投稿者「mikio aoki」のアーカイブ

福寿草、その後


花芯の形とそっくりに実をつけています。


早春の頃、咲いている福寿草を愛でる人は多いですが、新緑も深まりつつある今頃、福寿草のことを気にかける人はほとんどいないと思います。

今日、外の草むらで立ち小便をしていたら、足元に福寿草が実をつけているのを発見しました。
あとでカメラを持ち出して写真を撮っていたら、面白いことにアリが実を一粒もぎ取って運んで行くではありませんか。
確か福寿草は全草猛毒で、種子も例外ではなかったはずです。
もっとも、昆虫には無害なのかも知れませんが・・・。



何をしているのかと思ったら・・・



一粒実をもぎ取っていました。
トウモロコシみたいですね。




しばらくその場で行きつ戻りつしていましたが、
どこかに運んで行きました。



上の娘が言うには、昆虫の中には、わざわざ毒のあるものを食べて自分の体に毒を回し、鳥や他の昆虫の餌食にならないよう防御している種があるそうで、このアリがそのために福寿草を選んでいるのか、本当に食料にするのか、あるいはもっと他に目的があるのか、調べてみたくなりました。


それはそれとして、福寿草はこうやって実をつけてそれが熟して地面にこぼれると、あとは枯れてまた来年の春の開花期まで、一年の大半を休んで過ごすのですね。
そう言えば同じ頃咲く、同じキンポウゲ科のアズマイチゲも実をつけているかと思いあたりを探してみたら、実をつけている姿はなく、すでに枯れてしまった葉と茎が草むらに埋もれかけていました。
こちらは、もう種をこぼした後だったのでしょうか。
春のこの時期は、次々といろいろな草花が交替して咲いては実をつけて行きます。


こうやって次の世代へと命をつなぎ、役目を終えて消えて行く草花の姿に立ち会って、今朝がた帰って行った息子夫婦や孫を見送った自分も、同じく一役終えて人生最後のステージに立とうとしているのだなと、しばし感慨に耽った私です。

そう言えば今日は、こどもの日でした・・・。
全ての子どもたちが、本当に幸せであるようにと祈らずにはいられません。

祭りのような一日


何をやるにしても、頭数が多いというのはすごい力。
会場もあっという間に設営してしまいました。


身内だけで12人、今日は3人お客さまも加わって、まるで祭りのような一日になりました。
日頃の我が家の食生活からは想像出来ない、焼肉パーティーです。
ビールもいっぱい用意して、大騒ぎに・・・。
私も、久しぶりに飲んで食べて、ちょっといつもと違う満足感を味わいました。

我が家の四人の息子のうち二人が、アフリカの太鼓(ジェンベ)をやっているので、今日はそのつながりの方がお客さまというわけで、早々から太鼓のセッションが始まりました。
食工房に買い物に見えたお客さまも、急きょ観客となり大盛り上がり状態に・・・。
それは良かったのですが、少しばかり調子に乗り過ぎたせいか、ご近所から苦情をいただいてしまいました。
いやいや、失敗!失敗!




この子の笑顔に免じて、どうぞお許しを。



そして今日は早、一組帰って行きましたので、ちょっとさみしくなった感じがする我が家です。
明日には、残るメンバーも帰途に付き、いつもの我が家に戻ります。
そして、また忙しくなりそうな気配です。

時事そして私事雑感


 


週末、休日の高速道路の利用料金が、1000円一律でどこまででも行ける制度が発効して、最初の利用のチャンスがこの連休でした。

正直な感想を言わせていただくなら、「何と馬鹿げた発想なんだ!」と取り合う気もしていませんでした。
休日に高速道路を利用してどこかに行くなんてことは、うちにはほとんど関係ないことですからね。
それにそもそも、ETCとやらも付けていないし、軽自動車のバンでは遠くに行く気にもなりません。(いや、一度高知まで往復したのでしたが、もう一度やる気はないので・・・。)

ところが、昨日千葉からいらしたご家族連れは、しっかりとこの計らいの恩恵に与かり、交通費を節約出来て上機嫌。
そのせいかどうか知りませんが、うちでいっぱいお買い物をしてくださいました。

確かに直接の恩恵は全く無いのですけれど、こういうのを波及効果と言うのでしょうかね。
多分、業種にもよるかも知れませんが、多少の間接的恩恵に与かった商売は、案外沢山あるのじゃないかと思います。
だからと言って、決して良い制度だと弁護するのではありませんよ・・・、念のため。

