことの間には、思っていた以上に深い溝がありそうな気がします。
これから時々、そうですね、一週間に一度くらいでも夜をランプの灯りだけにして、電気仕掛けのものと距離をおいて過ごしてみようか、そんなことを考え始めた私です。


「食工房のパンだより44・七夕号」編集中です。近日公開

おばあちゃん


今でも、田舎に行けば、こんな姿で畑にいるおばあちゃんをみかけるでしょう。
働き者のおばあちゃんは、朝の5時過ぎには畑にやって来て、8時前までずっと細々畑の世話をしていました。
ある日は、もう朝から日の暮まで、昼休みに家に帰った他はずっと畑にいて、鍬を振るったり草を引いたりしていました。


 



シソの葉の手入れをしている時に声をかけて見ました。
「いやー、手間かかるんですねェ。」
「そうだよ。シソは手間かかんだよ。」
別な時、通りかかったお隣のおばあちゃんが首を振り振り、「いやいや、よくやらる!(よくやっているの意)」と。
本当、このシソの葉一枚一枚が千円札だっていいくらいですよ!
日本のあちこちにこんなおばあちゃんがいて、見えないところでコツコツ世話をしているから、健全な畑地が保全されているんですよ。
大規模収奪農法なんかすぐに破綻するのに、皆気がつかないんだから・・・。


 



我が家の農園も、いろいろな作物が育って、畑らしくなって来ました。
今日も合間に草取りしました。
この間の風で倒れたじゃがいもは、大方起き上がっていっそう勢いづいています。
沢山採れるかな・・・。


ごぼうは土が合わないらしく、育ちません。
やっぱり土質は重要ですね。
合わないものを蒔いたのでは、いくら努力してもダメだってことなんですね。
そうそう、ホウレンソウもダメで、いくら石灰を入れて中和しても、芽が出て少し経つと皆消えてしまいます。
ある意味、自然はとっても厳しいと心得ていなくてはなりませんね。


 


本日の食工房




今日は、パンも良く出来ました。
余り生地のバタールをいつもの形と丸いのと二種類造ってみました。
あっ、丸いのはバタールじゃなくてブールですかね。
十文字にクープを入れるのは、西洋では魔よけの大切なお呪いだそうです。
以前、アイリッシュコンサートに出演してくれた、ショーン・ライアンが教えてくれました。<ショーン・ライアンの関連記事>
フィンランドのシナモンロール・カネリプッラも、今日はとても機嫌良くいい形に焼き上がりました。


皆さまのご来店、お待ちしております。

ランプの灯り

昨日は、夏至でしたね。
昨日の夜は、ブログをアップした後間もなく、PCを止めて蛍光灯の明かりも消して、灯油ランプとローソクで過ごしました。

もちろん明るさという点では、電気の明かりとは比べ物にならないほど暗いはずなのですが、それだけになったらなったで全く暗いという感じがしないのは不思議です。
目が慣れるのさと言われればそれまでですが、それだけではないような気もします。
さらにうまく言えませんけど、何か安心感があります。
本当は、炎が燃えているので危険と言えば危険なのです。
火事になることだってあり得ますからね。
それでも、ランプやローソクには、何か得難い魅力があります。
それを毎日の生活で使っていると、物事に対する感覚までもが変わって来るような気がします。

静かで暗い夜が当たり前の暮らしをして来た私たちが、電気の点くここに来て先ず驚いたのは、蛍光灯の明るさが暴力的にさえ思われたことです。
おまけに蛍光灯は何やら音も出しているのですね。
外に出れば、街灯が明る過ぎて星空も見え難くく、何もかもに違和感がありました。
さすがに6年近くも経って、慣れてしまったと言うか、慣れざるを得なかったと言うか、平気になってしまった自分に逆な意味で違和感を感じるこの頃です。


灯油ランプとローソクの明かり


器具のディテールをお見せしたかったので、昼間撮影したものです



部屋の真ん中あたり、テーブルの上などに吊るして使います。
真下でやっと本が読めるくらいの明るさ。
絵や写真は、色が変わってしまいます。



卓上用あるいは壁際の棚やボックス類の上に置いて使います。
残念ながら、ホヤの上部が破損しています。



コスト的には、一番贅沢な明かりです。でも、雰囲気は最高!
山暮らしをしている時は、月に一本くらい消費していました。



昨夜は、ランプの灯りに替えたら、以前の感覚がすぐに戻って来ました。
いやー、うれしかったですね。
もう一度人生を変えてもいいと思えるくらい、感激していました。

さて、暗くなれば眠くなるのが生理のようで、眠たくなったので寝る前に小便をしようと、また思い立って外に出ました。
そうしたら、晴れて澄んだ夜空に星が瞬いていました。
とたんに目が覚めてしまった私は、それからしばらく星空を眺めていました。

