高野通信」カテゴリーアーカイブ

PCマニア

私は、PCに触り始めてから二年半ほどになりますが、その時から今も使っているPCは、PCマニアが自作したものです。
当時、ワープロが壊れて途方に暮れていたところへ、その方から「いいのがありますよ・・・。」と声をかけられ、1万5千円という安さに魅かれて半信半疑でPC導入となりました。
その方が、「誰にでもこんな話は持ちかけないんです。」「Aさん(私のこと)は、マニアの素質十分と見込んでいるからお譲りするんです。」と、恐ろしいことを言うのでちょっとびびっていたかも知れません。
でも今になって見ると、私が自分でも薄々自覚していたとおり、その方の言ったことは正しかったようです。
そして、それを後押しするように周りにPCに堪能な方々がずらりと揃ってバックアップしてくださるので、この二年半の間にずい分いろいろなことが出来るようになりました。
もちろんまだまだ初心者の域を出ませんが、自分のPCは仕事で使いやすいようにどんどんカスタマイズしています。
そして、システムの冗長性を高めるために、もう一台PCを用意しようと考えているところです。
天の計らいかそれとも自分で引き寄せているのか知りませんが、私はここでもまた研究熱心な性格を発揮させられているという気がしています。
でも私は、いわゆるオタクにはなれません。
私は、もう一方でエコロジストを目指しているのですから。
ええーっ!
自分でもつくづく滅茶苦茶な性格だなと思います。
バランスを取りたいだけなんですけどね。



ちなみにその1万5千円のPC、17inのディスプレー、キーボード、本体の3点セット。
CPU:AMD2400+  メモリ:512M(後で1Gに増強) HDD:80G(近々、もう1枚入れてミラーリングする予定。) ELSAビデオカード DVDマルチドライブ FDDドライブ OS:WindowsXP Home Edition その他仕事から趣味まで使えるアプリケーションが20種類余り。
こんな内容でした。
恥ずかしい話ですが、当時は全く価値が分かりませんでした。
興味のない方には、面白くない話だったかも知れませんね。すみません・・・。
明日は、「習刊コーヒー通信」です。

続・セルフヒーリング



ドタバタと忙しい毎日を過ごしていると、しだいにストレスがたまってくるのが分かります。
何か嫌な状況に悩まされているならなおさらですが、逆に全く調子良くやっていても、ストレスはたまるらしいですね。
私たちの心身をほんとうに勇気づけ、元気づけてくれる源はどこにあるかと言えば、それはこの地球、大地、大自然そのものじゃないでしょうか。
それは、誰でも本能的に分かっていることですね。
疲れた時、山に行ったり海に行ったり、ただ空を眺めたり風に吹かれたりしたくなるのは、自分で自分を癒そうとする本能的感覚なのです。
だから、人間が造ったものばかりに囲まれて、自然の法則に従うことを忘れ人間の決めた約束事に縛られてばかりいると、人は必ず心身を病むというのは、単に私がそう思っているというより、それが自然の摂理なんですね。
そう考えると、この時代にいる人間たちは、何事によらず「やり過ぎ」状態に違いありません。
例えて言うなら、それはペダルが何千、何万もついている一台の自転車に乗って走りだしたようなものでしょう。
小回りが利かない上に、すごいスピードで走っているので降りることも出来ません。
皆が漕ぐのを止めて静かに停車しない限り、暴走は終わらないのです。
そんな巨大な自転車同士が衝突することもあれば、崖から転落することもあるでしょう。
私には、世界は今まさにそんな風に見えます。
そんなら一つ、少しでもスピードが遅くなるよう漕ぐのをサボっていようかと思っても、かえって危ない時もありそうです。
ここらでケガを覚悟で飛び降りて、自分の足で歩く方を選んでもいいんじゃないかと思ったりします。
でも、こんなブログを書いたりホームページを作ったり、インターネットを使いこなそうとしているのは、まだまだ一生懸命ペダルを漕いでいる方かも知れませんね。



 カフェクラブ満員御礼
結局12名の方のご参加をいただき、危うく椅子が足りなくなるところでした。
本当にありがとうございました。
5月6日のCHAさんの引っ越し祝いで味わったのと同じ心地よさを、ここでもまた味わった気がしています。(5/6の記事へ
大げさなことを言いますが、私にとっては、一個のパン一杯のコーヒーで喜んでいただくことが、私の平和運動なんだと自負しています。
8月には、本当にカレーパーティーを3回くらいやれるかも知れません。
皆さん、どうぞお楽しみに。