節約の仕方もいろいろで、同じく今朝早く千葉から到着した息子たち一家は、高速料金を浮かせるために全行程8時間、一般道を走行して来ました。
これも、たまたま彼がトラックドライバーで、運転もルート選びも心得ていたから出来たことで、一歳半の子どもを連れてこんな強行軍は、誰にでもお勧めするわけには行きません。

まあこのように、ものごとの善悪はそんなに簡単には論じられないということですね。
ただどうしてもこういう制度を作りたかったというのなら、本当に然るべきところに恩恵が分配されるよう、もっと真剣に議論を尽くしてからにしてもらいたかったと思うのは、私だけではないでしょう。

かくして連休半ばの今日、もう一人の息子が茨城から仙台経由で到着します。
彼の節約方法は、往路は友人の車で帰りは兄貴の車でと、なかなか上手い手を使っています。

ゴールデンウィーク、実感してます。

先日4月29日からすでに連休期間に入っていますが、週末の今日は久しぶりの遠来のお客さまのお顔を拝見して、いよいよ連休なんだと実感した次第。
ちょうどお天気も良く、暖かさを通り越して少々暑いくらいの陽気の中、はるばる千葉から、いつもこちらに来る度にお立ち寄りいただいている方々が二組お見えになりました。

実は今年は我が家も、久しぶりに都会に出ている子ども達が全員
帰省して来ることになり、結婚した二人の息子の連れ合いと孫も一緒なので、明日から総勢12人の大家族になります。
さすがに仕事は明日の午前中までで、後は製造休止です。

今日はそういう事情もあって、通常のパン焼きの他にクッキー類も二種類焼きました。
連休中、お店の方はずっと開けておりますので、ご来店いただければありがたいと存じます。


     チゴユリが咲いていました。



低い位置に下向きに咲くので、目立たない上に、写真を撮るのは一苦労です。




斜面に咲いているところを下から狙って、やっと視野に入ります。


この花は、私が好きな花のベスト5に入ります。
それほど珍しいというわけではありませんが、開花時期が短くまた目立たない姿をしているため愛でる人は多くない、というよりそもそもお気づきにならないのかも知れません。

コンデジでチャレンジしましたが、小さい花なのでなかなか思った所にピントが合わず、背景の杉の木にピントが合ってしまったりして散々苦労しましたが、やっと2ショットこれならと思うシーンが撮れました。
小さくてもちゃんとユリ科の花の特徴を備えていて、特に三又にフックになっている雌しべの凝った細工には、自然の計らいの完璧さを思わずにはいられません。


 





ここはやはり一眼レフだと思い、フィルムを入れて久々にフィールドワークしました。
ファインダーで見るチゴユリは、なお一層感動的でしたけど、ちやんと写っているかどうかは現像してみないことには分かりません。

ずっと以前に撮ったチゴユリの写真を、すでに一度お目にかけています。
ご覧いただければ幸いです。<こちら>

甘味をめぐる考察

先日、私の友人であるtakさんのブログに、「のほほんとシュガーレス」<参照>というタイトルで、私のブログを引き合いに出してくださり、大いに盛り上げていただきました。
そこで、私もお菓子造りを仕事にしているものとして、甘味に対する考察を展開してみることにしました。


先ず、人(実は人だけじゃないかも知れませんが。)の舌は、甘さに対して特別寛容に出来ているということを申し上げたいのです。
甘さを表現する言葉として、「砂糖の〇倍の甘さ」という尺度が通用していますが、この場合の砂糖は白砂糖あるいはグラニュー糖のことを指しています。
このグラニュー糖を固めたのが角砂糖ですが、例えば角砂糖一個ポンと口に入れても、別にどうということはありませんね。
そのままコリコリと噛み砕いて飲み込んでしまいます。
キャンデーなんかは、言ってみれば砂糖の固まりそのものと言っても全く差支えないほどですが、一個でも二個でもいくらでも口に入ってしまします。
これが塩の固まりだったらどうでしょう?
とてもこうは行きませんね。
たちまち吐き出してしまうに違いありません。

