高野通信」カテゴリーアーカイブ

やっと一息


 午前中、餅切りをして袋詰め。



 午後は、娘たちがパイを焼いていました。


 


昨日から年末のお休みに入っていますが、二日目の今日も終わりに近づいて、やっと一息という感じになりました。
明日には、ようやくエンジンが止まるかなと思っています。
こうやって次第にテンションが下がるにつれ、日頃いかに緊張感が高いかが見えて来ますね。
久しぶりに今日の夕食は、口に入れる度に、食べているという実感がこみ上げて来て幸せでした。
休息の大切さを改めて思います。
娘たちも、久しぶりに遊び心を発揮して、正月に誕生日を迎える兄のために、星型パイとアップルパイを焼いていました。



さてこの一年をふり返って、何が一番の幸せかと言えば、皆さまのご愛顧で食工房の仕事が順調に回って、無事に一年の終わりを迎えたことです。
いろいろと不安材料の渦巻く世の中で、とりあえずもこうして落ち着いていられることに、改めて特別の感謝を申し上げたいと思います。



いよいよ明日は大晦日、恒例のそば打ちで締めくくります。

昔とった杵柄


 



 


今日は、餅をつきました。
昨日までパン屋でしたが、商売変えをして?今日は餅屋です。
子どもの頃から餅も餅つきも大好きで、中学生の頃には杵を持たせてもらって、10臼も搗いて気勢を上げていました。


20年余り前のことになりますが、商売の一環で餅つきもやったことがあり、これはさすがに餅つき機でしたが、のしたり丸めたりはもうお手のものです。
最近は一年に一回きりの餅つきですが、手はちゃんと覚えています。


つい3年前までは、杵臼でやっていたのですが、息子たちが独立していなくなり、この季節にも戻らなかったりするので、今は餅つき機でやっています。
今日は、もち米15㎏、一斗餅をつきました。


どなたも杵つきの方がいいと言うのですが、餅つき機にも裏技があって、なかなかどうして杵つきに負けない口当たりを出せるのです。
とは言え、餅つき機だと、あまりにもあっさりと片付いてしまうので、人手さえあればにぎやかに杵臼でやりたいものですね。
餅つきは、昔からイベントでしたからね。


と言うわけで、お供えと餡ころ餅とのし餅が出来ました。
今日の夕食は、搗きたての餅を入れた汁をおかずに、売れ残りのパンを食べるという、多国籍メニューです。


そうそう、それで今日は29日でしたね。
人によっては、9は=苦に通ずると言って、この日には餅を搗いたりしない慣わしのようですが、私は29はフク=福と解釈しています。
それより何より、あまり気にしていません。
吉凶は、己の内より生じるものと受けとめています。


明日は、のしもちを切って袋に詰め、これも冬の間の保存食です。
あと二日で今年もおしまいです。

雪に対する思い・よそ者の会津考 vol.6

今頃の時期、会津の地元の方と話しをしていると、必ずと言って良いくらい耳にする台詞があります。
「雪なのいんねぇ!(雪などいらない!)」「雪さえなければなぁ・・・」、この他にも雪は嫌だという意味の台詞を、幾度となく耳にします。

確かに、確かに、あの雪が降り出す前に間に合うようにと、冬支度に気を揉む日々と、降って後は毎日の雪かたしの大変さのことを思うと、雪はいらないというのも偽らざる心境かと思えます。
でも一方では、「降らないと落ち着かない。」とか「根雪になってしまえば、落ち着くから・・・」と、それもまた本音のようです。

それでは、本当に雪を楽しみにしている人はいないのかなと思っていたら、やはりいたんですね。
昨日も、お客さまの一人は、毎年雪が降ってくるのがうれしくて、季節になると朝起きるのが楽しみだと言っていました。

まあこんな風に、雪国の人にとって雪は、いろいろな思いが交錯して、悩ましくまた楽しみなものであるようです。

では南国育ちの私が、雪に対してどんな心境かと言うと、5年居る間に少しずつ地元の方の心境に近づいて来ていますね。
大変だけど、いいなぁとも思います。

会津の冬の空は灰色に曇っていることが多いですが、雪に覆われた地上は、家の中まで意外に明るいのです。
この明るさがあるから、灰色の空にも嫌気がささないのかなと思っています。
もし、また太平洋側で暮らすようになったら、きっと雪のない冬景色にがっかりするに違いないと思いますね。

やっと、ここ3日前くらいから会津も本格的な降雪になり、もうすっかり銀世界になりました。

冬こそ会津へ!

