高野通信」カテゴリーアーカイブ

マイブログ中間報告 vol.6



夕日に映える磐梯山と周辺の山並み
今日の配達コースの途中に撮影
記事とは関係ありません。


このブログを始めて、あと一ヶ月余りで一年となります。
毎日更新に特にこだわっているわけではありませんが、だいたい毎日書いています。
自分の商売のお客さまが増えればいいなという目的もありますが、それにしてはあまり関係のない話題に飛ぶことがけっこう多いですね。
私としては、このブログを通じて「私」というスタイルに共感、共鳴してくださる方々とのご縁が広がって行けば良いというのが、先ず一番の目的なので、それはそれでかまわないのです。
結果的には、最近このブログがきっかけで、食工房にお問合せやご注文をくださる方が出て来ていますから、そちらの目的も、少しずつ成果が上がり始めたという感じがしています。
ところで昨日は初めて、一日の訪問者が200人を超えました。
このカウンターは、アクセスして来たIPアドレスを一日分記憶して、二重カウントしないようになっていますので、ほぼ訪問者の実数になっています。
毎日、150人を超えるくらいの方々の眼に触れているのだと思うと、それなりに意識してしまいますね。
私は、このブログを始める時、公開するということは、先々どのような方の眼にも触れる可能性があることを、承知していなくてはならないと思っていました。
必ずしも好意的に見てくださる方ばかりとは限らないこと、だからと言って辛らつな意見は一切書かないというのでは、私としてはやっている意味がないこと、バランスを考えながら言いたいことを、誤解が元で反感を持たれることのないよう、誠実な言葉で丁寧に語りたいというのが、私のブログに対するスタンスです。

とは言え、こうした公開の場では、語れないこともないわけではありません。
私にとっては、もう一つのチャネル、紙に印刷したものを手渡して読んでいただく通信、それも大切なものです。
そちらの方は、かれこれ一年近く休んでいますが、一年ぶりにそろそろ出したいと、構想を温めています。
ついでにご案内いたしますが、私と連れ合いが発行して来た通信(高野通信)のバックナンバーの一部を、食工房のホームページのダウンロードのページに置いてありますので、良かったらご覧ください。
<こちら>のリンクよりご覧いただけます。

 皆さまにお願い
中古のPCを譲ってくださる方、ご連絡ください。
Windows XPで動くものを希望します。
ノートでもデスクトップでも可。
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ご連絡は、m_aoki@shokuko.com


 

Djembe Workshop / ジェンベワークショップ



画像をクリックすると、大きいサイズで表示します。


我が家の四男 Shingo が、アフリカの太鼓・ジェンベのワークショップを始めました。
14歳の時から始まったジェンベフリークはもう9年目になり、太鼓の製作・販売、演奏、そしてワークショップと、しだいに太鼓一色に塗りつぶされつつあります。
このブログで宣伝してもらってかまわないョ、ということなので、皆さんにもご紹介する次第。
興味をもたれた方は、直接本人へご連絡を

    Phone: 080-1805-4149     e-mail  folilalu@yahoo.co.jp



  それはそうと・・・。
昨日の「目に見えないものの話」には、すごいコメントが入りましたね。
このあたりを語り出すと、私もキリがないのです。
また追々語ります。

目に見えないものの話

目に見えないもの・・・、いろいろあると思いますが、その最たるものはやはり「霊」でしょう。
霊魂の存在を信じるか信じないか、それは人それぞれの自由ですが、世の中には霊の姿を見たり、声を聴いた人が沢山いるのですね。
そういう方にとっては、信じる信じないの問題ではなく、厳然として霊は存在するのであり、事実であるわけです。

ここでちょっと、1000年くらい前のことを想像してみてください。
まず1000年前には、顕微鏡というものは未だ発明されていませんでした。
人類にとって、微生物の世界は未知の世界に過ぎませんでした。
特別視力の優れた人が、ひょっとして水の中にいるミジンコなどを見ることが出来たかも知れませんが、病原菌や酵母菌などは、存在そのものさえ認知されていませんでした。
誰もそんなものがいるとは思っていなかったのです。
ですから、人が病気にかかるのは、それこそ悪霊や妖精の仕業だと考えたり、その人の悪業の報いだと考えたりしていたわけです。

