土佐ネタ日記」カテゴリーアーカイブ

ものは言いよう

土佐の庶民性のいろいろある中で、「ものは言いよう。」をこれほど上手に使いこなす県民は、他にいないんじゃないかと思っています。
土佐の人間はとにかく話し好き。
そして理屈をこねるのが、これまた好きと来ています。
まともな理屈ももちろんこねますが、屁理屈ならもう天下一品、どこにも負けない日本一です。
土佐人の頭は、例えて言うなら「二ひねり三回転半」みたいな回り方をするのです。
そのまま素直には行かない。
ひねりが効いているなと思ったらそれだけではない。
三回転半みたいに、半端にはみ出すことも以て良しとするところがあって、収まらないことなんか気にしないのです。


出るクイは打たず、出るに任せて面白がって応援する。
次に何が起こるかなァー!?と。


ちょっと大げさかも知れませんけど、そんなに外れてないことも確か・・・。
そんな土佐の人間です。



「ぱっと馬路村」


さて前置きが長くなりましたが、柚子の皮入り七味唐辛子「ぱっと馬路村」の蓋にかけられている封印帯を見て、思わずニヤッとしてしまう私です。

「うまいこと言うやいか!(うまいこと言うじゃない!)」



「馬路村の空気もいっしょに詰めました。」


これって、言い換えれば「メイドイン馬路村」ってことでしょ。
どこか村外で委託加工してるのじゃなく、村の中でちやんと瓶詰めまで全ての工程をやってますよってことの証明にもなるわけですね。
こういうアイディアって先にやった者勝ち、二番煎じは白けるだけですからね。


でも、こんなコピーも、一昔前に果たして通用しただろうかと考えると、それは甚だ怪しいもんです。
馬鹿にされるだけで終わっていたかも、と思います。
そう言えば、ごっくん馬路村に赤字で表示されている「馬路村公認飲料」のコピーも、最初は村長に無断だったそうです。
結局、村始まって以来の爆発的ヒット商品になって、事後承諾どころか大手がらということになったのですが、こんなことをするのは土佐人だけですね。
いつも時代の空気を読んで、このくらいやっても大丈夫という線ギリギリを、危なっかしくも駆け抜けるのが土佐人かなと思う私です。
龍馬は、それで命を落としましたけど・・・。

東京


JR・夜行高速バス・ドリーム高知号
はるか南国の高知と東京が、このバス一本で結ばれている
ということが、何か不思議な気がしてしまう私です。


今朝7時前、まだ人の動きもまばらな時間に、東京に着きました。
新装成った日本橋口は周りをガラス張り高層ビルに取り囲まれ、氷の回廊のようにも見えました。


若い頃、とにかく東京に行かないことには、自分の夢は叶わないと決心して上京し、楽しいこともいっぱいあったし、東京の街を自在に闊歩出来る自分を誇らしくも感じていました。


それが今は、とてもじゃありませんが、東京には適応出来ません。
交通機関を乗りこなしたりすることは、今でもそんなに難しくはありませんが、何と言ったらよいのでしょう・・・、私にとっては、居ることに喜びを感じられない場所になってしまいました。


歳のせいでしょうか・・・?否、そうばかりではないような気がします。
新宿から出るバスへの乗り継ぎに2時間余りありましたので、原宿に移動して、そこから明治神宮の森の中を歩き、代々木に出てさらに新宿まで歩いてみました。
その時に、改めて今更のように分かりました。
私は、やっぱり都会よりも自然の豊かな場所の方が好きなんだなと。
でも、こんな不満を言っちゃあいけませんけど、神宮の森には好き勝手に生えている木は一本もないのですよ。
全部きちっと管理されています。
本当に完璧です。
いわゆる自然とはちょっと違うのです。
それでも土があり木が生えていることは、どれほどありがたいことであるか。


