悪豆拾いの哲学

食工房の一週間最後の日の今日は、ジンジャークッキーとわらいごまを焼いて包装して後片付けをして、それでもう十分働いた実感でしたけれど、それで終わりというわけには行きませんでした。

実は今週は、食工房にお付き合いいただいているお店が、イベントに出店されるということで、大量のコーヒー豆を焙煎してお送りしなくてはならないのです。
本当に、このようなありがたい展開に感謝せずにはいられませんが、あの悪豆拾いが待っているわけですね。  <参照1>  <参照2>

昨日のうちに、必要な量を計って用意しておきました。
それを、夕方も近づいた時刻から、3人で手選別作業にかかりました。
おしゃべりしながらやれるのが、せめてもの救いです。

正直に申し上げますが、悪豆拾いは、やっていて楽しい仕事ではありません。
何かを造るわけではないし、達成されるのは甚だ目に見えにくい結果でしかありません。
後で焙煎作業をする私は、まだしもその結末を承知していますから、やったことの意義を感じて満足することが出来ますが、一緒にやっている娘たちはどうなんでしょう・・・?

「悪豆拾いって、まるで坊さんの修行みたいだね。」「千日修行で、三年間毎日悪豆拾いやらなければいけないとしたら、大変だねぇ。いやだねぇ。」と私が言うと、「坊さんになるか、頭がおかしくなるか、どっちかなんじゃない?」と娘。

「悪豆拾いの苦労を知っているのと知らないのでは、コーヒーの味も違うかも知れない・・・。」と上の娘が言えば、「私なんか、コーヒーの味を覚える前から悪豆拾いやってるよ。どうします!?」と下の娘。
ああ、そんな小さい時から仕事の手伝いをさせていたんだっけ・・・。悪い親だなァ・・・。

そんなやりとりをしながら、閉店時間まで頑張りましたが、やっと1/4が終わっただけでした。
どうやら明日の定休日は、全休というわけには行かないようです。
でもでも、うちらは、絶対によそ様よりおいしいコーヒーを飲んでいると、自信を持って言えます。