高野通信」カテゴリーアーカイブ

こうしてブログを書きながら

こうしてブログを書きながら時々思い出すのは、ニ三十年前、小さな通信を発行するために、白い紙に手書きで文字書きをしたり、切抜きした絵を糊付けしてレイアウトをこしらえていたことです。
当時は、タイプライターが写真植字に取って代わられた頃でしたが、その数年後にはワープロの出現でまた新しい時代が始まりました。
昔は、個人が印刷物を出すというのは本当に大変なことで、印刷所では最低でも千部単位の仕事しかしてくれませんでしたから、個人の印刷物はガリ版と呼ばれる謄写印刷に頼るしかありませんでした。
それを思うと、今はほとんど完璧と言えるほど何でも出来るのですね。
画面を見ながら文字を打ち込み、間違えたら何度でもどのようにでも訂正出来るし、フォントも多彩、イラストや写真も白黒どころか、フルカラーの高精度な画像を自在に挿入出来ます。
そして安いコストで、すぐにその場で印刷物を1部でも2部でも、欲しいだけ印刷することまで出来てしまうのです。
さらに、情報は印刷という手法から解き放たれて、インターネット上でも展開し始めています。
こんなことは、ニ三十年前には、頭の中に想い描くことさえ出来ませんでした。
わずかニ三十年の間に、これほど大きく変化したものは他にあまり例がないのではないでしょうか。
そしてこの情報伝達の変転は、人と人のコミュニケーションの在り様を変えようとしています。
話しが少し飛躍しますが、可能性として、世界が一つになれるチャンスに向かい合っている時代かも知れません。
そういう意味で、今私たちは大きく試されている状況だと、私は思っています。
さて、そんなありがたい状況に感謝しながら、私は、昔発行した印刷物を引っ張り出して、スキャナーで取り込み保存する作業を、暇を見つけては少しずつ進めています。
それにどのような意義があるかないか、今はまだ語れませんが、それを出来ることがありがたく幸せに思える私です。

 本日の食工房
今日は月一回の「カフェクラブの集い」を開催しました。
7名の方のご参加をいただき、今回はコーヒーのクールメニューを試しました。
アイスコーヒー、コーヒーゼリー、コーヒーアイスクリームを召し上がっていただきましたが、最後はやはりホットコーヒーで締めとなりました。
納得の行く結論、というところでしょうか。
さあ、来月は「真夏のカレーパーティー」です。

続・画面と紙面

先日、「やっぱり手書きの力はすごいな!」と思わせてくれる、1枚の通信が届きました。
B4版片面のみのその通信は、端から端まで完全に手書きそして手描きの、文字と絵で埋められていました。
いかに手書き風フォントが沢山あると言っても、本当の手書きは決定的に違います。
それを紙に印刷(コピー)して見せられた時はっきり分かったのです。
そこからは、それを書いた時の状況やその人の気分までもが伝わって来るのです。
ちょっとした文字の乱れや線のかすれ具合などは、その文字の意味以上の情報を伝えることもあるのですね。
一方ブログの画面で、私はレイアウトをあれこれ考えて作成していましたが、見る方のブラウザの設定によって、全然意図したものとは違って見えることが分かり、ちょっとショックを受けました。
フォントも変えられないし、結局、文字は文字以上の役割を果すことはあり得ないということなのですね。
だとしたら、ブログの魅力って何なのでしょうか。
やっぱり速さでしょうか。
情報が伝わる範囲の広さでしょうか。
あるいはまだ他にもあるでしょうか。
私にとっては、印刷物を発行すること、手紙を書くこと、電話をかけること、ファックスを送ること、それぞれの役割の一部分を兼ね備えている、というのがブログの魅力です。
さてまたその印刷物の話しに戻りますが、私は、何とかしてそれをこのブログ上かホームページ上に載せて、皆さんに見てもらえないものかと考えたのです。
方法はないことはないのですが、スキャナのサイズが足りなくて取り込めないことが一つの理由、あとは、それを封筒から取り出した時の感激までは再現出来ないということもあると思い、止めることにしました。
ブログにはブログにしか出来ないことがあるはずですから、それを活かし切るようなブログを発信出来るようになれればいいのですね。
ところで「高野通信」は、2月に10号を出して以来すっかり間が空いてしまっています。
ブログやホームページにエネルギーを取られているからということはもちろんありますが、ブログを発信するようになったおかげで、私にとって印刷物の持つ意味が整理されてより明確になり、軽々しく出せなくなってしまったことが一番大きな理由です。
楽しみにしていると言ってくださる方もいらっしゃるのですが、もうしばらくお待ちいただきたいと思います。

