高野通信」カテゴリーアーカイブ

それにしても時間が足りない

昨日の話しの続きでもあり、ここ何年間の私の実感でもあること、それは時間が足りないということです。
この頃思います、忙しいのは何も私に限った事じゃあない、皆何だか忙しくて余裕がない・・・。
そこで思い出します。
ミヒャエル・エンデの「モモ」のお話しです。
時間をどこかの誰かに買い占められているというのは、実は今の世の中にある本当の話しかも知れません。


もう寿命を縮めても、寝る時間を削って売り渡すより他に残っているものはないのかも知れません。
現代人の平均睡眠時間は、どんどん少なくなっているそうですから。


ああ、今日も起き過ぎ(4時30分~23時00分・昼寝なし)ですね・・・。
さて、寝るとしますか・・・。

学ぶこと、知ること、そして共有すること

先日、「能力より意欲」というタイトルで、過疎地域の活性化に対する私見を述べましたが、では意欲が湧くきっかけはどのようにしてつかんだら良いのでしょう。

そのヒントはタイトルにも掲げましたが、学ぶこと、知ること、そして共有することだと思っています。
そしてそこにまず必要なのは、情報です。

情報と言っても、テレビや新聞雑誌が伝えるものとは限りません。
むしろそんなものよりも、当事者が発信している生の貴重な情報に触れることが、一番大切なことです。

しかし、地方のそれも辺境に来ると、そんな情報に触れる機会は滅多にありはしません。
そして貴重な情報を共有する機会や場も、やはり身近なところにはないのですね。
学校を出て一旦社会人になったら、もうバラバラにそれぞれの生業に追われて、顔を合わす機会さえ少なくなってしまいます。
地域の活性化を語り合おうにも、これではどうにもなりません。


ならば、情報を運ぶ役目を担う人がいれば良いのではないかと思います。
そして、身近なところに場があって気軽に足を運べるなら、共有することも出来て行くと思うのです。


今この国は、大きな転換点にあります。
これから人口は大きく減少に向かいます。
ということは、産業や経済の力に頼っても、恩恵は無いかも知れないということです。
それよりも、この間申し上げたように、「土」という枯れることない資源を生かして暮らす術を取り戻す方が、よほど現実的だと思います。


極端な例えかも知れませんが、仮に日本の経済が破たんして皆が一文無しになったとしても、「土」さえあれば、ほとんど何も困ることはありません。
そういう意味で、土地を企業の手に渡してしまったら、もうお終いです。

一方高齢化でも、健康なら一向差し支えありません。

それに、すでに少なからぬ若い人たちが、過疎地に目を向けて訪ねて来ている現状を、生かさない手はありません。
必要なことは、地元の方々がもっとその現実から学ぶ機会を得られるようにすること、それを地域で共有することです。
過疎地とは、ある意味時代の先進地であると認識し、自負を持って暮らしたいと思う私です。


優れた企画と共有の場は、何としても必要です。

カフェクラブの集い

今、思い出していますが、また自前のイベントの告知をしていませんでした。
先月のうちに出した「パンだより」にはしっかり触れているのですが・・・。
そこで、今一度お知らせいたします。


  


「カフェクラブの集い」 6月27日(日)午後1時より
今回のテーマは、「コーヒー焙煎体験」 です。
参加を希望される方は、事前にお申し込みください。
前日まで受け付けています。



「千の響き・vol.3」 <こちら>
6月26日(土)19時より
アコースティックギター奏者2人の競演をお楽しみいただきます。
会費・大人1名1500円 飲み物とスィーツ1品付きです。
ご予約、当日共にOKです。

楽しいことしてますか?

