投稿者「mikio aoki」のアーカイブ

ブラウニー、新食感


新食感、食工房のブラウニーです。


おいしいコーヒーというのは、砂糖もクリームも必要なく、ただブラックで飲んでも十分満足出来るものですが、そこに良質の甘みと香りの備わったお菓子が少しあれば、もうこれ以上の満足はありませんね。


ところでカカオと言えば、コーヒーと並んで嗜好品の代表格。
互いに似たもの同士でありながら違った個性を持ち、そして取り合わせればこれまたとてもいい相性という、コーヒーとカカオの不思議な関係です。
そのカカオから造られるのが、ご存知のとおりチョコレートとココアです。
そしてチョコレートもココアも、お菓子の材料としてなくてはならぬものです。

前置きが長くなってしまいましたが、チョコレート菓子の傑作の一つ、それがブラウニーというわけです。
このブラウニー、造り方は至って簡単そうに思えますが、やって見るとアレンジの巾が広く、案外奥の深いお菓子であることが分かります。


食工房のブラウニーは、高カカオ系と言われるカカオを沢山使うタイプです。
でも、カカオ特有の渋みやクセのある香りは、全然と言って良くらい気になりません。
文旦ピールの柑橘系の香りとバニラと、そして秘密のスパイスワークが合わさって、カカオの風味のいいところだけを上手く引き立てているからです。

おかげさまで、発売以来ご好評いただいて来ました食工房のブラウニーですが、最近、食感が少しかわったのにお気づきでしょうか?
実は、また一工夫しました。

材料のミキシングの順序を一部変更し、焼成温度と時間も再検討し、若干調整しました。
その結果、以前のしっかりとした歯応えのある食感に比べて、モッチリとした柔らかい食感になりました。
それぞれお好みがあるかと思いますが、ナイフで切った時に崩れにくくなっている点は、好ましいと思っています。

新食感のブラウニー、ご賞味いただければ幸いです。

観察、観察、また観察


 風で倒れたじゃがいも。折れたわけではないので大丈夫そうです。



風に吹き流されるトウモロコシの葉。
かえって良い風かも?
 



 これがテントウムシダマシの卵。
一か所としては
少ない方ですが20粒。


 


昨夜は大風が吹いたようで、朝畑に行って見ると、じゃがいもが風で倒されて滅茶苦茶になっていました。(少なくとも最初、そのように見えた。)
いやいや、これは大変だ!土寄せして起こさなくてはならないかと思いました。
それで実際にちょっとやって見ましたが、そんな簡単には行きませんでした。
あんまりいじらない方がいいか?というより放っておいても大丈夫じゃないかなと思い直しました。
今までの経験からしても、風が止めば、しばらくするうちに自然に起き上がって来るのじゃないかと。
こういう大風も害になるばかりではないはず、きっと何か知らないところで役に立っていることがあると、ここは自分の都合のいいように考えましたが、観察だけは忘れてはいけないと、ちょうどまだ風が吹いていましたので、作業しながら様子を見ていました。

強い風に弄ばれるように、あるいはいたぶられるように、茎がグラグラ揺れ葉が裏返るのを見ていると、植物たちにとってはすごいストレスだろうなと思えました。
トウモロコシを見ると、まだ高さがそれほどではないので、倒されるところまでは行かずに耐えていました。
それを見て、これできっとトウモロコシたちは、いっそうしっかりと根を張って茎を太く強くして、この次また風が吹いた時に備えるだろうと思いました。
そしてその結果、しっかりと養分を吸い上げて良く育つのではないか?そんな仮説を思い付きました。

何事にもきっとわけがあるもの、どこでどのように手を出せば良いか分かるのが人間の知恵なんでしょうね。
裏返ったじゃがいもの葉に、テントウムシダマシの卵が付いているのが、良く見えて発見し易かったのもご利益でした。

このところ、雨と風と日の光が交互にやって来るので、作物たちはこの一週間で見違えるように育っています。
もちろん雑草たちは、その何倍かすごい勢いです。
人間の私は、それに負けないように草取りしています。