ところがその後、顕微鏡が発明されミクロの世界を覗いた時から、人類の世界観は一変してしまいます。
我々が知る知らないに関わりなく、ずっと以前から、微生物はこの世界にいたわけで、それを知った驚きがどれほどのものであったか、皆さん、想像してみてください。
今では、小さい子ども達だって、バイ菌クンがいて悪さをするんだョ、と分かっているのですから、1000年前の人たちの世界観と今の私たちの世界観がどれほどちがうか、そこを承知でもう一度、霊のことを思い出してください。

そうです。
ただ私たちは、霊を確認出来る道具を発明していないだけかも知れません。
似たようなものにオーラというのがありますが、これを見ることの出来るオーラゴーグルというものがあるのですョ!?
でも、私は見たことがないので、真偽のほどは分かりませんが、そんなものをかけなくても、私も連れ合いも、オーラを見たことは一度や二度ではありません。
ただし、これは私の主観ですから、証明することは出来ません。
それはそれとして、
どのくらい先のことになるか分かりませんが、ひょっとすると未来の私たちは、霊の存在を検証出来る方法を発明して、「何だ、こんなにいっぱいいたんじゃないか!」と驚いているかも知れませんね。

いずれにせよ、私たちが知っているのはこの世界のどれほどなのか、大方なのかそれとも氷山の一角にも達しないほど微々たるものに過ぎないのか、それさえ分からない、それだけが真実です。
そして真に科学的であるということは、未知に対して謙虚であること、もう一つは、大胆に想像力を働かせることであると、私は思います。
かの有名な科学者、パスカルもニュートンもそしてアインシュタインも、皆直感力に優れた人たちであったことを覚えておきましょう。

☆私の友人takさんのブログに、話題は違いますが関連する記事がありますので紹介しておきます。
<参照1> <参照2> <参照3> <参照4> <参照5>
それぞれ、結構なボリュームなので、お時間のある時にどうぞ。

除雪 HIGH(ハイ)



家の前はご覧のとおり
圧雪に覆われ、地面は1メートル以上下です。



中から見るとこんな状態
このままでは外には出られません。



雪を掘って階段を作ります。
屋根から雪が落ちる度に
作り直します。


今日は午前中、食工房の仕事をして、午後からは大方雪かたしで終わりました。
それほど雪と格闘しなくてはならないわけは、写真を見てください。
雪国の方には珍しくもない風景ですが、今日は私の郷里の友人知人のために、画像大サービスで行きます。

「除雪ハイ」なんてものがあるかどうか知りませんが、今日の私はそんな状態でした。
いい加減くたびれているのに、雪の山があるうちは止められないんですね。
これでは華奢な我が身を傷めてしまうと、半ば危機感を感じながらやっていました。
まあでもご安心ください。
たくましい息子が半分受け持ってくれましたので、何とか無事に終わりました。
それにしても屋根の上は、やっぱり最高でした。
私は、煙と同じ○○ですね。
でもこれをやっておかないと、本当に屋根がつぶされてしまいます。
二棟の建物の屋根がつながった構造で、間がV字の谷間になっているため、そこに積もった雪は溜まる一方で、取り除かない限り春までなくならないのです。




さあいよいよ屋根に上ります。
足場は、すでに積もった雪で人の背丈より上です。
それでも、ニ連ハシゴをいっぱい伸ばしてやっと届く高さ。



上から見るとこんな感じです。



屋根の上の目線は、電柱の上のトランスがある位置です。



道路の向かいの物置小屋の雪が落ちそうです。
後で夕方暗くなった頃、落ちて道路を塞ぎました。
日の当る側は、見事に雪が落ちてしまっています。



作業終了。
この状態では、上に立っていることは出来ません。
足元には、足場にするために圧雪を残しています。
一番最後は、ハシゴに乗り移ってそれを落とします。


いやはや今日という今日は、徹底的に疲れました。
明日が定休日で良かったです。
ゆっくり休ませていただきます。
でも一方では、また雪が降るのを妙に楽しみにしている私です。
除雪ハイは、本当かも知れません。