価値ある情報



前に「モノづくり」という記事の中で、・・・ネット上で情報を作り出すことの簡単さに比べれば、モノづくりは手間暇がかかります。・・・と書きましたが、少し訂正させていただきます。
確かに、うわさ話や憶測を並べるだけなら簡単かも知れません。
しかし同じ情報と言っても、責任の持てる、また多くの人にとって価値のある情報を発信しようと思ったら、モノづくりと同等かそれ以上の労力と時間がかかるのですね。
時間と労力を費やして取材し、資料や文献を調査し、著作権などにも配慮を尽くすとなると、並大抵のことではありません。
私がこのブログに書いていることなどは、個人の意見を最大限良心に基づいて述べている範囲ですから、客観的価値という点では「無ければ無いで差し支えない。」程度のものに過ぎないかも知れませんが、それでもそこそこ手間暇はかけているつもりです。
さて、このブログに「庄内拓明の知のヴァーリトゥード」というサイトをブックマークしてあるのに気づいて、ご覧になった方もいらっしゃると思います。
takさんは、実は私の三十余年来の友人です。
彼の人柄をすっかり知っているから言うのですが、このサイトは本当に手間暇かけています。
アクセスの数の多さは、そのまま情報の価値を物語っていると思えるのは、きっと私だけではないと思います。
モノも情報も実は同じ、人がつくるもの、だからそこに注ぎ込まれた何かが大切なんだと思っています。

沈思黙考

忙しさの後、一息つける時間を得た時、あなたは何をしますか。
本を読む、音楽を聴く、映画を観る、外に出かける、人それぞれに状況によっていろいろだと思いますが、私は、本当に何もしなくて良い時間が与えられた時は、迷わず自然の風景の中で、あるいは静かな部屋の中で、沈思黙考することを選びます。
それで何を考えているのか・・・、それはご想像にお任せします。
そしてここもまた、沈思黙考した場所の一つでした。

セルフヒーリング

50代半ばを過ぎると、これまでの人生の過ごし方が心身の健康面に、結果として現れて来るのだなぁということを強く感じます。
私などもそうですが、運動不足がちだった人は、いち早く体力の衰えや不足を感じざるを得ないし、逆に体を酷使して来た人は、あちこち痛みに悩まされているかも知れません。
若い時と違って、ちょっと風邪をひいたくらいでも、すぐに回復して元気になれるとは限りません。
先には老年期が待っている50代にとって、心身の健康は何にも増して重大な関心事に違いありません。
セルフヒーリングというのは、直訳すると「自分自身を癒すこと」ですが、その中身は多種多様です。
専門家がコーディネイトするセルフヒーリングもありますが、自分で学びながら自分で実行出来る治療法や健康法であることがあくまで本筋です。
私は子どもの頃、あまり体が丈夫な方ではなく、若い頃からずっと人一倍健康への関心が高かったので、実にいろいろなことを試して来ました。
今ブームになっているマクロビオティックも、30年くらい前にかなり厳格に実行していたことがあります。
今でも一部を自分の健康法の中に取り入れていますが、ここまで来て分かったことは、いろいろな健康法に関する情報を自分に合ったバランスで実行するためには、先ず自分自身を知ることを何より優先すべきということです。
何故かと言うと、体の状態はその人の心の状態と密接に関連していて、それまで過ごして来た人生の中で培われた性格と体質と、そこに現れている状況は一つのものであるからです。
小難しい話になってすみません。
また機会を改めて、実際にやっていることを少しずつ紹介して行きたいと思います。
それでは、今日の会津の気持ちの良い風景をご覧に入れて終わりにします。
こんな風景が見えるところでしばしボーっとすることも、私のセルフヒーリングです。