新宿にたどり着いて、ふと見上げたビルの壁にかけられた広告のコピーに、思わず「ほーぅ、そうですか…!?」とつぶやく私でした。



もちろんゴルフ道具の宣伝のことは分かっていますけど、
何とも象徴的じゃあありませんか?このコピー。

帰途へ


高知県長岡郡本山町新頃・白髪小学校跡
80余年前、今は亡き父が通った小学校。
昭和46年まで存続。
すごい山奥ですが、現在も数世帯の生活者がいます。


今回の高知滞在はお天気に恵まれず、またプライベートな用事も多かったので、ブログネタもあまりありません。
今日はこれから、帰り支度です。
最後に父の墓に参拝して来ます。
一番最初にと思っていて、結局一番最後になりました。
まあ、それはいいのです。

高知を離れて暮らすようになってから、かれこれ35年余り。
今では、福島が第二の故郷になりつつあります。
それで今回改めてはっきりと自覚させられたことが一つあります。
私のしゃべる言葉は、もはや帰郷しても本来の土佐弁とは、似ても似つかないしゃべり方になってしまっているということです。
そうかといって、会津弁はほとんど身についていないし、変にに標準語よりの怪しげな言葉遣いになってしまいます。

言葉と文化と庶民性はとても密接な関係にありますから、私みたいな人間が増えると日本の文化や庶民性に地域色がなくなって、全部混ざった灰色みたいになるんでしょうか。
マスコミとインターネットの影響で、どんどんそれが進んでいるような気もします。
もちろん功罪はいつも相半ばしているのですが、日本国内どころか世界規模で人類は混ぜ返されていると、ちよっと話しが大きくなりそうなところで止めにしておきます。

しばらくブログの更新が止まると思います。
何しろ、休暇の後始末が大変です。

この次は、会津から。

ちょっとミシシッピーまで・・・

高知はアメリカが近くていいです。
今日は、ちょっとミシシッピーまで行って来ました。
アハハ!
もう、お分かりになりますね。
<こちら>です。


さて、辿り着いたのは良かったのですが・・・。


 



知らないでいきなり来た人は、「ガーン・・・!」ですね。


でもご心配は無用。
昨日電話を入れておきました。
その時分かったのですが、藤島さんたち(お連れ合いと二人)は、しばらくイギリスに出かけていて、昨日帰り着いたばかりだったのです。
で、お店は今日までお休みというわけ。
しかし何とまあ、間のいいことでしょう。
まだ少し時差ボケも手伝ってか、ユルユルボーッで完全オフモードのミシシッピーで、営業中には味わえない時間を過ごして来ました。


 



何やら怪しげな置き物や絵などが、所狭しと置かれています。
藤島さんの作品も、そこここにあるのですが、どれだか分かるでしょうか?



実は鏡に映っているんです。
完全オフモードの、藤島晃一



何回来ても、未だに新しい発見がある店内。
店全体がアーティスト藤島晃一の作品の趣。


今回イギリスでは、友人たちのところを回ったりして、向こうのライヴハウスでライヴもやったとか。
あちらにもファンがいるらしいですね。


そして今回のもう一つの目的は、皿やカップ、ティーポットなどの小道具、その他雑貨を仕入れることだったそうで、総重量90kgもの荷物を日本に送ったというお話し。


すでに届いた皿やカップ、ティーポットなどを、見せてもらいました。
残念ながら、中は暗いし照明もないし、ストロボ当てたのでは、ぶち壊しの画像しか撮れないので、写真はあきらめました。


 



自慢げにカップを手にしているところをワンショット。
カップもいいんですけど、私にはこのキッチン自体も
アートだし、写りこんだ後ろの絵の方が気になります。


ご覧になりたい方は、どうぞミシシッピーへご来店を!
ご注文のメニューが乗って来ることでしょう。


 



このポットがよく出来ているというお話し。
フェルトの内貼りを施したステンレス製の外枠に
陶製のポットがぴったりとはまるようになっています。
注ぎ口の形状もよく出来ていて、この方向からは見えませんが、
縦に溝が切ってあり、しずくの切れが良いよう考えられています。


