高野通信」カテゴリーアーカイブ

昔語り

昨日の夜から、本を一冊読み始めました。
長いものは読みきれそうにないので、イギリスの作家アリソン・アトリーの「氷の花たば」という短編集を選びました。
末娘が前から欲しかったのを知っていた連れ合いが、この間のクリスマスプレゼントに手渡したものです。
一日に一編か二編ずつ、ゆっくり味わいながら読んでいます。

それで第一話の「メリーゴーラウンド」を読んでいたら、突然、私がまだ小さい子どもの頃、今は亡き父に連れられて、珍しく田舎にやって来た移動動物園に行った時のことを思い出しました。
正確にいつのことだったかは覚えていませんが、父の自転車の荷台につけた箱の中に乗せられて行ったのですから、まだ小学校前だったと思います。
私の村は、遠く徳島へと流れて行く「吉野川」のずっと上流にあって、動物園がやって来たのは少し下流の町でした。
川沿いのでこぼこ道を、ガタガタ揺られながら辿り着いて、さてどんな動物がいたのか、それをあまり覚えていないのですね。
ライオンもいたような気がしますが、定かではありません。
私が覚えているのは、売店で20円のキャラメルを一箱買ってもらったこと・・・。

そして帰り道、父は往きとは反対側の、少しでも自動車の通らない川の北岸の道を通って帰り始めました。
往きよりさらに路面が悪く、じきに尻が痛くて我慢ができなくなり、ずっと先まで橋がないことは分かっていましたが、私が文句を言うと、「よし、そんなら船に乗って向うへ戻ろう。」と言って私を自転車から降ろしました。
父は、道路から外れて川に下りる道を、自転車を押して歩いて行きました。
私も後について川に下りると、そこは渡し場で一そうの小舟が客待ちをしていました。
私たちの他にも何人か客が集まり、舟が出ることになると、父は自転車を担ぎ上げて舟の真ん中に置き、私も乗り込みました。
こんなちっぽけな木の舟に、重たい鉄の自転車を乗せて、沈んでしまわないかと不安でしたが、誰もそんなことを気にかける様子がないので、私も気にしないことにしました。
舟は、両岸の間に張り渡してあるロープに繋がれていて、船頭が両手でそのロープをたぐると、軽々と滑るように川面を渡って行きます。
私は、青々としてよどんだ淵の深さはどれほどだろうかと、恐々船べりからのぞき込んでいました。

不思議なことに、動物園の中のことは一つも覚えていないのに、帰り道のこの光景だけはとても鮮明に覚えています。
そこは、寺家(じけ)の渡し場と言って、今は立派なコンクリートの橋がかかっています。

そしてそこは、奇しくも昨年訪ねた、Mojo Fujiミシシッピーカフェがあるところなのです。
彼に、「昔、ここに渡し場があったろう?」と訪ねたら、知っていると言われて妙に嬉しい私でした。
そして今日は、会津若松へ配達の帰り道に立ち寄った「BOOK OFF」で、大好きなアイリッシュトラッドバンド「アルタン」のCDアルバムを一枚見つけました。
今、それを聴きながら、こうして何もかもがピッタリ来る心地良さを味わっています。
今夜も続きを読みます。

日本の原風景・よそ者の会津考 vol.3



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会津には、これが日本の原風景かなと思える風景に、あちこちで出会います。
上の写真は、いつもよく通りかかる場所から眺めた風景です。
同じ場所から5月に撮った写真と記事がありますので、そちらも併せてご覧いただきたいと思います。<こちら>
それで、何をして原風景と呼ぶのか、私なりの感覚を語らせていただくと、それは、人々の暮らしと自然の営みが調和している、あるいは少し譲って、その調和が大きく壊されていない風景ということになります。
会津には古いものがよく残っていると言われますし、実際そのとおりです。
土佐の高知の出身の私から見て思うことですが、その大きな理由の一つに、会津は自然の恵みにあふれた豊かな土地であり、且つ災害が少ないということがあります。
高知では、ほとんど毎年のように台風の来襲でいろいろなものが壊され、新しくせざるを得ない宿命みたいなものがあります。
川の流れや地形までもが、変わってしまうことだってあります。
だからかも知れませんが、変わって行くこと、変えることに、あまり抵抗を感じない庶民性があると思います。
それに比べれば、会津の風景は不動のように見えます。
実際には、少しずつでも確実に変わっているのだとは思いますが、残って欲しい、残しておきたい、豊かな自然と人々の暮らしと、その関わりや調和が、まだまだ持ち堪えていると思えるのです。
そしてそれは単なる観光資源と言うようなものではなく、大切にすべき会津の生命そのものだと言う気がします。
誤解しないでいただきたいのですが、変わることが悪いと言っているのではありません。
たとえどのように変わっても、失ってはならないものがあると申し上げたいのです。
厳しい冬の寒さや雪に閉ざされる不便さが、逆に恵みになっていることにも、南国出身の私は気づいています。
そんな話しも、また追々語らせていただきます。
今日はこの辺で・・・。




