高野通信」カテゴリーアーカイブ

ホワイトアウト


しばらくは除雪車も出動を見合わせていたほどの降りかたでした。

サラサラの粉雪は、ブルで押しても脇にドンドン逃げてしまうので、
除雪もすごくやり難そうに見えました。


今日はどの方面も、寒さと雪の話題に終始するのではないかと思える一日。
一昨日の晴天が夢幻だったかと思えるくらい、猛烈な降雪に見舞われました。

ちよっと大げさかもしれませんが、ホワイトアウト・・・。

用があって車で出かけましたが、目の前は雪で真白。
冬将軍もちよっとムキになったかなと思える状況で、途中で用事を切り上げて早々に帰って来ました。


会う人、会う人、交わす言葉は、「いやー、ひでぇな!」。

宅配便の集荷に来たドライバーさん、今日の荷物は明日配達は請け負えないとのこと。
交通もマヒしてしまったようです。
下回りが雪と氷でガチガチ、雪ダルマみたいになったトラックで、この見通しの悪い道路を走り回っている運送関係の方、ごくろうさまです。


うちの息子の一人も、実はトラックドライバーです。
ちよっと心配だなァ・・・。


うちは今日は定休日。
作業場で明日の支度やコーヒー焙煎をしながら、合間に運動不足解消に絶好の機会と、雪かたしをやって気勢を上げました。
どうやら明日も、こんな調子で降り続くみたいですね。


いやでも、こうじゃなくちゃ・・・。(怒らないでくださいね。)

雪国なんですから。

冬なんですから。

沈思黙考したい気分

今日は、夕食の後たまたま見ることになったテレビ番組(NHK クローズアップ現代)で、新聞の衰退とジャーナリズムの危機について取り上げていました。


インターネットの発達がもたらす功罪の両面を見たような気がしていたら、菅家博昭さんのブログ「記憶の森をあるく」1月11日の「心地よい停滞」という記事が目に留まりました。<参照>


人の世は何につけ、功罪相半ばしつつ変化して行くのが宿命のようで、この「心地よい停滞」という言葉の意味はとても深いと思いました。


今日のブログのテーマに・・・と、一瞬頭の中を何かが駆け巡りましたが、すぐにそれは途方もなく大きなテーマだということに気がつきました。
毎日更新のテンポの中では、今の私にはまとめるだけの時間はありません。


私は、パン屋ですから・・・。

やっぱり、暖冬では・・・。

思いがけない大雪に、暖冬の予想が外れたと気象庁も認めたそうですが、本当にそうでしょうか・・・?
確かに、降る時にはドカッと大雪だし、寒さも厳しいような気がするのですが、よく見ているとちょっとの間に雪が融けてなくなって行くスピードが速くて、ここ二三日除雪の行き届いた道路では路面が乾いているほどです。

今日は日差しも明るい晴天で、この季節の会津ではあり得ないようなお天気でした。
景色も何となく、春が近づいた頃を思わせました。
実際にはまだ2月を控えた寒の真っ最中です。
その割には・・・と思う私です。
冬将軍がんばって・・・!と声をかけたくなるような。

やはり冬が冬らしくないと、同じく他の季節も順当でなく、自然界や農業に悪い影響が出ることは、ここ数年の例ではっきりしていますからね。


  自ビール3日目の様子は・・・。



本当は、度々蓋を開けない方が良いと言うのですが、
私流ではかまわずちょくちょく中を覗きます。



少しコップに取って味見してみました。

ガラスが曇ってしまって、液の色合いが分かりにくいですが、
見た目は完全にギネスとそっくり。


泡の様子が全く変わりました。
写真のように気泡が粗くなって来るのは、醗酵が進んだ証拠です。
モルトの甘みは、もうほとんど無くなりかけて、少しですがアルコール気を感じます。
早ければ、明日にはボトリングします。


マニュアルとは全然異なるプロセスですが、私は自分の酵母の言うことを聞きます。



  今週のクッキーとマフィン


クッキーの方は、昨日ご報告しているとおりです。


マフィンは、ココリスとそば粉マフィンを焼く予定です。


★越年長期熟成 飯豊山シュトレン 残り6個になりました。

希望はその先に・・・


2010年1月5日 降雪の朝


新しい年が始まって、それも21世紀が始まって10年目の今年。
素直に未来への希望を語りたいと思いますが、一方でそうは行かない何かが私の中に引っかかっています。


今の私たちの社会そして世界も、このままでは行き詰ってしまうと誰もが薄々感じながら、その流れを止めることも変えることも出来ず突き進んで行くばかりの状況。


ますます高性能になって行くコンピューター。
ますます高速大量に伝搬される情報、広範囲に流通する物資。
便利になって行く生活の中で、私たちは手も足も体も動かさずに済むようになり、頭さえ使わなくて良くなってしまいそうです。