地球は動いている

今日は定休日、このところ少しオーバーワーク気味だったので、朝は思い切り寝坊しました。
そして、久しぶりにまた河原へ・・・。
先日は
大雨で増水していましたので、その後河原の様子はどんなだろうかと見に行ったのです。
河原の大石に作っておいたマスクは、当然のこと全部顔なしになっていました。
そこでまた思い思いに顔を作り直して来ました。
それより驚いたのは、河原の様子がずい分変わっていたことです。

全体として見ればそれほど大きく変わったわけではありませんが、部分的に見ると今まで河原だったところが流れの底になっていたりして、一体どれほど大量の土石が移動したのだろうと、水の力、自然の営みの巨大さを想わずにはいられませんでした。
そうです、一見不動のように見える大地も、とてもダイナミックなのですね。
「地球は動いている。」今日はそれを実感しました。


7月になった今でも、所々白く雪が残っている飯豊の山も、何十万年あるいは何百万年後には、なだらかな丘陵地帯になっているのでしょうか。
今日は用があって出かけましたが、車中ずっと、何万年前から何万年後といった現実離れした時間を想像しながら、会津の風景を眺めていました。

農業志願

私は、以前から農業志願あるいは田舎暮らし、あるいは自給自足の生活を志向する人たちに、度々出会って来ました。
我が山都町には小川光さんという方がいて、大変積極的に農業志願の若者を、自分の農園の研修生として受け入れています。
今年も数人の農業志願の若者が研修中です。
さて、農業の大切さは今さら言うまでもないと思いますが、一方で日本の農業の置かれている現状は大変困難な状況であるのも確かです。
それは、大方の既存の農家の子弟たちが後を継がない選択をしていることからも明らかです。
そこへ、都会から農業の現実などおよそ知らない若者が次々とやって来て、大胆にも次々と入植するのを、私はここ20年くらいずっと目の当たりにしています。
かく言う私も、阿武隈の山中で真似ごとをやっていました。
成功した人もいれば、挫折して離農してしまった人もいます。
それぞれ理由は様々ですが、そもそもこの国の経済社会の仕組みは、農業には厳しい環境だと思います。
そう言うと、農家は優遇税制と補助金で甘やかされているじゃないかという意見も出て来そうですが、現実がそんな甘いものではないことは、側で見て来た私にはよく分かります。
ましてや自分の土地を持たない人が、これから農業を始めようという時、一体どんな道があるのかと思います。
農業志願の若者の現状にもいろいろあって、今は、その生の感想や意見をブログやホームページで見聞することが出来ます。
皆さんにもぜひ見聞していただきたいと思います。
この若者たちが何十年か先に、日焼けした顔で「農業やってて良かったですよ!」と言ってくれるような世の中になってなかったら、もうこの国もおしまいだと私は思っています。
 参考リンク
こみけんぶろぐ 現在研修中の若者のブログ
小川農園のホームページ 研修生が作ったホームページ 他にオフィシャルページもあり
akiraとnaoの田舎暮らし 入植準備中の若者夫婦のブログ
幡谷自然農園日記 入植14年のベテラン農家
とりのさと農園 入植25年の大ベテラン、草分け的存在
あるがまま舎 九重町 自給的暮らしを目指して活動している方のブログ

マイブログ中間報告 VOL.2



3/27スタートで、今日で3ヶ月が満了です。
書き始めの頃は、ネット上で見かけたブログ炎上の話題などにビビって、コメントを原則非公開にしたり、怖々手さぐりという感じでしたが、コミュニケーションツールとして役に立てるためには、そんな対応では意味がないと悟り、その後はコメントはオープンです。
そして毎日更新は、今も課題としていつまで続けられるか、やってみようという感じでいます。
ブログは、音楽で例えるなら生演奏みたいなものですね。
そしてまた後に残って行くものでもあるし・・・。
その時その時に、面白くあるいは興味深く読んでもらえて、尚且つ時にはふり返って読まれるようでもあれば、それはもう理想ですね。
ところで、ほとんど公開しないので皆さんはお分かりになりませんが、トラックバックというものがしょっちゅう送られて来ます。
だいたいコメントの数の2、3倍はあります。
この間は、「トラックバック送信代行します。」というトラックバックが何件か送られて来ました。
言わんとすることはよく分かります。
「あなたのブログのアクセスアップに貢献します!」というわけです。
で、そのサイトを訪ねて説明を読んでいるうちに、訳が分かって来てしまいに腹が立って来ました。
だってトラックバックは、この前も申し上げましたが、他人の家の玄関先に自分ところの広告ステッカーを貼り付ける行為なんですから、貼られた方にはこれといってメリットは無いのですよ。
相手が自分にリンクを貼ってくれて、コメントも送ってくれるなど、礼儀を尽くしたトラックバックなら大いに意義がありますが、一方的なものは私は即刻削除しています。
アクセスアップの正攻法は、ただひたすら真面目に記事を書き続けること。
コメントをいただいたら一回一回必ずお返事すること。
あと一つは、他人のブログにコメントを送ること。
私はそう思っています。
さて、この次にはもう少し面白い中間報告が出来るかも知れません。お楽しみに。