どうして私たちの舌が、甘さに対してこれほどまでも寛容なのか。
それは、私たちが生まれて初めて覚える味(母乳の味)が甘味であり、甘味は食物の味の基本だからです。
甘味は、その食べ物が安全でおいしいものだという、シグナル(信号)としての役割を果たしているとも言えそうです。
それだけに、私たちは元々甘味に対して無抵抗です。
そして、強い甘味に慣れるほどに、いくらでも甘味に対する欲求が強くなります。
甘味中毒は、私たちにとって誰かれ問わず、実際に起こり得るリスクです。
甘味中毒がどのように恐ろしいのか、それはもう先人たちが散々警鐘を鳴らして来たことですから、ここでは詳しく申し上げませんが、私が一番怖いと考えるのは、食生活全体の嗜好が不健康な方向にシフトするということです。


ところで、母乳だけで育った子どもが離乳して行く時、母乳より極端に甘いものは先ず拒否します。
何度か試すうちに直になじんでしまいますが、実はこのデリケートな味覚を絶対に壊して欲しくないと、私は真剣に思います。
少なくとも4歳を過ぎる頃まで、甘みの強いお菓子は口に入れない方が良いと思います。


takさんが言っているように、甘くなくてもおいしいとか、甘いとおいしいは違うという感覚は、これはもうご両親に、特に母上に感謝するしかない、大変な財産です。
私なんかは、元々甘党に育ちましたから、こういう理屈は本で読んだり人の話を聞いて、頭で考えて納得しているわけですが、それでも十分な抑制力になっているのは、単に怖がりだからかも知れませんね・・・!?


ここでちょっと話がそれますが、人間以外の動物でも甘味中毒になるみたいですね。
特に人間のそばにいる犬などは、一旦甘いものの味を覚えると、簡単に中毒になってしまうみたいです。
実験用のマウスでも、動物園の猿でも、その例に漏れないそうです。


そこで思うわけです。
食工房のお得意さま方の多くが、シュトレンのように甘いお菓子と、パタポンのようなノーシュガーのお菓子の両方をお気に入りなのは、考えてみるととても健全な味覚をお持ちだと言えるのですね。
で、たった今「シュトレンのような甘いお菓子」と申し上げましたが、実は甘味の満足度というのは、必ずしも砂糖の量に比例するものではありません。
食工房のお菓子の大半には、砂糖の量を減らしつつ甘味の満足度を高めるために、実は仕掛けがしてあります。
それがいつだったかにも申し上げた、スパイスワークというわけですが、そのお話しはまた機会を改めて、より詳しく触れたいと思っています。
今日はここまで。

眠くてたまりません。

今朝は、午前2時過ぎに目が覚めてしまい、4時までもう一寝入りとおもったものの寝付けず、眠気が取れぬまま一日が始まりました。
それでも午前中は気合いが入っていましたが、パンを焼き終えた後は、暖かい春の陽気も手伝って、もう眠くてたまりませんでした。

で、その後の配達が大変でした。
ちょっとボンヤリしていたおかげで、いくつか勘違いが重なり、配達を一軒抜かして別な道を通って帰って来てしまいました。
もう一度出直そうかと思いましたが、ここは冷静に思い止まり、明日お届けする旨お電話差し上げてご了解いただきました。
と言うわけで、あとは寝させていただきます。




慶徳峠より望む。  本当は、ここは通らないはずでした。
霞みがかって、今日の私の頭のようです。

農産物としてのコーヒー


言うまでもないことですが、コーヒー豆は農産物です。
お米や豆を作ったことのある方ならわかると思いますがそれと同じで、その年によって出来不出来があるのはもちろん、同じ生産者の同じ年度産でも、品質に多少のバラつきが出ることは、どうしても避けられません。
そこで、スクリーンを通して粒度を揃えたり、手選別によって欠点豆を取り除いたり、また複数の農園産の豆を混ぜて均質化したりして、その産地なり銘柄なりの平均的品質を保証するわけです。

ところで、コーヒー豆が元々どんな姿形の農産物か、ご存じない方のために説明しておきます。

例えば、銀杏を思い浮かべていただくと、ちょうどピッタリです。
春に花を咲かせて結実し、秋までに熟して収穫期を迎えます。
さくらんぼくらいの赤い実は、別名コーヒーチェリーとも呼ばれます。
表皮の下に果肉があり、その中に殻に入った種子が納まっています。
この種子がコーヒー豆になります。