「飯豊」の名の由来どおり、
完璧なまでに白銀の雪に覆われた姿を見せる、飯豊連峰

改めて「私」を語れば



紅葉の冬芽



私は覚えている限り、やっと物心ついたくらいの小さい子どもの時からずっと、自分のまわりのものごとにいつも「ちがうぞ!ちがうぞ!」「そうじゃない!ちがう!」という感じを抱いていました。
一体何が?と言われても、それを上手く説明することは出来なかったし、自分でもよく分かってはいませんでした。
しかし、この違和感を無視することだけは、どうしても出来ませんでした。
今思うとこの違和感が、私のこれまでの人生の過ごし方に支配的であったという気がします。
そして近頃はそれに加えて、何か「悲しい・・・」という感じが自分を浸していることにも気がついています。
何が?と言われても、これも難しいです。
自分に、満たされないものや失ったものがあるから・・・というわけではありません。
そりゃあ少しくらいは不満もありますが、それ以上に恵まれていると思うこともありますから、そんなことではないのです。
何かに共感していると言った方が当っています。
それは、この地球のお母さんの痛みだったり、この世界の片隅でひどい目に遭っている人たちのことだったり、この地球のどこかで絶滅に追いやられようとしている鳥やケモノや虫たちのことだったり、伐り倒され焼き払われる森の樹木の叫び声や大地の嘆きだったり・・・。

この怒涛のような、世界中を巻き込んで流れていく潮流に乗って一緒に流れて行くことがどうしても出来ずに、どこかにたとえ一筋でも別な流れがあるに違いないと、岸辺伝いにつっかえ引っ掛かりながら流れている、私もやはり一滴の水には違いないけれど、まるで油のように混ざり合えない・・・、それが違和感の正体なのかなと今思います。
そして、その大きな流れの行く末は、私には、破滅しか見えません。
かく言う私も含めて、どうして人類だけが、美しいこの地球と調和することが出来ないのか・・・、それが悲しみの正体のような気がします。

もしこの先の世界に厳しい試練が待っているとしたら、その中で自分はどのように振舞うのか、今日はそんなことを考えて一日が過ぎました。
今そんな世界だからこそ、氷に閉じ込められながらも春には芽吹く力をたくわえて眠る冬芽のように、確信に満ちて生きていたいと思っています。

Milladoiro

 


今日は、久しぶりにまた音楽の話です。
スペインの西部、ポルトガルと国境を接し、ヨーロッパの先住民とも言われるケルト民族の血の濃い地域「ガリシア」、そこにはアイルランドによく似た音楽があります。
そしてガリシアを拠点に活動しているルーツミュージックのグループ、それがMilladoiro(ミジャドイロ)です。
来日したこともあるので、このブログをご覧の方の中には、実際にライブステージをご覧になった方がいらっしゃるかも知れませんね。
私が初めてMilladoiroの音楽を聴いたのは、8年くらい前で、友人からプレゼントとしていただいた、カセットテープにダビングされた音源でした。
何を隠そう、これを聴いた時から、私のルーツミュージックへの探求が始まったと言っても過言ではありません。
それまでに、FOLK、COUNTRY、JAZZ、ROCK、BLUESなどアメリカ系の音楽からワールド系と呼ばれる、少しルーツのにおいのする音楽に辿り着いていた私は、強い衝撃を受けると同時に、すっかり納得してしまったことは、今でもよく覚えています。
その後、アイルランドや北欧へと興味は広がり、次々といろいろな音楽に出会いました。

さて、Milladoiroはミジャドイロと発音するそうで、それはメンバーの多くの出身地であり、カトリックの巡礼の地でもあったサンティアゴ・デ・コンポストラという町に、巡礼者たちが残していった古い石碑のことを意味しているそうです。
そしてMilladoiroは、一度は廃れかけたガリシアの伝統音楽の発掘と再創造という、音楽の歴史に残る偉業を成し遂げたグループでもあるのです。
さらに、「音楽は世界共通の言葉。」と宣言するとおり、世界中の音楽を柔軟に受け入れ、共演も実現してしまう彼らの音楽を、多くの人に知って欲しいと思います。

