近年、山の中の木が立ち枯れて行く現象を、よく見かけるようになりとても気にしています。
松枯れは、もうずっと昔からある有名な病害で、すでに日本中を一巡りしてしまったようですが、近ごろのは木の種類が多種に及び、病気の種類も一つではないようですね。
一見、何事もなく見える山の中や公園や庭先の樹木も、近寄って観察すると、異常が見られるものが沢山あります。
ブナ科のナラやクリが病害で次々と枯れて問題になっていますが、この夏、我が家の前の樹齢50年以上と思われる立派な栗の木が病気にやられたらしく、わずかの間に葉が茶色になって落ちてしまいました。
花の季節には、外見上異常はありませんでしたが、内部ではすでに病気が進行していたかも知れません。
多分このまま枯れてしまうのではないかと思っています。
その話を知り合いにしたところ、周辺の山の中でも大量の立ち枯れが出ているとのこと。
以前私が、いわき市の方で見かけた立ち枯れの様子を思い出しました。
林業関係者は、個々の病害についてある程度原因を突きとめているようですが、何故近年こうした現象が頻発するかという点については、未だ定説はありません。
とは言え、人間活動による環境の激変悪化が根本原因だろうということは、大方想像のつくところです。
山に木がなくなったら私たちも生きていられなくなる、その因果関係を、私たちはもっと深く理解しなくてはならないと思います。
と言うより、そういう皮膚感覚で生きていること、そちらの方がもっと大切なことかも知れませんね。
車が走ることよりも、コンピューターが動くことよりも、本当は、山に木が生えていることの方が、ずーっと大切なことに違いありません。
カラマツ林 獏の空の下から
「あるがまま舎通信」が届いた。
九州の友人ヨシオカさんから、彼が中心になって発刊している隔月間のミニコミ「あるがまま舎通信 №59・2007年8、9月号」が届きました。
B5版20ページに及ぶこの通信、ヨシオカさんはじめ周辺で活躍している7、8人の方が原稿を寄せている力作です。
時事に関する記事あり、田舎暮らしを始めた人の手記あり、自分で家を建てている人の記事はずっと連載中で、完成するまであと何年か続くことになるかも・・・。
また、以前重度のアルコール依存症で、その後再起した方の連載記事は、重い内容ながらものすごく説得力があり、いつも興味深く引き込まれてしまいます。
ヨシオカさんの素直な独白記事も共感するものがあり、同世代の友人として楽しく読ませてもらっています。
他にもまだまだ盛り沢山の内容で、こんな通信を隔月間で出しているエネルギーの密度の高さに、ただただ驚かされています。
そうそう、ヨシオカさんはブログもやっているのですが、どちらかというとこの「あるがまま舎通信」の方が似合っていると、これは私の勝手な感想です。
そして今号の編集後記の一節に、大きくうなずく私でした。
曰く・・・
今号も文章が多くなった。
こんな字ばかりでは誰も読まないよ、まして知らない人ばっかりだろー、と言われたこともある。
まあそう言わずに拾い読みでいいから読めるとこを読んでよ、と答えておいた。
確かに、短い言葉と視覚的な絵でページを構成すれば、見やすいし読みやすいかも知れん、いろいろ考えた、けどあきらめた。
だらだら書いてしまっても疲れるが、文章でしか伝わらないことを、とにかく書いていこうということで行こうと思った。
懲りずに手にとってもらえるとうれしいのですが。
そうなんですよ!
文章でしか伝わらないこと、確かにあると思います。
この通信にはそれがあると思いますね。
読んで見たい方、食工房にご来店いただければご覧になれます。
あとは、ご自分で直接申し込んでくださっても良いと思います。
あるがまま舎のホームページもあります。
リンクは<こちら>
夏バテ?
