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モノとお金

娘たちの手仕事でも、私のパン造りでも、その他私が知っているモノづくりの作家の方々でも、自分の手でモノをつくっている人間がいつも悩むのは、そのモノにいくらの値段を付けるかということです。
私は、手仕事は打ち込めば打ち込むほど、お金と交換することに馴染まなくなるものだと思っています。
正当な報酬というものがあるのだとしたら、それはどうやって決まるのか、決めたらよいのか、正直私には今一つ分かりません。
持続可能なとか、相場に見合った賃金を得られるということを根拠にするなら、食工房の仕事はすでに失格です。
多分、他の製造業でも、程度の差はあっても似たような事情だろうと思います。
多くの製造業で、後継者が育っていない現状は、それを物語っていると思います。
ところで「門前の小僧、習わぬ経を読む。」という諺がありますが、モノづくりの技は体で覚えるしかないものであり、時間をかけた訓練、修行が必要です。
世襲や徒弟制度は、重要な意味があったわけです。
しかしこの時代、たいていの場合において、家業を継ぐ子弟はいないどころか、親の方で継がせない選択をしていることさえ稀ではありません。
そして一方では、そんな事情に無関係でその世界のことにも全くの素人の若者が、職人の仕事に憧れ自ら志願して入門してくるという現象もあるわけです。
本当に皮肉なことです。
それはさておき、私も中途志願で素人上がりのパン屋ですから、いつも自分の労働の代価をパンの値段に乗せることに躊躇がつきまといます。
本当はそんなことではダメだと思うのですが、自分で決めろと言われると、どうしても引いてしまいます。
また、自分ならその値段で買えるかということも、考えてしまいます。
まあそれでも、三度のご飯が食べられれば、十分成功と言わなければなりません。
あとは何が出来なくても、自分で選んだ道ですから仕方がないと思っています。
はっきり申し上げて、その道に長くいた人たちが希望を捨てた仕事を拾って上手く行くかどうかは、よほど難しいと言わなければなりません。
意欲だけではどうにもならない現実があります。
職人志願、そして農業志願もそうですが、一番大事なことは、その仕事が掛け値なしに好きだということでしょうね。
あとはそこに、崇高な理念があればさらに強い力になるのだと思っています。




追記 計らずも、私の知人のブログの昨日の記事とシンクロしていましたのでご紹介します。 <bakubaku
    

ムカデ

今朝目が覚めて起き上がると、背後で「パタッ」と畳の上に何かが落ちる音がしました。
「ムカデ!」と思って振り返ると、12~13cmくらいのヤツがいて、突然身を隠す場所のないところに落下したものですから、右往左往しています。
と、やにわに布団に向かって突進して来たので、あわてて布団をずらし、武器になるものを探しました。
気の利いたものは何も無く、空のCDケースが目に入りましたので、それを手にムカデを潰しにかかりました。
けっこう手こずりましたが、何とかやっつけてゴミ入れに放り込みました。
ムカデは、毒虫の中ではなかなか強力で、大人はともかく子どもでは命に関わることもあります。
彼らは、梅雨が始まる前に床下から這い出して天井裏へと移動し、卵をかえして一夏過ぎるとまた床下へと戻って行きます。
たいていは外壁と内壁の間を移動しているのですが、時々部屋の中に紛れ込んで来るヤツがいるわけです。
そして気づかないうちに、布団の間とか衣類の間にもぐり込んでいることがあるので、始末が悪いのです。
我が家でも、息子の一人がムカデに刺されたことがあります。
ここの集落の人にも聞きましたが、夜中に顔の上をムカデが這って行ったなんてことが、ちょいちょいあったそうです。
田舎は、空気も水もきれいだし、古民家住まいは田舎暮らしの醍醐味ですが、たまにはこんな危険もひそんでいるのですね。
それでムカデで思い出したのですが、生きたムカデを油に漬けておくと、火傷をはじめ何にでも効く傷薬になるそうです。
もうずい分前のことですが、茨城の友人宅でムカデが出て、友人は常々その傷薬を作ろうと思っていたので、「油!油!」と叫ぶや、生け捕りにかかりました。
居合わせた友人たちも合せて、大の男4人で大捕り物になりました。
奥さんは、小さい子ども達を隣の部屋に移すと、台所からジャムの空きビン
に油を満たして駆け戻って来ました。
本当は胡麻油がいいのだそうですが、この時は無かったので菜種の一番絞り油でした。
棒切れで潰さない程度に押さえつけて、薪ストーブ用の火バサミで挟んだまでは良かったのですが、そう易々とビンの中に入ってくれるわけはなし、あちこち油を撒き散らしながら悪戦苦闘して、最後はワリバシで掴んでビンの中に押し込み、スカさずフタをして一件落着となりました。
3ヶ月くらい後で再訪の折、見せてもらったら、少し黒ずんだ色になっていて、中に油でふやけて少し大きくなったように見えるムカデが沈んでいて、ちょっと気持が悪かったです。
でも、友人は「すごく効くんだよ!」と言っていました。

