高野通信」カテゴリーアーカイブ

マイブログ中間報告 vol.5

先日来、何度か情報発信のことに触れています。
このブログを書き始めて9ヶ月が過ぎようとしていますが、始まって間もなくの頃から気づいたことは、インターネットと言えど意外に狭い範囲のコミュニケーションに終始してしまうケースが多いということです。
いわゆる、インターネットを使えば世界を変えられるような考えになるのは、少し性急過ぎるというか、単なる錯覚のような気がしています。
たしかに、貴重な意見の交換とか、世論の構築とか、インターネットには建設的に社会に貢献出来る大きな可能性があるのですが、逆に悪用しようとすれば、これまたとてつもなく強力な武器にもなってしまいます。
要は、関わる人間次第と言うことじゃないかと思います。
この時、私たちが気をつけていなくてはならないことがあるとしたら、騒がしい情報の渦に翻弄されて思考停止にならないようにすることだと思います。
何故なら、インターネットは、油断している人をその気にさせるのに、とても上手く働く道具だと思うからです。
全く疑い出せばキリのないインターネットですが、皆さんはどんなスタンスで付き合っていられるのでしょう。
迷惑メールや悪意のあるプログラムを仕込んだダウンロードサイト、一方的なトラックバック等々、インターネット上にも現実世界と同様かそれ以上に、うんざりするような犯罪やいたずらが横行しています。
私は、自分のホームページやブログが、たとえ間接的でもそういうものの媒介役に使われることのないよう、気をつけていたいと思います。
そして、しっかりと現実にチャネルした記事を書き続けたいと思っています。


  「アイリッシュクリスマスティーパーティーin駅カフェ」


☆定員まで、まだ余裕があるそうです。
☆当日のご来場でも入れると思います。
☆駐車場もOKです。
(2軒隣のパチンコ屋さんの裏に広い駐車場があり、そこに駐車可)

12月22日(土) 午後6:00 開場(駅カフェ自体はその前からずっと営業しています。)
ミニライヴは、午後6:30 開演

☆駅カフェ自慢の名水水出しコーヒーと食工房製焼き菓子を味わいながら、フェアリーランドの演奏によるアイルランドの伝統音楽をお楽しみいただきます。
またお帰りには、食工房のブラウニーをおみやげにお持ち帰りいただきます。
これだけの内容で、お一人1,500円!
皆さまのご来場をお待ちしております。
なお、お問合せは0242-39-3880 駅カフェまで

ステーション JOKE

また一つ情報発信の話しを聞いてください。
今度は、その昔私が放送局のまねごとをやったというお話しです。
もう、今から40年も前のことです。
当時、私は工業高専の学生でした。
ご存知の方もいると思いますが、高専は全5学年の内1、2年生が全寮制です。
3年生以上は自由選択ですが、寮に残る学生もけっこう多く、総勢400人余りの学生たちが寄宿生活をしていました。


さて、工科系の学生なら、送信機を作るくらい朝めし前というわけで、一時簡易ワイヤレスマイクが流行りました。
携帯電話なんて、誰も思いつきもしない時代のことです。
送信機は、AMラジオ放送の周波数帯を使うものでしたから、受信は、誰でも皆1台持っていたトランジスタラジオでOKでした。
寮の部屋同士で無線通信で会話出来るのが面白くて、私も1台作りました。
そして、やがて皆の興味が冷めた頃、私は、この送信機を使って放送局のまねごとをやってみることを思いつきました。

気の置ける友人と二人で組んで、誰がやっているか絶対にバレないようにやろうという申し合わせでした。
と言うのは、この送信機、違法と言うほど強い電波が出るものではありませんでしたが、電波管理局という所がいかにも厳しく恐ろしい機関だと聞き及んでいたことと、どこでやっているか分からない方が面白いというのが、その理由でした。


私の送信機は、皆のと違ってマイクの他にライン入力をミキシング出来るように作ってありましたので、ターンテーブルを用意してレコードをかけながらおしゃべりすることが出来ました。


さてこの放送、リスナーは当然寮生仲間です。
いろいろ工夫して、放送エリアは4棟あった宿舎全てをカバーしていました。
でも、こっそり始めた放送を知ってもらわなければなりません。
寮の管理と指導のために、毎日入れ替わりやって来る教官にだけは、絶対に知られたくなかったので、私は各棟の入口付近にある掲示板(黒板)にチョークで、例えば次のように記しておきました。           
JOKE 11:00PM~1:00AM 1620kHz
初めのうちは皆、何のことだか分からなかったみたいですが、間もなく認知されて少しはリスナーがいるらしいことが分かって来ました。