この夏は、危うく夏バテするところでした。
一歩手前で持ちこたえましたが、原因は、日頃の運動不足による体力の減退だと自覚しているところです。
パン屋の仕事で毎日忙しく働いていて運動不足?と思われるかも知れませんが、実はそうなんです。
パン屋の仕事は、大方手先の仕事です。
粉の袋は25kgありますが、それを持ち上げるのは時々のことで、こねる方も手でやるには量が多過ぎるし、時間も節約したいので結局機械を使います。
作業場は狭いですから、どんなに忙しく動き回っても、歩く距離は知れたものです。
結局、大した運動量にはなっていないのですね。
一方で汗だけはいっぱいかきますが、体を動かしてかいた汗ではないので爽快感に欠けますし、第一とても消耗しますね。
そして、神経は細かく使っていなくてはなりませんので、そちらの方で疲れます。
それでも毎日、おいしいパンや焼き菓子が焼けるので、充実感がありますし報われているという気持ちにはなります。
しかし、運動不足だけはこのままではどうにもなりません。
先日4日間休ませてもらいましたが、初めの2日間は体が動かなくて大方寝ていました。
体操などするとちょっと気持ちが良いのですが、その後すぐに疲れを感じて横になっていました。
3日目になってから、少し体を動かしたくなって歩き回ったりしましたが、暑さがこたえて貧血状態でフラフラしていました。
それでも夕方涼しくなると、動ける感じがしてまた散歩に出たり・・・。
4日目の夕方、思い切ってゆつくりと8Kmほど歩いてみました。
これがとても良くて、お腹がすいて夕食も進みましたし、夜もグッスリ眠れてずい分回復しました。
8月ももうすぐ終わりというところまで来て、もう大丈夫とは思いますが、仕事が忙しければ忙しいほど運動不足になってしまうこの商売と、これから先どう付き合って行くか、私の健康維持上大きな課題であることを思い知らされた一夏でした。
脱ネットの4日間
5日間ブログをお休みしましたが、内4日間は脱ネット状態でした。
PCは、電源を抜いたままにしていました。
こんなことを申し上げて、誤解しないでいただきたいのですが、PCのない4日間は正直心地良かったです。
山暮らしをしていた時の感覚が、ほんのちょっとだけですが、戻った感じを味わいました。
ネットコミュニケーションは、とっても便利で役に立つし、有意義だと思っていますが、無ければ無いで昔の方法に戻れば良いだけだと思っています。
もちろん、同じようには行きませんが・・・。
そんなことも考えながら、この4日の間に、日頃ご無沙汰している方に残暑見舞いのハガキを何通か書きました。
「パンだより9月号」の草稿も、大きな紙に4Bの鉛筆でサラサラと書いて見ましたが、いきなり画面に向かうよりもずっと能率的で疲労感がない感じがします。
結局のところ人間は、便利な手段を手に入れると、その分だけ多くのことをやってしまうことになって、決してヒマにはならないようですね。
私の場合だと、商売上、品質表示ラベルなどを細々と製品毎に作成しなくてはならないので、PCは手放すことが出来ないどころか完全に依存している状況です。
そしてカラーも使えるとなれば、彩りも工夫したくなりますし、いろいろな画像処理も可能となれば、益々やることが増える一方です。
選択肢が多いということは、つまり忙しくなるってことなのですね。
自分の必要を冷静に測って付き合わないと、秒単位で時間の奴隷になりそうです。
そうでなくても体は目いっぱい忙しいのですから・・・。
さて本日は、5日ぶりに食工房の製造仕事を再開しました。
作業場に漂うパン生地の匂いと、先に焼き上がったパンの香ばしい匂いが混ざって、店の中いっぱいに広がります。