改めて、お誘い申し上げます。

クリスマスの日に・・・

今日はクリスマス。
うれしいことが一つ、そしてちょっと哀しいことが一つありました。

うれしかったのは、娘たちが私と連れ合いのために一着ずつ、とても素敵なシャツとブラウスを縫ってプレゼントしてくれたこと。
思い出すのは、上の娘が8歳の時、サンタクロースからお針箱をもらって初めて針を持った時のことです

実は、最初に運針の手ほどきをしたのは、連れ合いではなく私でした。
もちろん、連れ合いは縫い物は達者でしたけど・・・。
それからというもの、お人形たちの洋服を何着も縫いながら、いずれ私と連れ合いの洋服を縫えるようになるための練習だと、うれしいことを言ってくれました。
あれから13年、妹も一緒に針を持つようになり、そしてとうとう今年は、本当に私たちの洋服を縫ってくれたというわけです。


哀しいこと・・・、それは今日、詩人のナナオサカキが亡くなったという知らせが伝わって来たこと。
ナナオのことを記憶に刻んでいる人は沢山いるに違いないと思いますが、私たちにもまた特別な記憶が刻まれています。

山暮らしをしていた頃、二度ほど彼の地をナナオが訪れて、私たちのところにも立ち寄りました。
私たち家族と食事を共にしながら、いかにもサンタクロースを思わせる風貌のナナオは、うちの子ども達に向かって「君たち、サンタクロースはねぇ、ボクの弟なんだよ。君たち、欲しいものがあったら何でも言ってごらん。伝えておくから・・・。」
「それでボクはねぇ、恐竜のお刺身を持って来てくれと、前から頼んでるんだけど、ちっとも持って来てくれないんだよ・・・。」と、表情たっぷりに語って私たちを笑わせたものです。
以来しばらくの間、子ども達はこんにゃくの刺身を食べる時、青海苔が入った緑色のを摘んで、「恐竜の刺身って、こんな感じかなァ・・・。」と笑い転げていました。
そう・・・、ナナオはユーモアの達人でした。

そして奇しくも亡くなったのは、12月23日天皇誕生日の朝だったそうです。
私には、12月23日、今後は同時にナナオサカキの命日として記憶に残ることになりました。

一年の疲れ

今日は定休日で、それも久しぶりに完全にオフ。
朝一旦暗いうちに目を覚ましましたが、何だか一年の疲れを感じて起き出す気になれず、9時まで寝てしまいました。
起きてみるといい天気で、雪の予報は大外れです。
それに何だか暖かいような気がして、いっそう気が緩みました。

そろそろ雪が降ってもおかしくない頃なんだけど・・・、とその瞬間に家の裏のお稲荷さまのことが頭に浮かびました。
そうだ!まだお掃除もお清めもしていなかったと気がつき、午前中に落ち葉をかき集めて周り掃除をしながら、火を焚いて煙を立てお清めの儀式をしました。
午後から予定があったので最後まで出来ませんでしたが、掃除だけは終わりました。
あとは、もう一回祠を掃除して、お餅をついてお供えすれば、今年一年のけじめが付きます。

やれやれと胸を撫で下ろして、午後からは、「ガイアシンフォニー・第6番」の上映を見に出かけました。
龍村監督の講演もあり、全部終わって帰る頃はもう暗くなっていました。
途中から雪が降り出したようで、やっぱりいいタイミングだったんだと、映画や監督のお話しの中でも何度も出て来た、「すべては響きあっている。」という感覚が自分の中にもあると分かってうれしかったです。
そしてまた私は、パンを焼くことは、この母なる地球の恵みである小麦を生命の養いに適うパンに変えて、食べてくださる方々に提供すること、そのために私は、自分の焼くパンに対してあくまでも誠実でなければならないと思いました。
今日の映画を見ていて、音楽を演奏することもパンを焼くことも、相通じるものがあることを感じました。

さあ、年末年始のお休みまであと5日、もう一山忙しい時を過ごします。

マイブログ中間報告 vol.11

今日は冬至ですね。
一年のうちで最も日照の短い日。
この日を境に、また少しずつ日が延びて行くのですね。

昨年の今頃の記事を読み返してみたら、アクセス3万ヒットを目前にしている記事が目に留まり、今日のカウンターを見たら9万超です。
一年間で6万アクセス。
この数が多いか少ないかは、実はそれほど重要なことではありません。
本当の意義は、このブログが私個人や食工房にとって、どんな役割を果したかということです。
その点で評価出来ることは、まずこの一年間にホームページやブログを見て、お問合せやご注文を寄せてくださる新しいお客さまが、以前よりずっと多くなったことです。

