モノが情報という話

情報の時代と言われ、情報が大切と言われ、伝える方法の多様化、高速化にますます拍車がかかる昨今です。
バーチャルな世界には、もはや何でもあります!と言わんばかりの熱狂ぶりに、私は少し水を注したい気分です。
情報が大切というなら、一番肝心な情報はそのモノ自体が持っているじゃないか、その場所自体が、その状況自体が、一番重要な情報そのものじゃないかと思うのです。
しかしまあ・・・。
例えば、宇宙船から見た青い地球の画像などは、宇宙船に誰でも乗れるわけではないことを考えれば、貴重な情報と言えます。
でも、誰でも巡り会えるモノや状況なら、実物や実際に触れたほうがいいと思います。
バーチャルな世界で多くを知るより、少なくてもいいからリアルを大切にしろと言いたいのです。
危険なモノ、あってはならない状況、そういうものごとへのスタンスを学ぶことが出来るのは、現実の世界だけだと思うからです。
ちょっと話が広がってしまいましたが、元に戻りましょう。
ここにパンが一つあるとします。
このパンについて語る情報が、どんなに沢山あったとしても、風味や食感という情報は、それを実際に口に入れない限り確かめることは出来ません。
また、洋服が一着あるとします。
いくら詳細な画像があったとしても、自分の体にどのようにフィットするか、それを着て鏡に映した自分の姿を見て似合うかどうか、これもやはりそのものがそこになければどうにもなりません。
モノが情報だというのは、つまりそういうことです。
だから、そこのところをいかに人の想像力に訴え、リアリティーを感じさせるか、それがまた伝えることの上手下手になるということでしょうか。
いずれにしても、いい情報はいいネタがなければ生まれないことだけは確かです。
この話し、後日続けます。

モノが情報という話」への2件のフィードバック

  1. tak

    賛成!
    リアルでの体験の蓄積がないと、バーチャルな情報も、本当には理解できません。
    製品のスペック情報、例えば、織物のスペックだけをみて、その風合いやコシ、手触りなんかを、さも実際に触ったかのように理解できるのは、何度も何度も実際の織物に触れた経験がベースにあればこそです。
    格闘ゲームしかしたことのない子は、殴られた時の痛みだけでなく、殴った方の拳にも痛みがあり、それは拳の痛みというだけでなく、心の痛みでもあるということが、実感としてわかりません。
    リアルをベースにしないと、バーチャルが発達しても、本当の豊かさはわかならいんじゃないかと思います。

  2. Mikio

    takさん、コメントありがとうございました。
    筋の通った、しかも分かりやすいコメント、さすがですね。
    そちらの「今日の一撃」毎日読んでます。

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