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無策のツケ

先日の放射性セシウム汚染牛の話、今後まだまだ出て来るだろうとの指摘があちこちから出ていましたが、その通りになりました。
中でも、我が喜多方市内の畜産農家2軒から汚染が確認されたことは、私としてもかなりのショックです。
問題の稲藁の出所が何処なのか、まだ公開されていませんし、もし近隣だとしたら喜多方市内の土壌の汚染も軽微では済まないということになります。


遅れ馳せながら今後、行政は詳細な土壌のモニタリングをせざるを得ないでしょう。
それ自体は良いことですが、出て来た結果にどう向き合うのか、責任の所在は明らかになるのか、これまでの経過を見る限り、あまり大きな期待は出来ません。


いよいよ以て、自分の暮らしは自分で守るしかない、そんな気がします。


それにしても農家は大変です。
全てを土に依存しているのに、その土が損なわれたのでは、生きて行くこと自体が難しくなります。


もし農家が避難するとしたら、その時点で農業は止めるということです。
代わりの土地を得て農業を続けることは、頭で考えるほど簡単なことではありません。


無策のツケが、ますます被害を大きくしている、それが分からない政治家や役人どもに、有効な解決策が練れるわけがないと思います。


たった一度の大地震と津波で原発が壊れ、それによって我が福島県が失ったものがどれほど大きいか測り知れませんが、政治の無策によってまだまだ多くを失い続けている私たちは、この先一体どのようにして救われるのか、道筋は全く見えて来ません。


こんな話があります。


今回の牛騒ぎで、全頭検査が決まりました。
牛は、ちゃんと内部被曝を計ってもらえるのに、福島の子どもたちも大人も、未だに内部被曝の検査はありません。
これでは牛以下の扱いだと、各方面から怒りの声が噴出しています。


当然ですね。


もう一度言います。


誰が「さすけねぇ。」なんて言ったんだ!

先は長い

言うまでもなく、放射能汚染の問題です。
4か月も経って、今なお次々と明らかになっている汚染の実態。
まさかと思っていた遠方まで濃厚な汚染が及んでいて、福島在住の私でも正直驚きを隠せません。
一番ショックなのは、関東の汚染状況が思っていたより深刻なことです。


「早川由紀夫の火山ブログ」
放射能汚染マップ http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-397.html


連れ合いの実家もあるし、次男一家、三男も暮らしているし、友人知人も沢山いるし、それにもしもの時には避難先にとも考えていたのです。


それがどうやら会津のこのあたりの方が、むしろ線量が低いのですね。


と言うことは、もう東日本全体の問題になりつつあるのですね。


こんな風に、本当は最初から分かっていたはずのことを、認識が後から追いかけている状況を見ていると、果たして来年あたり、この福島県はどんな状況に置かれているだろうか?そのこを思って憂鬱になってしまいます。


かと言って、私たちが飽きようが倦み疲れようが、こればかりは何の容赦もありません。


放射能には勝てません。それだけです。


そして先は長い。

この事実を、一体どう受け止めればいいのか!?

一昨日の夕方、「福島の子どもの尿からセシウム検出」のニュースの第一報があり、昨日は各報道機関でも取り上げていました。


そして相も変わらず、官邸筋は「ただちに健康に影響はない!」を繰り返し、原子力安全委員会の斑目委員長は「十分低い値。健康への影響は疫学的に考えられない。」との見解を示したそうですね。


しかし、尿の採取が5月だったことを考えれば、3月の当時にはもっと濃厚な被曝をしていた可能性があったと思いますし、今後何年か過ぎるうちに何らかの影響が出るかも知れません。


ま、それはそれとして、先月(6月)の12日に福島県のある町で、年間推定被曝量が20mSvを超えることが判明したために、原子力安全保安院や放射線医学研究所など専門機関が出向いて、住民説明会を開いていました。