では、そのMilladoiroのホームページをご紹介しておきます。
音楽はもちろん、視覚的にも美しいホームページには、ライブステージのビデオが4本も公開されています。
これだけでも素晴らしいプレゼントですが、YouTubeサイトで、さらに何本ものビデオクリップを見られます。
お正月のお休みに、ちょっと変わった、でも素晴らしい音楽の世界に興味を広げたい方、ぜひご覧になってください。

ミジャドイロのオフィシャルホームページは<こちら>

YouTube Milladoiroの検索結果は<こちら>

2008.元旦

新年、明けましておめでとうございます。

2008年元旦、大晦日からいつもと変わらぬ昨日と今日ではありますが、新しい気持ちで朝を迎えました。
皆さまには、引き続きこの一年のおつきあいを、よろしくお願い申し上げます。

さて雪国会津にふさわしい雪の中のお正月は、夜中のうちから除雪車の出動で始まりました。
私たちが寝ている間にも、交通確保のために働く人がいるのですね。本当に、ご苦労さまです。
明けて日中は、あちこちで動力除雪機のエンジン音が響いていました。
元旦と言えど降雪があれば、どこのお宅でも大なり小なり雪との格闘です。
我が家でも、出入り口や家の周りを歩きやすいように、スノーダンプで雪かたしをやりました。
動力除雪機があれば楽とは思いますが、高価な機械ですし、体が動くうちは人力で行こうと思ってがんばっています。
そして今日は、家の中が暗くなるのが嫌で最後まで雪囲いを付けないで置いた南面も、すべて塞いでしまいました。
たった二日間の降雪ですが、屋根から落ちた雪で家の周りは、高いところでは人の背丈ほどもカサが上がりました。
母屋と店の二棟の屋根の合わさり目には、大量の雪が溜まって来ましたので、早々に雪下ろしに上ることになりそうです。
おかげさまで、冬はかえって運動不足にならないで過ごせます。
元旦から肉体労働で始まったこの一年を、50代も後半に入った私は、家族共々、健康で体が動くことがありがたいと思える毎日であることを願い、それを心がけて過ごしたいと思っています。

大晦日


一年の終わりの日の今日になって、やっぱりという感じで大雪となりました。
お稲荷さんに頼まれて、冬将軍が待っていたのでしょうか・・・。
そう思えなくもないほど絶妙なタイミングで、今朝はもうすべてが白銀の雪の下に隠されてしまいました。
美しいものも不浄なものも、すべてを雪の下に封印して春が来るまで、人の心を否応なく内省へと向かわせる雪国の冬が、私は好きです。
本当に正直、今朝は嬉しかったです。
遠い南国の郷里で、私のブログを見てくださっている方々のために、今朝の雪の風景の写真を撮りました。







この雪の中で、自動車が表の道路に出られるようにするのにも、小一時間かけて雪かたし(片付けの意)、何をするにも雪に手をとられ足をとられ思うようにならなくて、かえって覚悟が決まってしまいます。
妙に心が落ち着いているのは、仕事が休みのせいばかりではないのです。

さてこの一年、世の中は平和だったかと言えば決してそうではなく、嫌な事件、悲しい事件、憤慨に堪えない事件の数々ばかりが記憶に残ります。
そんな騒然とした世の中の片隅で、とりあえずも大過なく気持ち良く過ごすことが出来たのは、いただいた数々の貴重なご縁と出会った方々からいただいたご厚意によるものと、深く感謝申し上げます。

どうぞ来る年が、どなたにとっても前途洋々たる素晴らしい一年でありますように・・・、そう願いつつ私も、新しい年を迎えることといたします。

  追伸 
そば打ち大成功。
かくして、終わり良ければすべて良し。
ありがとさま。

この一年の感謝を・・・。


我が家は借家ですが、家の裏手の広い敷地の中にお稲荷さまが奉ってあります。
頼まれたわけではありませんが、私は当初からこのお稲荷さまには、出来る限りのお世話をしています。
年に二回、春と秋の終わりには清掃をして落ち葉を焚き、煙を立ててお浄めをします。
今年は何かと忙しくて、秋のお努めが年末になってしまいましたが、幸い降雪が遅れ、お稲荷さまも待ってくれているという気がしましたので、やっと今日は約束が果せたという思いです。
実は昨日のうちに、娘たちが大方清掃を終わらせてくれていましたので、今日は搗いたばかりの餅を供え、濡れていた落ち葉に何とか火を点けて、少しの間でしたが煙を立ててお浄めをすることが出来ました。
こんなことをして、でも信仰とは何の関係もありません。
私は、人間以外の全ての者に対して、人間と同様あるいはそれ以上の敬意を払う気持でいると、ただそれだけです。
そしてこのお稲荷さまが、この敷地と家とそこに住まい暮す者のことをとても気にかけているということを、素直に理解出来るのです。