コーヒーとお茶をご馳走になりながら、とりとめのない歓談のうちに時間が過ぎて、お暇して来ました。


また今年の7月頃、東京方面にライヴツアーの予定があるそうで、今度はうちの自宅でもいいのでオフ会の雰囲気で
ライヴをやれないかとの提案です。
低料金で、気楽に一品持ち寄り宴会モードで、藤島さんのブルースとトークのライヴを企画してみようかな・・・、と思っているところです。

そうそうそれから、昨年の風街亭ライヴのCDを製作中です。
音源自体はもうとっくに出来ているのですが、ジャケットに手間取っています。
私が忙しくて、なかなか仕上げられないのです。
でも、近いうちにリリース予定です。


 



窓の向こうの建物、気になりませんか?
元縫製工場を丸ごと借りて、アトリエ兼ギャラリー
兼、卓球場にしているんですよ。
またいつかご紹介します。


 


さて、明日はまた母を連れて、親戚と祖父母の墓参りとその他所要です。
ブログの更新、途切れるかも知れません。

行って来ました、馬路村!

今朝は、昨日の雨から打って変わって、暖かい晴天となりました。
予定通り、馬路村へ。
実家のある高知市からだと、たっぷり2時間はかかる道のり。
妹と運転を交代しながら、ひたすら車を飛ばしました。
途中、太平洋を眺める海沿いの道では、車を止めて写真を撮りたい気持ちに駆られましたが、とにかく辿り着いてみないとあとで時間がなくなるかも知れないと、海岸の写真は帰り道に撮ることにして、先を急ぎました。



国道56号線から県道12号線へ左折
馬路村へ向かいます。
この路線、室戸を回らずに徳島方面へ行く近道?です。



高知県内どこの山村に行っても見られる、美しい石垣。
家も畑も田んぼも、すべて石垣を積んで造った棚地になっています。



似たようなロケーション、奥会津にもあったような・・・。
ただしこの鉄橋は鉄路ではありません。車道です。



山が迫る川沿いの道、材木を満載したトラックが下りて来ました。
このあたりは、魚梁瀬杉で有名な材木の産地です。



村の中心部の写真はこれだけです。すみません。
旧郵便局を利用した、地場産品直売所です。


海岸線から離れて山の方に曲がると、間もなく両脇に山並みが迫り、川沿いに縫うように馬路村への道が続いていました。
距離にすれば20km余りですが、その昔道路状況の悪い時代には、ずい分遠い道のりだったろうと思います。


それでも、高知県内の平均的な山村に比べて、特別山深いと言うわけではありません。
どちらかと言えば、私の生まれ故郷の土佐町の方が、場所によっては馬路村よりずっと山深いのです。


さて実際に訪れて見て、私にとってはあまりにも当たり前の、子どもの頃からよく見慣れた山村の風景に、正直肩透かしを喰らったような気がしました。
少なくとも私には、高知県の中では本当に何処にでもあるような変わり栄えしない山村にしか見えません。


その馬路村が、どうしてそんなに成功事例として注目されているのか、それはもう分かっていることなのですが、人つまり人材ということに尽きるのですね。
村長さん始め、村の中に状況を動かす力を持った人材が、少なくとも複数いたということなのです。
そしてそういう人材が育つ環境として、村の置かれた社会的な状況と経験があるわけです。
どうしても成功した部分だけに目が行きやすいのですが、「失敗した話しなら、いくらでもある。」というのが実際だったようで、そこからいかに学んで臨機応変に対応して来たか、そこに成功の鍵があったことは間違いありません。
大成功を収めた「ごっくん馬路村」も、同じ高知県内に後発の類似品が次々と名乗りを上げていて、先発の「ごっくん・・・」は確実に影響を受けているはずだと思うのですね。
当然のことながら、馬路村もそのことは考えている。
つまり考える人がいる、ということが重要なわけです。



これが「ごっくん馬路村」です。
今回、30本購入。
食工房ご来店者プレゼントに・・・。



高知県人なら誰でもなじみ深い「柚子しぼり」
我々は「ゆの酢」と呼んでおりました。
右側の小瓶は、私のお気に入り。
ゆずの皮入り七味唐辛子「ぱっと馬路村」


そしてもっと大切なことは、大成功して一番になることよりも、いかにその土地の人々が安心して幸せに暮らせるかということなのですね。
多分、馬路村の人々も初めはそのことだけを考えていたのだと思います。
そのために一生懸命やったことの何処が功を奏したのか、それが自己分析出来ているから、次々と面白いアイディアが出て来るのだと思います。