この時、地元住民として参加した方のメールを以下に転載(転載の転載になります。※元記事は<こちら>)いたしますので、どうぞ隅から隅までよくお読みになってください。





以下転載


6月12日(日曜)に、住んでいる地区が(霊山町小国)年間積算推定量20ミリシーベルトを超えた為、住民説明会が開催されました。
放射線医学総合研究所・原子力安全保安・文科省からそれぞれ来ていて、基本的に繰り返している基礎知識を一時間くらい話した後、質問の時間が取られました。


かなり鋭い突っ込みがたくさん出て、最初はみんなの前では恥ずかしい人は後でそっと電話で質問してくださいなんて余裕な事を言っていた専門家の人達も最後は東京の本部に伝えます、ごめんなさいという言葉まででるような状況もありました。


最後の質問は、結局は自己責任で考えてくださいとしか言えないという答えと、実際の生活に則したアドバイスが何もないまま(山へは近づかない方がいい・アスファルトの上を歩くというアドバイスに→うち、山の中だし、アスファルトありません。とか)結局何も進まないと住民はプンプンで帰った感じでした。
 
その中で、ある方が今後内部被爆に関して、健康被害が出た場合、国は補償してくれますかという質問をされ、皆さんの安全安心を考えて補償しますと原子力安全の方が言いました。
 その前に放医研の方のお話の中で、放医研では低線量の被爆による健康被害は科学的に因果関係が証明できない為、認めていないとあった事・その後質疑応答の中で、現在示されている他の研究機関のデータに、統計的に放射線によるものと見られる疾病データがあったが、という質問に対し、信憑性がなく、認める事はないという答えをもらっていました。
 
再び質問して現在の医学では因果関係を認める事ができなければ、結局、今後補償も受けられないのでは?・・という事は補償するというケースは今のところあり得ず、補償します、安心してくださいという言葉は不適切で今後使って欲しくないと言ったところ、すみません。そのとおりです。と言われました。
 
昨日(月曜日)に会場に来ていた方、一人の認識だと困るので、東京の原子力安全保安院にも電話をし、結果として、現在の医学のレベルでは内部被爆に関する補償は有り得ないのではというと、そのとおりという答えでした。
 
県民の健康調査をするという話ですが、そこから突出しているデータを示しそうな人をピックアップして医療検査を行うとは言いましたが、全員を検査するとはいいませんでしたし、結局調査しても補償の話にならないのでは、県民の税金は医療の研究に使うだけ?となってしまいます。
 
先の原子力安全保安院の考え方は公に示して欲しいと言ったところ、一般的な答えで、検討しますという答えだったので、ネット上で公開してもいいですか?と聞いたらもちろんそれは個人の自由と言われました。


以上


※この方の、ネット上に公開の意志に基づき、私の一存で転載させていただきました。





この一件でも分かる通り、政府および関係機関は、3月以来(実はそれ以前から)一貫してこの姿勢なのですね。


私の知人は言いました。
福島医大は10年後には、放射線医学の世界的権威になっているだろう。
さらにその方の知り合いの医療関係者は、福島市は人体実験室だ。とも・・・。


出ている被害に対してこういう態度、そして未だに原発推進を取り下げない政府・電力会社、もう一度、もっとシビアな事故が起こらないと分からないのでしょうか。


その時には、この国に人はいなくなっているかも知れませんが。

いずれ明らかになることでしょうが・・・

この度の原子力災害に関して、政府も東電も本当のことを言ってくれません。
それだけは確かです。

ですから私たちは、何とかして真実に迫ろうとしていろいろなルートで情報収集を試みます。
中にはデマもあり、誤解に基づいた間違った解説もあり、私もそういう情報に翻弄されそうになりながら、何度も気を取り直しつついろいろな記事に目を通し続けています。