先日、「知るは楽しみ、学びは究極の遊び」だって言いましたけど、本当に楽しいことというのは、芽生えてそして育って行くこと、続いて行くことそしてつながって行くこと、そんな実感を味わえることに尽きると思うのですね。
そういう実感を一度でも味わうと、もう世の中に氾濫している娯楽なんて、ちっとも楽しみなんかじゃないって分かってしまうのです。


そして一昨日カフェのことを書きましたけど、実は神奈川に知人がやっている素敵なカフェがあって(すでに、一度ならずご紹介しています。)、そこで開催されるイベントの楽しさと言ったら、そういった意味で、多分世界をリードしているという言い方が当たっているのじゃないかな・・・。
実際にはまだ参加したことはありませんけど、私はこの方たちのお人柄をよく知っているので、想像に難くはありません。


世の中にはいろいろな楽しみごとがあって、その中でも「ああ、いいな!」とうらやましくなるような人生の楽しみ方を次々と追いかけて来た人たちですが、最近になってやっていることは、ひょっとすると誰にでもすぐに出来て、そしてこの世で一番楽しいことかも知れないと気がついた私です。


疲弊した人の心、活気をなくしてしまった地域社会、未来を失ってしまったかのような国家、それでも夢を持てるとしたら、つまりここからですよ!と。
ここに来て、また何かやりたい意欲を、大いに刺激されている私です。


さてここでご覧に入れるのは、先日件のそのカフェで開催されたイベント・1day cruise の様子です。
(主催者のエピナールさんが、You Tube 上に公開しているものです。)



 


イベントのご案内などのページは、<こちら> からご覧いただけます。

暑いです。雨、降りません。


ヤドリ木 2008年美坂高原にて


いやー全くどうかしてますね、この季節の移り変わり。
歳時記に出てくるような季節感は、もう無くなってしまったような感じがします。

梅雨時と思って来た6月の今頃、もう一週間余りも一滴の雨も降らず、毎日晴れ、また晴れ。
それでも気温は、今まではそんなに高くなかったのですが、昨日今日あたりでグーンと上昇し、今日は真夏の暑さを思わせました。

こうなるとパンやお菓子を焼く仕事は、ひたすら暑さに耐える我慢大会になります。
それでもそのおかげでパン生地の発酵はスムース、パンの出来は悪くないのでまだいいのです。

それより、畑の方が困ったことになっています。
これでは何も育ちません。


で、こんな日が続いていたかと思うと、案外この後に雨が続いたりするんですよね。
麦を刈る頃のお天気はどんなでしょうか・・・。


まあ、お天気を相手に気を揉んでどうなるものでもありませんけど、この頃の地球環境の様子と人間たちの暮らしのわがまま加減は、何かしらリンクしているような気がして仕方ありません。
人間が自分たちの都合で考え出したエコロジーなんてとんでもない嘘っぱちだと、とっくに見破られているような気がする私です。


ネイティブアメリカンの唄にあったように、「雨雲が、幼いとうもろこしの世話をしている。」と、私たちは本当は母なる地球とそんな交感が出来ていたはずなのに、いつの頃からか・・・、一体どうしちゃったんでしょうね。


明日は仕事は半日にして、少し畑の世話をしようかなと思っています。

能力より意欲

ここに来る前もそうだったし、ここでもそうですが、地方の過疎地ではどこに行っても、いわゆる活性化がテーマになっているのですね。

最近の私、ある取り組みに関わり始めていて、それもやはり地域の活性化がテーマです。

活力を失ってしまった地域だから活力を取り戻したい、その願望が活性化と言う言葉で語られます。
そんな時、どこかから優秀な企業がやって来て事業展開してくれたら、税収も上がるし雇用も生まれて活性化するとか、だれか有能な人が強い力で引っ張って行けば皆付いて行くのだけど・・・とか、あるいは手厚い支援があれば何とかなりそうとか、とにかくそういったある意味受け身な態度が往々にして見られるわけです。
はっきり言って、それは単に活力がないことを証明しているだけで、その後に何事も起こることはありません。

自分たちにその能力があれば・・・と言う人もいるでしょう。

でも、能力よりも大切なのは意欲です。
そしてそれは何に対する意欲かと言うなら、学び直すことへの意欲だと申し上げたい・・・。

これから先そうした地域で、50年あるいは100年先までも安穏な暮らしが続くためには、全く新しいビジョンが必要だと思います。
古い社会モデルの下で、もう一度自分たちの幸せが見つかるとは思えませんから。

