高野通信」カテゴリーアーカイブ

微妙に風邪?


コーヒー豆に紛れ込んでいたトウモロコシを蒔いたら・・・



サツマイモごろごろ、この一輪車に二台分ありました。



「あー!サツマイモ掘ったんだ・・・。
「なんで呼んでくれなかったのぉ・・・。」
「芋掘りしたかったー!」と近所の子ども達。
「じゃー、来年ねー。」


昨日、雨に当たったのがいけなかったのでしょうか?
否、その前から微妙に風邪かなと思ってはいたのですが、今朝ははっきりと自覚がありました。
それでもまあ、動けないほどと言うわけではありませんでしたが。
しかし、食工房の仕事をするには集中力が続かない気がしましたので、今日は体のメンテナンスをかねて、製造を休むことにしました。

午前中、いろいろ片づけ物を終わらせて、午後から畑でさつま芋を収穫しました。
夏のお天気があんなだったので、大して採れないと思っていましたが、今まで置いたのが良かったのか、20kgよりは多くあったと思います。

いやー、うれしかったですね。
夕食に早速、好物のいも天を揚げてもらいました。
まあこんなことでも、私にとっては元気の素です。

そうそうそれで、もう一つ今日の話題は、件のペルーのとうもろこしです。

収穫したんですよ!

ちょっと背の低い方の実をもいで見ました。
写真でご覧のとおり、ブキブキッと太くて濃い黄色の実が付いていました。

お味は・・・?と気になるところですが、これっぽっちでは仕方ありません。
来年、これをもう一度蒔いて増やして、それから試食ですね。

いわゆるスィートコーンではないと思いますから、しっかり実が入ってから粉に挽いて、それからパンに焼いてみるのが面白そうです。

さてさて、もう一本背の高いほうのは、どんなでしょうか?
もう少ししたら収穫して、またご覧に入れます。

食工房、明日は定休日ということで、そのままお休みです。

ただし明日は、百姓市の片づけです。
しばらくお休みになりますので、看板やテント、テーブルやイス、よしずなどを倉庫に運びます。

それから、最後まで残っていた一部の工程を仕上げて、造作も完了させなくてはなりません。
冬の間、1メートル以上の重たい雪が屋根の上に乗るわけですから、補強は絶対必要なのです。

というわけで、今日はもうあとはお風呂に入って寝るだけ。

パンだよりが遅れております・・・。

冷え込む

今日は、未明の頃、ずい分風が吹いていたようでした。

日中はまだしも暖かかったのですが、夕方になって冷え込んで来ました。
日暮れ時、すでに10℃を下回っていました。

明日の朝はどうだか分かりませんが、霜が降りるのもそんなに先のことではないでしょう。
北国の冬は、足早にやって来るのですね。

ましてや雪国会津では、冷たい雨が降る変わりやすいお天気が、これからしばらくの間続きます。
晴れ間が見えたら、本当にラッキー!です。

雪囲いも、そろそろ取りかからなくては・・・。
気の早い人は、もうトンカンやっています。

うちはいつもギリギリ。
雪に降られながらになってしまったこともありましたっけ・・・。

それでこれから先の寒い季節、洗濯物を乾かすのを兼ねて、強力なファンヒーターで暖房していましたが、灯油代があまりにも大変なので、今年は極力暖房は節約して、コタツでしのごうと思っています。

どういうわけか、ヒーター部分だけ取り外したコタツ台がありましたので、ヒーター部分を買って来て取り付けました。
さて、洗濯物はどうやって乾かそうか・・・。

何しろ雪国の冬は、外には干せませんし室内も湿気っぽくて、思いっきり暖房しない限り乾きません。
さあ、どうしましょう・・・。


話は変わって・・・、あれ以来この近くでは熊は出ていない様子です。
毎日、犬の散歩で山の際まで行きますが、この前熊の糞を見つけた辺りでも、新たな熊出没の痕跡は見つかりません。

まだ冬眠には早いし、最後の食い溜めをしている頃ですから、どこをうろついて何を食っているのやら・・・。
「人間って、いいな。」って思っているでしょうか。

もし、熊が人に化けてパンを買いに来たら、うんとおまけしてあげたいですね。
子どもさんにあげてくださいって、かぼちゃあんぱんを二つくらい・・・。
それでもらったお金が、あとで見たらドングリだった・・・、でもいいですよ。

明日はパン焼き、私は、暖かい作業場です。

お山に雨がふりました

今日は朝からすでに雨。
晩秋のどこか淋しげな雨音で、目を覚ましました。


熊どもよ、どうしているか?

腹は膨らんだか?