息子が携帯で撮ってくれた写真
まるで遠足の日の小学生

雪、雪、雪・よそ者の会津考 vol.4



まさに雪国の冬の風景



店の前の雪の山もどんどん高くなっています。


今日は、予定通り午後から、会津若松市方面へ配達に回って来ました。
昨日からの雪が、今朝までに新たに50cm近く積もって、店の前も家の前も出入りが不自由となっていましたので、仕事の前にひとしきり雪かたしをやりました。
車も半分埋まったような状況で、こちらは時間切れで息子にバトンタッチしました。
ところで、雪国会津でこのくらいの雪はもう当たり前のことなのですが、ずっと会津に暮している方々のこの雪に対する心象と、大人になって途中から会津にやって来た私などの心象は、ずい分違うものだと感じています。
私の知り合いで、会津で生まれ育ち暮して来た方の昨日のブログの中に、雪のことに触れた記事があり、それを読んで思わず大きく深く頷かざるを得ませんでした。
<参照>
小さい時からずっと何十年を、毎年雪と付き合って来た方の感覚と、南国育ちで雪は珍しくてうれしいものだった私の感覚が違うのは、当然と言えば当然です。
しかし私も、雪で苦労し雪に泣かされたことが、無いわけではありません。
以前山暮らしをしていた時のある年の冬、3日続きの豪雪で5日間孤立し、スコップだけで1000mの山道を車を出すために、当時はまだ少年だった息子たちに手伝わせて、4日間朝から晩まで雪を掘って道を開けたこともあるのです。
会津の方がよく「雪などいらねェ。」とか「雪さえなければ・・・。」と仰るのを耳にしますが、そうかと言って、降れば降ったで黙々と淡々と雪かたしをしている姿に、私は妙に胸を打たれます。
私などは、どっさり降るとわけもなくうれしくて、いい歳をしてはしゃいでいるのですから、ひんしゅくを買ってしまいそうです。
でもこの雪が、会津の水の恵み、土の恵みにつながっていることは間違いありません。
そのことは、地元の方々もよくお分かりです。
先日、高知の従兄弟から便りがあり、その中でTVで見た飯豊の風景がことさら美しく思えたことに触れ、厳しい自然はそのお返しに恵みを与えてくれると思ったこと、そして四国の温暖な気候では考えられないことだと結んでいました。
雪があっても、雪があるから、会津はいいところです。




配達の帰り道、会津若松市郊外の路上にて



帰り道、こちらは山都町内です。

暮して遊ぶ

子どもの時からずっと思い出せる限り私の人生をふり返る時、「何でも自分でやってみる」、これが生き方の根本姿勢だったような気がします。
本当にいろいろなことに手を出しています。
そして我が連れ合いも、その点では私とピッタリ同調する人だったので、我が家は6人の子ども達も含めて家族中、生活全体のスタンスがずっと自給自足的方向でした。
私は、仕事上でも生活上でも出来ることは何でも自分でやっていましたし、連れ合いは子ども達の着るものは、上着からパンツに至るまで縫っていました。
子ども達は、買い与えたオモチャに飽き足らず、ナイフや鋏、ノコギリなど何でも持ち出して、自分たちで作ったオモチャで遊びました。
そんな私たちのことを、友人の一人は「暮して遊んでいる。」と言ったものです。
曰く、「遊んで暮す」のは極道のやることだけど、「暮して遊ぶ」のは、自給自足の極意だと。
しかしそうは言っても、限られた人の一生の中にすべてを抱え込むことは出来ませんね。
一方では、人を信頼し自分に出来ないことを任せる、というスタンスも大切なことです。
そこに人と人の交流も生まれます。
そこで実は、私が何でも自分でやって来たことの根底に、人を信頼出来ないという気持ちがあったことは否定しません。
しかし、そうやって何十年を過ごして来て、到底自分には出来ないこと、人の力を借りなくてはどうにもならないことは、いくらでもあるということも思い知りました。
そして人の力を借りようという時、信頼し納得して対価を支払うことに、惜しむ気持ちはなくなりました。
さてそれで今はどうでしょう・・・。
やっぱりいろいろ抱え込んでいますね。
一つには、貧乏暮らしがすっかり身についてしまって、お金を払って人にものを頼めないというのがその理由、そして自分でやるのが楽しいというのがもう一つの理由・・・。
どうやら私は、一生暮して遊ぶ人で終わりそうです。

