土佐ネタ日記」カテゴリーアーカイブ

いよいよ最終日です。

本日は、帰途につくための準備に追われますので、おみやげ話の続きはまた後日に。
一週間の休暇をもらったようなものではありましたが、結構忙しく過ごしました。
明日からまた仕事に復帰するために、気持ちの切り替えをしておかなくてはなりません。
これから当分、目の回るような忙しさに振り回されることになりそうです。

この一週間、店主不在にも関わらずご来店くださいましたお客さまには、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

一夜明ければ東京、そして会津へ。何だか不思議な感じがしています。
ではでは、また明日。

cafe MISSY SIPPY

今日は、生まれ故郷の土佐町へ。
おみやげ話が沢山あるので、先ずはその1


一昨年も訪れて、このブログでもご紹介したことのある「ミシシッピーカフェ」に行ってきました。
絵描きで、エッセイストで、ブルースシンガーという多彩な男、MOJO FUJI  <ENTER>
彼の店を写真でお楽しみください。



国道439号線・通称与作街道沿いに突然現われる
思いっきり場違いなCAFEの看板が・・・。



民家を改造、ペインティングまたペインティング。
何やら怪しげな入り口。



壁にも、トイレの窓にも、ペインティングまたペインティング。


 



ドアを開けて一歩踏み込むと、
「おおーっ!」と声が出てしまいます。
ブルーズ、ブルーズ



奥にあるこのテーブルが凄い!
来ると必ずここに席を取る私。
ボトルネックギターの唸りが聴こえて来るよう・・・。



ライブラリーにある本は、マニアックなものばっかり。
でも、面白いよぉーっ!



壁の絵が、彼が並々ならぬ絵描きであることを証明しています。
この作品、100万円の値札がついている。



深炒りコーヒーとチーズケーキ 750円
ものすごいボリュームのチーズケーキがとてもうまい!
お土産に差し上げたうちのスコーンも写ってました。


       SHOKUO SURPRISE

今年の7月、会津で FUJI のライブが実現しそうです。
乞うご期待!
追ってお知らせします。
 

港の土曜市・高知オーガニックマーケット and 太平洋


入り口からもう熱気が伝わって来る盛況ぶり。





手づくりジャムのお店 ・ ぽっちり堂
コーヒー屋さん ・ ポラリティーセラピー青空セッション


 




ステージ?では、ギターを抱えて弾き語りパフォーマンスをする人も。


 


今日は朝から晴天で、南国らしい明るい日差しに気温も上がって、絶好のお出かけ日和。
予定通り、高知港の一角で毎週土曜日に開催されている、「港の土曜市・高知オーガニックマーケット」へ行ってみました。

すぐ側が岸壁で、大きな貨物船のブリッジやマストが見えている風景の中で、小さいテント張りのお店が30軒くらいあったでしょうか。
こじんまりとした規模ではありましたが、会場の熱気は凄いものがありました。
出店者も若い人が多く、お客さんも赤ちゃんや小さい子ども連れのパパ、ママが多いなという印象。

このオーガニックマーケット、事務局のサイト<こちら>を見ていただければ分かりますが、出店、出品のガイドラインはなかなか厳しいものです。
この何より信頼を大切にする姿勢が、市民の関心を強く捕らえているみたいですね。
出入り口にはガードマンを配置して交通整理をするほど、ひっきりなしに車が出入りしていました。

肝心の知り合いのお店は、今日はたまたまお休みしたみたいで会えませんでしたが、代わりに新しい知り合いが何人も出来ました。
私の生まれ故郷の土佐町からは、先日木曜市でお目にかかった「ミレピ」さんも少し遅れて到着しましたが、待ちかねたようにすぐに行列が出来ていましたし、他に、「ぽっちり堂」という可愛らしい名前の焼き菓子工房も出店していました。

☆ぽっちり堂のホームページがあります。
<こちら>

それから奇遇だったのは、私が以前暮らしていた阿武隈の山の中の村にご縁のある人に出会ったこと。
お連れ合いがそちらのご出身だと仰る若い女性で、ポラリティーセラピーのお店を出されていました。

オーガニックコーヒーのお店も何軒もあって、それぞれカフェスタイルで豆の販売もやっていました。
全部ハシゴするわけにも行かず、一軒だけでしたがコーヒー一杯試しました。

