能力より意欲

ここに来る前もそうだったし、ここでもそうですが、地方の過疎地ではどこに行っても、いわゆる活性化がテーマになっているのですね。

最近の私、ある取り組みに関わり始めていて、それもやはり地域の活性化がテーマです。

活力を失ってしまった地域だから活力を取り戻したい、その願望が活性化と言う言葉で語られます。
そんな時、どこかから優秀な企業がやって来て事業展開してくれたら、税収も上がるし雇用も生まれて活性化するとか、だれか有能な人が強い力で引っ張って行けば皆付いて行くのだけど・・・とか、あるいは手厚い支援があれば何とかなりそうとか、とにかくそういったある意味受け身な態度が往々にして見られるわけです。
はっきり言って、それは単に活力がないことを証明しているだけで、その後に何事も起こることはありません。

自分たちにその能力があれば・・・と言う人もいるでしょう。

でも、能力よりも大切なのは意欲です。
そしてそれは何に対する意欲かと言うなら、学び直すことへの意欲だと申し上げたい・・・。

これから先そうした地域で、50年あるいは100年先までも安穏な暮らしが続くためには、全く新しいビジョンが必要だと思います。
古い社会モデルの下で、もう一度自分たちの幸せが見つかるとは思えませんから。

そのために、古くからあることからそして新奇なことから、何もかもを学び直す覚悟と意欲が求められると、私は思っているのです。


能力は、その結果として身に着くもの。
成果は、さらにその後に一つの結果として生み出されるもの。


一つの地域が、最盛期を過ぎてから過疎に悩むようになるまでに一体どのくらいの時間を経て来たのか、その間に巡り合った出来事の数々を思い起こすなら、活性化の本当の意味は、その地域に合った小さな暮らし方を再構築することにあると、遠い南国の故郷のことも重ね合わせながら、ここでのこの先の暮らし方とこの地域の行く末に想いを巡らせている私です。

知るは楽しみ、学びは喜び、そして究極の遊び。