Sisters’ Small World / 娘たちの手仕事





我が家の娘たちが、小さい頃からずっと続けている手仕事があります。
針と糸と布切れさえあれば出来る、素敵な手仕事です。
上の娘は、8歳の時にクリスマスのプレゼントで針箱が手に入り、以来ずっと針を持ち続けています。
この子は、もっとずっと小さい時、かあさんが針と糸で何でも作ったり直したりするのを、横に座ってじっと見ていました。
後で聞いたのですが、その頃から、縫い物がしたいと思っていたそうです。
願いが叶って針と糸を持ち、先ずやったのはお人形さんたちの洋服作りでした。
本当に自分や家族が着るものを作る前の練習だと思っていたそうです。
そんなお姉ちゃんのすることを見ていた下の娘は、もう5歳にならないころから針を持ちたくて仕方がありませんでした。
でも、ちょっと危ないので我慢させていましたが、6歳の時にお姉ちゃんに手ほどきしてもらって解禁となりました。
それからは二人で、縫い物だけでなく編み物も始め、パッチワークキルトや刺繍へと、どんどん楽しみを広げました。
お人形さんたちの持ち物などもいろいろ作るうちに、素敵な小物が沢山出来るようになりました。
そしてついに作品が、我が家に訪ねて来るお客様たちの目に留まり、売って欲しい、もっと作って欲しいとご要望をいただいてしまいました。
昨年あたりから、試しに販売したところ好評で、今年はグループ展に誘っていただくという幸運に恵まれました。
この秋11月下旬の計画です。
(詳細は、改めてお知らせいたします。)




ところで上の娘は、最近ミシンも習いましたが、手縫いの速さでものごとが進む気持にこだわって、手縫いを続けています。

続2・セルフヒーリング

今日は定休日ですので、自分自身のメンテナンスをしようと思い、ゆっくり休むことにしました。
このブログも休もうかと思いましたが、休息をテーマに書いてみようと思い立ち、デスクに向かっているところです。
昨日は気持ち良く歩いて、疲れて、早めに床についてグッスリ眠りましたが、今朝起きて動き出した時、ほんの少しの違いなんですが体が重いような気がしました。
昨日の疲れというよりも、これはここ数年間私が置かれている状況を反映した状態だと思いましたので、朝食の後まず河原に行って、石の上に座って過ごしました。
歩いて歩けなくはないのですが、爽快感がないので、帰って来てからちょっとの間横になっていました。
その後、用足しに車で出かけましたが、妙に気持が落ち着かなくてイライラしてしまい、帰って来るとどっと疲れていました。
ここでこのまま休もうか、少し体を動かそうか迷いましたので、自分の体に聴いてみました。
そうしたら、体は動きたがっているという感じがしましたので、散歩に出ることにしました。
ちょうど夕方で、暑さも引いて楽な条件でしたが、初めのうち足が重かったのでとにかく足が嫌がらないペースで、ゆっくりゆっくりと一歩ずつ地面に足がつく感触を確かめながら進みました。
時間はかかりましたが、結局4kmくらいは歩けたと思います。
最後の方は、少しペースも上がっていました。
この判断が良かったのか、首筋から肩にかけての重ったるい感じがとれて、ずい分楽になりました。
お腹も空いて、夕食が待ち遠しく感じられる時間をすごしているところです。