もうあと一週間かそこらすれば、きぬさやあたりから収穫が始まるでしょう。
採れ出すと、今度は収穫に追われるようになります。
楽しみです。

ランプの灯り

昨日は、夏至でしたね。
昨日の夜は、ブログをアップした後間もなく、PCを止めて蛍光灯の明かりも消して、灯油ランプとローソクで過ごしました。

もちろん明るさという点では、電気の明かりとは比べ物にならないほど暗いはずなのですが、それだけになったらなったで全く暗いという感じがしないのは不思議です。
目が慣れるのさと言われればそれまでですが、それだけではないような気もします。
さらにうまく言えませんけど、何か安心感があります。
本当は、炎が燃えているので危険と言えば危険なのです。
火事になることだってあり得ますからね。
それでも、ランプやローソクには、何か得難い魅力があります。
それを毎日の生活で使っていると、物事に対する感覚までもが変わって来るような気がします。

静かで暗い夜が当たり前の暮らしをして来た私たちが、電気の点くここに来て先ず驚いたのは、蛍光灯の明るさが暴力的にさえ思われたことです。
おまけに蛍光灯は何やら音も出しているのですね。
外に出れば、街灯が明る過ぎて星空も見え難くく、何もかもに違和感がありました。
さすがに6年近くも経って、慣れてしまったと言うか、慣れざるを得なかったと言うか、平気になってしまった自分に逆な意味で違和感を感じるこの頃です。


灯油ランプとローソクの明かり


器具のディテールをお見せしたかったので、昼間撮影したものです



部屋の真ん中あたり、テーブルの上などに吊るして使います。
真下でやっと本が読めるくらいの明るさ。
絵や写真は、色が変わってしまいます。



卓上用あるいは壁際の棚やボックス類の上に置いて使います。
残念ながら、ホヤの上部が破損しています。



コスト的には、一番贅沢な明かりです。でも、雰囲気は最高!
山暮らしをしている時は、月に一本くらい消費していました。



昨夜は、ランプの灯りに替えたら、以前の感覚がすぐに戻って来ました。
いやー、うれしかったですね。
もう一度人生を変えてもいいと思えるくらい、感激していました。

さて、暗くなれば眠くなるのが生理のようで、眠たくなったので寝る前に小便をしようと、また思い立って外に出ました。
そうしたら、晴れて澄んだ夜空に星が瞬いていました。
とたんに目が覚めてしまった私は、それからしばらく星空を眺めていました。

とても大切なものごとを幾つか思い出せて、確認出来て、昨日はうれしい気持ちで眠りに就くことが出来ました。

父の日によせて

今日は、父の日。
私も6人の子の父ですが、それは置いて、今は亡き私の父の話を聞いてください。

私の父は、もう14年余り前に亡くなり、すでにこの世の人ではありません。
その父が、亡くなる2年ほど前に、当時山暮らしをしていた私たちの所に、一度きり訪ねて来たことがありました。
「馬鹿な選択をする・・・。」と呆れられながら始めた山暮らし、本当によくやっていたものだと思える、まるで絵に描いたような貧乏暮らしでした。


たった一晩泊まりで直ぐに帰らなければならない父でしたが、いる間中ずっと6人の孫たちと遊んでいました。
4人の男の子たちと、下の川にも行きました。
渓流釣りの達者だった父は、孫たちが同じように達者に沢を飛び歩く様子を、目を細めて眺めていたに違いありません。
この時は一匹だけ、手ごろな大きさのヤマメが釣れて帰って来ました。


それをさっさと捌いて、夕食のごちそうに塩焼きにしてもらって、父はとても満足そうでした。
ランプの灯りの下で、私たち夫婦と6人の孫たちに囲まれて食事をしたのも、思えばこの時が最初でそして最後でした。


皿に乗ったヤマメの片側半分をきれいに平らげた後、孫たちがじっと見ているのに気がついた父は、そうか!この子たちにも食べさせてやらなくてはならなかったと、魚をクルリと裏返して「おっ、もう一匹おった!」と言って皆を笑わせました。
それから遠慮していた子どもたちも箸を延ばして、皆で一口ずつ味わったヤマメの味は、忘れることが出来ません。
いつもユーモアを忘れぬ父でした。