ちなみにJOKEというのは、私と友人で勝手につけたコールサインです。
まさにジョーク(JOKE)でやっている放送局ですからね。
どこかに本物のJOKEがあったのかも知れませんが、そんなことはおかまいなしです。
そして用心のために(?)、時々放送周波数も変えていました。


ところで、かけるレコードはどうしたかと言うと、自分が持っているものは限られていますから、何人もの友人から借りまくっていました。
先輩の一人が、ヒットパレードもののシングル盤を何百枚も揃えていて協力してくれましたので、リクエストも募ることにしました。
掲示板の下に、目立たないくらいの小さな箱を置いて、その中にリクエストカードを入れてもらい、毎日回収して回りました。
まあ、一部の者だけだったかも知れませんが、この遊びに乗ってくれているらしく、私と友人は毎晩、他愛もないことを好き勝手にしゃべってはレコードをかけていました。


そしてもう一つ実用的サービスとして、FM放送の音楽番組をAMに変換して放送していました。
当時は、FM放送が始まって間もない頃でしたが、AMでやっていた音楽番組が次々とFMに移行して聴けなくなっていました。
FMの聴けるラジオは、学生の間ではまだ珍しいものでした。
こちらの方はけっこう重宝がられて、やりがいを感じると言うと大げさですが、密かに得意満面でした。


さて、このステーションJOKEも、数ヶ月やったところでやっぱり教官にバレてしまい、中止に追い込まれてしまいました。


あれから40年経って、今、あちこちに小さな街のFM放送局が出来ています。
もちろんこちらは正式なものですが、私のあの遊びは、その原点だと思っています。
そして、ブログなどインターネットを使った情報発信は、出版と放送の一部の要素を兼ね備えた手法であることにも気づいています。


ここで私が思い描く情報発信とコミュニケーションの「場」を紹介しておきます。
それは、カフェと小さな出版社(あるいは新聞社)と放送局が密接に関わりあいながら同居している、というものです。
どうでしょう、近い将来必ずどこかに現れそうだと思いますが・・・。


今日は、長々とお付き合いありがとうございました。


 お知らせ
もうすぐカウンターが30,000ヒットになります。
30,000ヒットのキリ番の方には、食工房より3000円分の商品券をプレゼントいたします。
該当の方、プレゼントを受け取りたい時は、アクセスした時の画面をプリントしたものを添えて申告してください。
さらに前後賞は、オリジナルフォトポストカード10枚です。
こちらも、該当者の申告をお待ちしています。

隔世の感

昔から人一倍、情報発信に関心の強かった私、20代の後半からずっと今まで、連れ合いと合作で個人通信を発刊し続けています。
多い時には、1000部刷ってもいつの間にか無くなってしまうくらい、手渡しで、郵送で、またお店など人の出入りするところに頼んで配布していました。
そして奇しくもこの通信刊行の約30年間は、印刷技術や編集方法、そして情報発信の方法そのものまでもが革命的に変化した、歴史に残る時期でもありました。

当初の私たちの通信は、ガリ版と呼ばれる謄写印刷機を使っていました。
原紙に鉄筆で文字や絵を描き付け、印刷機にセットして印刷するのですが、数百枚刷るうちに原紙が破れて悲しい思いをすることも度々でした。
その後間もなく、この原紙切りを自動的にやってくれる機械を導入し、印刷機も手動から電動に替えました。
当時は、印刷機を持っているということは、情報発信者としての象徴的なステータスでした。
私は、それこそ得意満面で、しばらくの間毎月のように通信を出したものです。
それでも、版下と呼ばれる印刷の元になる文字や絵などは相変わらず手描きで、切り貼りで編集していました。
誤字や脱字の修正はなかなか大変で、技術的にもコツを要する細かい仕事でしたが、毎号毎号飽きもせずにいそいそとやっていました。
印刷業界でも、文字はタイプライターや写植で打ち出していましたが、修正は手作業による切り貼りで大変だったようです。