そして、半端生地のかけらを焼いたものをちょっとつまみ食いする時、パン屋をやっていて一番幸せを感じる瞬間ですね。
皆さまのご来店、お待ちしております。
真夏のカレーパーティー ・ Vol.3
三週連続のカレーパーティー、本日、最後の集いが大成功のうちに終わりました。
これで三回とも、予定人員満席でした。
三回全てにご参加いただいた方が数名、二回の方も数名いらして、皆さんのこのイベントに寄せる期待が、けっこう大きかったのだなと思い返しています。
さて今回のメニューは、前二回が本格的なインド流だったのとは打って変わって、タイカレー、さわやか山都カレー(オリジナル)そしてキーマカレーと、全く個性の異なる三種類のカレーを味わっていただきました。
料理主任は、喜多方在住の豊原さんという方です。
肉も魚もありで、旨みの濃い味だったせいかも知れませんが、皆さん大変旺盛な食べっぷりで驚きました。
タイカレーは、魚ときのこと野菜の具で、ベースになるペーストから手づくりしたものでした。
グリーンがかった乳白色のソースは意外な印象ですが、ナンプラーの旨みがココナツミルクのまろやかさとバランスして、とてもおいしかったです。
さわやか山都カレーは、柑橘系の香りをアレンジしたカレーで、これがまたいいマッチングでした。
みょうがの茎も入れたと言ってましたが、これも違和感なくバランスしていましたね。
私は、今回一番の傑作と折り紙をつけたいと思います。
そして食工房のは、玉ねぎとナスとトマトをベースに、鶏の挽き肉のカレーでした。
三種類のカレーは、二種類のライスと一緒に召し上がっていただきました。
白い普通のご飯とターメリックでまっ黄色に着色したバターライスです。
これに付け合せにピックルスが付きました。
食事の後は、小川農園の4種類のメロンを試食。(中でも「飯豊メロン」というのが秀逸なお味でした。)
途中、皆さんに自己紹介をしていただきましたが、その中で早くも来年への期待を口にする方もあり、多分、来年もさらに盛大にやることになるのじゃないかと思います。
山都を楽しく、会津を楽しく、日本を楽しく、そして世界を楽しく、夢はそのくらい大きく持っていたいと思っています。
お知らせ
明日から5日間、ブログを休みます。
脱パソコン休暇をいただきます。
メールチェックもしませんので、急用の方はお電話またはファックスでお願いします。
そして21世紀がやって来た・・・。
「獏の空の下から・・・」7号 2001年1月発行より再編集
-前略-
言うまでもありませんが、20世紀は物質文明という、はっきりと目に見える形でものごとが飛躍的に進歩した百年間でした。
中でも、核エネルギーの利用とコンピューターの出現は、この世紀の最注目事項であったと思います。
そして、物もお金も、情報も人も、日増しに速く、しかも大量に動く世界、これが20世紀から21世紀にかけて、今私たちが迎えている現実です。
たしかに、私達の生活上の利便性が飛躍的に向上したことは否定出来ませんが、私としては一方で失ったものも少なくないということの方が気になります。
その中で、私が一番気にかかるのは、私達の感覚からいつの間にか、デリカシーが失われてしまったのではないかということです。
マスコミやインターネットが、次々と送り出して来る強力でスピード感ある情報、洪水のような物やお金の流れに気持ちを奪われている間に、私達は、小さい者、弱い者たちの静かな声、また目に見えなくても音に聞こえなくても、この世界の片隅にそっと差し出され、示されている貴重なメッセージあるいはシグナルを見落としてしまってはいないでしょうか?
たとえば、いつの間にか私達の前から姿を消して行った野生動物や虫たち、いつの間にか様子が変わってしまった森や林、田や畑、空や海の色さえ、どうでしょうか?
