食工房、コーヒーの風景
先日、コーヒーの業界誌を見ていたら、2、3興味を引かれる記事を見つけました。
その一つに、日本のコーヒー豆の需要は、喫茶店卸しと量販店卸しは減少、インスタントコーヒーと缶コーヒー用が横這い、唯一家庭用だけが著しく伸びている現状、とありました。
その家庭用の需要を主に担っているのが自家焙煎店である、とも・・・。
一方日本では、コーヒーは嗜好品と位置付けられており、コーヒー豆の品質に関する明確な基準も無いことから、自家焙煎は玉石混淆であると指摘されていました。
そう言われると、私のコーヒーは果たして玉か石か、改めて問われているような気がします。
20年近く、少なからぬ方々に支持されてやって来られたからと言って、それだけで自分のコーヒーは玉だと思い上がることだけは止めておこうと、決意を新たにしているところです。
現在、自家焙煎コーヒー店は、雨後の竹の子の如く増え続けているそうです。
近い将来、多くの業者が厳しく淘汰されて行く運命は、避けられないに違いありません。
その時になっても、私がコーヒーの仕事を続けていられるかどうか・・・。
同じ業界誌の別な記事の、こんな件が目に留まりました。
曰く、・・・・プロパガンダや氾濫する風潮に惑わされることなく、自社基準を持ち、常にフラットな立場からコーヒーの鑑定に臨み、自らの舌で判定することが重要・・・・
他人の満点評価を鵜呑みとせず、手に入る全てのコーヒーを無差別感覚で眺め、自社基準、個人主観で判定する・・・・
まさにこれだ!と思いましたね。
秀でた仕事をするためには、しっかりとしたポリシーを持つこと。
もちろんその中に、コーヒーの味に関する自己基準も含まれます。
そしてそれが、少なからぬお得意さまから支持されるものでなくてはなりません。
研鑽と努力は惜しむべきではありませんが、常にお得意さまの評価と共に進んでいかなければ、する意味がないとも言えます。
私は、一つだけですが、明確に自分のコーヒーの味と言えるものを持っています。
今までに、数え切れない方々の舌先に供して、時には厳しい批評もいただきつつ、磨きをかけて来たと自負しています。
もちろん100点満点ではありませんし、すべての人に支持されるとも思っていません。
嗜好品の世界に、そういうものは存在しませんから。
だからと言って、私のコーヒーを支持してくださる方に対しては、いつも同じ品質を提供出来ることが最前提であり、出来不出来はあってはならないことだと思っています。
しかし、そんな単純そうなことも、実現するにはとても難しいです。
すでに申し上げましたが、今後業界は厳しい淘汰の時代に入って行くのだと思います。
科学技術の進歩により、大規模工場生産の量販コーヒーも、確実に品質が向上しつつありますし、コーヒーの品質はどんどん底が上がって来ています。
個人経営の自家焙煎店が、生き残れる可能性はもちろんあると思いますが、しかしそれは極小でしかないとも思います。
もし、私がコーヒー焙煎を仕事として続けて行かれなくなったらどうするか・・・。
それはもうはっきりしています。
私は、自分自身のために、自分で飲むコーヒーを焙煎し続けます。
元々はこの仕事は、自分がおいしいコーヒーを飲みたくて始めたのですから。