今後の馬路村の動向に、注目していたいと思います。



一番奥の集落魚梁瀬地区へ向かう途中から振り返ってながめたところ。
高知の山は、どこに行ってもこんな感じです。



これが西日本有数の、自然石と土で造られたロックフィル形式の魚梁瀬ダム
堰堤の高さは115メートルもあります。



ダム湖の先に遠く魚梁瀬地区を望みます。
今日は、時間の都合でここから引き返しました。
平家の落人伝説に満ち満ちた歴史ある場所です。

旅の途中そして土佐へ


会津新宿線「夢街道会津号」・阿武隈サービスエリアにて


昨日会津を出発して今朝高知まで、東京経由で高速バス二便を乗り継いで、約20時間の旅でした。
会津と土佐(高知)、このものごとの両極に位置するような土地柄庶民性の二地域のお話しは追々ご披露するとして、先ずは毎度のことながら、高速バスの運転手さんの技能の高さに舌を巻くと言うお話しです。
とにかくスムーズ、そして速い!
最前列の席に座ったので、スピードメーターを覗こうかと思いましたが、両脇にうら若い女性がお座りでしたので、ちょっと見っともないという気がして止めました。
でも大体ですが、常時110km/h超くらいは出ていたようです。
何より、込み合っている車列の中に混ざって行って追い抜く時も、全然不安を感じさせないのは、要は動きがスムーズだからなんでしょうね。
数十人の乗客の命を預かって、予定の時刻に到着目指して臨機応変に大きな車体を走らせるのは、やはりプロフェショナルです。
今時、誰でも車の運転くらい出来るのが普通ですけど、職業ドライバーの、それもバスの運転手となると次元が違うような気がします。



プロの仕事場。
一度でいいから運転してみたい好奇心に駆られます。


 


さて、途中経由した東京で、またしても驚きと違和感とため息の連続の私でした。
ホームに突っ込んでくる電車のスピードの何と速いこと!
出発して行く時の、自動車に劣らぬ恐ろしいくらいの加速度。
この頃、線路への転落事故や飛び込み自殺が多いので、ホーム側にも柵と扉を設置する方向だとか・・・。


東京駅もそうですけど、都内のターミナル駅は、どこもいつ行っても工事中ですね。
ちょうど一年前にも訪れた東京駅、まだ終わらぬ工事が続いていました。
そして夜行バスの窓から眺める東京の街は、見渡す限りメタリックな輝きに満ち満ちていました。
無数の色取り取りの明かりと、奇抜さを競うかのような造形の群れは、東京全体がまるで遊園地のよう・・・。


でも、その後に現れた無数の高層アパート群の、規則正しい間隔で明かりの下に浮かんでいるドアの群れを見て、私が何をイメージしたか、それは言わないでおこうと思います。


 



ドリーム徳島・高知号・ダブルデッカー
3列フルリクライニングシートで快適
さすがに熟睡は出来ませんが、自分で運転する
ことを思えば、ずっーと楽な旅でした。


一夜明けて、高知の街に降り立った時、そこは漂ってくるものすべてが高知でした。
走り去ってゆくバスの後面に、早速一撃喰らってしまいました。
あの馬路村の広告です。
曰く「日本には、村が減少しすぎている。」
横には「ごっくん馬路村」のイラストが大描きしてありました。



やったね!これですよ!
明後日、馬路村に行ってきます。


さて高知の街の一番の特徴は?と言えば、路面電車だと私は思っています。
他所の街で次々と廃止される中、逆に使われなくなった車両を集め、遠い外国からもレトロな形の車両を購入して、街全体が路面電車ミュージアムです。
一時期減った利用客も、この頃は増えて来たみたいです。
レトロな電車に、ICカードで乗り降りする地元の人たちを見ていると、これだよなーと思うのですね。