もうじき冬眠だな。

人の家の庭には、近頃食いもしない柿の実がザランザラン成っているが、さりとて食いに来ていいぞとは言ってやれぬ。


昔、里山と奥山の境には、人の手で栗や柿を沢山植えて、留め林と称して獣たちの餌に供したとか。
そんな風にして、人と獣たちは暗黙の境界を守って住み分けていたのですね。
冒頭からこんな歌が、頭の中で聴こえています。


あめふり くまの子

おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できました


いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました


なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました


それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました


なかなか やまない あめでした
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました


 


 


 

百姓市、あと二回で終了です。


毎週日曜日・10時~15時開催中・雨天決行


7月から毎週日曜日に開催して来ました「百姓市」も、明日とその次の週の日曜日の二回の開催で、今シーズンの営業を終了します。

振り返ってみると、前半7月8月は、奥にある温泉「いいでのゆ」が休業中だったためか、通りかかる車もほとんどなく、営業的には厳しい状況でした。

後半は温泉が営業再開したのですが、いつまでも残暑が厳しかったからでしょうか、意外にこのエリアに入って来るお客さまは少なく、開催初年の一昨年、震災直後の昨年に比べても、今一つ盛り上がりに欠ける百姓市になっています。

内容的には、品揃えも年々充実して来ているのですが・・・。
魅力の創出、告知の方法など、なお私たちの側にも課題があると思っています。


さて、明日もまたいつも通り、百姓市は店開きしております。

山都町では、今日と明日の二日間、「新そばまつり」を開催中です。
駅から最寄りの「みちくさ通り」では、通りを歩行者天国にして、盛大にイベントが開催されます。

ぜひ明日は山都町方面へ!と、お誘い申し上げます。

そして少し足を伸ばして、どうぞ百姓市へもお立ち寄りください。

近頃テレビを見ないので・・・

今年の4月以降、つまり福島県も地上デジタル放送に変わってから、テレビを見ていません。
何せここは、地デジ難視聴地域なのです。
ですからここら辺の全所帯は、共同視聴システムを利用して受信しています。

いろいろ経緯はあるのですが、我が家はその共聴システムに加入していないので、地デジのテレビ放送は受信出来ません。
衛星という手もあるのですが、とりあえずいいやという考えで、半年が過ぎました。

加えて新聞も取っていませんので、インターネットがなかったら、もう完全に世の中のことが分からないでいることになると思います。

以前山暮らしをしていた時、似たような状況だったのを思い出します。
総理大臣が変わったのを、四日間も知らずに過ぎていたとか、台風が接近しているのを、直前まで知らずにいて大慌てしたとか、笑い話でもあり深刻な話しでもあるそんな状況でした。

それで損したこともいっぱいあったのだと思いますが、その代わり、この国の多くの方が得ようとして得られない視野を手に入れたかも知れません。

いずれにしても、まだ当分の間と言うか、地デジに関してはずっと見られないと思います。

それはいいのですが、たまには大きな画面で、いい内容のビデオなどを鑑賞したいと思いますね。

でもそのためにテレビを買うのもねぇ・・・。
お金もないし、もっと他に欲しい(必要な)ものがあるし。
ですから電話回線を兼ねて利用出来るインターネット接続は、今の我が家にとっては、安上がりでとても貴重な情報手段なのです。

あとは、どこにアクセスして何を見るか・・・ですね。

麦蒔き


この圃場の右端奥に、沼ノ平の「鏡桜」があります。



ロータリーの後ろに棒を二本取り付けて、これがいい仕事をしました。



種蒔き自体は、畑の中を歩きながら手で蒔きます。



足で土を被せて行きます。



奥さまと二人、楽しそうにおしゃべりしながら・・・。
昨日もそう思いましたが、本当に農業はいい仕事です。


今日は、沼ノ平地区の農家さんがライ麦の種蒔きをするというお知らせをいただきましたので、急遽見学と少しばかりお手伝いも出来ればと出かけて来ました。

今年ライ麦を蒔くことになった圃場は、このところすっかり有名になった「沼ノ平の鏡桜」のちょうど後ろ側に当たる場所です。
ちょっと水はけが悪いと言えば悪いのですが、去年もここでライ麦を収穫していますので、実績はあるのです。

で、このところ農家さんもお忙しくて、なかなか麦蒔きが出来なかったそうで、遅れに遅れてやって今日の種蒔きになったということでした。

今日は人手も足りなくて、私を入れて4人での作業。

そこでちよっと工夫をして、トラクターで耕うんしながら蒔き溝を切って行けるよう、ロータリーの後ろに木の棒を2本取り付けて走らせました。
これが思いの外上手く行って、広い圃場でしたが2時間足らずで終了。