そんな父は、孫たちに惨めな思いをさせている(・・・)不届きな息子に、小言の一つも言いたかったはずですが、その時はそれまでの2年間、私たち家族全員が一度も医者にかからず、健康優良家庭として村から二度も表彰されたことを褒め、それ以外は何も言いませんでした。
実を言えば、国保税も満足に払えず、保険証の交付を留保されていたので、医者にかかりようもなかったのですが・・・。
多分それも、父は分かっていたと思います。


私と二人だけで話している時、ただ一言、「貧乏するのはかまわんが、貧乏がしみたらいかん。」と言い残しました。
その言葉の意味をすぐには理解出来なかった私ですが、後になって、「人は、貧しい暮らしを続けるうちにいつの間にか、初めから他人の厚意を当てにするような、浅ましい根性が身に付くことがあるものだ。そうなったら人間もおしまいだぞ。」、そう言いたかったのだと理解しました。


その父とも、あの時以来二度と会うこともないまま、二年後には天国に行ってしまいました。
親不孝の埋め合わせは結局出来ませんでしたけど、多分許してくれているだろうと、今はそう思えます。
許すしかない、親心の哀しさそしてありがたさ・・・。
否、案外喜びかも知れないと思う私です。


ちなみに晩年の父は、詩と短歌を学んでいました。
日々の思いを自分史風にまとめて、一冊の本を残してくれました。
世に出せば良かったのにと思う私ですが、巻末には非売品と銘記されています。
いかにも父らしいスタンスだと、代わって私が皆さまにご披露する次第です。


 


   山里にあこがれて住む子ら想う富みきし国の翳りなるやも


   便りなきは健やかなりと諾はん山ふかく住む子らのすぎゆき


   帰りこぬ五月の車みちのくに離れて育つ孫らの遠し


 



 


山暮らしの風景 1993 



 ヤマメを釣った川



このプレハブ小屋で暮らしていました。 



 真黒にすすけた小屋を、連れ合いが精いっぱい可愛らしく演出していました。

いささか充実し過ぎ?な一日

今日は早朝からパン焼きに始まり、午後にはブラウニーを焼いて、その後コーヒー豆の選別(例のホアキン)と焙煎、もちろん合間には使った道具の後片付け、そして最後は畑で草取りでした。

さてこの中で、何をしている時が一番気分が良かったでしょうか?

概ね何をやっても楽しい私ですから、よほど嫌なことというのはありませんが・・・、まずコーヒー豆の選別はあまり・・・×ですね。
それ以外はまあまあ、業務としてのテンションは確かに疲れますが、それがないと逆に張り合いもないような気がします。
今日は、パンの出来も良くて満足でした。
コーヒー焙煎も失敗なく終わりましたので、これもOK。

最後の畑は予定外でしたが、外が明るいうちに仕事が終わったので、急にやる気になって外に飛び出しました。
先ずはじゃがいもの様子を見ると、テントウムシダマシがいっぱいたかっているではありませんか!
直ぐにゴム手袋をはめて潰しにかかりました。
素手でも平気ですけど、ああ沢山だとあとで臭いが染み付いて大変なのです。
ちょっとの間に、50匹くらいはやっつけたでしょうか。

最初見た時思わずカッと来て、農薬を振ってやるぞといきり立ちましたが、待て待て先ずは様子見様子見と自分をなだめて、手で潰しながら観察して回りました。
そうしたら、テントウムシダマシの他にも害虫はいるんですね!
クソッ、皆殺しだ!とまた頭に来るのをようようこらえて、さらに冷静に観察しながら思い当りました。
こんなに害虫がいるのに、その割にしたら害を受けていないじゃないか・・・。
多分、鳥とか肉食系の昆虫などが、私の見てないところで沢山仕事してくれているんだと。
やっぱり農薬は、よくよく考えてからにしなければいけませんね。
そして人間の私も、暇さえあれば畑に来て虫取り草取りしなさいってことですね。

こう見えても私、畑の草取りなんて仕事は大好きです。
時間さえ許すなら、いつまでだってやってたいんです。
面倒くさいなんて思ったことはありません。
そう「面倒くさい。」って言葉は好きじゃありませんし、あまり口にもしません。

ああ、だからですね。
やって、やって、やり抜いて、気がつくと電池切れで動けなくなっているのは。
これでは、加減を知らないただのバカですね。
今日はいささか充実し過ぎの一日でした。