気がつけばいつの間にか、身の回りは道具と機械に囲まれ、一方でゴミの山・・・。


そんなことを思っていた時、会津学を主宰している菅家博昭さんのブログ「記憶の森を歩く」2009年12月30日の記事「事実を正視する必要性」が、目に留まりました。<参照>


私たちの祖父母、親たちから私たちそして子どもたちへ、この3~4世代の間に確実に失われてしまったか、あるいは今や失われようとしている沢山のものごと。
そして何より、この大自然の中で生かされているという感じ方と身のおき方、つまり感性・・・。


暮らしの中に、この社会の中に、また人々の心の中にあったもろもろの生活の術、習慣、仕組み、そして感性、そうしたものは必要が無くなった途端、いかにもあっけなくこの世から消えて行ってしまうもののようです。


技術と技能・・・。

まだしも技術は、情報化して後世に残すことが可能ですが、技能は、人の手や足や体にそして頭の中に獲得されるものであって、それは人から人へ直接でなくては伝えることは出来ません。
使い続けること、それを必要とする生活や社会の仕組みが息づいていなければ、やがて廃れてしまうことは避け難いのです。


そして私たちの祖父母や親の世代にはあったと思われる、ある種の感性。
私たちの子どもの世代には、もはやそのかけらもなくなってしまったかも知れません。
そして私たちは、その途上にあって傍で見ていた者として、その気があれば立ち戻ることも可能な、あるいは語り伝えることの出来る、大変微妙な立場だと思っています。


どの道私たちの社会は、否世界は、この先一山越さないことには先には行けないように見えます。
なかなか厳しい、高い山を越えなくてはならないのだと思います。
その時に頼りになるのは、先人達が持っていた感性だけだと、私はそう思います。


厳しい現実から目を逸らして、見せかけの希望を語ってみたところで何の足しにもなりはしません。
本当の希望があるとしたら、厳しい現実のその先です。


自分たちが何を見ているか、どこを見ているか、やがてそれが問われる時が来るに違いありません。



さてここまで、この先にどのような希望が持てるという話は、出て来ませんでしたね。
最後に一つ、ネット上で見つけて以来度々良い刺激をいただいている、素敵なパン屋さんの話をして締めくくりたいと思います。


そのパン屋さんとは、広島市で薪釜でパンを焼いている「ブーランジェリー・ドリアン」というお店です。
お店のことは、私があれこれ申し上げるよりもホームページをご覧いただきたいと思います。
<参照>


経営者の田村陽至さんという方は、まだまだお若い方ですが、還暦を目前に控えた私でも、うらやましいと言うか尊敬に値する域に辿り着いたような方です。
その田村さんが、地元紙の「中国新聞」に連載執筆された記事の中で、今日の私の記事の締めくくりにピッタリの記事がありましたので、それをご紹介して終わりにしたいと思います。


平成19年9月13日「中国新聞」くらしのページ、「私の口福」田村陽至・12 より抜粋  元記事のページは <こちら>

曰く
・・・僕の大好きなフランスのパン屋「ポワラーヌ」は、何百年と変わらぬ薪でパンを焼く製法で、世界で一番のパン屋になった。結局、おいしかったのだ。
店主はそれを「レトロ・イノベーション」と言った。
古いやり方で革新するという意味だ。
僕はこの考え方が好きだ。
例えば、みんなが百年前の暮らしをすれば、たいがいの環境問題は解決する。
けれど、人間戻れない。
だからレトロ・イノベーションなのだ。
古い方法で、戻るのでなく、前へ進んでしまえばいい。
実際にできる。
食べ物も、道具も、生活も、昔ながらのやり方の方が質が上がる。
人の手間ひまが、それだけかかっていたからだ。
技術を人の手に取り戻し、古い方法で新しい時代をつくる。
それを実践して、証明してみせるために、僕は今日も明日も汗まみれでパンを焼いてます。

これで十分

昨晩ナナオサカキの命日のことに触れましたが、その後寝床の中で、20年前山暮らしを始めた頃のことが、次々ととりとめもなく思い出されました。
思えば、文明社会の便利さからはほど遠い彼の地での暮らしの中で、とりわけ心に響いたナナオの詩がこれでした。
「これで十分」・・・

これで十分

足に 土

手に 斧

目に 花

耳に 鳥

鼻に 茸

口に ほほえみ

胸に 歌

肌に 汗

心に 風

これで 十分

<こちら> をクリックしてみてください。

ナナオの朗読で、チェコ語による「これで十分」のイントロの後、チェコ語、日本語、英語の順に同じ歌詞が歌われる。
最後は、3ヶ国語で同時に。

この一年

この一年、日本でそして世界で、いろいろなことがありましたね。
日本では、60年ぶりに政権が交替しましたし、アメリカでは初めて黒人の大統領が誕生。
大きな期待もあったことは確かですが、世の中は日本も世界もますます難しくなって行くように見えます。