知り合いがお休みだと分かったので、小一時間ほど滞在したでしょうか、それから会場の熱気を後にしました。
さて時間が余ったのでどうしようかと思いましたが、このお天気では太平洋を見ないわけには行かないという気がしましたので、一っ走り桂浜方面へ車を飛ばしました。



太平洋を南東方向に眺めています。
遥か向こうは、室戸岬・・・。



いつまでいても飽きないのが波うち際。
ぎりぎりまで前に出ては、慌てて駆け戻って来る楽しさ。



こんな面白い形の消波ブロックは初めて見ました。
写真では分かり難いですが、すごく大きなものです。



消波ブロックの間に入り込んで、中に積もった砂の上に座り込んでいました。
こんなアングルで眺める海が、想像力をかき立ててくれる気がして好きです。



桂浜はもう何度も訪れているし観光客もいっぱいいると思ったので、ちよっと外してあまり人の来ない浜辺に車を止めて、太平洋を眺めて過ごしました。
青い海原や打ち寄せる波を眺めながら潮騒を聴いていると、しだいに心が空になって来て、たまにはこういう時間が必要!絶対に必要と思いました。


それから今日は、母の89歳の誕生日。
暇にしているしかない私が、ご馳走の料理担当です。
明日は生まれ故郷の土佐町へ。

お墓参り and うまいコーヒー


お隣は鉄工所・・・。
プレス機の音が妙に違和感なく
響いていました。



食工房でも定番の、セラード樹上完熟が・・・。


 


今日は、父の墓参りに、高知市の東隣の南国市まで出かけて来ました。

すでにお話したと思いますが、私の両親はカトリック教徒で、墓は教会の墓地の中にあります。
十字架の墓石がずらっと並ぶ風景は、どこかそこだけ異空間のような雰囲気を醸し出しています。
至って質素、仰々しさの欠けらもない、全く安らかな眠りだけが存在しているような墓地です。

この墓地には、父の他にも私に縁のある方々が、何人か眠っています。
昨年亡くなったベルギー人の神父さまのお墓もありました。

私が小学生の頃初めて出会ったその神父さまは、その後もずっと高知で過ごされ、多方面でご活躍されていました。
大人になってからはずっと長いことご無沙汰していたのですが、私の妹が教会で仕事をしていたことから後年再会することがあり、差し上げた私の焼いた黒パンやシュトレン、ブラウニーなどを気に入ってとても褒めてくださったものです。
それがどれほど励みになったことか、今思い出してもありがたいご縁でした。

墓地の駐車場に止めた車の中で、それから一時うたた寝しながら、父のことやその神父さまのことなどを思い出していました。


帰り道、以前からインターネットで探し当てて気になっていた、自家焙煎コーヒー豆屋さんに立ち寄って来ました。

ネットで見てもう分かっていたのですが、真っ赤なディートリッヒのロースター(焙煎機)がひと際目立って光っていました。

ちょうど会津から持って行ったマイコーヒーが無くなったところだったので、どんな銘柄があるのかなと思いながらいろいろお話しているうちに、ブラジルの豆を一品いただくことにしてお願いしましたら、サービス品として別な銘柄のものも一品、小袋でおまけしてくださいました。

そうしたらそれが何と、食工房でも定番になっている「セラード・樹上完熟」ではありませんか!

急いで帰って、早速いただいてみました。
そうしたらまたまた、豆が同じなのですから当然と言えば当然かも知れませんが、うちのと本当によく似たテイストで更に驚き・・・。
食工房より少し焼きが強い分、香りが立ってとてもいい感じでした。


jun coffee のホームページは<こちら>



正直、これでまた少し自信を深めることが出来ました。
ディートリッヒのロースターで焙煎したものと、遜色ありませんから。


今回は、高知滞在中も次々、メールでうれしいご注文をいただいています。
帰ってからどれほどか忙しくなりそうです。
あと3日、こちらにいます。
明日は、オーガニックマーケットへ・・・。
ではでは。

木曜市


正統派ハード系のパンが並ぶ
「ミ・レ・ピ」という名のお店



高知城の天守閣から眺めた
木曜市の様子です。


高知では、江戸時代から300年の歴史を持つ「日曜市」が、全国的にも有名ですが、実は日曜以外にも市が立ちます。
昔は、一週間ほぼ毎日、それぞれ市内の決まった通りで、市が立っていたものです。