ランプの灯りと暗い夜

皆さん、灯油ランプの明るさがどの程度のものかご存じでしょうか。
そうですね。お部屋の照明器具に付属している常夜灯くらい、と言えばお分かりいただけると思います。
私は4年ほど前まで、家族と共に、電気も電話も引けない阿武隈の山中で、14年余りの間山暮しをしていました。
後に太陽光発電を取り入れるなど、ハイテク化も果たしましたが、当初はもちろんその後もずっと、夜は大方ランプの灯りで過ごしました。
家の中に、せいぜい一つか二つしかない灯りの下に、家族がいつも集まって額を寄せ合って、本を読んだり絵を描いたりして過ごしていました。
それで面白かったのは、ランプの灯りは色が赤っぽくて物の色が正しく見えず、描いた絵の色が朝になって見ると、全然違う色だったりしたことです。
色鉛筆は、色の名前を確かめてから使わなくてはなりませんでした。
そんな家の中から一歩外に出ると、まさに真っ暗な夜でした。
頼りないランプの灯りが、カーテン越しに漏れて来るのさえ、明るく感じられます。
目が慣れて来ると分るのですが、晴れた夜は星明かりでさえ、わずかに地面を照らしているのです。
太陽とは違う、遠い宇宙の彼方の星に照らされている地上は、まるで別世界です。
そして月が上れば、外を歩き回るのに何の不自由もありません。
ましてや満月の夜は、すべてがモノトーンに青白く輝いて、これまたこの世のものとは思えない風景です。
草も木も、動物たちも虫たちも、眠れないでいるのがよく分かります。
それが月もなく曇った夜には、自分の指を鼻先で動かしても全く何も見えないほど、完璧な闇となります。
夜行性の動物たちでさえ、じっとしているようです。
そして、夜の闇には不思議な安心感があるのです。
母なる地球を、最も身近に感じられる瞬間です。
祈る気持ちは、どこからともなく自然にわき起こります。
街では、街路灯の灯りが安全を保障していることは、否定しようもない事実ですが、私には、人々が月光を愛で星に祈る心を失ってしまうことの方が、ずっと恐ろしいことに思えます。
ちなみに、今日は夏至です。
アースデイというイベントがあちこちで催され、電気を消してローソクを灯して過ごすそうですね。
そう言えば14年間、ローソクにもずいぶんお世話になりました。
最後にまた話が飛びますが、かのフィンランド、国民一人当たりのローソクの消費量が世界一だそうです。









電池切れ!?

よく、疲れが溜まると言いますが、私の場合は、電池切れという感じを味わうことが多いです。
同じことを言っていると思われるかも知れませんが、ちょっと違うのです。
私の場合、何かやっている時、疲れるより先にエネルギーの補給が追い付かなくなるというか、燃料切れというか、要するに電池切れ状態になって止まってしまいます。
人間にもいろいろなタイプがあると思うのですが、私は例えて言うなら、極限まで軽量化したレーシングカーみたいな造りだと自覚しています。
エンジンは良く回るし、走りもいいけれど、軽量化のおかげで燃料は少ししか積めない、長い時間走ることは出来ないわけです。
おまけに、高速道路がなかったら、その能力も役に立ちませんね。
自分の性格を省みても分るのですが、私は、何をやる時でも手早くこなすことに全力を注ぐ傾向があるのです。
ものごとが順調な時は素晴らしく成果が上がりますが、いったんつまづくとこれまた物凄い速さで消耗してしまい、しばらくは立ち直れません。
ゆっくり加減しながらやれば良いだけのことかも知れませんが、これをまた別な例えをすると、私は飛行機で言うとジェット戦闘機みたいなもので、ゆっくり飛びたくてもスピードが乗らないと失速してしまうのです。
それでも年の功というのでしょうか、あとどのくらい持つかが冷静に分かるようになりましたので、危ない時には最初から手を出さない判断も出来るようになりました。
それにしても、家族も含めて私の傍にいた人は、とうていついて行けないスピードに煽られて、さんざん迷惑だったことでしょうね。
反省してます・・・。