暑い一日、久しぶりのロングウォーク



ここ何日間か暑い日が続いています。
お彼岸も近いというのに、真夏に戻ったかのようです。
今日は先ず、思いがけないお客様の来訪で一日が始まりました。
連れ合いの大学時代の同級生が、33年ぶりに顔を見に、現在お住まいの新潟から訪ねて来てくださいました。
お話の中で、私たちが会津にいることを伝えてくれていたのは、もう一人別の同級生だったことも分かり、にぎやかに嬉しそうにおしゃべりする声が作業場の方まで聞こえていました。
歓談に花が咲いているところへ、次にご来店くださったのは、何と、喜多方の市街地からここ相川まで、山越えの道を二時間かけて歩いて来た方でした。
よりによってこんな暑い日に、もう見るからに汗だくでしたが、気持ち良さそうにも見えました。
この方、日常生活から車を廃してしまわれたそうで、いつもは交通機関を利用するか、歩くかだそうです。
食工房は、歩いて来れる範囲に入っているということなんでしょうか!?
帰りも同じ道を?と訊ねたら、ちょっと考えてから、今日は山都駅まで歩いて、列車で帰りますとのお返事。
この暑さでは無理もありません。
皆さんがお帰りになった後、私もオーブンの前でたっぷり汗をかきましたが、汗かきついでにもう一回思いっきり汗をかこうと思い、先日夏バテの後に重たい体を引きずって歩いた8kmのコースを、一回りして来ました。
おかげさまで今日は、先日に比べたらずっと軽く歩いて来られました。
帰り道、近所の高校生の男の子が、ランニングで追い抜いて行きましたが、後姿を見て正直羨ましかったですね。
本当に無理のないフォームで、気持ち良さそうに楽そうに駆けてゆくのです。
でも、私が歩いている気持良さも同じなんだと思うと、ずっと足取りも軽くなりました。
かくして、暑い一日もあと少しで終わりです。

百姓百品、百の姓


以前、農家の友人に「農業と百姓は違うんだよ。」と言われたことがありました。
話を聞いてなるほどと思った私は、以来、人にもそう話しています。
農業は、田畑で作物を作って収入を得る、職業の一つという捉え方、百姓は、田畑で作物を作る他生活に必要なものごとは、ほとんど何でも自分で間に合わせる術を身に付けていて、それを実践している、言わば暮らし方、生き方のことを指しているのだというのですね。
ところで私が子どもの頃、まわりには沢山お百姓さんがいました。
今思い出してみても、本当に何でも出来る人たちでした。
田畑で米や野菜を作ることは言うに及ばず、みそ、しょうゆ造り、豆腐造り、漬け物など食品加工に始まり、山に入れば木の伐り出し、炭焼き、狩猟採取、家の内外ではわら細工、竹細工、家の修繕、道路の補修、機械や道具の手入れ等々、上げればキリがないほどいろいろなことをやっている風景が記憶に残っています。
家の普請も、大工に任せきりということはなく、棟上げなど大きな仕事は村人が多勢手を貸して、自分たちでやっていました。
ですから、物置や家畜小屋などは、自分で建ててしまう人がいくらでもいましたし、石垣の積み方でもコンクリートの打ち方でも、皆良く心得ていました。
「百姓百品、百の姓。」と言うそうで、「何でもやるのが百姓さ!」とその友人は言ったものです。
事実、彼は、自分の家を自分の手で建てましたね。
しかし、高度経済成長のかけ声を聞いてからというもの、お百姓さんたちは次々とお金をもらえる仕事に就くようになり、燃料革命で石油やガスが薪や炭に取って代わると、山で仕事をする人はいなくなってしまいました。
プラスチック製品が安く出回るようになると、わら細工や竹細工で作っていた日用品も廃れてしまいました。
そして今この時代というのは、そうやって何でも出来た人たちが、次々とこの世を去りつつある時なのですね。
私などは、側で見たり話に聞いて知ってはいても、自分でやったことはない世代です。
忘れてはならないのは、今こんなハイテクの時代になっても、技術の最先端の現場では、人の手の巧みさや勘が頼りということがいっぱいあって、その伝承が十分なされていないことに、産業界は危機感を持っているということです。
こうした人の手の巧みさや優れた勘も、元の元を辿れば、どれも百姓百品の中の一つ一つから発達していったものです。
田畑の仕事を単なる職業の一つと捉え、経済的側面の評価にばかりさらすことは、農業を滅ぼす道であり、それはひいては産業を衰退させる道でもあることに、私たちはどのくらい気がついているでしょうか。