今の私達は、起こった事実をただ情報として知識として知ってはいても、それが意味するところを肌身に感じる感覚で感じ取っているかどうかという点では、甚だ心許ない状況なのではないでしょうか。
たとえば、分かりきっているのに自分たちの生存を危うくするような愚行を止められないというような問題を、私達はこれから21世紀百年間をかけて取り組み、解決して行かなければならないのだと思います。
でなければ、私たちに未来はないと言えるほど、実はこの地上は危機的状況が差し迫っているのですから・・・。
2001年初頭、豪雪の後、誰も入って来られなくなった(当然、私たちもどこにも出られない。)場所で、この世界に私達だけしかいないと錯覚してしまうような静寂を、一瞬の後に空を行くジェット機の轟音に破られ、私は落胆と安堵の入り混じった妙な気分を味わったのでした。
同じく、足跡一つついていない雪の上を、一番最初に歩く嬉しさと、ふり返ってつけた足跡を見て、少しがっかりする気分・・・。
私達は前に進む時、そこで何を得て何を失っているかということに、もっと敏感でなくてはならないと思います。
獏の空の下・・・、この世界の大きな流れの中で、取るに足りない私達の山暮らしですが、その中で日々私たちが感じ取っていることは、これからの時代、最も大切にされるべきものになると確信しています。
※「獏」は、私たちが14年間山暮らしをした場所の別名です。
ご来店ありがとうございます。
いつもいつも皆さまのご来店には感謝申し上げております。
加えてお盆期間中には、遠来のお客様のご来店を賜り、更にうれしくありがたく、この場を借りてお礼申し上げます。
今年は、3月にネットデビューを果して以来、インターネット上で食工房を見つけてご来店くださった方が何人かあり、今までとは違った新しい出会いに今後を期待しています。
そしてご来店いただいた方の多くが、その後も何度となくお訪ねくださっていることが、私たちには何よりうれしいことです。
遠くは、東京、神奈川から、また新潟からもご来店いただいています。
ゴールデンウィークやお盆などのお休みに、食工房へのご来店をスケジュールに入れてくださった方もあり、ただただうれしく頭が下がるばかりです。
こうした出会いを一つずつ積み重ねて行くことで、やがて食工房ファミリーみたいな人の輪が出来たらいいなと私は思っています。
そして、それがまた他の輪につながって行くこと、ささやかながらそれが私の平和運動です。
ホームページのお知らせ
食工房のホームページのダウロードのページには、パンだよりやメニュー表などのPDFファイルをダウンロード出来るよう、リンクを設定してありますが、もう何人もの方からうまくダウンロード出来ないというご指摘をいただいています。
逆に何の問題もなくダウンロード出来た方もあり、今一つ原因が分かりません。
通信速度の遅い環境の方にこのトラブルが多いことから、一つ考えられることは、サーバーの方で一定の時間内にダウンロードが終わらない場合に一方的にタイムアウトにしているのではないかということです。
今、マイクロソフト社の無料のwebホスティングサービスを利用しているのですが、いろいろ制約が多過ぎて使いにくいので、サーバーの変更を検討しています。
ドメインの移管も伴うのでちょっと面倒な引越しになります。
経験豊富な方がおられましたら、アドバイスをお願いいたします。
能率、上がりません。
また今日も最高気温を更新したらしいですね。
会津では、昼頃から雲が出て来て、昨日に比べれば外はずい分過ごしやすかったと思いますが、逆に食工房の作業場は妙に蒸し暑くなり、自分でもはっきり分かるほど頭が回らなくなりました。
暑さには慣れて来ていたはずですが、今日は仕事が捗らないうちに、時間ばかりがどんどん過ぎて行きました。
結局、いつもより少なかったはずの仕事を、いつもと同じ時間かかって終わりました。
思い出してみると、8月に入ってからずっと暑かったのですが、自分ではそんなに耐え切れないという感じはなかったのです。
でも、在庫を見て分かりました。
ちっとも能率が上がっていなかったんですね。
クッキー類が、またしても全部品切れ状態になってしまいました。
この暑さの中をせっかくご来店いただいた方には、選んでいただける品物が限られてしまい、大変申し訳ありませんでした。
この後少し涼しくなってくれるようなら、どんどんペースを上げて在庫の回復が図れると思います。
話が脇にそれますが、夏から秋へ、この季節の変わり目の体調は一年の健康の要だそうです。
この時期を元気で迎えるためには、夏の過ごし方が大切なんですね。
私は、いつものことながら、ただでさえ暑い夏をなお一層暑い場所で過ごしています。
皆さんは、どのように過ごされていますか?