それらの中には、いずれ明らかにされるだろうことは間違いないとしても、あまりにも酷い話しが多くて、とっくに許容の限界を超えています。


★子どもの20ミリ被曝とSPEEDI隠しは、泣き芸知事の仕業

★福島の子どもたちを実験台にしている本当の悪たち

それでも現場では命がけで奮闘してくださっている作業員の方がいるのですね。
この方の報告は、どんな報道より実態に迫っていると思います。

★毎日現場で作業されている方のツィッター

★このツィッターを取り上げている関連記事

毎日情報収集されている貴重なブロガーさんも、一人や二人ではありません。


★平凡な日々に限りなく感謝 ~ tonkoidさんのブログ

★CAFE BONEKO ~ cafe-bonekoさんのブログ

★福島・未来塾すばる ~ 未来塾すばるさんのブログ


とりあえずこの3つがおすすめ


ブログ記事の中にあったリンクから・・・


★福島市が全市民対象の避難計画を策定

★他県からの避難受入れの申し出を、福島県側で断ったり握り潰したりしているという事実

★急性放射線障害の事実もあったらしいこと

★SPEEDIの隠蔽に関する事実

★SPEEDIの隠蔽に関する国会での質問の様子


まだまだ他にも・・・。


そしてこの方は




全県避難ですか・・・。
まあ、考えておきます、としか言えません。
私より前に、まず孫たちですが。


何があろうと、毎日の生活だけはして行かなくてはなりません。

福島県民全員を対象に、原子力災害被災者年金を新設。

77万テラベクレル

昨日、原子力安全保安院の公式発表で、今回の福島第一原子力発電所の事故による、大気中への放射性物質の総排出量が、77万テラベクレルであることが分かりました。


これはあくまでも計算値ではあるのですが、4月の初めに37万テラベクレルと暫定値を出していますから、それに比べて2倍以上の規模になります。


こうして次々といろいろな情報が時間を追って発表されるにつけ、隠ぺい体質のことが揶揄されるわけですが、それももちろんあるにしても、保安院の方が会見で口にした「隠す意図は無かった。そもそも、国民に知らせるという発想が無かった。反省している。」との言葉には、あきれると同時に、これが人間の限界なのかなと思ってしまいます。(いろいろな意味で)


さて、一気に2倍の見積もりになった汚染規模ですから、実測値と併せてもう一度実態を見直す必要があるのではないでしょうか。


行政の仕事は増える一方・・・。
これが面倒くさいから、データを隠していたんでしょ!と言いたくなりますが、どの道逃げられない運命でした。


これは、市民である私たちにしても、一つ覚悟を決めなくてはならないことなのかも知れません。


少なくともこの福島県にいる私たちは、自分の身の回りの汚染の実態を、正確に把握しておく必要があるのではないでしょうか。


もっときめ細かな測定をすること、出来るなら線量計の貸し出しや配布など、地域の行政に要望して行く必要もあるでしょう。
また個人で測定器を持っている方に呼びかけて、データを提供してもらい共有出来る仕組みも欲しいですね。


放射能との付き合いは、本当にまだ始まったばかりなのです。


未曾有の原子力災害というとてつもない負の遺産を、未来の人々に残すことになったその責任は、何も東電や政府にだけあるのではないと私は思います。


原子力発電の恩恵を、直接にしろ間接にしろ享受し、それを選び取って来た私たち一人一人にも責任の一端はあると思いますし、どんな小さなことでもその責任を果たす行為は可能だとも思います。


悔しいけれども、これから100年先まで残るかも知れない禍根を、これからの人たちに背負わせることになったのですから、原発を造り動かして来た私たちの世代の者は、その重さに想いを至らせなくてはなりません。
到底私が生きている間に、解決するような問題ではないのですから。




★参考資料です。

実測による汚染地図。 <参照1>  ・ <参照2>

これを見ると、会津でも決して安心ばかりしてはいられません。

国を失った!?

今日も絶好調のパン焼き、ご来店のお客さまは少なかったものの、事前にご注文が入っていたので、パンも順調に捌けました。
配達も終わってやれやれ、ちょっと疲れて頭もボーっとしています。


さてさて、日本というこの国は、全く困ったものです。


かの武田邦彦さんが語っていましたね。
私たちは、国を失ったと・・・。 <参照1>  <参照2>


そのとおりかも知れません。


菅さんが止めようがどうしようが、どっちだって同じじゃないですか?
人材もいるとは思えないし、もはや日本は国家として体を成していないと、思いたくないけどそうかもしれないという気がしている私です。


上から下まで腐っている、どこを切っても食えない林檎のような・・・。


原発と同じくらい壊れてしまったこの国ですか・・・。


こんな時だからこそというか、本当はいつだって、市民がしっかりしていなくては、民主国家は成り立たないのではなかったでしょうか。


私もそうだけど・・・、ちよっと油断し過ぎましたね。


これからは、一層我が身を正して、よく勉強して、言うべきことは言いますよ。
やるべきことはやりますよ。


怒れ、市民よ!