来ました!バージングランデ・スーパーボイア



昨日の発注で、もう今日の午後に届きました。
手早いですねェ。
今回は、60㎏正袋1bagを注文しました。
いやー、さすがに60kgは重いです!(ちなみに私の体重は、50kg justです。)
粉袋の25kg、米袋の30kgまでなら、肩に担いで歩けますが、コーヒー豆60kgは、私には持ち上げることも出来ません。
屈強そうな運転手さんに、荷台に上げるのは一人で?と訪ねたら、「いやいや、手伝ってもらいました。」とのこと。
そーですよね・・・。
でも、これで流通しているということは、こういうのをホイホイ動かしている人たちがいるってことですね。
二人で持ったって十分重いですよ。
家の中の置き場所まで運んで行くのに、娘たちと3人で、少しずつ持ち上げてはずらし、を繰り返しました。


さて今日はまた、Cafeに遠来のお客さまが見えました。
神戸と東京からお一人ずつ。
お二人とも、小川農園の関係の方でした。
神戸の方は、研修生の一人のお友達で、その研修生とご一緒に。
東京の方は、別な研修生のお母様でした。
ちょうど皆さんご一緒のタイミングでしたので、新しい豆をご披露しました。
ついでに他のサンプル一銘柄も比較していただき、やはりバージングランデが香りが良いという評価。
私の狙いは、どうやら外れてはいなかったようで一安心しました。


ところでもう一つ、Cafeスペースでは雑貨品の販売をしています。
以前、「価値あるモノ」という記事でもご紹介しています。<参照1><参照2>
今回、Blue Lace(黒田真理さんのファッションブランド)の、秋物新作が入荷いたしました。
丁寧な仕立て、ハイセンス、品質考えると十分お得な価格、一点一点手づくりの良さが輝いています。
この他、価値あるクラフト雑貨、多数展示販売しています。

☆Blue Laceの秋物新作の写真入りカタログ(pdfファイル)を、食工房のホームページ・雑貨の部屋(新設)にUPしました。

☆我が家の娘たちのクラフト小物、「Sisters’ Small World(仮称)」もスタートします。
11月に、会津若松市内でグループ展に参加します。


9.11 ・ 日本の青空

9月11日、忘れもしません。
アメリカで起こった、同時多発テロのことです。
あの日を境に、世界は変わったと言われています。
その少し前、21世紀を迎えたばかりの頃、世界はこれから「心の時代」に入るのだと言われていたことを、覚えておいででしょうか。
20世紀は、何より産業と経済が優先された、いわゆる物質主義の時代でした。
前半の50年間に植民地支配が頂点に達し、後半の50年間にはそのほとんどの国々が独立しましたが、見方を変えれば、武力による支配から経済による支配へと形を変えただけで、先進国との間の不公平や格差は広がる一方でした。(今でも、それは一向に解消されていませんが・・・。)
そんな20世紀への反省を込めて、新しい世紀に期待する雰囲気が流れていたことは確かです。
しかし9.11を境に、世界は怒りと憎悪に満ち、ヒステリックになってしまいました。
報復を是認する空気が流れ、アフガン戦争が始まりました。
そして、その後のイラク戦争へ・・・。
よりによって21世紀が始まったばかりの時に、どうしてこんな惨劇が起こらなくてはならないのか、その不条理さに絶望感を禁じ得ませんでした。
「心の時代」なんて、所詮甘いはかない夢でしかなかったと言わんばかりに、その後の世界は熾烈な競争へと駆り立てられ、暴走を始めています。
私たちが、本当に「心の時代」に入るためには、もう一段階厳しい試練をくぐり抜けなくてはならないのでしょうか。


そんなことを思いながら、この忘れることの出来ない日の今日、連れ合いと二人で「日本の青空」という映画を見ました。
終戦直後の日本で、新しい憲法が作られた時のことをドラマ化したストーリーですが、それは決して政治家たちが言うような、「押し付け憲法」などではなかったことを訴えていました。
今、憲法改正の空気が濃くなりつつありますが、どんな憲法をどのように変えようとしているのか、それを知るために、日本国憲法の全文に目を通すくらいのことを、私たちは国民の一人として、当然しておかなくてはならないと思いました。