終戦記念日
玉蜀黍
さわさわと黍の葉が鳴る
こいつはロッキーバンタムだが
風に鳴る葉ずれの音は
間違いなく日本の秋の音だ
若い時大陸で希望に燃えた日
やはりこの音をきいた
あれから戦争があった
聖戦とゆう全く腹の減る戦だった
空腹に耐えかねて
内地へゆく貨車から黍の実を盗んで
飯盒で煮てみたが
あれだけは喉を通らなかった
敗戦とは言はず終戦ですべてが終わり
引き揚げたふるさとで
アメリカからもらった黍の粉の
ホコリ臭い苦みのある味に
やっぱり敗戦だったと自覚した
つかの間に四十幾年がすぎ
手の平ほどの山の畑で
私は黍の葉ずれの音をきく
さわさわと鳴るその音は
今が一番に平和なときかもと
思うほど切ない
昭和61年10月
これは、今は亡き私の父が自費出版して残した詩歌集「玉蜀黍」の冒頭にある詩です。
今、この詩を読みながら聞かされた沢山の戦争の話を思い出していると、私は、いつの間にかそれが自分の実体験であったかのような錯覚に陥ります。
私の想像力が逞しいのでしょうか。
あるいは私のまわりに、戦争の記憶の生々しい人が、何人かいたからでしょうか。
すでに亡くなりましたが、私の伯父は輸送部隊で任務中
に地雷を踏み、トラックごと吹き飛ばされて、片足の脛から下がなく、義足を付けていました。
また中学校の教師の一人は、太ももに銃弾が入ったままで、片足を引きずるようにして歩いていました。
その傷口を見せてもらったこともありますし、授業中には、南方の島でアメリカ軍の戦車に追われて、ジャングルの中を逃げ回ったことや、爆撃で人も馬も吹き飛ばされ、骨肉が散らばる凄まじい光景だったことも、つぶさに聞かされたものです。
ある時は、機銃掃射のコツを解説に及んだこともありました。
私に戦争を語った何人かの人が一様に口を揃えたことは、新兵の時、最初は皆敵兵を前にしてもなかなか引き金を引けないものだと。
それが、仲間が敵弾に倒れるのを目の当たりにしたとたん、何かが弾けるような気がしたと言います。
そこから先は、いくらでも鬼になれたと・・・。
もう60年以上も前のことなのに、戦争体験者でもない私がこんなにも鮮烈にイメージ出来るのは、今この時代にも、世界のあちこちで戦争が続いているからだろうと思います。
パレスチナで、アフガニスタンで、そしてイラクで。
表向き、戦争を肯定する人はいないはずなのに、相変わらず世界中に紛争の火種が途絶えることがありません。
何故なんでしょう。
どこかに嘘があるに違いないのです。
それをどこまでも突き詰めて行かなくてはならないし、そのためにも戦争の記憶は絶やしてはならないと思っています。
※ 習慣 コーヒー通信 今週も休みます。
止めてください。
自動車を運転しながら携帯電話、止めていただきたいと思います。
しょっちゅう見かけます。
全く珍しくない光景です。
はっきり法律で禁止されているのに、誰も守る気などないように見受けられます。
そんな日本人のメンタリティーは、一体どうなっているのか、私には解せません。
確率論で言えば、事故が起きるのは少数かも知れません。
でももし、携帯電話しながら運転している車に、自分の家族や友人知人がぶつけられて、怪我したりひょっとして死んだりしたら、とてもじゃないけどやり切れません。
みんな自分のことしか考えてない・・・?いや、自分のことすら考えてないんじゃないですか。
ちょっと飛躍かも知れませんけど、今、日本の社会全体が思考停止に陥りつつある、そんな気がしてなりません。
もう一度お願いします。
運転者の皆さん、どうぞ運転中の携帯電話、止めてください。