最近の様子は、ちよっと分かりませんが(まだよく調べていないので)、今日は県庁前の通りで「木曜市」があり、知り合いのパン屋さんが出店しているので行って来ました。

このパン屋さん、以前東京の「ル・ヴァン」で修行した経験のある方で、私の出身地である土佐町(以前の土佐村)の山奥で、ハード系の天然酵母パンを焼いています。
出身地なので現地のことは良く知っていますが、それはそれはすごい山の中なんですよ。
その代わり、水や空気など環境の良さは素晴らしいものがあります。
天然酵母の発酵にも、良い影響があることは間違いありません。

その山の中から、毎週木曜日に一時間半余りかけて高知市まで出て来るのはさぞかし大変だろうと思いますが、もうずっと何年間も続けているのですね。
午後に訪ねたら、もう大分売れて品物が少なくなっていましたが、それでも今日はペースが遅い方だと仰っていました。
と言うことは、それだけ人気があるんですね。

レーズンの入っているのとクルミの入っている、それぞれガッチリと皮の固いおいしそうなパンを買って来ました。


この木曜市、ざっと見たところ100軒近い店が並んでいます。
野菜、果物、乾物、加工品、パンにお菓子に、雑貨品まで、いろいろ揃っています。

一軒おいたお隣では、食工房でもおなじみの文旦を売っていました。
今の季節、文旦はもう何軒もの店が競って売り出していて、宅配便が市の現場まで集荷に来ています。
ちゃんとしたギフト用のものだけでなく、いわゆるハネものも格安で売られているのは、こういう場所ならではの計らいですね。

明日の金曜日も、市内の別なところで市が立ちます。
土曜日には、新しく始まった「オーガニックマーケット」もあるそうです。
出かけてみようかなと思っています。
そこにも知り合いが出ているらしいので・・・。

from 高知 1st.


出発時は雨模様でした。
ダブルデッカーの超巨大車体



途中、箱根の足柄サービスエリアにて。
すごい雪で、チェーンも無しでこれでよく走れるなという状態。
でも、さすがプロフェショナル、全く不安はありませんでした。


昨日は午後会津を発って、一路郷里の高知へとバスの旅でした。
途中東京を中継した折、毎回巡り合う面白い出来事が・・・。
東京駅の八重洲南口のあたりで、一時間余り暇をつぶしながらバスに乗りに次々とやって来る人々を眺めて過ごしていました。
すると、高知行きのバスに乗る人がやって来ると、「あっ!この人高知だ。」って分かるのですよ。
もちろん、話し言葉を聞くまでもなくパッと一目見た瞬間にです。
どうしてかと言われても困りますが、同じ四国でも松山などに向かう人とは違うと分かるのです。
そして時間が来て高知行きのバスが入ると、思っていたとおりの人たちが乗降口に集まっています。
そしてバスに乗り込んで、これまたいつも面白いのは、バスの車内だけ一足先にもう間違いなく高知なのです。
外は、大東京の喧騒です。
この瞬間が、私はとても愉快で好きです。
たまに乗務員の方も高知の人だったりすることがあって、そういう時は尚更です。
こんなグローバルな世の中で、表に出れば皆さんソツなく標準的な(NHKのアナウンサーみたいな)言葉を喋るのに、こんなところではローカル色が濃くて、庶民性や文化がいかに土地に根ざしているかということを思わずにはいられません。
かくして、一夜の車中泊の間に、無事に高知駅にたどり着きました。


本日は、実家にてPCとネットのセットアップに時間を費やしました。
画像の加工ソフトがないので、写真をアップ出来ません。
また明日以降に。
メールはこちらでも確認して、お返事差し上げています。

