皆さまご存知のとおり、今日は、長崎に原子爆弾が投下された記念日です。
実は私は、小学校の修学旅行で、長崎を訪れています。
その時に、かの浦上天主堂や原爆資料館などを見学して回りました。
私の世代が子どもの頃は、学校でも何かに付け戦争の話を聞かされた覚えがあり、原爆の話はその中でも一際恐ろしく思えたものです。
ところで、長崎への原爆投下は、当初は小倉市(現在の北九州市小倉区)が目標だったそうですね。
それが、パイロットのミスが重なって予定通り投下出来ず、第二目標の長崎市に急遽変更になった経緯があったのですね。
☆出典 ウィキペディア・「長崎市への原爆投下」より <参照>
原爆投下は、目標の肉眼による視認が厳命されており、当時厚い雲に覆われていた長崎市に投下出来なければ、そのまま帰途に着き太平洋に投下せざるを得ないところだったのでした。
それが、束の間に雲が切れ長崎の市街地が見えたため、パイロットは大急ぎで投下のプロセスに入り、かくして二発目の原子爆弾が長崎に投下されたのでした。
偶然の重なりから、小倉に代わって長崎が過酷な運命を背負うことになると、誰が知っていたでしょう・・・。
真に以って、戦争とは不幸な出来事だと言わざるを得ません。
戦争は、一旦始まってしまえば、誰が撃った弾で誰が死ぬか、誰が落とした爆弾で誰が死ぬか、斯様に誰が下した判断で、何処で誰が死の運命を引き受けることになるか、全く制御など出来ないというのが真実でしょう。
原爆投下の事実は、それを私たちに教えていると思います。
一昨年の夏、アニメ映画「アンゼラスの鐘」を見たときの事を、今思い出しています。 <参照>
どんな特殊撮影でも多分再現出来ないであろう、原子爆弾炸裂の凄まじさが、アニメーション故にかえってリアリティーを増して再現されていました。
その光景を実際に見た者は、生きてはいられなかったはずです。
思わず息を止めている自分に気がつきました。
7日の夜NHKで『解かれた封印 ?米国カメラマンが見NAGASAKI』という番組をみました。番組冒頭に写される一枚の写真に圧倒されました。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html
アメリカ人カメラマン、ジョー・オダネル氏が占領軍として原爆投下後の長崎で撮影する中 内密に撮影した30枚の写真の内の一枚です。 彼は帰国後(その記憶になやまされ)写真をトランクの中に43年間封印するのですが。晩年 原爆の悲惨さを訴えるべく母国への告発に・・という内容でした。
(8月27日(水)木曜の午前0:45?1:34に再放送があるようです)
http://www.nhk.or.jp/special/rerun/index.html
核廃絶に関して天木直人さん(イラク戦争に反対した元外交官ですよね)がブログで
〈核廃絶と日本の外交力〉
http://www.amakiblog.com/archives/2008/08/06/#001057
というテーマで論陣を張っています
小生は聞くに値する意見だと思いました
bakuさん、DblStdさん、コメントいただきありがとうございます。また貴重な情報も寄せていただき、重ねてお礼申し上げます。
お二人のコメントには直接関係のないお返事になりますが、記事本文に少し付け加えさせていただきます。
私は、ある時期までは、毎年この時期になると戦争と平和のことについて声高に語られることに反発を感じるへそ曲がりでした。
でもその後、一年のうちたった一日でもたとえば、8月6日が広島への原爆投下の日だと知っていることが、どれだけ大切かということに気がついたのです。
太平洋戦争の現役世代が、まだ辛うじて生き残っている今のうちに、受け継いでおかなくてはならない記憶があると、自分に乗り移って来る何かをひしひしと感じているのです。
そんな逼迫した思いで書かずにはいられませんでした。