ホウの花



このあたりでは今、ホウの花が次々と咲いています。
ホウの花は形が大きく、とても強い生命力を感じさせます。
そしてこの花が咲き始めると、あたり一面に甘く芳しい香りが漂います。
人里ではあまり良く分かりませんが、深山でこの花が咲いているところに行き当たると、それはもうただならぬ霊気が漂っているのが、私にははっきりと分かります。
以前住んでいた阿武隈の山中で、私はホウの花が咲く頃になると、とり憑かれたように毎日歩き回って、写真に撮れそうなつぼみを探したものです。
何しろ高い木の上に咲いているのですから、鳥にでもならない限り、咲いている姿をそのまま写真に撮るなど出来るわけがありません。
枝を切って下に降ろして撮るという人もいましたが、それでは絶対に写し取れない何かがあるのが私には分かるので、そんなことは出来ません。
この写真を撮った時は、たまたま低い枝が重みでしなって低くなっているところにつぼみが出来たのです。
雨上がりの午後、日差しにうながされるようにそのつぼみが開いたのを見て、私は何かも放り出してその木の下に駆けつけました。
カメラを持って高さが3メートルほどの脚立の上に乗ると、ちょうど目の前に満開のホウの花があり、一面に甘い香りが立ち込めて鼻を突き、頭がクラクラしてこの世から連れ去られるのではないかと思ったほどです。
その時「さあ、私を撮りなさい。」という声が聞こえたような気がして我に返り、夢中でシャッターを切りました。
不思議にそよとも風は吹かず、花はピタリと止まったまま存分にシャッターチャンスを与えてくれました。
その翌年、さらに翌年と、シャッターチャンスを待ちましたが、こんなチャンスは一度で良いのだと悟らせるかのように、それきり二度と満足の行くホウの花の写真は撮ることが出来ませんでした。

それぞれの平和運動

世界の平和を願わない者はいない。
そう言うと、多少の異論があるかも知れませんが、今ここでそんな議論をしようというのではありません。
どうしても、私たちは平和を願わないわけには行かない、私はそう思います。
例えば、お金と引き替えに物が買えること、交通機関を利用して好きなところに行けること、朝、家を出て行った家族に夕方再会出来ること、こんな当たり前のことも、世の中が平和であり人々の善意が信じられるという前提がなかったら成立しません。
戦時下に置かれた国では、そんな当たり前のことでさえ何の保証もないし、それどころか今日、たった今の命さえ保証の限りではありません。
だから平和は大切、そう思いませんか。
平和を守るためにいろいろな方法があるのだと思いますが、私は日々の暮らしがそのまま一人一人の、それぞれの平和運動となるような過ごし方を考えること、先ずはそこからだと思っています。
英国スコットランドの、フィンドホーンコミュニティーの創立者の一人、アイリーン・キャディーがこう述べています。

「世界が平和であるためには、一人一人の心の中が平和でなくてはならない。」



 WALK9 のこと

今ちょうど新潟から福島への道を、平和を願って巡礼の旅をしている方々が歩いています。
明日の夜には、我が山都町で一泊されます。
ご存じなかった方、以下にご紹介するサイトをご覧ください。
私も、明日皆さんにお目にかかろうと思っています。
           WALK9 のホームページ http://walk9.jp/index.html

狩猟民の心得

昨日は、新潟からお客様がいらっしゃいました。
ご夫婦で見えたのですが、奥様の方は「からころ屋」という自然食品店を経営していらして、昔私たちも自然食品の販売を生業にしていたことがありましたので、いろいろと共通の話題に花が咲きました。
お店のことは、ホームページもブログもお持ちだそうなので、そちらをお訪ねいただくとして、一方ダンナさんのお話にとても興味を惹かれましたので、そのお話を紹介したいと思います。
そのダンナさんのお父さんの話です。
残念なことにすでに亡くなられこの世の人ではありませんが、そのお父さんは若い頃からずっとクマ撃ちを生業にしていたのだそうです。
生まれついての狩猟民的感覚を持っていたというお父さんは、木伐り、炭焼き、籠編み、等々、山の仕事は何でも自在にこなしたそうです。
そしてクマ撃ちに行く時、いつも奥さんがこしらえて持たせたにぎり飯を、必ず一つだけ残して持って帰って来たそうです。
一度山に入れば何があるか分からない、いざと言う時たった一個でも残しておいたにぎり飯で命が助かることがあるかも知れないということなのでしょうが、それなら山を下りて里が見えるところまで来たら食べればいいのに、いつも家に辿り着いて囲炉裏の前に座ると、その一個をホイッと奥さんの前に置くのだそうです。
そして奥さんはいつも、「せっかく持たせてやったのに、何故ここまで持って帰って来るんだ。」と決まり文句を言ったそうです。
でもだからと言って、次から一個減らすというわけでもなく、五十年間ずっと最後までそうだったという話です。
モノの豊かな時代にいる私たちが、とっくの昔に失ってしまった狩猟民の心得を持った人が、この同じ日本につい最近まで生きていたことに驚かされ、そしてとてもいい話を聞かせてもらったことに感激する私でした。