さて、おかげさまでこの一年もどうやら無事に終われそうです。
餅つきも例年通りきれいに搗き上がり、とくに今年はお供え餅が上手に丸まったのでとても満足しています。
パン屋でも、正月だけは餅にこだわります。





そして明日は、恒例のそば打ちです。
今年は、ある方からそば粉100%で上手に打てる秘訣を教わりましたので、試してみようと思っています。
それが上手く行けば、終わり良ければすべて良しの言葉通り、良い一年の終わりを迎えることが出来ます。

あと一日、皆さまへのご挨拶は明日に。

去年の今頃

去年の今頃は、ブログを始めていませんでしたので、どんなだったかなと思い出しています。
大体ここ数年来、食工房の仕事は28日までで、30日に餅つき、31日はそば打ちと決まっています。
それでもう一つ思い出しましたが、一年前の昨日(28日)に、カネリプッラの初試作をしています。
インターネットで検索して知った「かもめ食堂」のシナモンロールの画像や、実際につくった人のブログなどから見当をつけて、とにかく一回やってみようということで焼きました。
初作は、今製品になっているのより二回りくらい大きいサイズで、とびきり食べ応えがあって、いくら何でもデカ過ぎると思ったものです。
その後、「かもめ食堂」のDVDを見て何度か試作を重ね、今の食工房のカネリプッラになっています。
さて、年末のほんのニ三日間ですが、食工房の本業を置いて、餅つきやそば打ち、おせち料理などと、けっこう朝から夜まで忙しく過ごします。
ボーっとしていればいいようなものですが、そうはしていられない性格だってことですね。
外で買った餅など食えない!とか、年に一回そばくらい打たなくちゃとか、おせち料理も連れ合いと共に全て素材から手づくり・・・、実はそうやって楽しんでいます。

明日は餅つきをして、家の裏にある屋敷稲荷の清掃と奉納を執り行います。
雪の予報が出ている折から、どういうことになるでしょうか。
食工房は、明日30日までで本年の営業を終了いたします。
新年は、1月10日から営業いたします。

おっと、忘れていました!
我が家は、年賀状をお正月になってから書いています。
大体いただいた方へのお返事になってしまっています。
例年、食工房からは特に新年のご挨拶は差し上げておりませんので、ご了解ください。

クリスマス

今日は、クリスマス。
クリスチャンの家庭に生まれた私は、生まれてすぐに幼児洗礼を受けさせられましたので、一応クリスチャンということになりますが、大人になってからは信仰には関心がなくなり、結婚した時も教会で式を挙げるということはありませんでした。
その後、「神も悟りも、一人一人の私の中にあるもの。」と、生意気なことを言っていたこともありますが、初めての子が生まれた時その顔を見て、素直にこれは神さまだと思いました。
以来どの赤ちゃんを見ても、私には神さまに見えるのです。
神さまの世界からやって来て、人間の子に育って行くことに奉仕出来る「親」という立場は、何て幸せなんだろうと思ったものです。
科学が進歩した現代にあっても、人間は何もないところから、虫一匹の生命を創り出すことは出来ませんが、一人の人間の生命を産み出すことだけは出来るのです。
これが奇跡でなくて何だろう!と思わずにはいられません。
クリスマスは、キリストの誕生日であると同時に、すべての人の子の誕生を喜ぶ日でもあると、私はそう感じています。


冬至

今日は、冬至です。
明日からまた少しずつ日が長くなります。
雪も寒さも、まだまだこれからですが、何か気持が違っています。
春は確実に約束されていて、必ずやって来ます。
だから、冬至を祝って裏切られることはないのですね。
世界中に、冬至を祝う慣わしがあります。
皆さん、よかったら今夜は空を眺めて見てください。
お天気が良ければ、大きさを増して満月に近づいた月が中天にかかり、下界を明るく照らしているはずです。
この前お話しした、月光白夜です。

さて、おかげさまで忙しさのピークを越えました。
明日は、ずっと楽になります。
今日は、これから駅カフェに出かけます。
イベントのお手伝いです。
素敵なライヴを聴けます。
楽しみです。
冬至にふさわしい夜になりそうです。