行って来ました、馬路村!

今朝は、昨日の雨から打って変わって、暖かい晴天となりました。
予定通り、馬路村へ。
実家のある高知市からだと、たっぷり2時間はかかる道のり。
妹と運転を交代しながら、ひたすら車を飛ばしました。
途中、太平洋を眺める海沿いの道では、車を止めて写真を撮りたい気持ちに駆られましたが、とにかく辿り着いてみないとあとで時間がなくなるかも知れないと、海岸の写真は帰り道に撮ることにして、先を急ぎました。



国道56号線から県道12号線へ左折
馬路村へ向かいます。
この路線、室戸を回らずに徳島方面へ行く近道?です。



高知県内どこの山村に行っても見られる、美しい石垣。
家も畑も田んぼも、すべて石垣を積んで造った棚地になっています。



似たようなロケーション、奥会津にもあったような・・・。
ただしこの鉄橋は鉄路ではありません。車道です。



山が迫る川沿いの道、材木を満載したトラックが下りて来ました。
このあたりは、魚梁瀬杉で有名な材木の産地です。



村の中心部の写真はこれだけです。すみません。
旧郵便局を利用した、地場産品直売所です。


海岸線から離れて山の方に曲がると、間もなく両脇に山並みが迫り、川沿いに縫うように馬路村への道が続いていました。
距離にすれば20km余りですが、その昔道路状況の悪い時代には、ずい分遠い道のりだったろうと思います。


それでも、高知県内の平均的な山村に比べて、特別山深いと言うわけではありません。
どちらかと言えば、私の生まれ故郷の土佐町の方が、場所によっては馬路村よりずっと山深いのです。


さて実際に訪れて見て、私にとってはあまりにも当たり前の、子どもの頃からよく見慣れた山村の風景に、正直肩透かしを喰らったような気がしました。
少なくとも私には、高知県の中では本当に何処にでもあるような変わり栄えしない山村にしか見えません。


その馬路村が、どうしてそんなに成功事例として注目されているのか、それはもう分かっていることなのですが、人つまり人材ということに尽きるのですね。
村長さん始め、村の中に状況を動かす力を持った人材が、少なくとも複数いたということなのです。
そしてそういう人材が育つ環境として、村の置かれた社会的な状況と経験があるわけです。
どうしても成功した部分だけに目が行きやすいのですが、「失敗した話しなら、いくらでもある。」というのが実際だったようで、そこからいかに学んで臨機応変に対応して来たか、そこに成功の鍵があったことは間違いありません。
大成功を収めた「ごっくん馬路村」も、同じ高知県内に後発の類似品が次々と名乗りを上げていて、先発の「ごっくん・・・」は確実に影響を受けているはずだと思うのですね。
当然のことながら、馬路村もそのことは考えている。
つまり考える人がいる、ということが重要なわけです。



これが「ごっくん馬路村」です。
今回、30本購入。
食工房ご来店者プレゼントに・・・。



高知県人なら誰でもなじみ深い「柚子しぼり」
我々は「ゆの酢」と呼んでおりました。
右側の小瓶は、私のお気に入り。
ゆずの皮入り七味唐辛子「ぱっと馬路村」


そしてもっと大切なことは、大成功して一番になることよりも、いかにその土地の人々が安心して幸せに暮らせるかということなのですね。
多分、馬路村の人々も初めはそのことだけを考えていたのだと思います。
そのために一生懸命やったことの何処が功を奏したのか、それが自己分析出来ているから、次々と面白いアイディアが出て来るのだと思います。


今後の馬路村の動向に、注目していたいと思います。



一番奥の集落魚梁瀬地区へ向かう途中から振り返ってながめたところ。
高知の山は、どこに行ってもこんな感じです。



これが西日本有数の、自然石と土で造られたロックフィル形式の魚梁瀬ダム
堰堤の高さは115メートルもあります。



ダム湖の先に遠く魚梁瀬地区を望みます。
今日は、時間の都合でここから引き返しました。
平家の落人伝説に満ち満ちた歴史ある場所です。