私には、この日本のこともそして世界のことも、全く先が見えません。
一つ言えることは、単純に明るい未来を信じることなど、到底出来ないということです。


良くも悪くも、人間次第、私次第そして貴方次第。


子や孫たちの未来に負の遺産ばかり残さないために、今自分たちに何が出来るか、それだけですね。


明日は定休日で、久しぶりに完全休日をいただけそうです。
この機会に、この一年をじっくりとふり返ってみようと思います。
そして、来る年のことを占ってみようと・・・。


 


ところで、全く何の脈絡もありませんが、先日いわきで素晴らしい演奏を聴かせてくれた、Catriona McKay が作った名曲「Swan LK243」。 
コンサートでは演奏されませんでしたが、サイン会をしている横で私の友人夫妻「フェアリーランド」が演奏して、作曲者本人をいたく感激させたのでした。

そしてこれは、Catriona 自身の演奏が聴かれる、素晴らしいセッションのビデオです。



 


追加更新


ライヴ情報です。
件の友人夫妻、フェアリーランドが出演するコンサートがあります。
お近くの方、ご都合のつく方、ぜひご来場を!



画像クリックで拡大します。


   食工房からお知らせ

今週のクッキーは、ジンジャークッキーです。
今週のマフィンは、ココリスとそば粉マフィンです。

 

不信の社会に思うこと

私たちの社会が健全に存続するために、何よりもまず信頼が前提になっていることは、言うまでもないことです。
政治、経済、産業、その他私たちの生活(生存と言ってもいい)に関わる物事は全て、人と人が相互に信頼し合うことがなければ、そもそも成り立ちません。

ところが近年、その信頼に明らかに影が差して来たように思います。
いつの間にか私たちは、すぐには物事を信用しない習性が身についてしまったような気がしますし、個人情報の扱いにも神経質になって来たように思います。


無理もないことで、例えば、誰でも名前を思い出せる有名企業の中で、不正や不祥事に全く縁のなかった所が、一体いくつあったでしょうか。
全く信じられないような、税金の無駄遣いや人事のからくり、警察官や裁判官や医療従事者も例外ではありませんでした。
一番身近な家族である夫婦親子の間でさえ、幼児虐待やドメスティックバイオレンスが社会問題になっているのです。
私たちは今まさに、不信の社会に生きていると言える状況なのではないでしょうか。


食べ物に限っても、一頃世の中を騒がせた偽装事件のおかげで、食品の製造者はまず疑われて当然と思っていなくてはならなくなりました。
こんなことが積み重なって行くと、極端な話、私たちは誰の造ったものも安心して買うことが出来なくなります。


そういう状況の中で、信頼される事業を続けるために、私はやはり個人的なお付き合いから始めるしかないと思っています。
そして確かなものを造り続けること。


はっきり申し上げて、食工房の仕事は効率悪いですけど、信頼と効率は往々にして反比例するものだと思っている私です。


タイヤ交換しました。



今年はとにかく忙しいので、機械を使ってやりました。
でも、装着時の最後の締め付けだけは手でやります。


午前中いいお天気だったのに、雨も降り出した午後になって、やっとタイヤ交換です。
夕方、みぞれ混じりの雨になっていましたので、いつもながらグッドタイミング。
万全の装備は、自分の安全のためというよりは、交通社会全体への責任だと考えています。
皆がそうなら、自ずと自分の安全も護られることになりますから。
人がどうこうではなく、先ず自分からと思っています。
損得ではありません。

雪の気配

今週の週間天気予報は、ずっと雪マークです。
今はまだ雨ですけど、少しでも気温が下がったらみぞれか雪になるところ。

雪囲いも、一部を残して何とか設置しましたので、とりあえず大丈夫です

車のタイヤの交換はまだなので、明日あたりにと思っています。

ちなみに我が家では、タイヤは年中スタッドレスタイヤです。
どういうことかと言うと、一年おきに新しいスタッドレスタイヤを一組購入して、冬使用は2シーズンで終了。
古くなったのを、夏まで使用し続けます。

うちは走行距離が少ないので、さらに翌年の夏用としてもまだ使用可能です。
ですから、冬はいつでも新品または一年落ちのタイヤです。
一年落ちなら、残溝バッチリ、ゴムも硬くなっていないので、ほぼ万全のコンディションです。

それに加えて、タイヤチェーンも携行しています。
ジャッキアップせずに装着出来る小道具も自作しました。
さらに万一の時のことも考えて、ワイヤーとシャックル、ゴム手袋など、レスキュー用品も用意しています。
自分のためだけでなく、思わぬところで誰かのために役立つかも知れませんからね。