8、9年前だったかな、初めて女性の運転士さんが登場して話題になりました。
今日また珍しく女性の運転士さんでした。テキパキとそして細やかなお仕事ぶり。



運転士さんのネームプレートの下には、イベント電車運行の案内ポスターが。
電車の写真も撮りに行かなくては・・・・。



当然と言えば当然!高知県出身の漫画家
やなせたかしさんのまんがもイラストされていました。



派手ですねぇ!いいですねぇ!
電車同士のすれ違いです。
右側の電車の行先は「ごめん」
左側電車は「いの(いぃの)」


南国の街の活力、まだまだ話は尽きません。

土佐のにぎやか事情


高知は、全国で一番街路市の盛んな街です。

「土佐の街路市」


実は来月早々、郷里の高知に出かけたいと思っています。
14年前に父を亡くして以来、それまで疎遠にしていた郷里に毎年帰省しています。

こんなことなら、父の生前からそうすれば良かったようなものですが、それが出来なかったのは、若気の至りと言うにはもういい歳になっていた私ですが、それ以外の何ものでもありません。
残る母は、間もなく満90歳。
本人は、いつまでも生きているのはしんどい(辛い)と、口を開く度にそう言うので、いつもこれが最後になるかも知れないと思いつつ、また今年も顔を見られるのを楽しみにしている私です。


さて、高知に行く度に、分かっていてもいつも新鮮な驚きを感じることがあります。


それは、スーパーマッケットなどお店の中が、すごくにぎやかなことです。
たいてい着いた日の夕方買い物に出かけて、まず一撃喰らってしまいます。

入口を入る前から、もう外にワイワイガヤガヤと人の声が聞こえてきます。
いっぱい人が来て込み合っているのかなと思って中に入って行くと、それがそうでもありません。
でも、見ると何人かの奥さんたちが、あちこちでしゃべり合っています。
「○○さーん、はよう来て、さばが安いでぇ!」と、手は高々と一匹つかみ上げています。
「ちょっと待っちよって。牛乳買うてから行くき!」とあちらのおくさん。
知った顔に出会うと、人目をはばかることなく大きな声で、声をかけあいます。
周りの人も、それくらいのことでいちいち振り返ったりしません。

品物を手に取ったまま迷っている風だと、「私もそれ買うてみたけんど、なかなかおいしかったでぇ。」と、知らない人にも声をかけたりします。
売り場の人が呼び込みなんかしなくても、お客さん同士で口コミしてくれるので、店内放送もしてなかったような、音楽もかかってなかったような、さっぱり記憶にありません。
でも、とにかくにぎやか!


それが会津に帰って来ると、分かっていてももう一度驚きます。
喜多方市内に買い物に行くと、「あれっ、まさか休みじゃないよね?」と思うくらい静かなのです。


この激烈なまでの相違。
土佐と会津、その両方に暮らした者以外は実感出来ないと思う私です。

なぜ、土佐は面白いか?

土佐の高知に生まれ育ち、その後あちらこちらと引っ越しを重ね、そしてついにたどり着いたのがここ会津です。
もう動き回るのは結構!
ここが死に場所なら、それはそれで言うことはないと思っています。
土佐と会津、この対照的且つ両者共に極めて個性的な場所に関わりを持ったおかげで、あり得ないほど視野を拡げてもらったと思っています。


さてさて、その土佐と会津。
まず会津には、いいところが沢山あります。
気候風土、庶民性、食べ物、文化、その他いろいろ。
でも、面白いところはと言われたら、私は土佐の方に軍配を上げます。


今年は、坂本竜馬がまたしてもヒーローにかつぎ出されて、いやが上にも土佐への注目度が上がっていますが、それはそれとして、近年高知で一番二番に注目されている場所はと言えば、「馬路村」です。
さあ、これを正しく「ウマジムラ」と読めた人は、高知県人かあるいは高知県人度80点以上の方です。
「路」を道路の路と同じ発音と勘違いして、「まさか、バロムラじゃないですよね。」などと変な質問をされたことも実際にあります。


では、その馬路村へちよっと出かけてみましょう。



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



これは、馬路村農業協同組合が発行している「馬路村辞典」です。
細長い紙面に裏表刷りで、経本折りにたたまれています。




散らかり放題の机の上は、お見逃しのほど!