おたまじゃくし



今日はまた定休日というわけで、川の方へ散歩に行きました。
途中、田んぼの苗が見事で美しいので立ち止まり、それからしばらくおたまじゃくしを眺めていました。
じっと眺めていると、自分もおたまじゃくしの大きさになって、水の中にいるような気分になって来ます。
苗の列は、森か林か並木のようです。
他にもいろいろな生き物がいて、わずか10㎝かそこらの深さの水の中も一つの世界なんだなと実感出来ます。
おたまじゃくしの動きは、いつまで眺めていても飽きることはありません。
でも、とても臆病で用心深いので、ちょっと不用意な動きをすると、たちまちどこかに隠れてしまいます。
ところで、おたまじゃくしの体に渦巻き模様があるのをご存知ですか。
うちの子ども達は、もうずい分前に発見して面白がって、ゆかいなイラストを沢山描いていました。
模様は腹の側にあるので、捕まえてひっくり返さないと見えません。
長女が言うには、これは体の表面の模様ではなく、体の中にある器官(多分・・・)が渦巻き状に見えているのだそうです。
それがかわいく見えるので、何度も捕まえてはひっくり返して見ていたのだそうです。
話が飛びますが、カエルの方はとうに人気者で、いっぱいキャラクターがありますね。
私などは、コルゲンコーワのカエルさんが大好きで、コレクションしていたこともあるのですが、こうして見ると、おたまじゃくしもキャラクターになりますね。



ちなみに喜多方市には、カエルグッズのコレクションを展示しているギャラリー「百年カエル館」があります。
なかなか見応えのあるギャラリーです。
そしてそこが発行している「かえるタイムズ」というニュースペーパーがまた揮っていて面白いです。
こちらは、また別な機会に詳しくご紹介いたしましょう。

地球の一部



今日は定休日、久しぶりに川に下りて行きました。
そして河原で石ころを眺めて過ごしました。
別にどうってことのない、ただの石ころです。
確かなことは、何年か何十年か前、この石ころはここよりかなり上流にあったということ。
何千年か何万年前は、この奥の飯豊山の一角の、岩の一部だったということ。
何億年か前は、そこは海の底か別な大陸で、厚い地層の一部だったということ。
そして昔も今も、地球の一部だということ。
こんなことを考えながらぼんやり過ごしていると、自分の中で何かが生き返って元気を取り戻して来るのが分かります。
気がつくと、いつの間にか顔がほころんでいます。
空にはお日さま、大地に緑、河原に石ころ。
そうでした。
私もまた、生きている今も、死んで朽ち果てて後も、地球の一部・・・。
癒しは、いつも足下に。


トラックバックという代物

ブログがすっかり普及して、誰でも気軽に始めるようになりましたが、皆さんトラックバックのことをどう理解していらっしゃるのでしょう。
私は、つい最近まで良く分かりませんでした。
自分がブログを始める前、他人のブログを見てコメントを書き込んだこともありましたが、トラックバックの方は、さっぱりわけが分かりませんでした。
「トラックバック」というその言葉から、何かその記事に関連するものがあるのだろうと思って開くと、別なサイトに誘導されて、それでも何かあると思っていますから、あちこち検索して見るのですが、関連する記事も元のブログへのリンクも何も見当たりません。
多分、自分のブログを持っている人だけに関係しているのだろうと、それからはトラックバックには触らないことにしていました。
それから自分でもブログを書こうということになって、コメントやトラックバックに関する設定を求められたわけですが、やっぱりトラックバックのことは今一つ理解出来ず、非公開要承認としました。
今になってやっと分かったのですが、トラックバックは本来考えられたような目的に使われることは稀で、ほとんど特定のサイトへ誘導するための道具になっているということです。
これは例えて言うなら、他人の家の玄関先に断りなく広告ステッカーを貼り付けるようなもので、スパム行為の一種と理解すべきものでしょうね。
たまに怪しげなサイトのトラックバックを削除もしないでそのまま置いているブログを見かけますが、そのブログの信用や存在価値そのものを失ってしまうことになりはしないかと、他人事ながら心配してしまいます。
では本来の目的に適ったトラックバックとはどういうものか、私の友人でネットに関しては年齢に反して大先輩のtakさんが私の記事にトラックバックを送ってくれていますので参照して見てください。
その1 5月3日「阿武隈・飯豊酵母」 <参照>
その2 6月6日「コーヒーから見える世界」 <参照>
この二つの記事からトラックバックを開いて見てください。
どちらのトラックバックを辿っても、そこにこちらの記事に関連のある記事が書かれてあり、本文中にこちらの記事へのリンクも貼られています。
つまり、トラックバックを使って、お互いの記事の価値を高め合う効果が期待出来るわけです。
トラックバックは相手からのリンクと同じ効果があるので、検索エンジンに見つけてもらう作戦として積極的に受け入れている人もいるかも知れません。
私は、そんな方法に頼らずこつこつと出来るだけ毎日、記事を書き続けるのが一番だと思っています。
そのあたりに関するtakさんの秀逸なる記事<参照>がありますので、皆さん是非ご覧ください。