外側の果肉を取り除き、殻の中に納まっている種子を取り出すには、けっこう大変な作業が待っています。
脱果精製と呼ばれるこの作業は、栽培以上にコーヒー豆の品質を決定づける、とても重要なプロセスです。
まず、ナチュラルと呼ばれる方法では、果肉をつけたまま屋外で天日に当てて乾燥させますので、お天気に左右されます。
元々この方法は、一年が雨季と乾季にはっきり分かれていて、なお且つコーヒー豆の収穫の頃に乾期に入り、晴天が続く土地でなければ実現出来ない方法です。

そしてもう一つの代表的な方法が、ウォッシュドと呼ばれる方法です。
こちらは、果肉を先に取り除きます。
まず、実を水の中に浸けて果肉を腐らせ、水で洗い流します。
その後乾燥機で乾燥させ、それから殻を砕いて中の種子を取り出します。
こちらは、お天気に左右されにくい代わりに、水に浸けている間に微妙に発酵が始まって、それが品質に影響することがあり、これはこれで難しい局面があるのですね。

最近は、両者の良い所を取り入れた中間的な方法であるセミウォッシュド(別名、パルプドナチュラル)と呼ばれる方法が、急速に普及して来ています。

いずれにせよ、これらの方法によってグリーンコーヒーと呼ばれるコーヒー生豆が得られるわけですが、産地の仕事は実はそれで終わりではありません。

この後、グレーディングという作業が待っています。
決まったサイズの網目(スクリーン)を通して粒度(粒の大きさ)を揃えた後、あの手選別作業(ハンドピッキング)です。
いわゆる欠点豆を、目で見て判断して拾い出すわけですが、未熟果、過熟果、割れ、欠け、カビ、発酵豆等々、十項目以上もの欠点項目を瞬時に判断しなければなりません。
地味な作業ですが、こう見えてハンドピッキングは、なかなかに熟練を要するプロフェショナルの仕事なのです。



ペルー産コチャパンパ生豆(ウォシュド)  大変良くグレーディングされています。



こうしてやっと消費地に向けて出荷されるのですが、たとえパーフェクトな生豆でも、輸送中や保管中の状況により、また欠点豆が生じることが少なくありません。
それを私たちは、水際作戦で拾い出すわけです。
この時に、コーヒー豆が農産物であるということを、身を以て承知しているのといないのでは、仕事の質にずい分差が出るだろうと私は思っています。
その意味でも、昨日のように畑をやることは、大変有意義なことだと思う私です。


    ネパール産・サガルマータ、取り扱い休止のお知らせ


産地より出荷の時点で、乾燥が甘かったか、あるいはカビなど何らかの変質の原因が混入していたか、はっきり分かりませんが、最近の暖かさで品質が急変して来ました。
同様に保管している他の豆には異常がないので、この豆自体に原因があるものと考えられます。
思わぬところで損失を出すことになってしまいましたので、当分この豆の仕入れが出来ません。
また次年度産の豆が出て、サンプルを取り寄せて品質を見極めた上で、再開を決めたいと考えています。
ご了承ください。



  空色カフェさんの営業が、再開されます。


昨年秋から冬期休業中だった、空色カフェさんの営業が再開されます。
5月2日(土)より。
詳しいことは、<こちら>をご覧ください。



こんな風景の中に、カフェがあります。



こんな木々を眺めながらお散歩もいいもの



雨の日もまたいいものです。


山の上で、もう一度春を楽しめます。
ぜひお出かけください。

今週も畑です。


男爵を6畝植えたところ。このあと2畝足してメイクィーンを植えました。


この集落でも高齢化が進みつつあります。
まわりの畑も、いつまで耕作が維持されるでしょうか・・・
 


今日は定休日。
ここ何日間、荒れ模様のお天気でしたが久しぶりに晴れて、うれしい気分で外に飛び出しました。
待ちに待った畑作業に、やっと手をつけられるというので、さて何から始めようかと頭の中はパニックです。
でも体は一つ、時間は今日一日。

先ずは、ネギを植えました。
3週間も前に掘り上げて、乾き過ぎてダメになるかも知れないと、水に浸けた翌日から雨ざらしで一週間。
まあでも、ユリ科のものはとにかく根が強いので、大丈夫だろうと植えるだけは植えました。
それからじゃがいもを植えるために畝を立てて、木灰を撒いて、先日用意しておいた種イモを植えました。
今年は、男爵とメイクィーン合わせて8畝。
予定収量、200kg!?
自家用の他に、独立して所帯持ちになった二家族の分も必要ですから。