放射能汚染のことを忘れない・・・

放射能汚染のことを忘れないようにいつも頭の隅に置いておくこと、これはこれから先を過ごす私たちにとって、とても大切なことになりました。


放射能(放射線)は目には見えないが故に、またほとんどの場合何の自覚反応も起こらないが故に、いつも意識していないと危機管理が出来ないからです。


測定器の必要性も、もはや個々人に及んで来たと思います。


普段何気なく歩いて通る場所のどこかにも、放射線量の高いホットスポットがあるかも知れません。
環境全体としての汚染が微量でも、身近なところにホットスポットが存在していたら、結果的に高濃度の被ばくをしてしまいます。


そして先に東京電力が発表した事故収束までのスケジュールも、今回の1号機のメルトダウン騒ぎで、全く見通しが狂ってしまいました。
一説によると、この先10年はかかるとか・・・。
これでは半減期30年の放射性セシウムも、これからまだ少しずつでも漏出量が増えて行くのですから、30年経っても正味半分にはなりませんね。


その間にも確実に汚染は拡散して行きますから、これから先ずっとずっと長きに渡って、私たちは放射能のリスクを気にし続けなくてはならないということです。


見えないものを相手に、過度に怯えることなく、かと言って必要な緊張感を持続するのは、なかなか難しいことです。
すぐに麻痺してしまうのが常ですから。


今私たちは、今回の原発事故に、いろいろな意味で精神の限界を試されているのだと思っています。

風評被害で済むのか!?

私は今、国や県などの対応に、福島県の抱える問題を何もかも「風評被害」で片づけようとする意図が感じられ、危機感を持っています。

福島県内各所が、多少の差はあれ放射能汚染を免れなかったことは、隠しようのない事実です。

基準値を設定してそれ以下なら安全とする、その基準値が説得力のある筋の通った数値なら、それはそれで良いのですが、それでもその安全を信用するかしないかは人それぞれの自由です。
大切なことは、福島の環境を綺麗にする努力を惜しまないこと、その姿勢を内外に示すことじゃないかと思います。


基準値以下だから問題なしと、何もしようとしない国や県、校庭の土を削り取った郡山市の敢行に対し、「必要のないことをするな。」という態度です。
そして福島県が汚れているというのは、単なる風評被害だと喧伝して、一体その意図は何でしょうか。


ただ責任を回避したいだけなのではないかと思うのですね。


何やら政府のすることを見ていると、福島県民よりも東電を救済する方が優先のようです。
まさか「東電が潰れたら、補償金がもらえなくなるかも知れませんよ!」なんて、そんな問題じゃぁないでしょう・・・!


福島に暮らす私たちも、今自分たちが被っているのが、単なる風評被害だと納得してしまってはいけないと思います。
実際に大地は汚されたのであることを認識し、それに対する怒りと責任追及の姿勢を表明しなくてはならないのではないでしょうか。


そして汚染の問題は、何も福島県に限ったことではなく、これからじわじわと日本国内や諸外国にも(海も汚してしまいましたから。)広がって行く可能性があること、もし諸外国から文句が出た時には、風評被害では済まなくなりますからね。


何としても測定器が欲しいと思っていますが、相変わらず入手の目途が立ちません。
「政府が、各メーカーに出荷制限をかけている・・・」、そんなデマを信じてしまいそうです。


 


悪くいうつもりではないのですが・・・


 



 



 



 



 



 


こうした絵葉書を、市内全戸に配布。

皆さまはどう思われますか。

世も末!