かたい豆腐


父が亡くなって以来13年間、だいたい毎年一回、高知の実家に出かけています。
高知に行くと、いつも決まってこの豆腐を買って来て食べます。
近くのスーパーマーケットで、当たり前に売っています。
そしてけっこう良く売れているみたいで、売り切れていることも珍しくありません。
写真で分かるとおり、パックに入っていません。
そのままポリ袋に入っています。
下の方に水分が、半分くらいしか溜まっていませんね。
袋から出す時は、上から鷲づかみして持ち上げても大丈夫です。
うちの長女は、包丁でこの豆腐を切る時、チーズみたいだと言ったものです。
かたくてキッチリ中身が詰まったこの豆腐、大豆の味をすごく濃厚に感じます。
それにかたいと言っても、決して食感が悪いわけではありません。
とにかくうまい豆腐です。
高知に居る間、ほとんど毎日、毎食、この豆腐を食べています。(まるで豆腐の食い溜め・・・!)
お値段は、たしか1個98円。
半丁と表示されていますが、十分普通のパック入り豆腐一丁分に勝るボリュームがあります。
私は、以前豆腐も手づくりしていたことがあり、約15年間、豆腐は買わずに自家製のを食べました。
大豆と天然ニガリだけでつくったその豆腐と、今高知でお目にかかるこの豆腐は、同じ味、同じ食感です。
かたくて中身が詰まっているということは、同じ豆腐一丁をつくるのに使う大豆の量がずっと多いということです。
当然、濃厚な味がするわけです。
揚げ出し豆腐などは、水切りなしでOKです。
ちなみに、この豆腐をつくっている豆腐屋のホームページがあります。リンクは<こちら>
念のため申し上げておきますが、高知の豆腐は皆かたいというわけではありません。
やわらかい絹ごし豆腐も売っています。

戦争の証言者






これが、8月13日の記事「戦争を語ってくれた人たち・その3」に登場した飯炊き釜です。<参照>
先日、高知の実家に出かけた折、写真を撮って来ました。
今は使っていなくて、押入れにしまってありましたが、きれいに磨かれていて何だか安心しました。
「フタもあるよ。」と妹が声をかけてくれましたが、この釜の本体を見ただけで感激してしまいました。
60余年前、東京の地でアメリカ軍の空襲に遭い、奇しくも焼け残った釜です。
母は、夜寝る前に、鍋釜の類には全て水を張っておいたそうです。
そのおかげで、フタは燃えてなくなったのに、釜だけは助かったわけです。
空襲の火災では、アルミの釜などひとたまりもなく溶けてしまったと言います。
後に、フタは新しいものを作ってもらい、ずっと家で使っていました。
何度も引っ越ししたのに、こうして無くならずに残っているのは、何だかとても意味のあることに思えます。
まさに、戦争の証言者です。

戦争なんて、永久にご免こうむりたいと思いますが、何だかこの頃、日本も世界も不穏な空気に満ち満ちているように思えて、とても気がかりです。
今も、アフガニスタンやイラクで、明らかに戦争状態が続いていますが、実際に銃弾が飛び交っていない国に暮らしていても、私たち世界中の人間は、ある意味で戦争当事者であることを自覚しなくてはならないのだと思います。
今こそ、戦争と平和について、深く、深く考えて見る必要があるのではないでしょうか。

  おしらせ
平和の象徴、憲法九条を守る会が、全国のあちこちで狼煙を上げています。
我が山都町にも「山都町九条の会」が発足し、活動を始めています。
会のブログも立ち上げられました。
皆さまにも、ぜひともご覧いただきたく紹介申し上げます。
ブログ「平和のつくり方新聞」へのリンクは<こちら>

土佐ネタ日記・タテタカコ編

映画「アルゼンチンばばあ」の主題歌を歌って、ちょっとはその名を知られることになった彼女、タテタカコのことを知った訳はこうだ。

長旅の果てに辿り着いた高知の実家で、夕方仕事から帰って来た妹が、いつものように、取り溜めておいてくれた新聞の切り抜きを、私の前に置いた。
一番大きめの一枚に、少年のような不思議な風貌の女の子の立ち姿の写真が載っていて、タテタカコとあった。
「フーン、そんなコ知らないなァ・・・。」と思いながら記事を読んで行くと、よく知った男の名前が出て来た。
藤島晃一、通称 Fuji と呼ばれていて、彼は、私の生まれ故郷土佐町のとなりの本山町で、Mississipi Cafe という名の、シブシブ、エグエグの南部系ブルースミュージックを聴かせる店をやっている。
そして彼自身、バリバリのブルースミュージシャンであり、絵描きであり、フォトグラファーであり、エッセイストでもある。
で、そのタテタカコがどうした?と思って先を読んでみたら、彼女は最近 Fuji のところに逗留し、アルバムを一枚レコーディングしたという話であった。
そこで、土佐町に出かけたついでに Mississipi Cafe に寄って、コーヒーを飲みながら話を聞こうと思ったが、話の流れは他の事で盛り上がり、タテの話はほとんど聞けなかった。