午後は、ホームセンターに資材を買いに行って帰って来たあと、
きぬさやとインゲンのために棚を作りました。
そこまでやって、今日はつまり今週は、ここまで。
また来週までおあずけです。

それにしても、ここ何日間か冷たい雨が続いたせいでしょうか、
そして今朝も特別気温が低くて、地面の温度が上がっていないのですね。
種を蒔いても、すぐには芽が出ないかも知れません。
こちらとしては、時間の都合で少しずつしかやれないので、間延びしたらしたでかえって好都合です。


先週もそうでしたが、私にとってはこうやって体を動かすのが一番の健康法です。
今日は、体が動くことが殊更にありがたく思える一日でした。


おしらせ


連れ合いが、久々に「ドコノモリ」に新しい記事を入れました。


<こちら> からご覧ください。

ノーシュガーです。


ノーシュガーだからこそおいしい!
穀物クッキー・パタポンです
 



ドライフルーツの柔らかい甘みで十分
楽しめる、マフィン・シマリス君の朝ごはん
 



 最近売れっ子の、バタービスケット
生地を発酵させるために、少量の砂糖を使っていますがので、
厳密にはノーシュガーと言えないかも知れませんが、
お味はあっさり塩味で、実質ノーシュガー



こちらもサワードゥ(発酵生地)のビスケット
ゴマとスパイスの微妙なバランスで、香りの
パフォーマンス。「わらいごま」の所以です。



 製造効率の悪さで、経営破綻メニューと呼ばれる
ご存じ「山の子クッキー」です。現在、製造封印中。



 すごくいい内容なのですが、こちらも経営破綻メニューで製造封印中。
松の実とチーズ入り塩味クッキー
「ロンサムパイン」です。


 


ご紹介いたしましたのは、いずれもノーシュガー、つまりお砂糖で甘くしていないお菓子です。

草加煎餅のように、もともと醤油味のものは別にしても、お菓子と言えば甘いのが普通です。
業界の中にいると分かりますが、砂糖の量で売れ方に差が出るということが、実際よくあります。
甘味離れと言われるご時世でも、本当にはっきりと甘さを控えられてしまうと、受け入れられるのは難しいのですね。
やはり、甘くないお菓子は売れないことが多いのです。

しかしここできっぱりとノーシュガーとなれば、今度は別なニーズがあるのですね。
健康食愛好家の間では、あらゆる食べ物に砂糖が入ることを拒否する方が、少なからずいらっしゃいます。
ま、それはそれとして、ノーシュガーのお菓子は全く別のジャンルだと受け止めると、それはそれでなかなか味わい深いのです。

特に、離乳が始まっていろいろな物を口にするようになり、お菓子の味も覚える頃の小さいお子さんには、まずノーシュガーのお菓子をあげていただきたいと思います。
お砂糖の沢山入った甘いお菓子の味は、あとからいくらでも覚えられますが、ノーシュガーの素朴な素材そのものの味を分かる味覚は、気をつけていないとすぐに失われてしまいますから。

食工房では、甘いお菓子も沢山造っていますが、ノーシュガーのお菓子も皆さまに満足していただけるよう、いろいろ工夫を凝らしています。


それにしても、山の子クッキーとロンサムパインの成形方法、何か決定的に巧い方法はないかと、いつも頭を抱えて悩んでいます。


以前の「ノーシュガー」の記事も、ご覧いただければ幸いです。  <参照>

少しホッとしています。

このところちょっと気負い過ぎていたかなと思います。
今日、自分のブログを掘り返していて、こんな記事<参照>を見つけて、少しホッとしています。

忘れちゃいけないことって、あるんですよね。

この場所での今の生活は、それを思い出すきっかけを失わないでいられるという点で、ギリギリのボーダーラインにいるような感じがします。
これ以上都会に近寄った生活になると、多分戻れないところに流されて行くしかないかも知れません。
そうは言いつつ一方で、都会がなかったら成り立たない利便性を享受してもいるのですけど・・・。

でもこれは、どこかに辿り着くまでの道のり、あるいはバランスが取れて行く過程だと思っています。
では私が、未来に何をイメージしているか、今はまだちょっと上手く語れるほどまとまっていませんが、何かしら希望のようなものを感じられて、その意味でも少しホッとしている、今日の私です。



実は一年前の今頃、フィルムで撮った、相川の名勝地と私が勝手に思っている桜です。