マイブログ中間報告 vol.9

最近また一段とネットユーザーが増えたようですね。
私の周辺を見ていても、それを実感します。
そしてこれまた、ブログが大流行のようです。
少し前は「ブログ離れ」が話題になっていたような気がしますが、今度は「一億総ブロガー」だそうです。
それで思い出すのが、小泉さんが総理大臣をやっていた頃のことです。

あの方は、とにかくメディアを使うのが上手い方で、テレビ、ラジオ、新聞雑誌、そしてインターネットと、ご本人の力量か強力なブレーンがいたのか知りませんが、日本政府のホームページなんてものに大衆の関心が向いたのは、恐らくあの時が初めてでしょう。
それで小泉さんという人、私生活の一端をチラ見せして視線を集め、まるで舞台の上の俳優のように人々の興味を浚い、中年のオバサンたちの心を虜にしたり・・・、そんな様子が「小泉劇場」と呼ばれて、満更でもなくウケが良かったのでした。
今だから言いますが、私個人としては、あの時の熱狂ぶりは正直言って、少々気持ち悪く感じられたものです。

で、話を元に戻しますが、一億総ブロガーと言われる時代に、ほとんどのブロガーたち(私も含めて)がしていることは、日記風に私生活を語ること・・・。
これって、どことなく小泉さんのスタンスに似てますね。
私生活を劇場化しているようなものだと、私は思います。
しかし、有名人でも何でもない一市民の我々が、否、著名な方でも全く同じかも知れませんが、ブログという「公開の場」で不用意に私生活を語り自分を説明する行為は、場合によってはちょっとヤバいんじゃないかと、私は思い始めているのです。
ある時、告白するような記事を書いて自分を説明したとすると、その次からはもう、一旦採用した説明との整合性を意識するようになると思うからです。
そうやって、自分を説明すること、つまり私生活の劇場化が進んで行くうちに、人はその脈絡の中にしか生きられなくなってしまうかも知れないと思うからです。
そして、ブログにも書けない本音があることに改めて気がつくだけなんじゃないか。
だったらブログなんて、大げさに考えないで軽く書いておけばいいのでしょうか・・・?

そんなことを考えている矢先、知人のブログからリンクを辿っているうちに、『「一億総ブロガー」時代の功罪』という記事に巡り会いました。<参照>
記事の中身は、ご自分でお読みいただきたいと思いますが、その中のリンクからまた別の「被害者の呪い」という記事<参照>を読んで、やはり、事はそう単純ではないと思ったのです。

人は人との関係の中で生きています。
誰もが、自分のことを自分以外の人に理解されたいと願っています。
そのために言葉があり、様々な表現手段があり、人はそれらを使って表現せずにはいられないのだと思います。
ブログは、自己表現手段として、今までになかった機能を沢山備えていると思います。
それだけに、その功罪も大きくあるはずです。
それをよく理解しておきたいと、改めて自分のブログスタンスをふりかえっている私です。


余談になりますが、では、テレビに出ることはどうなんでしょう?
私は、今までにもう何度も、テレビの取材の申し入れをいただいていますが、全部お断りしています。
テレビという超強力なメディアに、「私」を説明されるということは、私には何かとても恐ろしい気がするからです。
そう・・・、まず一番は恥ずかしいからなんですけど・・・。