そのために、古くからあることからそして新奇なことから、何もかもを学び直す覚悟と意欲が求められると、私は思っているのです。


能力は、その結果として身に着くもの。
成果は、さらにその後に一つの結果として生み出されるもの。


一つの地域が、最盛期を過ぎてから過疎に悩むようになるまでに一体どのくらいの時間を経て来たのか、その間に巡り合った出来事の数々を思い起こすなら、活性化の本当の意味は、その地域に合った小さな暮らし方を再構築することにあると、遠い南国の故郷のことも重ね合わせながら、ここでのこの先の暮らし方とこの地域の行く末に想いを巡らせている私です。

知るは楽しみ、学びは喜び、そして究極の遊び。

現状維持、さらに縮小維持

一昨日の「土とITを活用せよ」に絡めて、また別な角度から私たちの未来を考えて見ました。

この前も申し上げたように、私たちの社会と言うか世界は、もう長いこと拡大の一方向に進んで来ています。
特に、産業革命後のここ二百年余りの間はその進み方が加速度的で、とうとう行きつくところまでたどり着いてしまった感があります。


人類にとって、安定した現状維持の状態を保ち続けることは、果たして不可能なのでしょうか。
否、そうではないと思います。


有史以前の先住民と呼ばれる人々の時代は、人口の増加はほとんどなく(今に比べれば、と言う話しです。)、資源の食い潰しも気にするほどのことではありませんでした。
言ってみればそこには、現状維持型の社会モデルがあったのですね。


私たちはその痕跡を、今でも世界各地に点在している先住民系の人たちの暮らし方に見ることが出来ます。


果たしてそれがそのまま、人類にとって理想の社会モデルかどうかそれは分かりませんが、一方文明の勃興そして産業革命への潮流も、とてつもない人類社会の拡大と様々な恩恵をもたらしたことは確かとは言え、それが今や行き詰っているわけです。

今の私たちの社会は、拡大を志向しなければ維持出来ない仕組みになっています。
人口が減り始めたら、とうていそれは維持出来ません。
ならば、そこでまた人口を増やす策を練るよりも、いっそ自然減を受け入れながら緩やかに縮小しながら社会を維持する方法を考えたらどうなのでしょう。


産業の構造、経済の仕組み、政治の仕組み、ありとあらゆる分野で見直しが可能だと思います。
しかしそれを可能にするためには、私たち自身の欲望も縮小させなくてはなりませんから、多分それが一番難しいかも知れませんね。


そういうことがらに対して昔は、神々があり、掟があり、長老やシャーマンと呼ばれる人がいて導きをしていたのですね。
今なら何でしょうか?やはり科学でしょうね。
そして真に科学的であるということは、案外直感や霊感と呼ばれる世界と一致していますから、あとは私たち自身の「分かっていることに従う」かどうかだけの問題かも知れません。


どうも話しが回りくどくなってしまいますが、仕方がありませんね。
この問題、最後は、私も含めて誰もが抱えている自己矛盾がテーマになりますからね。

でも、縮小維持の社会って、進むほどにしだいに気持ちが楽になって、案外素敵な社会なんじゃないか・・・、直感的ですけどそう思える私です。

やっと畑らしく・・・


きゅうりとなすは苗を買って来て定植。
すでに花芽が付いていて、案外早く食べられるかも。



10日余り前に植えたじゃがいもが芽を出しました。



さつま芋の苗・約100本植えました。



土が乾き切っているので、青草を敷き詰めました。
これで、土砂降りの雨が来た時も、助かります。


今年は本当に天候がおかしいです。
春になって日差しはどんどん伸びているのに、気温の方はあまり上がらないのです。
結局、種まきや植え付けが出来ないまま、時期が遅れてしまいました。

それでも、蒔かぬ種は生えぬの喩がありますから、とにかく遅れ馳せでも何かしら蒔いておこう植えておこうと、遅れた分は出来合いの苗を買って来て、今日やっと植えました。
きゅうりとなすとさつま芋です。
夕方までかかってどうにか終わって見ると、何だか急に畑らしい眺めになっていて、思わず笑ってしまいました。


