エコという名のエゴ

今、先進国と言われる国々は、省エネルギー、省資源、再生・再利用など、地球資源の食い潰しに歯止めをかけようと必死になっています。
いわゆる、エコロジー志向です。

それに対し新興国は、これからが自分たちの時代だとばかり、物欲志向で突き進んでいます。
先進国は、それに対してもブレーキをかけようとしていますが、新興国にしてみれば先進国に対し、「インフラの整備も整い、欲しいものは全て手に入れた後で、何を言うか!」と言いたいところでしょう。
このままでは、エコロジーに向かうための国際的なルールを作ることなど、とうてい無理だと思ってしまいます。


それから思うことですが、科学と技術の進歩に期待しても、それはエコロジーの実現とは必ずしも関係がないということを、私たち人類はもっと承知しているべきです。


一昔前に比べれば、自動車も家電品もその他あらゆる機器が進歩して、個々のレベルで省エネルギー省資源を実現しているにも関わらず、全体としてはエネルギーも資源も消費が拡大して、環境負荷は高まる一方です。


問題は、我々の物欲のレベルと根本的なところでの志向にあると、私は思っています。


 


私たちが山暮らしをしていた時、感じていたいくつもの矛盾。
薪を燃やして煮炊きし暖を取っていると言いつつ、その薪をチェーンソウで伐り倒しトラックで運んで来るという矛盾。
夜はランプの明かりで過ごしていると言いつつ、その油は石油だという矛盾。
一番重宝な衣類が、化繊で出来ているという矛盾。


どの道、この文明システムが動いていなければ、とうてい成り立たない山暮らしなど所詮独り善がりさと、自己嫌悪しそうになりつついつも思い直していたことは、どのくらいまでのバランスならこの地球は耐えてくれるだろうかということです。
そのために私たちは、どの程度のことは我慢しなければならないのか。
そのラインが見えていたという気がします。
また、私たちが天然自然の恵みを受け取る時、それに対して自分たちは何を差し出せるだろうか、いつもそれを念頭に置いて行動すること。
それも教わりました。


今、私たち一人一人が自ら、物欲の拡大に歯止めをかけなくては、エコもただのエゴにしかならないと思っている私です。


過去の記事もご覧いただければ幸いです。


「ショッキングなデータ」2007.10.16
「エコかエゴか」2009.03.16