もう一ヶ所あったのですが、そちらは午後からということで、私は失礼して戻って来ました。

思い返せば、こちらで麦の作付けをお願いするようになって以来もう5年経つのですが、考えて見れば一年一作ですから、経験としてはまだ5回なのですね。
農業の経験を積むというのはとても時間がかかることなのだと、改めて思った次第。

その5年の間に、昨年の震災があり放射能の心配をするという、かつて誰も経験したことのない害を被ったわけです。
どう対応したら良いのか、誰も答えを知らないその状況に、とりあえず使わないという選択をして、種取り用のみの作付けを続けてもらいました。

今年、その麦の検査ではっきりと不検出の結果を得ましたので、来年の再開を念じつつ今日の麦蒔きだったのです。

ライ麦に続けて小麦も蒔いてくださることになっていて、来年はまた沼ノ平産のライ麦と小麦を使った、プンパニッケルや飯豊山食パンが復活することになると、楽しみにしています。

日がな一日


コカコーラのボトルケースを逆さに置いて、それに打ち付けるようにして実を落としています。
その後は家に持って帰って、唐箕でゴミを飛ばして仕上げます。



自分で作った蕎麦を粉に挽いて、
自分で打って食べるのが、この辺の習慣です。
ああ、この世の極楽か・・・、この情景。


今日は一日中ずっと晴天でした。
平地の開けた場所では風が強かったようですが、山間のこのあたりでは少し風があるなと感じたくらい、カラッと乾いてとても気持ちの良い一日でした。

でも今日は早朝からパン焼きで、こんな気持ちの良い晴天でも、私たちは中にいる他ありません。

ふと外を見ると、ご近所の農家のおじさんが、畑でそば刈りをしていました。
手鎌で刈っているのです。
今時、どこもコンバインを頼んで刈ってもらうのですが、珍しいなと思って見ていました。

その後刈り終わってしばらくした頃、今度は奥さんと二人で畑の中に座り込んで何か始めました。
ああ、そばの実を落としているのだなと気が付いて、「いや、いい風景だな!」写真を撮らせてもらおうと、側まで行ってしゃべって来ました。

わずかの面積で機械を頼むまでもないので、手でやることにしたとのこと。
昔は、皆こうして手でやったもんだと・・・。

「まあ、手はかかるわな。」と言いつつ、淡々と作業をこなしている様子は、私にはまるでこの世の極楽のように見えました。

娘も、「わあー!いいな!いいな!」と声を上げていましたっけ。






さて、明日はまた恒例の百姓市です。

皆さま方のお出でを、一同心よりお待ちしております。


場所のご案内


 






  トマト丸再開しています。

毎週木曜、土曜、二回焼いています。

ドライトマト僅少のため、すぐに終わってしまいそうです。

秋晴れ


中央に月が見えているのが分かるでしょうか。



コスモスも盛りを過ぎたかも知れません。


昨日、今日と二日間、気持ち良く晴れています。
秋晴れです。
昨日もほとんど快晴、今日も午前中雲が出ていましたが午後は快晴。

昨晩は、下は焚き火の炎、上は満点の星空、もうこの上もなく贅沢な目のご馳走でした。
今宵も同じ状況になっています。

一方気温がグンと下がりました。
日中汗ばむこともなく、もう半袖では肌寒いくらいです。
そして夕方ともなれば、しっかり上着も着込んでいないとゾクゾクして来ます。

その分空気が澄んで、星空は見事なまでに美しい・・・。
東の空には、早いうちからすばるが見られるようになりました。

秋なんですね・・・。

アンドロメダは中天へと上り一層くっきりと、私の老眼でさえ肉眼で星雲が確認出来るほどです。
双眼鏡を手にすれば、しばしこの世の時間の流れを忘れてしまいます。

そうそう、午前中秋晴れの写真を撮ろうと思って空を見たら、下弦の月が西の空に見えていました。
これもまた不思議な眺めでした。

人の世の喧騒をよそに、鳥や獣たちは近づいてくる冬に備えるべく余念がありません。

熊どもも必死です。
この時期エサが不足すると、冬眠中の出産が流れてしまうのだそうで、まさに命がけで餌を探しているのですね。

今日もまた歌を思い出してしまいました。

<これです。>


そして<こちら>の記事も。

人々は昔

今日は、明日が定休日という気楽さもあり、夕方からずっと焚き火をしています。
今も外では、いい具合に燃えて煙が出ています。
娘と交替で火の番をすることにして、このブログを書きに家の中に入って来たというわけです。

で、暗がりの中で赤い炎を見ていたら、ふと40年も前に私の心を捕えた一つの歌を思い出しました。

イギリスのスコットランド出身のミュージシャン、Donovan のアルバム”Open Road” の中の一つ “People use to” 「人々は昔」と言う曲です。

とてもいい詩だと思うのですが(正確に全て理解しているわけではありません。)当時のレコードに付いていた歌詞カードの訳詩が、悪くはないけど本当にこれでいいのかな・・・?という部分もあって、未だに未消化です。

でも、楽曲の方はシンプルで覚えやすく、誰でもすぐに歌えると思います。

ちなみにDonovan は、吟遊詩人と目される優れたソングライターでもありました。
この曲が入っているアルバム、今でも健在ですし、CD盤も手に入れて愛聴しています。

原詩と訳詩の両方を紹介しておきます。

     “People Used To”

People used to get together round a fire
Fishes were cooked, songs were sung
Moonlight used to guide our way home in the dark
Do you find it hard remembering?