指穴のない笛

ここ数年来、私の興味をとらえて放さない笛があります。
最初にこの笛の音を聴いたのは、もう4年余り前のことです。
それは、東京の知人からプレゼントされたルーツミュージックの音源(CDアルバムをMDにコピーしたもの数十枚)の中の、北欧の歌手のアルバムの中で演奏されていました。
今までに聴いたことのない、ちょっと変わった音色と不思議な音階に軽いショックを受け、どんな笛なんだろうかと思っていました。

それから一年余りが過ぎ、インターネットが使えるようになった時、早速この笛のことを調べてみましたが、これといった情報を見つけることは出来ませんでした。
何ヶ月かが過ぎたある時、北欧のルーツミュージックのCDを購入出来る日本国内のサイトを見つけ、そこからのリンクでスウェーデンのTVfolk.netという、北欧のルーツ音楽のミュージシャン達のビデオクリップを見られるサイトに辿り着きました。
この時の、まるで宝の山でも見つけたような嬉しい驚きは、未だに新鮮です。
☆このサイトのことは、以前にも一度紹介しています。 <こちら>
音楽好きで、クラシックからJAZZ、ROCK、BLUES、民俗音楽、日本民謡と何でも聴きあさって来た私でも、世界の片隅に、それもヨーロッパの一角に、こんな音楽シーンがあったことは知りませんでした。
それこそしばらくはとりこになって、その気になる笛のことも忘れて、次から次へとビデオクリップを開いていました。
そしてしばらくした頃、問題のその笛が演奏されているビデオクリップも目にすることが出来ました。
そこで初めて、その笛が指穴のない笛であることを知った私は、何としてもその笛を吹いてみたいと思いました。

それからインターネットでまたいろいろ調べましたが、今一つ核心に触れる情報には出会えませんでした。
それで、一昨年、昨年と私たちの企画で開催した「奥会津アイリッシュコンサート」の出演者で、アイルランド随一の笛吹き、ショーライアンさんや一緒に演奏した守安功さんにも尋ねてみたところ、その笛のことは知っていましたが、実際に手にしたことも演奏したこともないというお話しでした。

そして今年になってからのことですが、ふと思い出して、また指穴のない笛のことを検索してみたら、何と!日本国内でこの笛を作って売っている所があることが分かりました。
音色のサンプル音源を試聴出来るようになっていて、それを聞いた感じでこの笛に間違いないと確信し、すぐに注文購入しました。
そこは、「変わった楽器、珍しい楽器の販売」をキャッチコピーに活動している、「世界楽器・てみる屋」というお店です。
こちらを見つけたときの驚きも如何ばかりか・・・、お察しいただけると思います。

さてさて、この笛がどんな音がするのか、どんな風に演奏されているのか、そして「世界楽器・てみる屋」とは・・・、興味が湧いて来た方は、以下のリンクをクリックしてみてください。



これが指穴のない笛


吹き口


<世界楽器・てみる屋>
<ブログ「音があれば天国」>
TVfolk.net 要・クイックタイムプレーヤー
<指穴のない笛の演奏ビデオ1> 要・Quicktime Player
<指穴のない笛の演奏ビデオ2> 要・Quicktime Player
<指穴のない笛の演奏ビデオ3> 要・Flash Player

    ご案内
ルーツミュージック、珍しい楽器、貴重な演奏の音を聴きたい方、食工房にはCD200枚分にも及ぶ沢山の音源があります。
興味のある方は、ご来店時にお尋ねください。