どうです?面白いでしょう。
一番最後の「今となっては時効の話」が、何と言っても土佐を象徴しています。
土佐では、この手の融通は日常茶飯です。
しかもとんちが効いていると言うか、ひねりが効いていると言うか、土佐人同士はそれを了解しています。
ところが県外に出て行くと、土佐人はついこの手をやり過ぎて、ひんしゅくを買うことが間々あります。


でもこれが、世の中を明るく面白くする力ですよ。
そしてやり過ぎにお灸をすえる時には、会津のスタンスがぴったり来ます。
「ならぬものはならぬ」と。
ものごとはバランスが肝心。
土佐と会津で、不思議なバランス感覚を体感している私です。

土佐に酒あり、「桂月」


古いレンガ造りの煙突をそのまま
残した趣のある外観です。
時々マスコミの取材を受けるそうです。


土佐の高知と言えば、酒豪の地と覚えられてしまっているみたいで、飲めない私は何かと言うと肩身の狭いと言うか、ちぐはぐな感覚にいつも戸惑っています。
しかしながら確かに土佐は、有数の酒どころではあります。
私の生まれ故郷、高知県土佐郡土佐町にも造り酒屋が一軒あって、土佐酒造「桂月」という商標で売り出しています。
実は、私が帰郷の折に必ずお世話になる同級生の親戚がこの酒屋というわけで、今回ちよっとお願いして見学方々お話を伺って来ました。
私、酒は飲めなくても、酒造りには並々ならぬ興味を持っています。
何しろ、パン種を醗酵させるプロセスは、酒造りと全く同じと言って良いほど似ているからです。


ところで「桂月」の名の由来の一つは、明治の文人大町桂月にあります。
この人、今で言うなら椎名誠といったところでしょうか。
旅を日常とし、歌を詠み詩や日記をつづり、絵も描いています。
昔から、酒と芸術はどこかで結びついているようで、芸術家はよく飲み、酒屋は風流を嗜んで芸術家を大切にしたのですね。
考えてみると酒もまたコーヒーと肩を並べる嗜好品の雄であり、酒を造ることにも、酒を売ることにも、何か創造的かつ感覚的な要素が必要とされるのですね。
私などは、酒造り自体がアートだと思っています。
いつも、アイディアやユーモアに富んだ感覚が要求される仕事をしているからこそ、芸術に対して親近感や理解が生まれるのだと思います。



歴史を感じる古い酒蔵の入り口にかけられた
「桂月館」の表札



これが大町桂月さん。
なかなかの伊達男じゃないですか。
これがまた物凄い健脚で、高い山も
物ともせず闊歩したとか・・・。


お邪魔して早速案内していただいたのが、古い酒蔵を改装して大町桂月の資料を沢山展示してある「桂月館」です。
ここには、価値ある資料が沢山所蔵されています。
その昔、桂月存命の頃、直接交流があったことはもちろんですが、現在の社長も、桂月が足跡を標し後に碑が建てられた場所を訪ね歩いて写真に収め、後世に残せる資料づくりに力を尽くしています。
興味深くまた面白いお話しは、見学に行けばどなたでも聞くことが出来ます。
この方面にお出かけの機会がある方、ぜひ土佐酒造「桂月館」へお立ち寄りください。



こちら純米吟醸
楽しみです。



おしゃれな雰囲気の柚子酒
早速封切りして味わってみました。


さて帰り際、お土産にいただいたのがこちら。
私が自然食志向であることを承知で気を利かせてくださったのか、純米酒と最近売り出し中の新製品柚子酒です。
飲めないと言っても、一口も飲めないわけではありませんし、むしろおいしい酒の味は分かると思っていますから、ありがたくいただいて持って帰って来ました。
純米の方は、何か目出度いことやうれしいことがあった時に、その場に居合わせた方々と共に味わおうかなと思っている次第。
柚子酒の方は、興味が勝って早速封切りしました。
柚子の香りと日本酒・・・どんな相性なのかと思いましたが、決して悪くないですね。
柚子も酒も純粋な日本の産物ですが、この柚子酒は妙に洒落ていて味も香りも洋風、カクテルの材料にも好適です。
炭酸で割って飲むのもよろしいかと。