そんな時代からわずかに30年足らずの間に、状況は何から何まで一変してしまいました。
今の、パソコンを使って何でも出来る状況は、昔私が「こんなことが出来ればいいのに・・・。」と想像していたことを遥かに超えてしまっています。
高性能のプリンターもローコストで使えるようになりましたから、新聞社や出版社をそのままミニチュアにしたようなことが実現しています。
私にしてみれば、通信の編集に関しては、もはや叶わぬ願いなど存在しないと言えるほどです。
それどころか、まだまだ出来ることがあるのに知らないことが沢山ありそうです。
まさに隔世の感ありです。

しかし驚くべきはそれだけではありませんでした。
インターネットの確立によって、情報発信の方法そのものにも大きな変化が起こりました。
今や、必ずしも紙に印刷という手法に頼らなくても、誰もが手紙を書くより簡単に、ブログやホームページを使って世界に向かって情報発信が出来るのです。
今までずっと、紙に印刷したものでやって来た私の情報発信も、今年はとうとうと言うか、やっとと言うか、ネットデビューを果しました。
また一つ新しい世界が開けて行くようです。
もちろん、印刷物としての通信を止めるつもりはありません。(ここしばらく休刊状態ではありますが・・・。)
どちらも私にとっては魅力的な媒体です。
皆さんとのお付き合いを楽しみに、続けて行きたいと思っています。

モノが情報という話

情報の時代と言われ、情報が大切と言われ、伝える方法の多様化、高速化にますます拍車がかかる昨今です。
バーチャルな世界には、もはや何でもあります!と言わんばかりの熱狂ぶりに、私は少し水を注したい気分です。
情報が大切というなら、一番肝心な情報はそのモノ自体が持っているじゃないか、その場所自体が、その状況自体が、一番重要な情報そのものじゃないかと思うのです。
しかしまあ・・・。
例えば、宇宙船から見た青い地球の画像などは、宇宙船に誰でも乗れるわけではないことを考えれば、貴重な情報と言えます。
でも、誰でも巡り会えるモノや状況なら、実物や実際に触れたほうがいいと思います。
バーチャルな世界で多くを知るより、少なくてもいいからリアルを大切にしろと言いたいのです。
危険なモノ、あってはならない状況、そういうものごとへのスタンスを学ぶことが出来るのは、現実の世界だけだと思うからです。
ちょっと話が広がってしまいましたが、元に戻りましょう。
ここにパンが一つあるとします。
このパンについて語る情報が、どんなに沢山あったとしても、風味や食感という情報は、それを実際に口に入れない限り確かめることは出来ません。
また、洋服が一着あるとします。
いくら詳細な画像があったとしても、自分の体にどのようにフィットするか、それを着て鏡に映した自分の姿を見て似合うかどうか、これもやはりそのものがそこになければどうにもなりません。
モノが情報だというのは、つまりそういうことです。
だから、そこのところをいかに人の想像力に訴え、リアリティーを感じさせるか、それがまた伝えることの上手下手になるということでしょうか。
いずれにしても、いい情報はいいネタがなければ生まれないことだけは確かです。
この話し、後日続けます。

休日返上、頭は空っぽの昨日今日


昨日の夜は、ブログを書けませんでした。
朝のうち、ちょっと下書きまでしていたのに、夕方になったら頭の中は空っぽになってしまい、何にも出て来ません。
昨夜はあっさりギブアップしてしまいました。
そして本日は、年末になると一、二度はなってしまう休日返上となりました。
昨日焼いたシュトレンの仕上げをして、午後から仕入れと所用で若松へ。
今日は、大分慣れて来た娘に大方運転を任せて、私は助手席でウトウトしていました。
おかげで、ずい分楽をさせてもらった感じで助かりました。
そして夜になって、やっぱりまだ頭は空っぽです。
とりとめがないのでこれにてお終いにいたします。
とにかくボーっとしたい昨日今日です。

続2、農業志願

日本の農業が、今や壊滅の危機に瀕しているということを、一体どのくらいの人が認識しているだろうかと思います。
私の住んでいる山都町は、いわゆる中山間地域と呼ばれる、典型的な農村です。
そして今この日本の抱える、農業だけではない様々な社会問題が凝縮している地域でもあると、私は考えています。
さて、我が山都町には、農業を全く未経験の若者たちが数多く、新規就農を志してやって来ます。
※そのあたりの経緯については、以前に触れていますのでそちらをご参照ください。 <参照1> <参照2>