とても大切なものごとを幾つか思い出せて、確認出来て、昨日はうれしい気持ちで眠りに就くことが出来ました。

父の日によせて

今日は、父の日。
私も6人の子の父ですが、それは置いて、今は亡き私の父の話を聞いてください。

私の父は、もう14年余り前に亡くなり、すでにこの世の人ではありません。
その父が、亡くなる2年ほど前に、当時山暮らしをしていた私たちの所に、一度きり訪ねて来たことがありました。
「馬鹿な選択をする・・・。」と呆れられながら始めた山暮らし、本当によくやっていたものだと思える、まるで絵に描いたような貧乏暮らしでした。


たった一晩泊まりで直ぐに帰らなければならない父でしたが、いる間中ずっと6人の孫たちと遊んでいました。
4人の男の子たちと、下の川にも行きました。
渓流釣りの達者だった父は、孫たちが同じように達者に沢を飛び歩く様子を、目を細めて眺めていたに違いありません。
この時は一匹だけ、手ごろな大きさのヤマメが釣れて帰って来ました。


それをさっさと捌いて、夕食のごちそうに塩焼きにしてもらって、父はとても満足そうでした。
ランプの灯りの下で、私たち夫婦と6人の孫たちに囲まれて食事をしたのも、思えばこの時が最初でそして最後でした。


皿に乗ったヤマメの片側半分をきれいに平らげた後、孫たちがじっと見ているのに気がついた父は、そうか!この子たちにも食べさせてやらなくてはならなかったと、魚をクルリと裏返して「おっ、もう一匹おった!」と言って皆を笑わせました。
それから遠慮していた子どもたちも箸を延ばして、皆で一口ずつ味わったヤマメの味は、忘れることが出来ません。
いつもユーモアを忘れぬ父でした。


そんな父は、孫たちに惨めな思いをさせている(・・・)不届きな息子に、小言の一つも言いたかったはずですが、その時はそれまでの2年間、私たち家族全員が一度も医者にかからず、健康優良家庭として村から二度も表彰されたことを褒め、それ以外は何も言いませんでした。
実を言えば、国保税も満足に払えず、保険証の交付を留保されていたので、医者にかかりようもなかったのですが・・・。
多分それも、父は分かっていたと思います。


私と二人だけで話している時、ただ一言、「貧乏するのはかまわんが、貧乏がしみたらいかん。」と言い残しました。
その言葉の意味をすぐには理解出来なかった私ですが、後になって、「人は、貧しい暮らしを続けるうちにいつの間にか、初めから他人の厚意を当てにするような、浅ましい根性が身に付くことがあるものだ。そうなったら人間もおしまいだぞ。」、そう言いたかったのだと理解しました。


その父とも、あの時以来二度と会うこともないまま、二年後には天国に行ってしまいました。
親不孝の埋め合わせは結局出来ませんでしたけど、多分許してくれているだろうと、今はそう思えます。
許すしかない、親心の哀しさそしてありがたさ・・・。
否、案外喜びかも知れないと思う私です。


ちなみに晩年の父は、詩と短歌を学んでいました。
日々の思いを自分史風にまとめて、一冊の本を残してくれました。
世に出せば良かったのにと思う私ですが、巻末には非売品と銘記されています。
いかにも父らしいスタンスだと、代わって私が皆さまにご披露する次第です。


 


   山里にあこがれて住む子ら想う富みきし国の翳りなるやも


   便りなきは健やかなりと諾はん山ふかく住む子らのすぎゆき


   帰りこぬ五月の車みちのくに離れて育つ孫らの遠し


 



 


山暮らしの風景 1993 



 ヤマメを釣った川



このプレハブ小屋で暮らしていました。 



 真黒にすすけた小屋を、連れ合いが精いっぱい可愛らしく演出していました。

いささか充実し過ぎ?な一日

今日は早朝からパン焼きに始まり、午後にはブラウニーを焼いて、その後コーヒー豆の選別(例のホアキン)と焙煎、もちろん合間には使った道具の後片付け、そして最後は畑で草取りでした。

さてこの中で、何をしている時が一番気分が良かったでしょうか?