あとは、出かける時の状況次第で、スコップや雪掃き道具も積んで行きます。
そうそう、コーヒー豆が入っていた麻袋なんかも、役に立つことがあるのですよ。

最近はありませんが、これで山道を行くとなれば、鉈に鋸、チェーンソウも持って行きます。
使い捨てカイロに毛布、そして堅焼き黒パン。
山暮らしで身に付けた、サバイバル&レスキューのノウハウです。

飯豊山は、もうすっかり雪化粧。
まるでシュトレンのようです。


  食工房からおしらせ


 シュトレン販売中です。

おいしかったからと、ギフト用に追加のご注文をくださる方、あるいはご自身用に2個目をお求めになる方もいらっしゃいます。

今なら、予約なしでもお求めいただけます。

クリスマス、お正月、あるいは冬の間の楽しみに、お一ついかがですか。


食工房のシュトレン 1個 2700円 1/2カット 1500円

ギフトパッケージも用意しています。(+200円)

アメリカ的なものへの決別

ノーベル平和賞を受賞したアメリカのオバマ大統領が、授賞式の席上で演説した中で、暗にイラクとアフガニスタンにおける戦争を正当化したことを巡って、今世界中で議論が百出しています。

多分こんなことは、今までになかったことです。
平和への貢献を認めて贈られる、世界一権威のある賞の受賞者が、平和の実現のために時に戦争という手段も必要であり、これまでのアメリカの武力行使はその意味において正当だと宣言したのですから。


アメリカという国・・・。
世界中の国々がアメリカの成功に倣おうとし、世界の覇者たるアメリカ・・・。

しかし事実を見る限り、一方で世界中に戦争の火種をまき散らして来たアメリカ。
冷静に思い起こせば、建国の歴史からして血に染まっていたのではなかったでしょうか。
かつてヨーロッパがアメリカ大陸の存在を発見した時、そこを「新大陸」と呼んだことは、先住民の側からすれば「傲慢」以外の何物でもなかったはずです。


また、アメリカが関わった戦争のほとんど全てが、アメリカ自身の画策によって始まったものであることは、後になって次々と明らかになりました。


しかし今私は、そのアメリカの人々を糾弾せよと言いたいわけではありません。
今、世界中の人々が、そしてアメリカの人々自身も、気づいて決別しなくてはならない何かがあると言いたいのです。


アメリカ的なもの・・・。
アメリカを、そして世界を動かしているメカニズム。

長い時間をかけて少しずつ形作られ、今この時代に姿を現したそれは、競争原理と産業と経済そして戦争も組み込んで出来上がった、まるで巨大なゲームマシンそのものです。
今や世界は、一大賭博場の様相です。

もはや誰もが、このゲームに加わらないわけには行かない。
そして勝っても負けても、次第に世界はお互いに疲弊しつつあるように見えます。

もちろん、自然の営みの中にも競争があり、闘いがあることは確かです。
しかし、人間はそこに際限なく残虐性を加えることが可能です。
このゲームに勝つために手段を選ばない、つまり回り回って戦争もありとするなら、そこから先は際限はないということです。


アルカイダ相手に交渉の余地はないのだと、アメリカが言うなら、アメリカを相手に他に方法はないのだと答えるでしょう。
長い歴史の中で、どちらが先に手を上げたのかを言い始めたら、全く切りのないことです。


この終わりのない罠と疲弊から救われるために、何に決別すべきか、それを考えなくてはならない時が来ていると思う私です。

寝床

夜、寝床に入る時、いつも決って思い浮かべることがあります。
それは、こうして雨風の当たらない屋根の下で、暖かい蒲団に包まって眠れることの幸せです。
事の始まりは山暮らしをしていた頃、氷点下の寒い冬の夜、蒲団に包まりながら、ふと外にいる鳥や獣たちのことを思いました。
自分の毛皮あるいは羽毛一重っきり、それ以外何もまとわず、木の陰か地面に掘った穴の中か、そんなところに隠れて寝ているのだろうな・・・。
でも大方ぐっすり寝てなどいられないだろうな。
それに比べたら、人間は何てのんきに眠り込んで、夢を見たりしてゆっくり目覚めるんだからな・・・。
そして次に、同じ人間でも、橋の下で寝る人もいたのだったと、そちらも思い出してしばし手を合わせ、いつの間にか眠りに落ちる私でした。


この頃になっても、やはり寝床に入る時は条件反射のように、同じことを思っている自分に少し驚きつつ、これは忘れてはいけないことなのだからと自分に言い聞かせています。


そんな思いと少し関係あるのですが、私は寝る部屋も蒲団の中も暖房していません。
寒い部屋の冷たい蒲団に入っても、すぐに温まって来るのです。
その体の健康にも感謝しています。


今日も、もうすぐ寝床の中です。