いつの時代にも言われた決まり文句です。
「ああ、世も末だ!」と。


でもこんな例を目の当たりにすれば、誰だってガッカリして「世も末!」と思われるでしょう。



菅家博昭さんのブログ「記憶の森をあるく・2011」
2011年1月9日の記事より拝借いたしました。


 


こんな話もありました。
どこかにおいしい水が湧くところがあって、他所からも汲みに来る人がいるので、村の人は配管をして汲みやすいようにしました。
そうしたらおいしい水のうわさが広まって、汲みに来る人が増えたのはいいけれど、そこらじゅうに車を止めて道路は塞ぐ、あたり構わずゴミを捨てる、長い時間湧き出し口を占領して次の人に順番を譲らない、果ては言い争いや喧嘩まで起こる・・・。
とうとう村の人たちの堪忍袋の緒が切れて、立ち入り禁止にせざるを得なかったとか。


つい先日は、東京スカイツリーとやらを見に来る人たちのマナーの悪さに、地元住民が辟易しているという話しもありました。


一体どうしちゃったの?と言いたくなるようなこの国の惨状に、どこかのブログで見かけた「日本終了」という言葉が、妙に頭に引っかかります。


悪いのは一部の人だと片づけてしまっていいとは思えません。


一部の目に余る人が頂点だとしても、そこには広い広い裾野があって、その一角に私やあなたも居るのかも知れないということなのですから。


今年還暦を迎える私、これから死ぬまでの間、どんな些細なことでも悪い手本になるようなことはしないと、心に誓って人生に臨みたいと思っています。

時事から拾う

私は、ほぼ毎日インターネットを通じてニュースを見ています。
ザッと見出しを見て、気になった項目があれば詳細記事も閲覧します。


今日の一番は、何と言っても例のビデオ流出事件でしょう。

私も見ることが出来ましたが、思うところはあってもとりあえず軽はずみなことは言わないでおこうと思います。
それに、世の中には雄弁な方が沢山いらして、いろいろに意見を公開していますから・・・。


今日、私の目を引いたもう一つの記事は、「100円ライター販売禁止へ・・・」というものでした。
その内容は、子どもがライターで火遊びをして事故になるケースが後を絶たないので、ライター自体とその販売に規制をかけるというものでした。


子どもが、100円ライターで火遊びねぇ・・・、火に対する好奇心があるのは、まだ人間の本性を失っていないってことなんじゃない・・・?と、妙な考えが頭の中を駆け巡りました。


もちろん、火事になって怪我したり死んだりは困りますが・・・。


それよりこの日本では、日常的に火を焚く風景を見る機会など皆無に近いのだなと、その状況に何やら愕然としてしまいます。


野火は原則禁止!
喜多方市の条例でも、定められています。
火の燃やし方を知らないのは、子ども達だけでなくもはや大人たちもすでにその範囲に入りつつあります。


この数年私が知っている範囲でも、野焼きをしていて山火事になり、消防が出動する騒ぎになったことが二度ほどあります。


私の世代の者は、子どもの頃に火を焚く風景がいつでも身近にあり、私も9歳の頃から親の言いつけで釜戸に火を起こして飯炊きをし、風呂焚きもしていました。


しかし、私たちの子どもの世代はどうでしょう。
しっかりと火焚きのノウハウを受け継いだ子どもが、どのくらいいるでしょう・・・。


ちょっと教えればすぐに出来るようになる!でしょうか・・・?


そうは行きませんよ!と申し上げておきましょう。


そして火を焚くことは、その中で自ずと物理と化学の基礎を学んでいるということも、知っていただきたいですね。


「危ないから止めさせる。」この一方向では、何も出来ない人間になるだけです。
やり方を教える、その機会を絶やさない、そういう生活の指向が大切なんだと思いませんか。
他のことはともかく、火と刃物は、使いこなせるようでありたい・・・。


余談になりますが、彼のフィンランドで、水難事故が多発して子どもが犠牲になった時、真っ先に取り組んだことは、子ども達に水泳を教えることであったそうです。


 過去記事もご参照いただければ幸いです。 <こちら> とか <こちら>