And still you people tell me life is easy to get on with
But what I’ve got so far’s enough to get along with
People tell me that it’s so oh – oh
I don’t know anymore, I don’t know

People used to get together round a problem
Eyes were looked at tongues were true
People used to stop and say how do you do
Do you find it hard remembering?

And still you people tell me life is easy to get on with
But what I’ve got so far’s enough to get along with
People tell me that it’s so oh – oh
I don’t know anymore, I don’t know

People used to spend an hour making tea
Easy easy was the rule
People used to pause to think and contemplate
He who hurried was the fool

And still you people tell me life is easy to get on with
But what I’ve got so far’s enough to get along with
People tell me that it’s so oh – oh
I don’t know anymore, I don’t know

*******************************************

「人々は昔」

人々は昔、火のまわりに集まって
魚は焼かれ
歌が歌われていた
月の光は昔、暗闇の中、私たちを家路へと導いた
君は思い出すのが難しいと分かっている

コーラス

それでも人々は私に言うのだ
人生なんて楽なものだと
でも私が得たものは
上手く合わせて行くのに充分 さ
人々は私に、そのとおりと言うのだ
私はそれ以上知らない
知らない

人々は昔、困難に立ち向かった
目は見つめ合い、言葉は真実だった
人々は昔、立ち止まって言ったのさ「はじめまして」
君は思い出すのが難しいと分かっている

 コーラス
人々は昔、お茶をいれるのに時間を割いた
のんびり自由にがルールだった
人々は昔、一息入れては考えたり予想したりした
急いでいる奴はバカだった

それでも人々は私に言うのだ
人生なんて楽なものだと
でも私が得たものは
上手く合わせて行くのに充分 さ
人々は私に、かくかくしかじかと言うのだ
でも私はそれ以上知らない
知らない

とまあこういう歌でした。

考えて見たら、これって私の価値観のルーツです。
当時の私は、二十歳そこそこの青(阿呆)二才でありました。
歌っていたDonovan も、ほぼ同年でしたが・・・。

聴いてみたい方は<こちら>からどうぞ

熊に対応する日々

熊が出没しています。

私は、まだ出会ったことはないし目撃もしていませんが、つい先日近くの蕎麦畑が熊に荒らされるという被害があり、近所でも話題になっています。

昨晩あたりから、その畑の持ち主さんは、熊の侵入口で籾殻を燃やして煙を立てる作戦に出ています。
多分これは効き目があると思います。

我が家でも、この前熊出没の記事を書いた翌日から、毎日のように火を焚いています。
特に大きな焚き火にする必要はなく、煙が漂うこと火の気があることが野生動物を警戒させて近寄らせないのですから、上手に細く長く燃やして、煤けた臭いがあたり一面に染みつくようにしなければなりません。
そのあたりは、14年間の山暮らしで鍛えたノウハウが大いに役に立ってくれます。

おもしろいのは、焚き火をしているうちに衣服や髪の毛にも煙が浸み込んでくると、蚊など虫が全く寄り付かなくなることです。
きっと獣に対しても、何かしらの警戒を喚起する効果があるでしょうね。
多分、昔の人は誰もが煙の臭いが染み着いた体だったと思いますから、それだけでも野生の脅威を防御出来ていたのだと思います。

そして下の娘は、最近遠ざかっていたクゥーラ(牛追い唱法と呼ばれる特殊な声の出し方で歌われる歌唱)を再開しています。

私は、夕方の犬の散歩で、微妙に熊の出没コースに近いところに行って、犬の臭いを付けて来るようにしています。

そうです。
熊を恐れて立ち入らなくなったら、そこは結局熊に明け渡したということになりますから、ボーダーを常に押し返す努力をしていなくては、野生の脅威と対峙することは出来ません。

でも何と言ったら良いのでしょう、こうした緊張感はいいですね。
生きる力が何倍にも強まるような気がします。

狩猟の心得、身に付けたいですね。
必要な時には、断固とした殺意を持つことも、野生と対峙する上で不可欠です。

そして出来ることなら、彼の野生動物の敬愛を集めるという境地に、辿り着かないまでも近寄りたいと思う私です。