使わぬ道具は錆びつくという話

長い間使わないで放ったらかしにしたおいた道具を、久しぶりに使おうと思って出したら、錆びついて使い物にならなくなっていた・・・、よくあることですね。
人間の体でも、実は同じようなことが起こります。
本当に些細なことから、生命を左右するような重大なことまで、現れ方は様々ですが基本はすべて同じです。
「使わぬ道具は錆びつく。」つまり「使わない機能は衰える。」です。
もちろん歳をとれば、何事によらず衰えは来るものですから、それはそれとして、日頃の心がけ次第で何十年という時間が過ぎて見ると、時には生命を左右するほどの大きな差が出来てしまうということを、50代も後半に入った私などは、しっかり認識しておかなくてはならないと思っています。


若いうちから、寒暖の差に耐えること、細々とした動作に労を惜しまぬこと、時々は自分の体力に負担をかけるくらいの運動をすること、そして一方で休息を大切にすること、ものを食べる時はよく噛んでゆっくり食べること、日頃は美食を避け極力粗食にすることなどなど、その時はもちろんですが、これらは将来の自分の健康への投資だということを忘れないようにしていたいものです。
50代後半の私でも、この先あと何十年あるかないかそれは分かりませんが、生きている間は健康で、なるべく病気をしないように気をつけていたいと思っています。
それは、自分のためはもちろんですが、家族のためにも、同じ時代を生きる自分以外のすべての人のためにもなるにちがいないでしょうから。


そのために私が日頃やっていることは、例えば、冬の寒い朝も冷たい水で顔を洗う、どんなことでも細々とよく体を動かすこと、玄米飯や黒パンを食べていること、そしてよく寝ることなど・・・、何も特別なことはありませんが、これでも十分ご利益があるということは、何となく体で分かります。
これが私の健康法です。

雪道教習

昨年8月に運転免許を取って半年近くになる長女ですが、まだ十分に運転に慣れないうちに雪の季節になってしまいました。
また第一段階に戻ったようなものだと、少々気弱になっているようなので、今日は練習をかねて喜多方市街方面へ出かけてみました。
あいにく雪道の練習をするには路面が良過ぎて、私の方は逆に少しホッとしましたが、それでも娘はいつもより緊張していました。
ほんの少しでしたが凍結しているところもあって、氷の上に乗った時の感じは分かったらしいので、それはまず大したものだと褒めておきました。
私は、連れ合いが運転免許を持っていないので、いつもは運転席なのですが、今日は助手席にいたおかげで、冬の会津の景色を楽しむことが出来ました。
走行中に写真を撮ったことなどなかったのですが、思い立ってブレるのは承知で何枚か写してみました。







今年は、もう極端なくらい雪が少ないのですが、それでもパッと見には真っ白です。
やっぱり冬の会津には、「白」が似合います。
つくづく景色が贅沢なところだと思います。
皆さま、ぜひぜひ冬の会津へ・・・。

歳の神(さいのかみ)

今日は、当藤沢地区で小正月の祭礼行事「歳の神(さいのかみ)」が催されました。
食工房を夕方5時で閉店し、家族全員で出かけました。



右側のご神体の炎の中に「顔」が現れています。


餅とスルメを焼いています。
来年は、パンを焼いてみましょう!


稲藁でこしらえた、高さが4~5mにもなる大きな二つのご神体に、用済みとなった正月飾りや去年の古いお札を納めて、夕方も過ぎてあたりが真っ暗になった頃、年男がたいまつで点火します。
火が回ると、ご神体は二つの大きな火柱となって天に昇って行きます。
漂う煙は、集う人々を浄めます。
ご神体が燃え落ちて火が落ち着くと、各々竹の棒に餅やスルメを挿してかざし、焼いて食べます。
お神酒をいただき、この餅とスルメを食べると、この一年の無病息災が約束されるのです。

歳の神(さいのかみ)が無事終わると、翌日は「団子さし」です。
会津には、古風な行事がちゃんと残っていて、いいなと思います。
楽しくて、私のようなよそ者には、部落の方々のお顔を覚える良い機会でもあります。
それに私は、とても厳粛な気持ちにもなります。



どなたが召し上がったか?
このお行儀の悪さ!


それで今日の日中、暮れにお稲荷さまにお供えしたお餅を下げに、雪の中を漕いで辿り着くと、お餅はありませんでした。
みごとに、一かけらも残さず、食べられていました。
この餅を食べてくれた「ヒト」がいたことに、私は正直嬉しかったです。