<日本国憲法全文を読めるサイト>

真実はどこに・イラク発

私は、自分のニュースソースを持つよう、いつも心がけています。
そのために少しでも時間があれば、インターネット上を検索したり、本を読んだり資料に触れたりしています。
私は、ジャーナリズムの言うことを鵜呑みにはしませんし、と言うより、ほとんどの場合信用していません。
例えばイラク戦争のことについて、アメリカの公式発表や日本政府の公式発表など、私は本当だとは思っていません。
それでもそれらをつぶさに見聞した上で、私は別な情報源を探します。
例えば今、つい先日までイラクの首都バクダッドに住んでいた一イラク人女性が、日々の様子を綴ったブログを読むことが出来ます。
イラク戦争が始まって間もない頃から、ずっと今まで発信し続けられているこのブログ、一体どんな環境でどうやってインターネットにアクセス出来ているのか、詳細は分かりませんが、こんな奇跡のような情報源に触れられるのは、まさにインターネットのおかげです。
そして、私がそれを日本語で読むことが出来るために、活躍してくださっている貴重な方々の存在も、忘れるわけには行きません。
TUPというグループに、40人余の翻訳家がボランティア登録し、イラクから、また世界から発信されて来る、イラク戦争や世界平和に関するレポートを日本語に翻訳し、無料で公開しています。<TUPへのリンク>
さて、そのイラク人女性のブログ「リバーベンドの日記」は、今年4月30日を最後につい先日まで途絶えていました。
その最後の記事には、いよいよバクダッドの生活に見切りをつけ、国外に脱出を決意したことが書かれていました。
どこに行くのか、どうやって行くのか、無事に行けるのか、何の当てもないけれど、ここに居続けることはもっと絶望的なのだということが、ひしひしと伝わって来ました。
そして毎日の悩みは、一人一つと決めたスーツケースに何を入れて行くかと言うことだったと・・・。
自分たち一人一人の生命より大切なものはないと分かっていてもなお、この写真は、あの日記は、人形は・・・、そんなことが頭を悩ませるなんて、と彼女は述懐するのです。<4/30の記事へのリンク>
そして、丸3ヶ月間途絶えていたそのブログに新着記事が届いたのは、9月6日のことでした。
ほとんど毎日のように安否を気にしていた私は、それを一気に読みました。
そこには、辛い別れを押して、命がけの脱出行を試みた経緯が、詳しく書かれてありました。
これから先のことはまだまだ大変に違いないけれど、その文面に、遠く日本でそれを読んでいる私でさえ、「よかった・・・!」と声を上げずにはいられませんでした。<9/6の記事へのリンク>

さて、イラクの厳しく恐ろしい現実を伝える情報源は、まだ他にもあります。
信憑性が高く、且つ良心的な情報源として、もう一つご紹介しておきます。
<イラク情勢ニュース/URUK NEWS>

それにしても、公式に伝えられるニュースとこうして伝わって来る草の根情報とのあまりの相違に、そこから何を読み取るか、それが一番肝心だと思っています。

気むずかしい顔

他ならぬ私の顔のお話しです。
写真の方は、ご勘弁いただきます。
昨日、娘に仕事をしている時の写真を撮ってもらったのを見て、改めてその気むずかしそうな表情に唸ってしまいました。
連れ合いにもよく言われるのです。
この前ある雑誌の取材を受けた時、担当の女性が後になって「実は、ご主人がとても気むずかしそうに見えて、お話を伺えるかと心配だった。」と漏らされました。
一度話が始まれば、何の屈託もなくおしゃべりしますし、ユーモアも交えるので拍子抜けされたようです。
それでその気むずかしい顔、ちょっと弁明させていただきますと、たいていは仕事に集中している時の真剣な顔なんです。
前に、「文学系理論家と工学系ロマンチスト」というタイトルで自分の性格のことに触れましたが、私は、モノに向き合う時は本当に集中してしまうんです。
骨身が削れて行くのが分かるくらい、物凄いエネルギーを使っています。
そんな時にお客さまが見えると、頭の切り替えが間に合いません。
皆さんはどうだか分かりませんが、私には手が放せない瞬間というのがしょっちゅうあります。
よく冗談交じりに言うのですが、「今はダメだよ!親が死んだって言われても止められないよ!」と、そんな時はきっと誰も寄り付けないくらい恐ろしい形相なんでしょうね。
あと一つ私には、対人緊張症的性格がありますね。
子どもの頃、物凄く人見知りが激しく恥ずかしがり屋で、親をほとほと困らせたそうですが、大人になってからは人と出会うことに緊張感は無くなったつもりでした。
しかし今頃になって、「三つ子の魂、百まで。」と言うように、やっぱりそういう性格が潜在していることを自覚するに至りました。
まあ、そんなわけですから、このブログをお読みになった方は、ご来店の時に私が気むずかしい顔をしていても、あまり気になさらずにお声をかけていただければ、大変ありがたいと思っています。