 


  Machiko の世界 「ドコノモリ」 をお訪ねください。 <こちら> からどうぞ。


 

デンキを消して、静かな夜を


真っ暗・・・。画像としての情報量は、当然小さい。


 


毎年この時期になると、こんな呼びかけを耳にします。
明後日の夏至の夜には、一斉にライトダウンして「キャンドルナイト」なんてイベントもあるみたいです。

いいことだと思いますけど、街を暗くすると犯罪が増えるとか、別なところに気を配らなくてはならなかったりするのがちょっと悲しい、今の私たちの社会です。

二年前のこのブログで、「ランプの灯りと暗い夜」という記事<参照>を書きましたが、夜の暗さが与えてくれるものは沢山あります。
感動的な星空の眺めもそうですが、一番印象的なのは安心感です。
今のこの社会では考えられないことかも知れません。
私たちが山暮らしをしていた、人里から隔絶した場所にはそれがありました。
この感覚は、哺乳類の末裔である私たちに、本能的に備わっている感覚なんだろうと思います。
それがどのくらい大切なものであるか、今改めてそれを思っています。


ところで、省エネルギーがどんどん進んでいるはずなのに、電力消費の全体量は増える一方なんですね。
電気を使う機器の効率は、近年素晴らしいものになって来ていますが、一方で私たちが使う電気製品は増え続けています。
中には、こんなものまで電化しなくてもいいのにと思えるものもあります。
また、24時間中ずっと電源が入りっ放しの機器も、これまた多いのですね。
我が家は、商売をしているのでなおさらのこと、冷蔵庫や電話機やPCなどなど、一日中あるいは営業時間中、電源が入りっ放しの物がけっこう沢山あります。
山暮らしをしていた頃とは比べ物にならないエネルギー消費量に、もう少し何とかならないかと自責の念に捕われます。


そうですね。
明後日の夏至には、うちでも久しぶりにランプで過ごしてみようかな・・・。

雨の中、ご来店者あり、パン売れる・・・。

今日は、畑の野菜たちにとって本当にいいあんばいの水やりになりました。
シトシトと細かい雨が、植物たちの世話をしているみたいでした。
そして食工房には、雨天にも関わらず三々五々ご来店くださる方があり、ちようど焼き立てのパンを買っていただくことが出来ました。


店には年中、本当にいろいろな方がお見えになりますが、最近の傾向として、ネット上で食工房を見つけてそしてわざわざ訪ねて来てくださる方が少なくありません。
そういう方々は、食工房ホームページやこのブログなどから、食工房のパンや焼き菓子あるいはコーヒー豆などをイメージして来られますので、果たして実際にお出でになってご期待通りだったかと、とても気になります。


加えて最近は、会津若松市内や新潟また仙台、あるいは神奈川県の販売委託先でお買い求めいただく方も少なくありませんので、お客さまとの距離が遠い分、それぞれのお店のお得意様方にどんな評判なのか、詳細を知りたいという気持ちがいつも働きます。


それだけに、こうして直接ご来店くださる方々と交流出来ることは、それらを間接的ながら判断出来る手がかりになる、とてもありがたい機会だと思っています。


以前に比べて、おかげさまで販路が広がった食工房ですが、それでも自店での店売りが売り上げの中心であることに変わりはありません。
街はずれの辺鄙な場所で申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

本日は、2009.6.17

今日は定休日で店は休みですが、仕事が休みというわけではありません。
否、この頃営業日よりも忙しいのです。




・・・というわけで、本日は写真一枚で失礼いたします。



裏のお稲荷様の畔に、ユキノシタがあるのは知っていましたが、花が咲いているところを見たことがありませんでした。
今日発見して、娘に教えられて、納得した次第。
可愛らしくまた凝った造りの花です。
わずかな風にも震えるので、なかなかシャッターチャンスが掴めませんでした。
たった一枚、お見せ出来るものがこれでした。

快晴の下、生命の歌聞こゆ


トウモロコシがビックリするほど逞しくなりました。


今朝は、朝寝をして少し遅めに起き出しましたが、快晴の空の下まだ朝の冷気が残っていて、気持ちのいいことと言ったらありませんでした。
コーヒーを一杯飲んでから、遅い朝飯の前に畑に行って写真を撮りました。
ここ数日何度か雨が降ったおかげで、植物たちは確実に力づいて見えます。
そこにいるだけで、先日までとは何かが違っているのが、はっきりと分かります。