私は、このブログを始める時、半信半疑でどの程度またどんな成果があるか、全く想像が付きませんでした。
それがこの頃、ご来店くださる方の多くが、毎日このブログを見てくださっていることが分ったり、メールで新しいお客さまからお問合せやご注文が舞い込んだりするようになって、やっと「ああ、こういうことなのか。」と理解が及んだ次第。

アクセス解析でも、こちらが意図したキーワードで検索上位にピックアップされていたり、あるいは予想もしないキーワードでトップにランクされていたり、認知度は確実に上がって来ているということも想像が付きます。

だからこそ、ここで何をすべきか。
それもよく分かるようになったのですが、足りないのは何と言っても時間です。
まあ、ブログの毎日更新には、出来る限りこだわりたいと思っています。
皆さまには、今後のお付き合いをどうぞよろしくと申し上げます。


  おしらせ
この調子で行くと、年明け間もない頃に10万ヒットを達成しそうです。
10万ヒットの時は、キリ番プレゼントを考えています。

PCは不思議な機械!?

コンピューターは、多分人間が作った機械の中で、最も複雑な機械でしょう。
それだけに、漕がなければ倒れる自転車のように、単純な説明では理解不能なところが沢山あります。
実際、不思議に思える動きをしますね。
よほどのマニアの人でも、PCの動作にはわけの分からないことが、時々起こるみたいです。

0と1という2個の数字列だけの情報で、最終的に文章の編集はもちろんのこと、綺麗なイラストが描けたり音楽が流れたり、そして様々な別な機械を連動させれば、実際にモノを作ることも出来るし、ロボットを動かすことも出来ます。
これらの動作を制御する約束事、つまり数字列(コード)の成り立ちは、情報量のスケールは桁外れに違うでしょうが、遺伝子に似ているなぁと私には思えます。
だから、コンピューターが動く仕組みはとても複雑で、一部始終を理解することなど、私には想像も及びません。

冬、寒い時に動作が不安定になるとか、その他いろいろあるみたいですが、私の経験から感じるのは、信頼に応えたり疑いに反応したりすることです。
私は、他の機械でも同じだと思っていますが、コンピューターには尚更そういうところがありますね。
くれぐれも、遅いからと言ってバカにしたりしないことですね。

うちのメインPCはもう6年前のマシンで、プロセサーはとっくに時代遅れですが、よく働いてくれています。
慌てないで、待ってあげるというのが、彼(?・彼女?)とのお付き合いのコツです。
また、仕事がしやすいようにメモリーを増設したり、なるべく一度に沢山の仕事をさせないようにしたり、まるで人を雇っているような気遣いが、とても有効だということを実感しています。

そしてこの春導入した2台目の、はるかに優れもののPCの存在にも、微妙な気遣いを要求されています。
PC同士がやっかんだりするのかどうか知りませんが、ネットワークが不調になったり、また調子が良かったりといろいろあります。
そうやって考えて行くと、ロボットというのは、なかなか微妙な問題を孕んでいそうですね。
人間の期待に十分応えるほど高性能になったロボットは、悪意のあるウィルスなどに感染して、その人の命令に反抗して手を焼かせたり、命に危険を及ぼしたりする可能性も出てくるのじゃないか、そんなことまで考えてしまいました。
人間の頭脳とコンピューターは、最後まで仲良くしていられるのかな・・・?そんな心配が頭をかすめる私です。


おしらせ
今週は、クリングラです。

ほんとうの空色


 


これは本当は、ハンガリーの作家 Balazs Bela の著作になるファンタジー小説のタイトルなのですが、今日のお話はそれとは直接関係ありません。
でも、このタイトルをいただいたのには、少しわけがあります。

私が、20代の終わりかあるいは30代の初めか、詳しい時間は忘れてしまいましたが、ある時、草原に寝転んでぼんやり空を眺めていました。
ふと思いついて、片方の目を掌で覆って片方の目だけで眺めた後、次にもう一方の目に替えた時、微妙に空の色が違っていることに気がつきました。

上の2枚の写真は、左右それぞれの目で見た空色を、少し差異を強調して再現したものです。

何でこんなことをやって見る気になったかと言うと、耳でも同じようなことが起こるのを、すでに体験していたからです。
ヘッドホーンで、左右の耳に個別に音が聴こえるようにしておいて、「ピンクノイズ」と呼ばれる音源を出します。<参照>
左右交互に聴くと、全く別な音を聴いているくらい違って聴こえるのです。
左右の耳の周波数感度特性は、もちろん人にもよると思いますが、かなりバラツキがあるのだなと、20代の初めの頃だったと思いますが、その時初めて知りました。