概ね何をやっても楽しい私ですから、よほど嫌なことというのはありませんが・・・、まずコーヒー豆の選別はあまり・・・×ですね。
それ以外はまあまあ、業務としてのテンションは確かに疲れますが、それがないと逆に張り合いもないような気がします。
今日は、パンの出来も良くて満足でした。
コーヒー焙煎も失敗なく終わりましたので、これもOK。

最後の畑は予定外でしたが、外が明るいうちに仕事が終わったので、急にやる気になって外に飛び出しました。
先ずはじゃがいもの様子を見ると、テントウムシダマシがいっぱいたかっているではありませんか!
直ぐにゴム手袋をはめて潰しにかかりました。
素手でも平気ですけど、ああ沢山だとあとで臭いが染み付いて大変なのです。
ちょっとの間に、50匹くらいはやっつけたでしょうか。

最初見た時思わずカッと来て、農薬を振ってやるぞといきり立ちましたが、待て待て先ずは様子見様子見と自分をなだめて、手で潰しながら観察して回りました。
そうしたら、テントウムシダマシの他にも害虫はいるんですね!
クソッ、皆殺しだ!とまた頭に来るのをようようこらえて、さらに冷静に観察しながら思い当りました。
こんなに害虫がいるのに、その割にしたら害を受けていないじゃないか・・・。
多分、鳥とか肉食系の昆虫などが、私の見てないところで沢山仕事してくれているんだと。
やっぱり農薬は、よくよく考えてからにしなければいけませんね。
そして人間の私も、暇さえあれば畑に来て虫取り草取りしなさいってことですね。

こう見えても私、畑の草取りなんて仕事は大好きです。
時間さえ許すなら、いつまでだってやってたいんです。
面倒くさいなんて思ったことはありません。
そう「面倒くさい。」って言葉は好きじゃありませんし、あまり口にもしません。

ああ、だからですね。
やって、やって、やり抜いて、気がつくと電池切れで動けなくなっているのは。
これでは、加減を知らないただのバカですね。
今日はいささか充実し過ぎの一日でした。


 


  Machiko の世界 「ドコノモリ」 をお訪ねください。 <こちら> からどうぞ。


 

デンキを消して、静かな夜を


真っ暗・・・。画像としての情報量は、当然小さい。


 


毎年この時期になると、こんな呼びかけを耳にします。
明後日の夏至の夜には、一斉にライトダウンして「キャンドルナイト」なんてイベントもあるみたいです。

いいことだと思いますけど、街を暗くすると犯罪が増えるとか、別なところに気を配らなくてはならなかったりするのがちょっと悲しい、今の私たちの社会です。

二年前のこのブログで、「ランプの灯りと暗い夜」という記事<参照>を書きましたが、夜の暗さが与えてくれるものは沢山あります。
感動的な星空の眺めもそうですが、一番印象的なのは安心感です。
今のこの社会では考えられないことかも知れません。
私たちが山暮らしをしていた、人里から隔絶した場所にはそれがありました。
この感覚は、哺乳類の末裔である私たちに、本能的に備わっている感覚なんだろうと思います。
それがどのくらい大切なものであるか、今改めてそれを思っています。


ところで、省エネルギーがどんどん進んでいるはずなのに、電力消費の全体量は増える一方なんですね。
電気を使う機器の効率は、近年素晴らしいものになって来ていますが、一方で私たちが使う電気製品は増え続けています。
中には、こんなものまで電化しなくてもいいのにと思えるものもあります。
また、24時間中ずっと電源が入りっ放しの機器も、これまた多いのですね。
我が家は、商売をしているのでなおさらのこと、冷蔵庫や電話機やPCなどなど、一日中あるいは営業時間中、電源が入りっ放しの物がけっこう沢山あります。
山暮らしをしていた頃とは比べ物にならないエネルギー消費量に、もう少し何とかならないかと自責の念に捕われます。


そうですね。
明後日の夏至には、うちでも久しぶりにランプで過ごしてみようかな・・・。