おかげさまで今年は仕事の方が忙しく、畑に出る時間が少なくなりそうなので、あまり手間のかからず、面積を食うものにしています。
とうもろこしとかぼちゃとさつま芋というわけです。


まあそれでも、何とか荒らさずに済みそうなので、良かった!良かった!
兎にも角にも、畑は楽しいです。


夏のとうもろこし、秋の芋掘り、かぼちゃ、孫たちの喜ぶ顔が楽しみです。

不毛社会

この時代のこの社会を、例えて言うならこうなる。
政治が、教育が、文化が、産業もまた、福祉もまた、何もかもが、不毛に見える。

そんなことはないと仰るだろうか。
そりゃあ、見かけは立派なものだ。
だが、中身がお粗末なのだ。何もかもが・・・。
当たり前だと思う。

私たちは、いつの頃からか、何の種も蒔かず、水やりもせず、ただそれまで生えていた木に成る実を、とれるだけとって何の後始末も丹精もして来なかったのだから。

では具体的に何が?と、言われるかも知れない。
この際、私など素人の分析よりも、先日ご紹介したばかりの、件のアレックス・カーがこんな提言をしているので、<参照1> あるいは < 参照2> をご覧いただきたい。


では、一体何がこれほどまでにこの国の行く末を危うくしているのか。

私は、一つは何事によらず一斉行動に走る日本人的国民性と、もう一つは日本人がもう長いこと怠惰とナルシズムに浸って来たこと、この二つに根本的な原因があると思っている。


この国は、アレックスも言ったように何もかもが破たんして、私たちのプライドも地の底まで落ちてみないことには、再生への道は見つからないかも知れない。

変わらなければならないのは私たち一人一人の中身、言い換えれば「幸福論」なのだ。



アレックスは、こんな風景が好きだろうか?
ふと、そんなことを思いました。

草刈りと畑の一日

今年は春先の天候が不順で、寒暖の差が大きい上に平均的には寒くて、作物の植え付けは難しい判断を迫られることの連続でした。
農家の方は、ずい分気を揉んだに違いありません。

私は自家用菜園ですから、出来なければ出来ないで済んでしまいますが、そうかと言って何もかも諦めてしまうのはいかにも悔しい・・・。
今年は、種イモを買い損なって、危うくじゃがいもの植え付けが出来なくなるところでしたが、近所の方に余った種イモをいただき、辛うじて間に合ったかもしれないと言うところです。
その他何もかもが、二~三週間くらい遅れていて、まだまだこれからという状態です。
昨年の今頃は、このブログでも野菜の苗が育っている様子を写真でご紹介しましたが、今年は今日もまだ芽が出ているものは何もありません。


それでも雑草は雨が降る度にグングン伸びて、今日は家の周りの草刈りをしました。
結構な広い場所を借りているおかげで、こういう時は大変です。
まず一日では終わりません。
刈り払い機の刃も、三枚分くらいは用意しておかないと用が足りません。
今日出来たのは、全体の三分の一くらい。
それと言うのも、一日中やっているとエンジンの振動で手が痺れてくるのです。
二時間ほどやって、今日の分は終了。
それでも今も、指の感触が変です。


午後は、野菜の種と苗を買いに行って、それから畑の畝立てをしました。
いいところまでやりましたが、蒔いたのはかぼちゃの種だけ。
後はまた別な日に、と言っても何時になることやら・・・。
それでも、苗がダメになってしまわないうちに植えないことにはと、気ばかり焦ります。
幸い日が長くなってきましたから、見えさえすれば夕方から少しでも出来るでしょうか・・・。


芋やカボチャやとうもろこしは、我が家の大事な食糧でもあるので、それなりに真剣なのです。


さて明日は、もう明後日の準備とコーヒー焙煎です。
結局、毎週そこそこの量を焙煎しています。
これも皆さまのご愛顧の賜物です。
今夜はもうゆっくり休んで、明日からまた気合い入れて参ります。
ではでは・・・。