それで、目でも同じような差異があることに気がついて、やっぱり少しショックでした。
右の目と左の目でも違って見えるのだから、ましてや他人の目と自分の目では、同じ空を眺めていても違った空色に見えているかも知れないと思うと、自分の中で何かが大きく揺らぐのを感じました。
それ以来、世界とそして人を見る目が変わったような気がします。

そしてその時、同時に思い出していたのが、「ほんとうの空色」でした。
このファンタジー小説のことは、18か19の頃、朗読をラジオで聴いた時以来、忘れることが出来ない記憶として、頭の片隅にしっかりと刻んでいました。
どうしてこの物語がそれほど印象に残ったのか、自分ではうまく説明出来ませんが、もし興味がおありの方は実際にお読みになってください。

寒くなって来ています。

先日の大雪以来、ぐんと寒くなって来たような感じがします。
曇りがちの空で日も当らなくなり、洗濯物が乾かなくなりました。
今冬は、なるべく暖房を使わないようにしようと思っていましたが、洗濯物のことが頭から抜けていました。
雪国は、何が大変かと言って、冬場の湿気が難物です。
洗濯物のこともありますが、寒さの質も、体に堪える重たい冷え込みです。
やっぱり火の気がないと、いろいろと具合が悪いのですね。

こんな時、薪を燃やすのが一番いいのですが、ここでは今それも出来ませんので、灯油ファンヒーターを焚いています。
考えてみると、ずい分贅沢なありがたいことです。
昔のことなら、冬場に燃やすものが無くなったら、それこそ生死に関わる一大事ですから、薪集めは命がかかっていたのですね。
山暮らしをしていた時、一番うれしく幸せな瞬間は、沢山の薪が山と積み上がったのを見る時でした。


さてさて、寒さの話はそのくらいにして・・・。


食工房では、ただいまシュトレン造りのために、クッキー類が品薄になっています。
年内は、全ての種類が棚に並ぶことは、多分難しいと思います。

その代わりと言っては何ですが、シュトレンの出来は、昨年に比べてまた良くなったような気がします。
一番の違いは、食感です。
生地のこね方で一つ気づきがあり、キメの細かさやしっとり感が向上したと思っています。
まあそうやって、少しずつでも進歩を心がけています。
クリスマスまであと一ヶ月。
間もなく待降節・アドベントに入ります。
シュトレン解禁(ちょっと大げさですが)です。

11月23日

今日、この日は、勤労感謝の日で仕事も学校もお休みのうれしい日というわけですが、私にとっては、一生の記憶に残る末娘の誕生日でもあります。

1991年のこの日、私たちは阿武隈の山中で山暮らしをしていました。
何もかも自然志向で暮す中で、連れ合いが妊娠したことが分っても、病院には行きませんでした。
何しろ6人目ということもあり、連れ合いは、自分の体の感覚を信じて、全てうまく行くと思っていました。
私にも全然不安はありませんでした。

ゆったりと9ヶ月余りが過ぎて、ちゃんと規則正しく前触れが来て、前日の22日には、連れ合いは「生まれておいで、みんな待ってるよ。」と呼びかけたのでした。
その夜から陣痛が始まり、次の朝、6番目2人目の女の子が生まれたのでした。

当日は明け方の4時頃から、皆で手分けして、風呂を沸かしたり、薪ストーブに火を起こしたりして、出産に備えました。
ちゃんとした朝食が取れないかも知れないと思い、薪ストーブの上に芋を乗せて焼き芋を仕掛けて置きました。
後になって、皆、この日の話しになると、まず焼き芋のことを一番先に思い出すのが、今になってもおかしくて吹き出してしまいます。

上の子たち全員が見守る中、私の介助で無事に出産を終えることが出来ました。
胎盤は、裏の山の大木の根元に埋めて、感謝の祈りを捧げました。
この時、人間の自分たちも、山の鳥や獣たちと同じ生き物の一員なんだと感じ、回りに向かって「うちもまた一人生まれたよ。」と心の中で呼びかけたら、あたりがザワザワとして「おめでとう。おめでとう。」と言う声が聞こえたような気がしました。

毎年一度、こうしてそれを思い出すことの出来る自分は、何とありがたく幸せな人間なんだろうと、しみじみ噛みしめる今日の私です。


実はこの後、出生届が受理されるまでの顛末が大変でした。
そのお話は、またいつか別な機会に・・・。