いやそれにしても驚くのは、雑草たちの生命力です。
すっかり取り尽くした気でいた所に、無数の新芽が萌え出ています。
大して気にならなかった隅っこには、逞しく太く丈を伸ばした雑草が、早や作物に迫っています。


その中で、トマトやキュウリやナスなど作物たちは、人の手に護られてようやく成長を始めました。
あと半月もすれば、食べられるようになるものもあります。




きぬさや、いんげん、きゅうり、なす、トマト
収穫が楽しみです。


 


こうして畑にいると、私たちは何故生きていられるかということが分かるような気がします。


私たちが食べ物を通して受け取っているのは、実は地球のお母さんの生命力なのですね。


 



 



こいつがナス科の大敵です。
潰すと、正にじゃがいものにおいがします。
当然と言えば当然かも。


私たち人間にとって大切な作物を食べる虫たちもいます。
少しぐらいなら分けてやってもいいと思いますが、加減するのはよほど難しいです。
すっかりやられて全滅させられるくらいなら、農薬を振ってでも収穫は得たいと、私はそう思っています。
でもその前に、他に方法があるならと、テントウムシダマシ(二十夜星テントウ)を手で潰しています。
もうすでに一カ月くらい前から、出て来ていますので見つける度に退治して、合計すれば300匹やそこらはやっつけたはずです。
卵が産み付けられているのを見つけることもあり、幼虫が孵ったら大変ですから、有無を言わさず潰しておかなくてはなりません。
虫の害はなかなか手強いものですが、実は一番協力してくれているのは鳥たちです。
ただし、鳥は作物に害を与えることも多いので、バランスが難しい・・・。
自然の計らいと、人の手のバランス。
過ぎても足りなくても、作物は上手く育ちません。



じゃがいもの花とクモ。農薬を振ると、彼らも一緒に死んでしまいます。


勘所をつかむためには、とにかくよく見ること以外にありませんね。
私が、コツコツ草取りするのが一番楽しくて、退屈もしないで続けていられるのは、そこに自然の営みの秘密が見えるような気がするからです。
実は、畑からもらっているのは作物だけではない、もっと大事なものを沢山もらっている、だから止められないのです。

クッキー在庫回復作戦

昨日今日とクッキーを焼きました。
やっぱり、棚ににぎやかにお菓子が並んでいないと、お店がさみしく見えるんですね。
お客さまが入って来られた時、何かパッと明るい気分になっていただくためにも、そうした見栄えというのも実は大切な要素です。
こんなところでも、本当はうんとサプライズしたかったのですが、ちょっとエネルギーが足りませんでした。
幸い、ここらで少し気持ちを入れ替えて、やれるだけやってみようという気になれましたので、これからは少しずつでも棚がにぎやかになると思います。


 





 


    ジンジャークッキー
男の子の型と女の子の型は、形の違いにより焼き時間も微妙に違って来ます。
四角形のものは、それはそれでまた焼き時間が違うのです。
そこでご覧のとおり、三酒類それぞれ別の天板に並べて窯に入れます。
袋に入れる時も、偏らないように男の子7人と女の子7人、あとは四角形で目方を調整します。
一人ずつ多くても少なくても、出来上がる袋の数に対して均等になりません。
細かいことなのですが、こんなところにも気持ちを込めておきたい、これはうちの娘たちの心意気です。


    パタポン
15枚入りと表示している通り、目方は計りませんので枚数だけ数えて袋詰めします。
その代わり、型抜きする前の生地の厚みには神経を使っています。
時間が経過するうちに、少しずつ生地の弾力が強くなって来ますので、機械のローラーの感覚を少しずつ詰めて行きます。
厚みが揃っていれば、何よりまず焼き時間が揃うということが第一。
そして、製品の目方も枚数できっちり出せるというわけです。


仕事で同じものを沢山造るようになると、毎回同じ出来上がりになることが一番大切なって来るのですね。
そう言いつつ何回やっても、その度に難しいと思わされるクッキー焼きです。


 


 


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