それで、これまでに農業志願して来た人たちが、その後実際に農業に就いたか、また農業で生計を立てるに至ったかどうか、その評価はいろいろに分かれるところだと思います。
私としても、簡単に一言では申し上げられませんが、現状は限りなく厳しいという印象を打ち消すことは出来ません。
一方、今の日本の農政の方向は、農業の大規模化に向かっています。
これまでの家族単位の営農から集落単位へ、さらにそれを会社組織にする。
そして、これまで農業とは無縁だった企業や資本の参入を歓迎し、機械化、省力化する。
農民も他のサラリーマンと同じように、給料をもらって労働に従事するという構造を目指しているわけです。
それでは、都会からわざわざ農業を志して来る人たちが、そう言った方向性を歓迎するだろうかと言えば、むしろ逆じゃないでしょうか。
そしてまた、既存の農家の間でも、危険を冒して大きなビジネスに手を出したい人は、決して多くないと思います。
どちらかと言うと、そうせざるを得ないように、農政が道をつけているのです。
元々、作物を育てるという仕事は、工場でモノを造るような単純なものではありません。
自然を相手に、数限りない不確定、不可測な要素と付き合いながらする仕事です。
水耕栽培のように完璧を誇る施設園芸でさえ、予期しないトラブルと格闘している姿を、私は知っています。
とにかく、作物=植物=生命なのですから、材料を加工して造るモノとは、決定的に次元が違うのです。
発想を取り違えたやり方は、いずれ近い将来必ず破綻するに違いありません。

農業を、単に産業の一つとしか捉えられない政界や財界の方々には、決して見ることの出来ない世界が、農業と言う仕事の中にはあると、私は思っています。
そこを見落として道をつけても、多分それは、誰も通れない道です。
これは私の個人的見解ですが、このままでは日本の農業は死んでしまうと思っています。
その先がどうなるか、話が大きく広がってしまいますので置きますが、農業が生き残れる道は、結局、家族経営しかないと思います。
元来そうであったように、「百姓」に戻るということです。
それが一番無理のない、自然の計らいに沿った道であると思います。
そこでは、省資源、省エネルギー、環境浄化、人々の健康等々、産業中心の社会では矛盾だらけでちっとも解決出来ない問題が、あっさり片付いてしまうに違いありません。
果たして、今後農業に従事する人々に、その道が残されるか、許されるか、そこが大いに問題です。

瀬戸際の活力維持

一昨日、風邪が回って来たと申し上げましたが、昨日からすでに忙しく仕事に追われていて、体への負荷がグッと重くなっているのが分かります。
昨夜床に就く時、明日パンを焼けるだろうかと危ぶみましたが、朝になってみると思ったより状態は悪くなく、仕事にかかることが出来ました。
こういう時、勤めとは違って自分のペースで、好きな音楽など聴きながらやれることが、何ともありがたく幸せに思えます。
それに、パン生地のためとは言え作業場は30℃近くもあって、寒い外に比べれば天国みたいなものです。
これなら仕事をこなしながら、風邪を退散させられるかも知れないと思えました。
こんな風に体の状態が瀬戸際にある時、私は、飲み食いには特別気をつけています。
一番肝心な点は粗食小食にすることですが、甘味品を控える、動物性食品は極力減らす、繊維質の多いものを良く噛んで食べる、水分はほどほどに取るなど、いくつかの点に留意しています。
そして、一日に何度もうがいをして喉をすすぐ、マスクをして乾いた空気を直接吸い込まないようにする、首や肩をほぐす軽い運動をする、深呼吸をして肺を拡げるなど、いろいろと対策します。
熱もあったみたい(計ってみないので何度あったかは分かりませんが)ですが、体が風邪に抵抗している証拠と理解して、むしろテンションを上げて体を動かしていました。
さすがに午後になって一時グッタリしましたが、軽い食事をして気を取り直すことが出来ました。
その後、車を運転して配達に回りましたが、私は、体の状態が運転にどのくらい影響しているか、長年の経験で正確に分かるようになりましたので(高い授業料もいっぱい払っていますけど・・・)、今日はまあ行けそうと判断して出かけました。
戻って来てみて、やっぱりかなり疲れていましたが、夕食をゆっくりと味わって食べているうちに、また元気になって来ました。
今日は、このブログを書き終えたら、あとはお風呂に入って寝るだけといたします。
医者にかからず、薬に頼らず、何とか持ちこたえている自分の体を、私は信じて感謝しています。