仕方がないので、帰って来てからインターネットで検索した。
オフィシャルサイト、ファンサイト、試聴サイト、いろいろあり、本人のブログもある。

音楽好きで人生を過ごして来た私だが、今までこんな詩を曲に、それもやさしく淡々とした旋律に乗せて歌う歌を聴いたことがなかった。
人は誰でも、自分だけしか知らぬ心の闇を抱えて生きている。
その弱みを、鎧を着ることで、バリアを張り巡らすことで隠し、明るく力強く振舞っている。
タテの歌は、全く唐突にそこに風穴を開けるのだ。
不意に涙がこぼれたり、頭の中がジーンとして真っ白になってしまったりするのを、どうすることも出来ない。
いつか機会があったら、彼女のライヴに行こうと思っている。

ところで、 Fuji のことで紹介したい話はいっぱいある。
そいつはまた別な機会に・・・。
来年の春から夏の間に Fuji を東北に呼びたいと、実は誘いをかけている。

☆タテタカコのオフィシャルサイトは<こちら>
☆試聴サイトは<こちら>
☆Fujiのオフィシャルサイトは<こちら>
☆FujiのCDを聴きたい方、食工房にも二枚あります。

土佐ネタ日記・道中編

9/25から10/2まで、郷里の高知に出かけて来ました。
高齢の母と一人きりの妹の顔を見るのが第一の目的、父の墓参り、親戚や友人知人のところへ顔を出して来ることが、もう一つの目的です。
たいていは一人で高速夜行バスで出かけるのですが、今回は娘二人を伴って車で出かけました。
旅費の節約と、出先で気ままに移動出来るのも魅力と思ってのことでしだが、実はこれが大変でした。
何しろ車は軽貨物1BOX車ですから、乗り心地は悪いし、エンジン音はうるさいし、以前普通車で出かけた時とは大違いで、すっかりくたびれてしまいました。
片道1000km超の道のりは、全線高速道路でもやっぱり遠かったです。
コースは、往きは、磐越自動車道→北陸自動車道→名神高速→中国自動車道→山陽自動車道→神戸淡路鳴門自動車道→徳島自動車道→高知自動車道、帰りはその逆です。
夕方5時に出発して翌日の午前10時まで、17時間かかりました。
往路は、免許取立ての娘に3回ほど、合計1時間半くらい運転を交替してもらい、ウトウト仮眠出来て大変助かりました。
帰路は、娘が疲れ気味だったため、30分間1回のみの交替で、私もさすがにくたびれて仮眠休憩し、18時間かかってしまいました。
今回の道中、何と言っても気がついたことは、名神高速のトラックの多さと、競い合って走る凄まじさでした。
深夜の高速道路は、まさに物流の現場です。
走っている車の90%以上はトラックです。
運転が素晴らしく上手いのですが、狂気スレスレの走りの車も沢山いてスリル満点でした。
こちらは軽自動車で、80km/hで定速走行していましたからほとんど抜かれる一方で、物凄い追い越しバトルを観客のように見ていられましたが、ごくたまにすごく遅い車がいて、どうしても抜かなくてはならないハメになった時、右車線に出るのはよっぽど勇気が必要でしたね。
それにしても、こんなトラックの走りで日本の産業と経済が支えられているのかと思うと、ちょっと複雑な気持ちになりますね。
トラックドライバーの労働環境の苛酷さは常々話題になっていて、それを目の当たりにしましたからね。
そして、サービスエリアのトイレでよく見かけたのは、結構年輩の運転手さんでした。
私と同じくらいの感じの人も多くて、何か身につまされる思いがしました。


写真は、往路高知県に入って最初のパーキングエリアで撮ったもの。
ここで、3人でそばを食べましたが、うどんのように太いそばで新鮮でした。
そしてそれがとても美味しくて感激でした。