炭酸割りまたはビアカクテル(ピルスナーあたりがよろしいかも)でどうぞ。


ちなみに土佐酒造へご用の方、先ずはホームページ<こちら>をご覧ください。
ただし、事務方担当はIT堪能ではないので、ご注文やお問い合わせはお電話またはFAXの方がありがたいそうです。

旅の途中

今日は、一週間前の夜高知に向かって出発した東京駅に、今度は高知から一晩かかって早朝7時前の到着でした。

何度も何度も再開発されて、その度に巨大になって行く東京駅。
日本橋口が出来ていて、周りは首が痛くなるほど見上げないと空が見られない、ガラス張りの高層ビルに囲まれた谷間でした。

大きな地震が来たらどんなことになるのだろう・・・、と思いつつ。
経済的、社会的要求と、建築家のセンスと夢と、それらに応える技術と産業、それらがあってこうしたものが出来上がり「文明」と呼ばれるのでしょうが、果たして、本当に人類はこんなものを作りたかったのだろうか?などと思いつつ、まだ一部は工事中の東京駅の中へと入って行く私でした。

会津行きのバスは、新宿発なのでJRの電車に乗って移動。
何年かのうちに、またまた新型車両が登場していて、軽量車体とハイパワーモーターのおかげで、またしても度肝を抜かれる加速感を味わいました。
でもでも、凄いスピードでホームに入って来たり、出て行ったりするのを見ていて、やっぱり都会は安全性よりも効率を採る所なんだと思い知りました。

乗換えまで二時間ほど空いていましたので、わざわざ一駅手前の代々木で降りて、昔行きつけのライブハウスがあったあたりを歩いてみましたが、もうどのへんだったか見当がつきませんでした。
時間つぶしに、そのままフラフラと新宿まで歩きました。

早朝の街は、あっちもこっちも回収前のゴミの山でした。
あまり美しくないけれど、それは仕方ないのですね。

どっかのビルの前では、工事に入る職人さんや人夫さんたちが、何台もの車の中で待機していました。
中には、朝ごはんのおにぎりを頬張っている若いお兄さんも・・・。

こうした人たちのかなりの割合が、今流行の派遣労働者なのかなと、仕事にありつけた人はまだいいけど、あぶれちゃった人はどうするんでしょうね。


 



 




それからまだ時間があったので、駅前のスターバックスでコーヒーを試してみました。
実は私、スタバのコーヒーは初めてでした。

何かと業界の話題を浚うスターバックスのコーヒーがどんなものか、先ずは素直な気持ちで初心者よろしくホットコーヒーをオーダーしました。
カップのサイズの大きさに驚いたのが一番。
「Sでお願いします。」と申し訳なさそうに頭を下げて、290円払って表のパラソルの下で、持っていた黒パンをかじりながらいただきました。
朝一でお腹も空いていましたし、舌先が一番敏感だったと思います。

結果を言わせてもらうと、やはり70点というところでしょうか。
豆は深炒りを使っていましたけど、それにしてもストレートに苦いだけで味わいの深さに欠ける気がしたのは、私だけでしょうか。
コーヒーブルーワー(コーヒー抽出機)で淹れると、これが限度なのでしょうかね。
そんなことはないような気もするのですが。
でも、お店の雰囲気やペーパーカップのアイディアは、さすがに上手いなぁと思いました。

コーヒーも、他の例に漏れず二極化しているようですね。
食工房もある意味、生き残りを賭けています。


さて、そんなこんなで午後には我が家まで帰り着きました。
いい加減くたびれましたので、明日からに備えて早寝するといたします。
土佐ネタ日記、この先も合間を縫って続けます。