                                                                                   photo by Mikio Aoki

画面と紙面



ブログを書き始めて一ヶ月半余りになりますが、見るだけの立場から見てもらう立場にもいるようになり、webに対する感覚も少し変わりつつあります。

私は、もうずっと以前から個人的な印刷物を発行していますが、インターネットの時代の幕が開き、ホームページやブログを使って誰でも簡単に、しかも整った体裁の情報を発信出来るようになった今でも、一方で紙に印刷されたものの価値が減ずることはないと思っています。
画面と紙面のどこが違って、どこが同じか・・・、これはwebデザインを考える時にすごく重要なことなんだろうと思います。
今まで単純に、紙に印刷された情報には集中して向き合える、画面に表示されている情報は落ち着いて見られないと思っていましたが、そうでもないんじゃないかと認識が変わりつつあります。

さて皆さん、大抵のweb情報画面には、主題情報の他に実に沢山の情報が混在していますね。
メニューバー、ツールバー、タスクバーの他、コンテンツ、リンク、広告などなど、まさに情報の満艦飾です。
極々実用的な情報ならそれでも構わないとも思いますが、じっくり内容を読み取ってもらいたい情報、何かをイメージしてもらいたい情報を伝えようとする時は、不要なあるいは邪魔になる情報は極力置かないようにした方が、絶対に効果的なはずです。
印刷物は、最初から考えられたレイアウトで完結していて、不意に広告がポップアップするようなことは起こりませんから、集中しやすくて当然なわけです。
それでもちょっと考えてみてください。
もし一度に沢山の、それも色とりどりの興味を引かれるパンフレットを受け取った時など、やっぱり落ち着いて向かい合うという態度にはなり難いんじゃないでしょうか。
webの画面は、言ってみればずっと連続してその状態にあるようなものですね。
逆に考えれば、じっくり見てもらうための画面も作れるということになるはずです。
私はまだまだネット初心者ですが、それでも自分のブログを始める時に、読みやすい文字の大きさが選べることと不要な情報が少ないことを条件に、けっこういろいろ悩んだものです。
今までいろいろ見た中には、とても良く出来ているなと思うサイトもいくつかありましたが、自分で作るとなると、とてもじゃありませんがノウハウが足りません。
お金を払って専門家にデザインしてもらうほどのことでもないし、これからせいぜい楽しみながら少しずつ勉強して行こうかなと思っています。




All Illusts by Machiko Aoki

シナモンロールとノルディックルーツミュージック



映画「かもめ食堂」が静かなブームになり、少し前の話ですが50万人の人が映画を見たとか。
今はもっと人数が増えたことでしょう。
フィンランドという国のことも、いろいろな方面で注目を集めているようですね。
フィンランドびいきの私たち(私と二人の娘)としては、やっぱりうれしいことです。
今日は、食工房でもシナモンロールを焼きました。
細かいところは違っているかも知れませんが、形は映画で見たとおりに真似ています。
これが焼ける時のにおいは、もうたまりません。
砂糖が焦げるカラメルのにおいとシナモン、カルダモンの香りが混ざり合って、もうすっかりヘルシンキの「かもめ食堂」の店内にいる気分です。
とは言え私、行ったことはないのですけれど・・・。
そんなわけで今日の休憩時間には、焼き立てシナモンロールとコーヒーでさらに気分を味わいました。


さて、ここでまた皆さまをノルディックルーツミュージックの世界へお誘い申し上げましょう!
今回のおすすめは、国立の民俗音楽集団 TALLARI です。
今から21年前に結成されたこのバンドは、4人の常駐メンバーに女性の歌い手が1~2名加わって活動しています。さらにゲストが加わることもあるようです。
国立と言うからには、ちゃんとそのための予算も計上されていて、CDを作る時にも予算を取って製作するそうです。
さぞかしお堅い音楽集団で、演奏もお堅い内容かと思いきや全然違うんですね、これが。
国が、こういう音楽やミュージシャンを支援しているフィンランドという国と、国民の方々を私は掛け値なしに尊敬してしまいます。

うーん、ここで音をお聴かせ出来ないのが残念でなりませんが、お店に来られる方にはいつでもお聴かせ出来ますので、ご来店の折にお声をかけてください。
CDが出ていますのでとりあえず2枚ご紹介申し上げます。
ただし、一般のCDショップでは手に入らないと思います。


Kymmenen pennin ryyppy 「10ペンニのお酒」


Komiammasti 「コミアンマスティ」

ネットでいろいろ検索していますが、CDを買えるサイト、試聴出来るサイトをまだ見つけられません。
ちなみに私の手元にあるCDは、知人から寄贈いただいたものですが、今、日本では手に入らないのではないかと言う話しでした。
ノルディックルーツミュージックの関連サイトは、4/1の記事をご覧ください。