ささやかに、ゆたかに



30年くらい前からずっとクリスマスの季節を
楽しませてくれているキルトのツリーです。


昨日の夜は、お店にクリスマスの飾り付けをしました。
どれもこれも、連れ合いと娘二人の手づくりのものです。
古いものは、もう30年近く前につくったものもあります。
何度も引っ越しを繰り返して来た私たちですが、お金で買って持っていたものは、度々に人に譲ったり差し上げたりして荷物を減らしたのに、こういうものはなくならずにずっと残っています。
立派で見栄えの良いものは一つもありませんが、ささやかでもこれがあることで、私たちの心はゆたかです。
皆さまにも、お店に来て一緒に眺めて楽しんでいただけたら幸いです。




四人まとめてハガキの上に乗るくらい小さな天使の楽隊は、
山暮らしをしている頃に、上の娘が紙粘土と薄葉紙でつくったもの




土蔵の窓も、不思議にクリスマスオーナメントが似合います。
並んでいる中に、初めて作ったブーツがあります。

待降節

キリスト教徒の間では、今日からがクリスマスを待ち望む期間、待降節に入ります。
「アドベント」という英語も、最近はよく耳にするようになりました。
西洋には、この期間いろいろな習慣があって、良く知られているのはアドベントカレンダーじゃないかと思います。
日付を書いた小窓が開くようになっていて、一日一日一つずつその窓を開けると、中に美しい絵が描かれています。
題材はほとんどの場合、キリストの降誕にちなんだものです。
その他、大きなローソクに日付が刻まれていて、毎日少しずつ点燈して行くというのもあります。
また、一日一本ずつローソクを灯して行き、クリスマス当日には二十本余のローソクの明かりが灯っているという仕掛けもあるそうです。
私は、今は教会に行くことはありませんが、かつての信者として、少しは敬虔な気持でこの時期を過ごすことにしています。

さて食工房でも、この時期にいろいろ仕掛けをしています。
その一つは、ジンジャークッキー・クリスマスバージョンです。
通常は、四角形とジンジャーボーイとジンジャーガールの三つの形だけですが、今日は、プラスいろいろな動物や鳥や天使などの型抜きをして、楽しいパッケージにしました。
また、アプリコットケーキのハートのラベルも、赤と緑のクリスマスカラーバージョンに、ハートの中には、今年はフィンランド語でクリスマスのお祝いの言葉を入れました。


ジンジャークッキー・クリスマスバージョン



そして、このブログを見てくださった方に、一つプレゼントが・・・。
<こちら> をクリックしてください。
聞こえてくるのは、スウェーデンのダラルナ州エルヴダーレン地方のクリスマスの歌です。

月光白夜

冬至の前後、冬の太陽は南の低い位置を移動して行きます。
一方、月は満月が近づくにつれ、真夏の太陽のように中天高く上って行きます。
北国では、早い時間に日が暮れたすぐ後を追いかけるように月が出て、夜更け方、雪に覆われた大地を明るく照らします。
色彩を失って、全てがモノトーンに青白く見える「月光白夜」、それは見る者の心を宇宙の彼方へと連れ去ります。
山暮らしをしている頃、私は幾度となく、真冬の夜半のその情景を目の当たりにしました。
ここ会津でも、運良く晴天なら見られるはずですが、雪国の冬の夜は曇っていることが多いので、滅多にお目にかかれません。
ところで、冬の北欧のそれも北極圏に行けば、24時間ずっと満月が地上を照らす、正真正銘の「月光白夜」が体験出来るはずですね。
北欧の冬も、ただ暗いばかりではないはずなんです。



さて、そんな雰囲気をそのまま音楽にしてしまったようなCDをご紹介しましょう。
今、うちの娘たちが、そして私も、すっかりはまってしまっています。
アルバムのタイトルは、Etsija(エツシヤ)、フィンランド語で、「求道者」と訳せます。
歌っているのは、フィンランドの人気歌姫4人組、Suden Aika(スデンアイカ)直訳すれば、「狼の時間」。※ただしこれには深い意味がありそう・・・。
私がいろいろ申し上げるのはこのくらいにして、Suden Aikaのホームページを紹介しておきます。 リンクは <こちら> 試聴も出来ます。写真がとても美しい!
  
  おことわり

明日から2、3日、ブログを休みます。